チュンチュン、庭先で囀る小鳥が数羽。
「ふっふーん」
 これに合わせる形で鼻歌を奏で、居間の椅子に腰掛けながら本を読む美人が一人。
 捲る頁には旬の食材を用いた、彩り鮮やかな料理が並んでいる。
「うーん。今日は何にしようかなぁ? 焼き物? 揚げ物? 炒め物? 煮物だったら明日以降が良いだろうしぃ。でもでも一番の悩みどころは瑪瑙、お肉あんまり食べないとこだよね〜?」
 はあ、と悩ましげに吐息をついた美人、これでも列記とした男である孔雀は、明けてまだなお夫婦の寝室――と孔雀が勝手に決めた部屋――で眠っている、愛しい娘の姿を想い浮べて相好を崩した。
「んふふ。瑪瑙は可愛いからなぁ。薬の材料で色んな血肉使う事もあるのに、食べ物の獣臭さは駄目なんだもん。……かといって川魚は」
 呟き、一変。
 陰鬱そのものの表情を浮かべた孔雀は、本の上に自分の手を置き、きめ細かい肌の皺を数えるように睨み付けた。
 自慢にもならないが、大概何でもこなせる孔雀は釣りが苦手であった。
 針に餌をつけ、釣り糸を垂らし、釣竿を振り被って投げ、後は獲物が掛かるのを待つ――
 最初の三つは余裕綽々で出来るものの、肝心の最後だけがどうしても出来ないのだ。
 要は孔雀、一所で何もせず留まっているのが、とても苦手なのである。
「せめて瑪瑙が傍にいてくれたらな……」
 苦手だろうがなかろうが、彼女さえ傍にいてくれるなら、どんなことでもしてみせるのに。
 嘘偽りのない心でぼんやり想った孔雀は、一度釣りに誘った時の彼女の反応を脳裏に再生、出不精体質の瑪瑙に素気無く却下されては、あの時と同じ気持ちでしくしく顔を覆った。
 薬師の仕事以外てんで駄目な瑪瑙は孔雀と違い、一所で何もせず留まっているのは得意だが、いかんせん外より内を好む。
 行き先が人里だった場合、瑪瑙は白く爛れている顔の右半分に注目が集まるのを嫌い、何かしら用事がなければ行こうとしない。
 孔雀自身は何とも思わない瑪瑙の顔の悩みだが、理由がそれなら彼でも納得できた。
 しかし、行き先が北東に広がる森だった場合でさえ、瑪瑙は用事がなければ行こうとしなかった。
 理由は唯一つ、「めんどい」だそうで。
「はあ。瑪瑙って若さが足りないよね」
 誰に言うでもなく呟いた、御年300より上の孔雀は、視線を今一度広げていた料理集へと戻した。
 ぱらぱら捲っては、何品かにそれとなく目星をつけていく。
 すると黒い翼がばさり、食卓の上に降りてきた。
 この家の主である、黒いカラス姿のカァ子だ。
 これでも人間の括りに納まる彼女は、本物のカラスのように卓上をとんとん跳ねて移動すると、首を傾げて本を覗き込む。
「カァ子さん、邪魔」
『今日の夕食かい?』
 孔雀の文句を耳に入れず、女とは思えぬ野太い声で訊ねたカァ子は、黒い嘴で魚料理が書かれた頁を突いた。
『あたしゃコレがいい』
 そうして顔を上げては、そこだけ白い眼で孔雀を見やった。
 対し、同じ人間の括りでも種クラスでカァ子と折り合いの悪い孔雀は、むぅと口を尖らせる。
「カァ子さんには聞いてない。今日はお肉にするんだいっ」
 売り言葉に買い言葉な反応で咄嗟にそう言ったなら、『ケッ』と小馬鹿にした音がカァ子の嘴から漏れ。
『あんれぇ? 自称・瑪瑙の夫は瑪瑙の好みも把握していないのかい? あの子は肉が嫌いだってぇのにねぇ?』
「じ、自称じゃないもんっ! 孔雀はちゃんと瑪瑙の夫だもんっ!」
 黒い翼を扇のように用いて口元を隠したカァ子、ムキになる孔雀を一通り笑った後で、羽を広げては孔雀の頭の上まで飛んできた。
 ずっしり重くなった頭に呻く孔雀へ、呆れた溜息が頭上から零される。
『もんって……男が言うな、気色悪い。ま、女でも許されるのは大人になるまでだろうが』
「え? 未通女だったらいいっていう決まりがあるんだ――ぁたっ!?」
『阿呆。意味が違う意味が』
 輝く金色の地面を突いたカァ子は擦る手を除けつつ、なおも孔雀の頭の上に居座る。
『それは兎も角。やっぱり食べるなら魚だろ? 栄養価、ちゃんと考えているんならさ』
「い、言われなくても……でも俺、釣り苦手だし」
 いじけるライラックピンクを本から逸らした孔雀。
 矢先、扉向こうに人の気配を感じては顔をぱっと輝かせた。
 扉が開く瞬間を待って「おはよう」と口にしかけ、
「あー、腹減った。孔雀、今日の夕食魚にして」
「……瑪瑙、起きて第一声がそれ?」
 長く重たい黒髪に手を埋め、がしがし頭を掻いて現れた瑪瑙は、右半分が白く爛れた顔にきょとんとした表情を浮べて数秒考える。
「えーっと……いつの間に孔雀と仲良くなったの、カァ子さん」
「違うし! しかも俺じゃなくてなんでカァ子さんに聞くの!?」
『その前に仲良くなってないって訂正するトコじゃないのかい?』
 言いつつ、黒い身体をどっしり孔雀の頭の上に座らせたカァ子は、ご満悦の様子で目を細めた。
『中身がすっからかんの割には、なかなかどうして、座り心地が良いねぇ』
「あはははははは。すっからかんだから良いんじゃないの?」
『ああ。なるほど』
「二人して酷いっ!」
 女二人によってたかって暴言を吐かれた孔雀は、それでもカァ子を落とす真似はせず、そんな彼へ瑪瑙は「御免」と言いながら向かいの席についた。
「で、孔雀。おはよう、ご飯まだ?」
「瑪瑙……挨拶してくれたのは嬉しいけど、俺の役目ってそれだけ?」
「やだ、そんな訳ないじゃない」
「瑪瑙ぉ」
 カァ子を頭に乗せたまま、孔雀が両手を組んで感激したなら、にっこり微笑んだ瑪瑙は続け様に言った。
「洗濯、掃除に裁縫。薪割りお湯焚き、あとは――」
「……瑪瑙、遊んでる?」
「うん、割と。あ、でも半分くらいは本気よ?」
「ううううう……」
『良かったねぇ、孔雀。会話が弾んで』
「……ご飯、作ってくるね」
 構って貰えるのは嬉しいが、基本、苛められても嬉しくない孔雀は、それでも愛する瑪瑙のする事、甘んじて受け入れ台所へ向かった。

* * *

 釣りは苦手だが瑪瑙がいてくれたら百人力、大物を釣ってあげるから一緒に行こう? と食後に誘いを掛けてみた孔雀。
 これに対し、ぐっすり眠って腹も満たされた瑪瑙は腹を擦りさすり。
「ん、良いわよ」
「『えっ!? 良いの!?』」
 珍しく出てきた色好い返事に、言いだしっぺの孔雀ばかりかカァ子までもが驚きの声を上げた。
 次いで普段仲の良くない二人は、互いの手と手(羽?)を取り合い、この世の終わりのような顔をする。
「か、カァ子さん、聞いた? 瑪瑙が何の見返りもなしで良いって!」
『あ、ああ、ばっちり聞いたよ。なあ孔雀? アンタ、瑪瑙に何かしたんじゃないか? 手渡しで水筒貰ったりするんじゃないよ? 絶対毒入りだからさ』
「うん、分かっているよ、カァ子さん。瑪瑙は薬に関してだけは天才だから、きっと理の人や利でも通用する毒を作っているよ」
『ああ、そうともさ。なんてたって瑪瑙の周りには、あたしやアンタっていう格好の研究対象が揃っているんだ。切り傷で血なんか採集された日にゃ、確実に培養されて実験材料に使われて――』
「『ああ、恐ろしいっ』」
 揃って自身の身体を抱いて震える、神と評される理の人・孔雀と妖と評される利・カァ子。
 彼らをそう評する稀人・瑪瑙は、そんな二人を冷ややかに見つめ。
「…………もう、いいかしら?」
「『はい、どうぞ』」
「……ったく」
 息ピッタリに瑪瑙へ手の平(一方は羽先)を向ければ、むすっとした表情が彼女に浮かぶものの、孔雀とカァ子は興味津々にその様子を伺っていた。
 孔雀たちが足並みを揃える以上に珍しい、薬師の仕事に関係ない瑪瑙の外出。
 それを瑪瑙自身もよく理解しているのだろう、怒り顔が徐々に恥じらいを帯びてそっぽを向いた。
「何よ、二人して。そりゃ、私が仕事以外で外出するなんて珍しいけどさ」
『ああ、自覚はあったのかい』
「……あるわよ」
「ふぅん? どういう風の吹き回しなの?」
「風……ってそこまで? どんだけ出不精なのよ、私って」
 がっくり項垂れる瑪瑙へ、「『そんだけ』」と返したかった口を各々閉じる孔雀とカァ子。
 あまり言っては瑪瑙が不貞腐れてしまい、そうなると外出自体を取り止めてしまうので、二人は彼女が顔を上げるのをじっと待つ。
 程なく息をついた瑪瑙は、二対の視線を真っ向から受け止める事なく、ぽつりと呟いた。
「何の事はないわよ。ただ……夢見が良かっただけ」
「夢?」
『どんな夢だい?』
「うん。稀人とか理の人とか利とか関係なしに、人間を瀕死に追い込む毒が世界を覆い尽してて」
「…………」
『…………』
「そんな中、私が最初に解毒薬を完成させるの! はあ……刻々と迫る時間、最初の犠牲者が出る間際に完成する薬。良い夢だったわー」
 先程までの怒りや羞恥はどこへやら、うっとりトリップ気味に、夢見る少女の如く両頬に手を当てて虚空を仰ぐ瑪瑙。
 さすがの孔雀もこれには顔を引き攣らせる事しか出来ず、この中で一番常識に長けているカァ子に至っては、長い付き合いながら身体半分距離を置く。
 神と妖、両方から奇異の目で見られようと全く気づく様子のない瑪瑙は、蕩けた面持ちで熱い息をほぅと吐いた。
(うんと……俺らが研究対象ってのは確実っぽい、かな?)
 瑪瑙の怒りを引き出した会話を思い出した孔雀は、慰めにもならない考えに苦笑を象り、気を取り直すように努めて明るく瑪瑙へ言った。
 危険な夢とはいえ、愛しい君の見た代物、乗らねばならぬと妙な使命感に乗せられて。
「えっと、って事は誰も死ななかったんだね?……まあ、利に関してはどっちでもいいけど」
『んだとコノ野郎』
「ふふ」
 カァ子にじろりと睨みつけられても、瑪瑙が笑ってくれればそれで良い。
 自分の言葉が瑪瑙に笑みをもたらしたと大満足の孔雀に対し、かつてない微笑みで迎えた瑪瑙は更に楽しそうに言う。
「そうね。ホント、死ななくて良かったわ。夢とはいえ、ご飯の心配しちゃったもの」
「え……えと、それってつまり、最初の犠牲者になりかけたっていうのはもしかして、もしかしなくても」
 夢の中、そうは言っても心配される部分が瑪瑙のご飯だけ、という犠牲者に思いを馳せて泣きたくなる孔雀。
 瑪瑙は笑うだけで何も言わず席を立ち、節々を伸ばす。
 そうして出かける準備をするためだろう、部屋を出――かけ。
「あ、そうだ。孔雀、ご飯美味しかった、ありがとう」
「う、うん……」
 上機嫌で掛けられた言葉さえ、今は有頂天になる事を許さない。
 瑪瑙の姿が完全に去った後、深々と溜息をついて項垂れる孔雀をどう思ったのか、カァ子が憐れむ白目を向けて言葉を紡いだ。
 とても、言い辛そうに。
『あのさあ孔雀?』
「なんだよ、カァ子さん」
『その……思ったんだけどね?……死んでご飯の心配ってさ』
「はあ。なんだ、その事? 分かっているよ、それが誰の事だかぐらい、俺だって」
『いや、そうじゃなくてさ、その…………つまりは死ぬまでずっと、毒で苦しんでいようがお構いなしにご飯作らされていたって話なんじゃ』
 カァ子が言い切るか言い切らないかで、食卓の上に頭を落とした孔雀。
 クリーンヒットを喰らい、顔を伏せてぶるぶる小刻みに震えもがいては、おそるおそる覗き込もうとするカァ子を拒絶する動きで、がばちょと卓の上に両手を付きながら立ち上がった。
 涙を堪えるように口をへの字に曲げ、ぐぐっと何かを呑み込み。
「……………………………………………………瑪瑙っ、大好きだあああああああああっ!!」
 己を鼓舞するためか、それとも現実逃避のためか、場違いな叫びを上げて瑪瑙の後を孔雀は追った。

 残されたカァ子はやれやれと息を吐き出し、まだまだだと去っていった自称・夫を羽の陰で笑う。
『なーんてね。注意力が足りないねぇ? 瑪瑙の目、少し赤かったってぇのに。大方、夢の中で泣いたんだろうよ。薬が間に合って良かったとまで言わせたぐらいだからさ』
 嫌味ったらしい含み笑いを喉に乗せつつも、白い瞳は柔らかい光を称えて肩を竦め。
『ホント、どちらもまだまだだ』
 夢だと安堵して終われば良いものを、泣いた自分を自分に対して誤魔化すべく、孔雀をからかい続ける瑪瑙へも、カァ子はククッと笑いを添えた。

 

 


あとがき
保護者なカァ子さん。
三人の中では断トツうわてです。

UP 2010/4/17 かなぶん

修正 2018/4/18

目次 017

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