夜陰に紛れて悪さをする者というのは、いつ何時にでも居るモノで。大抵そういう輩というのは、ほとんどの者が思う「私は大丈夫」という、根拠のない自信を持ってコトに及ぶ訳だ。
一応、周囲を警戒しているつもりかもしれないが、そんな行為をしている時点で、高慢と評することができよう。
まあ、世の中、善につけても悪につけても、そう、甘いものでもあるまい。
なればこそ、帰路の曲がり角、出くわした悪漢二人の後姿へ、彼女は持っていた睡眠薬をかけたのである。
通せんぼする身が邪魔だったのも理由の一つだが、大半を占めるのは、彼らが人を組み敷いていた事。
しかも、殴られた形跡、乱された衣類の持ち主は、紛うことなき美人。
正義の味方を気取るつもりはないが、こんな場面に出くわして、何事もなかったかのように振舞う神経は持ち合わせていない。
けれど生憎、彼女は暴力に生きる人ではなかったので、手持ちの薬をかけて後、即行で眠り込んだ男二人へ、ちょっとした悪戯を決行する。
ささやかな趣味と実益を兼ねた――
「…………よし」
自分のやったことに大満足の彼女は、全裸状態で転がした、ぐーすか眠る男らに背を向け、広げた道具をせっせと黒い布に仕舞った。
中には注射やメス、異様な輝きを月下に魅せる薬瓶などがあり、これらを収納した黒い布は、彼女の懐へ帰っていく。
そうして土埃を払って立ち上がった彼女。
明日が楽しみだね……とクツクツ嗤う声を男らへ向けては、帰路を再度辿る。
真っ黒く長い三つ編みの髪が黒い外套を跳ねる様を、じーっと見つめる、助けたはずの美人を忘れて。
* * *
その翌日。
町から少し離れた、隣接する森近くに居を構えた家の戸を、叩く者があった。
この家の住人である瑪瑙は、これにより、いつもより早い目覚めを余儀なくされた。
「ふぁあ……んー……だぁれぇ? こんな時間に……」
とは言っても、時刻はお昼を過ぎた辺り。
世間的には訪問しても問題はない時間帯ではある。
今朝方まで起きていた彼女にとっては、迷惑甚だしかったりする話だが。
「はいはいはいはい……今、行きますよぉーだ」
もう一度、寝腐ろうとしたものの、鳴り止まない音から、誰にも届かない声で返事をし、寝台からゆっくり身を起こした。
壁の中に造られたそこから、足を下ろした部屋の床には、服が散らばっている。
まるで物取りが入った後のような惨状だ。
が、瑪瑙にとってはいつもの光景。
別段、ずぼらな性格ではないのだが、ここのところ仕事に励んでいたため、家事全般が疎かになっていた。
そんな仕事も程好く片付いたので、今日は惰眠を思う存分貪ってから、掃除に取り掛かるつもりであった。
いきなりの挫折がなければ。
「いやいや、やるし。挫折しても、今日はお片付けしますとも」
誰に向けてか知れぬ主張をしつつ、床から一枚二枚、着れそうな服を拾い上げる瑪瑙。
寝間着を脱ぎ、下着と煤けた白い襦袢、スカートを着用。
藍色の貫頭衣のような上下続きの衣へ腕を通す。
「よっ……ととと?」
身体の線を強調する、ほっそりした上半分は、毎度のことながら、着るのに一苦労。
どうにか両手を出し、一息ついては頭を差し入れた。
「ぷはっ」
一枚続きの長い道のりを終え、呼吸をすれば、しっとりとした声が届く。
「裾が捲れてるよ。直してあげる」
「あ、ありがとう」
ぴっと伸ばされて、背筋まで伸びた。
次いで後ろへ手を伸ばし、服の中に入ったままの長い髪を引き抜こうとすれば、また声が届く。
「待って。強引にやったら駄目だ。俺がやるから」
「あ、はい」
頷いたなら、首と髪の間へ、細く、少しだけ冷たい指が入る。
しゅるりと音を立てて髪が引き抜かれ、手櫛に梳かれた。
「綺麗な髪だ……良い香りがするね」
「はあ……そうかな? 最近、満足に湯浴みも出来てないんだけど」
髪が持ち上げられた感触と共に為された感想へ、瑪瑙は首を傾げつつ、自分の髪の匂いを嗅いだ。
……よく分からなかった。
再度眉根を寄せ、後ろの声へ髪の匂いの真偽を問おうとし――腹に両腕を巻かれては、身体が硬直した。
「じゃあ、コレは君の香りか……うん。とても俺好みだ」
擦り寄る甘い気配が耳を擽る。
んが。
身体が硬直してしまった瑪瑙の頭は、混乱の真っ最中。
先程から、ごくごく普通に応答していたけれど、この家には瑪瑙と、彼女のオトモダチである、一羽の鴉しか住んでいない。
しかもその鴉は現在、一族の親睦会に行っている。
……鴉の親睦会とはなんぞや、という話は後々語れば良いとして。
「あ、あんた、誰っ!?」
今更ながらにもがいても、案外強い細腕は瑪瑙を離さない。
「うわぁ、凄い今更だね?」
くすくす笑う背中の主は、頭に鼻を摺り寄せた。
コレへ思いっきり頭をぶつけてやる。
「がっ」
くぐもった鳴き声はしたものの、それは髪の中で、瑪瑙は未だ、腕の中。
ひいいいい……と内心で悲鳴を上げつつ、まだじたばたしながら問う。
「い、いつからここにっ!?」
「あうう? え、ええと……確か“今日はお片付けする”辺り?」
それはつまり、着替えの最初から。
「へ、変態っ! いやー、おまわりさぁーん、変態がいます! 住居不法侵入! 覗き! セクハラ! 男尊女卑!」
「ちょっ、ひ、人聞きの悪い言葉並べないでくれたまえ!? 第一、俺は男尊女卑なんかしないっ!?」
「知らないっ! 人権侵害! 緊縛趣味! サディスト! ニオイフェチ! え、ええと、それからそれから……押しかけ強盗!」
「盗んでないし!」
ぎゃーぎゃーしばらく掛け合い、離せ離さないと騒ぎ立てる。
双方、息切れした隙を狙って、瑪瑙はようやく腕から逃れた。
「ああっ」
残念そうな声が手を伸ばすのを嫌い、足で思いっきりがら空きの腹を蹴る。
「きゃうっ……ぐっ……き、効いたぁ」
床に転がる変質者のその姿。
「あ、あんた……………………………………………………誰?」
そこにいたのは、この地方では珍しい、長い金髪の輩。
蹲り、散らばった髪に隠れ、顔立ちは良く分からないが、背丈ばかり高い身体は、見ようによっては女のようにも思えた。
しかし、散々聞かされた声は、しっとり落ち着いた男の低音。
「ううう……酷い。あんな劇的な出会い方をしたのに。俺を忘れるなんて……鬼畜?」
「誰がだっ!」
とは叫びつつも、しっかりもう一度蹴っては、男の身体がごろり、反対方向へ転がった。
すると顕わになるその相貌。
今度は見覚えがあった。
昨日の仕事帰り、男二人によってたかって弄られそうだった、美人の――
「……女…………じゃなかった?」
それとも夜の間は女になるとか、そういう奇病?
職業柄、聞いたことのある症例ではあるが、いやはやなんとも分別し難い。
何せ昨日出会った時は、姿を一瞬見ただけ。
後の意識は全て、男らへ注いでしまったのだ。
薬師たる自分の趣味を堪能すべく。
瑪瑙の趣味――
それは、人権侵害を声高に叫んだ者がやるべきではない所業。
いわゆる、人体実験である。
新薬やら何やら作ったは良いものの、実験したところであまり需要のない品々の効果を、人を用いて試すのだ。
善良な一般市民相手だと、色々問題があり、出るトコ出られると困るため、専ら相手は後ろ暗い輩に限るが。
ただし、実験と称しても、施すだけ施して、効果は風の噂で聞いておくだけ。
それで大満足の瑪瑙ではあるが、裏を返せば、絶対風の噂にはなる薬を使ったという話。
さりとて、それはそれとしても、だ。
至極高尚なご趣味をお持ちの瑪瑙さん、かといって、まさか自宅の、それも自室で転がした男を相手に、興じる趣味はない。
どちらかといえば、さっさとお引取り願いたいところだ。
着替え――どころか、裸をタダ見せ状態になってしまったのは頂けなくとも、これ以上、何かしらのアクションを起されるのは、勘弁して貰いたい。
けれどむくりと起き上がった男は、美貌に柔らかな微笑みを湛えて言う。
「もちろん、女ではないよ。遅れましたが、初めまして。俺の名は孔雀。貴女の夫です」
「……………………………………………………はい?」
交差する、動揺した黒い瞳と、ライラックピンクの熱病に苛まれた眼。
言葉を呑み込めなかった瑪瑙が、ご近所迷惑の心配がない家で、大絶叫するまでの所要時間は――
あと少し。
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