常はカラス姿のカァ子さん。
 自分の中で好きなところは真っ黒な羽毛、真っ黒な鋭い鉤爪、やっぱり真っ黒な凛々しい嘴。
 けれども好きなところが在るという事は、嫌いなところも勿論在るという事で。

 

 居候している夫婦モドキの二人を見送ったカァ子は、自分もちょいと外出しようと思い立ち、その前に身支度を、と自室にてカラス姿には大きい姿見を眺めている真っ最中。
 カラス姿じゃいつ見ても同じだろうと茶々を入れる事なかれ。
 これでも齢300を数えるカァ子さんは、身だしなみに心を砕く純な乙女なのである。
『……全く。どうしてあたしの目は、こんなにも生っ白いんだろうかねぇ?』
 両翼や尾羽の動きを確認し、艶めく嘴を見つめてから、中年男と違えるほど立派な野太い声で切なげに溜息をつく。
 いつ何時でもカァ子の美意識を侵害するくせに、生まれてこの方、ずっと其処に居座り続ける真っ白い瞳。
 全てが完璧な黒に覆われている中で、白い染みのようなソレは、カァ子が自分の容姿で一番気に喰わない部分だった。
『せめて、色だけでも変えたいんだけど。あたしの力じゃどうにもこうにも……』
 世にいる三種類の人間の内、カァ子属する利という種には願望を叶えられる不思議な力があるものの、その使用には得手不得手がある。
 中でもカァ子は変身の類がヘタで、出来ても全身、しかも短時間で終わってしまうものばかり。
 誰かにかけて貰うというのも一つの手であろうが、同じ種といえども利の特徴たる取引なしには無理な話。
 しかも同族は足下を見られやすいため、元から気楽に構えていられる相手ではないのだ。
 かといって、利と同じように力が使える種族・理の者に頼むなぞ言語道断。
 見送った夫婦モドキの内、一人は理の者であるのだから、居候を理由に強要する事は可能ではある。
 けれども種単位の長く続く敵対関係は、たとえ強要であっても相手の力を受けることを良しとしない。
 身内にバレた日には最後、「一族の恥さらし」と罵られた挙句、明日の陽の目も拝めなくなるだろう。
 理の者を頼る以上に、身内に暗殺されるのは御免被りたい。
 利害関係重視の利とはいえ、人並みの感情はきちんとあるのだ。
 自分のせいで暗殺を命じられてしまう者を思えばこそ、根っからのお人好しであるカァ子は真っ白い目を眺めることしか出来ない。
『まあ仕方ない、か。……とはいえ現状、アレをどうにかしない事には、町へ下りることも叶わない。うーん。ここはやっぱり、瑪瑙に相談した方が』
 いつ何時でも自由に大空を飛んでいたカァ子は、ここ最近、行動範囲を家の周辺や裏手に広がる森に限定していた。
 今し方決めた外出も、周囲をぐるっと回るくらいの気持ちだった。
 本当はもっと高く、もっと広範囲を飛んで行きたいカァ子は、迷う素振りで嘴の先を足下に何度か打ちつける。
 瑪瑙に言おうか言うまいか。
 そう悩む必要もない、自然消滅するだろうと考えていた問題が、未だにカァ子の前に横たわっていた。
 白い目を閉ざして思い浮かべるのは、お人好しな自分と恍惚の眼差し。

* * *

 それは、瑪瑙と孔雀が薬師の仕事のため、遠くの域・佳枝に滞在していた日の事。

 騒々しい二人が不在のせいか、しん……と静まり返った自宅に何となく居辛くなったカァ子。
 これを打開すべく、気分転換でもしようと外へ出た彼女は、初夏の陽ざしを受けながら町へと下りていった。
 夏本番であれば熱を吸収しやすい黒い羽、広げることも億劫だが、今時分の気候はぽかぽかとしていて心地良い。
 のんびりと風を掴んでは上昇し、羽ばたきでバランスを取る。
 そうして足を降ろしたのは、出入り口を裏通りに備えた、顔見知りの家の上。
 自分たち以外を人間と認めない種族・稀人の中にあって、珍しくも利であるカラス姿のカァ子を人間だと理解している、薬種店店主・黄晶の部屋の窓辺であった。
 だからといって夕方から早朝にかけて、いかがわしい商品を扱っている家主を起こすような真似はしない。
 ぴょんぴょん、軽い足取りで窓に近づいては、身体を近づけて中の音を聞く程度である。
 カァ子が知りたいのは、黄晶がきちんと眠れているかどうかなのだから。
 昔、ひょんな事から拾って育てた、心優しくも気弱な少年・黄晶。
 現在、厳ついスキンヘッドの立派な大男になってしまった彼ではあるが、カァ子にとってはいつまでも家族同然の相手だった。
 成長を見守ってきた黄晶の変貌っぷりは、時折カァ子に頭を抱えさせるものの、元気でさえあれば良いという思いは、今も昔も色褪せることがない。
 窓には触れないよう気をつけ、出来る限り近づいたカァ子の耳に届く、凄まじいいびきの音。
 どうやら眠れてはいるらしい。
 けれどもカァ子は安心するでもなく、呆れた様子で肩を落とした。
 あれだけ豪快にいびきをかいているという事は、すなわち、未だに黄晶の元には番になってくれそうな女がいない、という事に他ならない。
『顔は怖いがイイ子なのにねぇ……職も、まあ大手を振って歩けるような代物でもないが、生活に困らんくらいは稼いでいるのに……何が駄目なんだろうか』
 利に置き換えてみればペーペーの、稀人であれば結婚適齢期ど真ん中――をだいぶ過ぎた年頃の黄晶。
 育ての親の贔屓目はあるにせよ、婚姻どころか浮いた話の一つもない黄晶の、何処に魅力がないのか何が欠けているのか、全く分からないカァ子は、見る目のない不特定多数の女へ首を振った。
 しかしすぐさま思い直しては白い目を窓へ流す。
(違うね。一番駄目なのは黄晶自身。あの子自体が端から興味を示してないんだ)
 これという女の影はなくとも金のある身で男盛り。
 であるならば、その手の店の世話になっていても可笑しくないというのに、黄晶の周辺からはそんな話が聞こえてこない。
 商売柄、清廉潔白でいたい訳でもあるまいに。
 一時は男色を勘繰ってみたものの、それならそれで世話してくれる店はあるため、やはり黄晶にはどちらの気もないのかもしれない。
(毛がないから気がない……はあ、我ながら寒い事を思っちまったもんだねぇ)
 独り身で何が悪いと言われればそれまでだが、一度くらい色恋沙汰に溺れてみても良いのではないか。
 生まれてこの方300年、片想いで自然消滅の恋ばかりを経験してきた、姉御肌でも奥手のカァ子さんは、淡白な黄晶を思って溜息をつく。
(誰か好きな娘でも出来たなら……少しくらい役に立ってやれるかもしれないんだがね)
 実のところ、カァ子の本音はそこだった。
 すっかり成人してしまい、後ろ暗くとも独立している黄晶に対して、カァ子がしてやれることはもうほとんどなかった。
 せいぜいが、薬種店の利用者を紹介してやるくらいである。
 ならば「育ててやったんだぞ」と恩着せがましく言うつもりのないカァ子、自然と黄晶の元を訪ねる機会も減ってきており。
(今まではこんな風に思う事もなかったんだが……それもこれも、全ては孔雀のせいだよ)
 押しかけ女房宜しく瑪瑙の夫を自称してやって来た男は、四六時中「瑪瑙、瑪瑙」と喧しい。
 対する瑪瑙も最初こそ戸惑えど、今ではだいぶその扱いに慣れてきた様子。
 それはまるで、いつかの日のカァ子と黄晶のやり取りを髣髴とさせる光景であった。
 ――黄晶の名誉のために付け加えておくと、彼は孔雀ほど手の掛かる相手ではなかったが。
 現在のカァ子の思いを表すなら、「寂しい」が適当だろう。
 昔を思い出させる二人の姿に加え、孔雀がいては前のように瑪瑙とゆっくり話す機会もない。
 自分一人だけ取り残されたような状況は、他者を知れば知った分だけ、強い日差しに落ちる影の如く深い暗闇を生じさせていく。
 とはいえ、そこで暗い感傷に囚われてしまうカァ子ではない。
 自身の中に生まれた寂寥を知りつつも抱えては、また別の思いへ向けて両翼を広げる。
(けどま、何だっていいさ。どっちにしたって黄晶の人生、あたしが背負っていいモンじゃあない)
 それでも終生独り身を貫き通すのであれば、長い生を謳う利、最期のその時まで付き合ってやろうとカァ子は喉の奥で笑う。
 黄晶が嫌がっても、あたしはあたしのしたいようにするだけさ、と。

 跳躍。

 墜ちるに見せかけて羽ばたけば、狭い路地の宙を滑らかに舞う黒。
 途中、カラス姿に悪感情を抱く女が「またゴミを漁りに来たのか!」と届きもしない箒を振り上げて怒鳴ってきても、元より濡れ衣、カァ子は我関せずに飛び去っていく。
 基本、稀人の前でカァ子は言葉を語ったりはしない。
 したなら面倒な事になると、経験ではなく知識で理解していた。
 ただし、例外は経験で知っている。
 黄晶は子どもで、瑪瑙は……まあ、アレの弟子だからねぇ。
 快適な空の散歩とは裏腹に、女言葉の変てこな男の姿が過ぎったなら、げっそりとした色がカァ子の瞳に宿ってしまった。
 瑪瑙の師・金剛。
 為す事全てに難しかなく、時たま思いついたように人を救ってみたりする、快楽主義の変質者。
 弟子である瑪瑙が数多の通り名を冠すのに対し、金剛を表す通り名はたった二つ。
 毒の王、そして薬神。
 仰々しい通り名は得てして、関わらない方が身のためであるという先人の教えだろう。
 ちなみにここで言う先人とは、金剛の被害者に他ならない。
 カァ子自身、被害者になった憶えはないが、金剛の厄介な性質は重々承知していた。
 もちろん、彼の下から逃げ出してきた瑪瑙を居候させている以上、今現在の彼の状況も。
『……やれやれ』
 取り留めのない思考の乱雑さに、飛びながら器用に首を振ったカァ子は今一度、強く羽ばたくと上昇。
 路地を下に見知らぬ屋根の上に降り立っては、羽休めのつもりでよったよったと歩いて行く。
 家と家の狭い境があったなら、短い掛け声と共にぴょんと跳び越えた。
 すると下方、何かが激突したような音がやってきた。
『ん? 何かね?』
 かなり大きな音だったが、規模は小さくとも入り組んだ路地の多い町並み、あまり響かずよって起こる騒ぎは当事者のみしか知り得ない。
(つまりは訳アリ、かな?)
 余計な事に首を突っ込む気はなかったが、聞いてしまっては好奇心を擽られるもの。
 屋根の縁まで移動したカァ子は、鉤爪でがっしり足場を掴むと、身を乗り出して下の音源を探した。
 さして時間も掛けず見つけたのは、ゴミ置き場に仰向けで倒れる身なりの良い青年。
 砂埃に塗れていても艶やかと分かる、自分好みの黒い髪だけを認め、カァ子の白い目が弓なりに細くなった。
『あらま。これはこれは。なかなかイイ男じゃないの』
 野太い声がうっとりした音色を奏でれば、息も絶え絶えの青年の背へ、ここからでは死角になって見えない相手の足が挿し込まれた。
 ごろり、そのまま転がったなら、上を向く背中を見てカァ子の眼が怪訝に細められる。
(訳アリとは思ったけれど……こいつは酷い)
 紫紺の衣を染める赤錆色の液体。
 裂け目は切り傷よりも打たれた痕を残しており、よくよく観察すれば、青年の手首・足首には拘束を受けたと思しき縄目がつけられていた。
 しかも背中の傷と同じように、滲んだ血がぬらぬらと影の中で照る。
 そのくせ顔や頭に怪我の気配はない。
 単なる暴力とは異なる、何かの情報を得んとする拷問に似た手法。
 見るからに厄介そうな様子だが、多勢に無勢、それも抵抗すら叶わない男への仕打ちに気色ばんだカァ子は、突っ込むつもりのなかった首をぐいっと下へ傾ける。
 屋根を蹴れば、死角の相手へ体当たり、もしくは嘴を刺したであろう動作は、しかし。
「ほらよ」
 何の感慨もない掛け声に併せ、ドロリとした黄土色の半固形物が、顔を除いた男の身体に撒かれた事で止まってしまう。
 いや、正確には飛び込めなかったのだ。
 いつの間にかカァ子の傍まで来ていた本物のカラスたちが、我先にと男の下へ向かったがために。
 瞬く間に黒い羽で埋め尽くされた男の手は、助けを求めるように震えながら宙を掻き、程なくして力を失いぱたりと動かなくなってしまった。
 けれどもこれを眺めているであろう相手は、愉悦も見せず地面に唾を吐き捨てる。
「恨むんなら、最後まで姐さんを拒んだてめぇを恨むんだな。ったく、とっとと頷きゃいいものを」
「もしくは姐さん好みだった容姿を恨め、ってか? よっぽど気に入られたんだろうな。何せ、町で見かけて即行攫えってのは、今までになかったからよ」
「で、好意を問われて頷くまで、お綺麗な顔以外は責めに責められたってわけかい。しかも終わりまで頭は残せ、なんてなぁ」
 相変わらずの死角で数人の男が、陰惨な光景を作り出した張本人にも関わらず、半ば同情的な声をカラスに覆われた男へ向けた。
 その内の一人が溜息をつきつつ「けどこれじゃあ、頭だって残らんだろうに」と発したなら、同意を示す声を残して全員が近くの建物へと入っていく。
 全てが視野外のことなれば、音だけでカラス塗れの男以外、下には誰もいないと判断したカァ子。
 扉の閉まる音でカラスたちの蠢きから我に返った彼女は、小さく息を吐き出すと、縁を蹴って下降する。
 重力に従って墜ちる身体はそのまま、嘴の端から『「ファヅ」』という響きが零れ出た。
 途端、異変を察知してか、男の上に撒かれた半固形物――穀物と水を混ぜたエサごと男を突いていたカラスたちが一斉に空へ飛んでいく。
 落下するカァ子を器用に避けながら。
 黒い塊と交差し、黒い羽根が舞い降る中、男の傍まで墜ちたカァ子の身体は地へ激突する直前で、ふわり、何かに包まれるようにして一瞬浮かんだ。
 そこからゆっくりと地に足をつけたカァ子は、ゴミの上の男から更に頭上、逃げはしても屋根から様子を伺うカラスたちを白い瞳に捉えた。
 カラス姿でも人間のカァ子に、彼らの表情や言葉は分からないものの、迷惑そうにしているのは理解できた。
 襲い掛かられても容易くいなせる数ではあるが、じーっと見つめる数多の瞳は、相手がカラスであっても受けて心地良いものではない。
(ああもうっ! 分かっているさ。エサだけ残してとっとと退散してやるよ!)
 決して言葉には出さずに唸ったカァ子、両翼を広げては横たわる男の頭と足に羽先を合わせる。
 次いで白の眼を閉じては集中。
 この男を助けるつもりなら生半な力では駄目だ。
 治療自体は後でするとしても、移動の他にしなければいけない事がある。
 死体の偽装。
 でなければ、あの男たちは躍起になって逃げた彼を探すだろう。
 もちろん、本物の死体を何処かから持って来る訳にはいかないため、カァ子が力を使って作り出さなければならない。
 カァ子属する利や理の者が遣うコトワリの力は、世に在るモノへ働きかける力。
 何もないところから別の何かを作り上げる事は最初から出来ない力である。
 けれども。
(幸いにしてここはゴミ捨て場、だからね。材料には事欠かないのさ。)
“ディ・ザシェ”
 目を開いて口の中で言の葉を練れば、男の身体が静かに浮かび上がり、同時にその下で男を模して肉が集まり始める。
 他にも何かしらの血液や骨が組み合わさっていき、表面を仮初の皮膚が覆っていく。
 そうして最終的に出来上がったのは――
(……ま、まあいいさ。どうせカラスどもが食う代物だ)
 幾ら事欠かないとはいえ、所詮は生ゴミ。
 穀物類で補っても足りない部位は多々あり、半分弱削ぎ落とされたうつ伏せの身体を目にしたカァ子は、ちょっぴり視線を外した。
 しばらく肉は要らないと思いつつも、今度は宙に浮かせた男へ意識を集中させる。
 下穿きは誤魔化せるだろうが、上はこいつのを使うしかないね。
“ファ・ディド”
 同じく口を閉じたまま紡いだなら、紫紺の衣ごと付着していたエサが男から離れ、偽装死体を覆っていく
 見た目の不味さは兎も角、これで良かろうと頷いたカァ子は、羽を広げて軽く跳ぶと男の上に着地。
 纏わせたままのコトワリの力が男の身体ごとカァ子を上に運んでいけば、一部始終を見ていたカラスたちがまた一斉に、新しく作り出されたエサ目掛けて飛んでいった。
 獰猛な食事風景の音すら遠慮したいカァ子は決して下を見ず、屋根まで男の身体を運ぶと、一旦力を消し去ってから再度別の言葉を喉の奥で呟いた。
“ギュ・オ・クスフ”
 併せ、周囲に不可視の結界が張られると、何処より来る水が男の傷口を洗い、裂けた皮膚を修復していく。
 カァ子の技量では傷を塞ぐ程度で治す事は叶わないが、剥き出しよりは遥かにマシだろう。
『……クァ』
 結界を解き、一通りの処置は終わったと安堵の息を吐いたカァ子は、次に男の身柄をどうしようかと考えながら周囲を見渡した。
 幸い、屋根の上には誰の眼もなく、考えを急ぐ必要もない。
 そう思って森にしようか、それとも職業柄顔の広い黄晶のところが良いか、ひょこひょこ移動しながら迷った挙句。
『クアッ!!?』
 唐突に捕まった黒い足。
 反射で羽をばたつかせて逃れようとしても、その手の主はぎゅっとカァ子の足を握り締めたまま。
「ふ……ふふふ……お前、凄いね」
『!?』
(こ、この野郎、気絶してたんじゃないのかい!?)
 意識がないと思って油断していたカァ子は、うっかり背にしてしまった男をゆっくりと振り返った。
 そこで初めて交わした瞳の色は、髪と同じ深い黒。
 平時であればカァ子の好みのストライクゾーンど真ん中の男は、緊急時だからこそより一層逃げるべく活発になる彼女へ、柔らかな微笑みを浮かべて言った。
「ありがとう。お陰で助かったよ。綺麗な瞳のカラス君」
『――っ!!』
 刹那、カァ子が及んだ犯行は、立派な嘴で男の手を思いっきりぶっ刺す事であった。
 よりにもよってカァ子の逆鱗に触れた男は、助けてくれたカラスが攻撃してくるとは思ってもみなかったのだろう、くぐもった声を上げると刺された手を勢い良く宙へ振り払った。
 と同時に解放を得たカァ子は、男を顧みる事なく町を後にする。
 そこにはもう、男を助けようという気概はなかった。
 ただただ、白い瞳を黒い瞳の奴に褒められてしまったという、屈辱に塗れた悔しさだけがあり――

 しかしてカァ子が本当の意味で男を助けなければ良かったと後悔するのは、それから間もなく。

* * *

 時は戻って鏡の前。
 あの日以来、何故か町に堂々と居る男から執拗に狙われ続けているカァ子は、気を取り直すように首を振ると鏡を見やって嘴を上下に振った。
(うん、やっぱり稀人の事は稀人に相談した方が無難だ)
 しかも瑪瑙は裏に人脈がある薬師。
 カラス姿で且つ妖の類と評される力を持っていようが、一般人と変わりないカァ子よりも上手く立ち回ってくれるに違いない。
 そうと決まれば出かけた彼らの下へ向かおう。
 目的のない散歩から一転、目標を定めたカァ子は自分を鼓舞すべく両翼を広げて羽ばたかせた。
(やっぱりあたしにゃ窮屈は似合わない、そう意気込んだ矢先)
「よし、今だ!」
『!!?』
 考えの深みに嵌っていたせいか、侵入者に気づかず接近を許してしまったカァ子。
 驚く暇もなく網にかかっては、反抗に転じる前に霧吹きをかけられてしまう。
 何かしらの薬品が仕込まれていたのだろう、意識が完全に閉じる間際、彼女の耳に入って来たのは、あの時の男の静かな声。
「乱暴に扱わないで下さいね? そのカラスは今日から私の――」

 

 


UP 2010/5/19 かなぶん

修正 2018/4/18

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