寝床まで考えが及ばなかったと言われれば、それまでかもしれないが。

「……う?」
 自室で目覚めた瑪瑙。
 ぼんやりした眼で辺りの暗さを知り、まだ寝て良いのだと目を閉じる。
 その際、普段の装いでは気づかない、夜更け特有の寒さが寝間着に染み渡り、身震い一つ。
 温かさを求め、少しずれていた薄い掛け布団を引っ張った。
 次いで、部屋を背に、壁へと身を寄せる。
 温かい。
 本来、冷たいはずのソレへ、更に身体を寄せれば、もっと不思議なことに気づいた。
(……柔らかい?)
 程好い硬さも含まれているものの、壁に比べたなら、その硬ささえ何やら柔らかい。
 はっきりしない頭で、何だろうと壁へ頭を擦り付ける。
 すると身体の上に丸太のような重石が乗り、続いて下ろした長い黒髪が優しく撫でられた。
「……撫で?」
 なんだろう、今物凄く、嫌な予感がした。
 出来れば、このまま何と判別させず、寝入ってしまいたい気持ち良さはあるが。
 恐る恐る、瑪瑙の顔が頭上を向く。
 そこに、ふんわり微笑む美貌を見て、
「……な……にして、るの、孔雀?」
「うん? 何ってもちろん、添い寝だよ。俺は瑪瑙の夫なんだから、一緒の寝台で寝るのは当たり前だろう?」
「……へえ…………そうなんだ」
「うん」
 固めた表情のまま、壁だと思っていた、孔雀の胸に額を押し付ける瑪瑙。
 気を良くしたていで、孔雀は雛を抱くように瑪瑙を抱き締める。
「って、違うでしょ!?」
 がばっと勢い良く瑪瑙が起き上がった。
 これを寝転んだ状態で見つめる孔雀の顔は渋い。
「瑪瑙……まだ起きる時間じゃないよ? それに、いきなり布団剥いだら寒いじゃないか」
 おいでー、と伸ばされる手を瑪瑙はぺちりと払う。
「じゃなくて! どうして当然の如く、貴方が私の隣で寝……て…………?」
 指差し示したのは、自分が今まで寝ていた場所だが、そこで瑪瑙は気になる点を発見する。
 丁度、人型に凹んだくぼみに広がる、孔雀の長い金髪。
 それだけなら、起き上がった際に広がったと納得できる。
 しかし、何故かその髪は、くぼみより先にいた風体で変にクセがついている。
「……ねえ。貴方、いつからここで?」
「いつって……最初からだよ?…………そういえば瑪瑙、寝る時全く気づかなかったよね?」
 衝撃告白。
 就寝時の記憶は鮮明に思い出せた。
 別段、酔っ払ったとか、調合した薬に当てられた憶えもない。
 それなのに。
「俺さ、驚いたんだ。瑪瑙ったら、俺に背中くっつけてきて。てっきり、今みたいに何か言われるかなと思ったんだけど」
 なるほど、道理で寝る時背中が温かかった訳だ。
 今更なぞっても仕方のない記憶に、瑪瑙は内心で赤くなりつつ、恨みがましい目で孔雀を睨んだ。
「……思ったのに、実行したんだ」
「うん。もちろん。新婚なのに夫婦別室は嫌でしょ?」
「……同意、求めないでよ」
 抗議してみたものの、勢いが全くない。
 婚姻していない、夫婦関係も貴方の一方的な思い込み!――と訴える力さえ欠如していた。
 ……実際には、名実共に夫婦の関係だが、孔雀を信用し切れていない瑪瑙は、未だに伝えていない。
 兎にも角にも、幾ら自宅とはいえ、自分の無防備さを思い知らされて、項垂れる瑪瑙。
 白く溶けかかったような右側の顔を抑え、仰々しい溜息をついたなら、身体を支えていた腕が思いっきり引っ張られた。
「きゃっ!?」
 敷き布団より硬いモノに庇われた身体に、薄い掛け布団が掛けられる。
 突然の事に、反動で飛び起きようとすれば、背中と頭が庇われた何かに沈む。
 慌てて顎をその何かへつけたなら、困り顔の孔雀がいた。
「瑪瑙? 寝なきゃ駄目だよ。まだ早いんだから」
「じゃ、じゃあ、違うところで寝て!」
「だから、夫婦別室は嫌だって」
「なら、私が別の場所で」
「あのね。往生際悪いよ、瑪瑙。今更でしょ?」
 心底呆れた声が発せられ、それでも納得出来ない瑪瑙は顎を引いて唸る。
 すると、孔雀はしばし考えるように、ライラックピンクの目を閉じる。
「……分かった。じゃあ俺が別の所で寝るよ。どうせ俺は一昨日来たばっかりで、昨日丸一日寝て、瑪瑙とちゃんと過ごしたの今日が始めてだし。そこら辺の隅っこでブルブル震えながら、惨めったらしく朝を迎えるよ」
「え……」
「で、風邪引いてさ。だけど看病出来ないって言われて、ゴミみたいに捨てられるんだ。満足かい? 瑪瑙。…………満足だよね、夫って馬鹿みたいに言い続けてる俺が……いなくなって」
 段々と萎れていく声。
 受けて瑪瑙は溜息をついた。
 途端、下に敷かれた孔雀の身体が大きく揺れる。
 そっと、瑪瑙は孔雀の額に手を伸ばした。
 くしゃりと前髪を撫でつけ、呆れた口調で言う。
「あのね……同情引くつもりだったのかもしれないけど、自分の言葉に自分で傷ついてたら、世話ないわよ?」
「き、傷ついてなんかないもんっ! 孔雀はこんなことくらいじゃめげないんだから!」
(な……殴りたい)
 急に可愛い子ぶる孔雀に対し、瑪瑙は撫でる髪を鷲掴みしたくなる衝動を必至で堪える。
「……孔雀」
 呼べばコロッと笑顔を見せる、先程までしょげていた男。
 一気に毒気を抜かれ、同時に眠気を思い出した瑪瑙は、仰々しい溜息を一つついた。
 途端、またしても孔雀の顔が不安げに揺れた。
「め、瑪瑙?」
 伺う声には半眼で応じる。
「…………話は起きてから。とりあえず、おやすみ」
「! うん。おやすみ」
 孔雀の胸へ突っ伏せば、苦しくない程度に抱すくめられた。
「……よき夢を。我が愛しき君――」
 緩やかな動きで梳かれる長い黒髪に、瑪瑙はすやすや夢の中へと落ちていった。

* * *

「って、ことがあったんだよ、カァ子さん!」
『で、その頬かい』
「うん。思いっきり抓られちゃった。でも、コレも一つの愛の形だ」
 瑪瑙が離れの作業場にて調合を行っているのをイイ事に、しまりのない顔で赤くなった頬を擦りさすり、夜更けの出来事をべらべら喋った孔雀。
 本当は作業場までついて行くつもりだったのだが、目を離した隙に孔雀が妙な真似をしては困ると、瑪瑙から釘を刺されていた。
 とはいえ、心配がそれだけなら孔雀はついて行くところ。
 しかし、瑪瑙は言う。
 万が一、孔雀が何かの薬を掛け合わせた場合、自分が死んでしまうかもしれない――と。
 そこであっさり引き下がった辺り、孔雀も相当、己に自信がないらしい。
 かといって、一人では落ち着かない。
 なればこそ、朝の散歩でもしようというカァ子を引き留め、ありったけの話題をぶつけてみたのだが。
『しっかし、アンタ…………ちと聞くが、性別は何だ?』
「む? 何って、勿論、男」
『じゃあ聞くが……瑪瑙の性別は?』
「そりゃもちろん、女でしょ?」
 食卓の椅子へ腰掛ける孔雀は、不思議そうな顔で、机を嘴で引っかきそうなカァ子を見つめた。
 朝になれば人里へ降り、色んな食物を掠め取っていくカラスと、白い目以外同じ姿のカァ子は、齢300を感じさせる重々しい息を吐き出した。
 次いで、キッと孔雀を睨み。
『だってぇなら、なんで一緒に寝れんのよ!?』
「? そりゃもちろん、俺は瑪瑙の夫で、夫婦は一緒の寝台で」
『じゃ、なくて!……アンタ、あれだけ熱心なクセして、瑪瑙に女としての魅力がないとでも? いやまあ、確かに? あの子はそそる様な肉体はしてないし、根っからのインドア派だから、身体の線も若干崩れているかもしれないけど……』
 ブツブツ続くカァ子の呟きに、孔雀の顔が段々と険しくなっていく。
 誰に対しても辛口コメントなのは、短い付き合いでも、孔雀なりに理解しているが、それにしたって、自分の妻を貶されて良い気分になれるはずもない。
 ……たとえ、その想いを告げた途端、当の瑪瑙から全否定を喰らおうとも。
「カァ子さん……幾ら瑪瑙の同居人だからって、言って良いことと悪いことがある。親しき仲にも礼儀ありって言うだろう?」
『……なら、どうして手ぇ出さないんだい?』
「手?」
 指摘され、思わず自分の手の平を見つめた。
 傷一つない、負ったとしても時を置かず治る、何の変哲もない自分の手。
 数度瞬き、ぱちくり目を開き、孔雀はカァ子へ眉根を寄せた。
「手を出すって、何に?」
『決まってんだろ!…………いや、待て?……時にアンタは…………その、非常に聞きにくいんだが……まさか、まだ?』
「?」
 全く要領の得ないカァ子の、質問紛いの疑問符に、孔雀の方こそ分からないと、首を傾げて応じた。
 しばらく、じーっと見つめ合う。
 作業場とは違い、南から入る陽の光を認め、孔雀がはっとした顔つきになった。
「ご飯作らなきゃ」
『ちょっと待て。まだこっちの話が終わってない!』
「いや、でも、瑪瑙がお腹を空かせたてきたら、大変だろ?」
 普段滅多に見せない真面目な表情で、決意に満ちた眼差しをカァ子へ送る孔雀。
 これに怯みかけたカァ子だが、椅子から身を起こそうとする孔雀の胸を、跳躍した足で蹴った。
 カラスの姿にしては重みのある一撃。
 受けた孔雀はしたたかに背をぶつけた。
「何するんだ、カァ子さん。俺、瑪瑙には何されても嬉しいけど、カァ子さんは嫌だ」
『気色悪いこと言うんじゃないよ。あたしだってそういう趣味はない! だが、この際、はっきりさせとかにゃならないんだ。瑪瑙のためにも!』
「め、瑪瑙のため?」
 その名を聞くなり、孔雀は姿勢を正してカァ子を見た。
 食卓に降り立ったカァ子は、視線を交わし、一歩、足を前に出して踏みしめる。
『利にせよ、稀人にせよ、理の者にせよ、原理は皆一緒。しかし、あたしはあえてアンタに問おう。孔雀!』
「はい!」
『アンタ、女性経験はあんのかい?』
「はい! 生まれてこの方、女になった経験はありません!!」
 ビシッと額に手をあて、近年稀にみる素晴らしい敬礼をしてみせる孔雀。
 対し、カァ子は思いっきり食卓へ嘴を打ちつけていた。
 幸い、先っぽは木目に食い込んではいないようだが。
「……あれ? カァ子さん?」
 胸まで張ったのに沈黙してしまった彼女へ、孔雀から困惑が為された。
 カァ子は瀕死の状態から起き上がる様相で、ふらつきつつ身を起こし、羽先で顔を覆った。
『そ、底抜けの……それとも言い方が悪かったと? くそっ、強敵も良いトコじゃないか。他にどう言ったら……なら、もう一度、孔雀!』
「はい!」
 鋭く名を呼ばれたなら、孔雀はまた胸を張って最敬礼した。
 彼の中で、現在の状況はかなり真剣であった。
 何せ、カァ子曰く「瑪瑙のため」なのだから。
 けれど傍目にはふざけて応じているとしか思えず、カァ子の口から苛立った溜息が漏れる。
『……夜の営みってのは、分かるかい』
「……夜の、営み?」
 怪訝な顔が孔雀に浮かぶのを受け、カァ子がまたしても息をつくが、彼は構わず指を頬に当て、悩む素振りをみせる。
 やがて、諦めたカァ子が現実を忘れるように毛繕いするところへ、ぽつりと漏らした。
「カァ子さん……それって、夜に限るの?」
『…………へ?』
 ぽかんとした白い眼が見つめる先で、これを視認するライラックピンクは告げた。
「営み……ってさ、別段、夜に限らないよね? もし、俺の考えているのが正解なら……それ、昔、結構やった記憶が」
『は……え…………け、っこう?』
「うん。昼夜問わず。最初はそれなりに楽しめたんだけど。でも、段々飽きてきてさ? 色んな方法で色んな相手陥落したけど」
『か……何だって?』
「最終的にはやること同じでしょ? 第一、愉しいのは相手だけなんだもん。他の奴らが言うような充足感とか、全くなくてさ」
『…………それは、早い話……枯れてるってことかい?』
 ズバリ尋ねるカァ子へ、孔雀は苦い物を呑み込んだような顔で、不快を声に出した。
「むぅ……カァ子さん、藍銅(らんどう)と同じこと言う。まあ、確かに枯れてるんだろうけど、精神的な部分で、だよ? 肉体的にはまだまだ現役」
『ランドウってのが誰かは知らないけど……意味分かって言ってんのかい? だったら、何故、瑪瑙をどうこうしようと動かない?』
 そのまま受け取れば、さっさと既成事実を作ってしまえ、という響きの声だが、孔雀は不愉快だとばかりに顔を歪め。
「いいの! ぷらとにっくなの! じゃなきゃ、瑪瑙が死んじゃうもん!」
『は?』
 録に説明も入れない宣言を聞き、カァ子が固まった。
 これを見た孔雀は、眉間の皺を嫌悪から困惑に変えた。
「あれ? 普通は違うの?」
『何が』
「え……だって、そん時の相手、大体皆、精神崩壊起しちゃって」
『……はい?』
「藍銅がさ、止める者がおらねば、貴公は確実に相手を殺めるぞ、程度を知れ――って」
『…………』
 しばし、カァ子の口が開閉を繰り返す。
 言いたいことがあるような雰囲気だが、それは最後まで音にならなかった。
 代わりに嘴が左右に振られた。
『はあ……分かった。どうか、今まで通りのお付き合いをしておくれな』
「? うん。カァ子さんに言われなくても」
 結局、カァ子が何を言いたかったのか分からないまま、孔雀はいそいそと昼食作りに取り掛かっていく。
 その楽しそうな背を見つめる白い目が、『瑪瑙に……教えたものかどうか』と悩んでいるなぞ、知る由もない孔雀。 

 ただ、それからしばらくの間、孔雀のスキンシップを拒否する瑪瑙の目に、怯えが含まれていたとかいなかったとか。

 

 


UP 2009/4/10 かなぶん

修正 2018/4/18

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