薬種店の黄晶を一目見て、その職業を正しく当てられる人物はまずいないだろう。
大概の者は武道家、もしくは用心棒の類を連想するはずである。
つるりとしたスキンヘッドに巌のように角ばった顔つき、眼光鋭く口元は常にへの字。
ぴっちぴちの黒いシャツが包むのは分厚い胸板と太い腕、茶色のズボンの下には上半身とのバランスが取れた筋張った足が付与する。
身の丈は自身の家の扉すら潜らねばならぬほど高く、横幅も傾けなければならぬほど。
もちろん、威圧的な容姿に比例した強さは中々のもので、その筋からの引き抜き打診も数多経験していた。
けれども彼は決して、育った町から離れず、薬種店を畳むこともない。
その理由を知るのは彼を此処まで育て上げた一羽の鴉――ではない、薬師の師弟が二人のみ。
* * *
後ろ暗い連中というのは大抵、こそこそ動き回るモノだ。
暴かれて不味い代物を抱えているのならば尚の事、人通りの少ない路地を選ぶ。
なればこそ、開ければ最期の木箱を片腕に担ぎ上げた黄晶は、堂々と大通りを歩いていく。
揺らめく提灯の明かりを横に夜を行けば、人の波には紛れられずとも誰もが木箱の中身を安全だと錯覚してくれる。
警邏の者とて黄晶を運搬業者と勘違いし、わざわざ中身を改めようとはしない。
他の域は知らないが、比較的治安の良い虹蹟(こうせき)の小さな町は、そういう意味では平和だった。
――裏を知らない者からすれば。
悠々と歩き続けていた黄晶の足が大通りを逸れたなら、続く道は閑静な住宅街。
四階建ての棟割長屋が高い空を狭く見せるなか、変わらぬ足取りで進むと、程なく広大な敷地を思わせる塀に突き当たる。
これを淀みなく折れて更に歩いていったなら、今度は門番が二人配された重厚な門扉が現れた。
足音で察してはいただろうが黄晶の姿を間近に目撃したためか、元より警戒していた門番の気配が一層張りつめたものへと変わっていく。
唾を呑み込む隙さえ与えられないような、一触即発の雰囲気。
けれども黄晶は一瞥もなしに門番の前を素通りすると、黙々と歩数を重ねていった。
すると後方、明らかにほっとしたと思しき門番の吐息が聞こえ、少しばかり黄晶の口角が皮肉げに上がってしまう。
(肩透かしさせたとこ悪いが、俺の用はお前らが守るその家なんだよ)
ただし、黄晶の用事に対応する入り口は門扉とは別のところにあるのだが。
黄晶の今宵の客は、虹蹟に在る氏族の内の一つ、封(ほう)。
その中でも、小さな町に居を構えている事からも分かる通り、さして権力を持たない末端の相手――というのは表向き。
実質は封の次期当主且つ、虹蹟の氏族の裏を牛耳る、なんとも面倒な輩だ。
表と裏とを使い分ける事を好む、変人と評しても過言ではない客は、黄晶の店の常連の一人で、取引はいつも使いの者を通して行っていた。
それが今日に限って欲しい物の他、見せたいモノがあると黄晶自身に来るよう告げてきたのである。
上客、それもかなりの権力持ちだが、断わったところで黄晶や店に問題が生じる事はない。
しかし珍しい申し出に対し、厳つい顔の割に好奇心旺盛な黄晶が乗らないはずもなかった。
きっと相手はそれを見越していたのだろう。
もちろん、黄晶の方とて見越されている事など承知の上だ。
ともあれ、門扉どころか塀すら遠退かせ、町並みの途切れたところにある、一本の古木が目印の一軒のあばら屋まで来た黄晶。
惑う事なく一度叩けば壊れてしまいそうな戸を加減して叩いた。
返事は寂れた見た目通り在りはしない。
「俺だ」
それでも声を掛けた黄晶へやはり戸は沈黙を保つばかり。
しばし人気のない荒涼とした地に吹く風が黄晶の耳朶を震わせる。
――と。
「やあ黄晶。よく来てくれましたね」
「……そっちかよ」
小さく軋む蝶番の音を便りに黄晶が古木へ黒い目を向けたなら、先程までは分からなかった木の幹の扉から、一人の男が親しげに手を上げてきた。
「それはそうでしょう。貴方と一緒に遊んでいた頃の抜け道が、今の貴方に通用するとでもお思いでしたか?」
「んなこた思ってねぇよ。ただなんつーか……本当に無駄なモン作るの好きだな、お前」
「ふふふふふ。お褒めに預かり光栄ですよ」
「誰も褒めてねぇ」
袖に口を当てコロコロ上品に笑う男。
変わっていないと首を振った黄晶は木箱を担ぎ上げたまま、古木を模した入り口から出てきた男の方へ向かった。
星明りを喰らう月光に映える、黒髪黒目の麗人。
纏う衣は男が着るにしてはたっぷりめの生地だが、紫紺の肩幅や胸元に女の形跡は見当たらない。
近づく背丈も女にしては高く、黄晶と並んでもそこまで劣る差はなかった。
「お久しぶりです、黄晶」
一歩間隔を開けて立ち止まれば、恭しく下げられる頭。
併せてさらりと落ちる短い髪と金の耳飾りを忌々しげに眺めた黄晶は、男が顔を上げる前に木箱へと目を逸らした。
「ああ。久しぶりだな。使いの奴が来るせいか、あまりそんな気はしねぇが」
「そうですね……と言いたいところですけれど」
「……んだよ。じろじろ見やがって」
男の無遠慮な視線に気づき、黄晶の顔が気味悪そうに顰められた。
と、男がわざとらしく溜息を吐き出してきた。
次いで目頭を袖で押さえては、はらはら涙でも流しているかの如く弱々しい声で言う。
「月日というものは何と残酷なものであろうか。あの、あのっ! 深窓の令嬢も斯くやというほど、たおやかで麗しかった虚弱体質の愛くるしい少年がっ! こんな、こんなっ! 珍獣さんいらっしゃい的な、暑苦しさだけが取り得ですと言わんばかりのハゲ野獣になってしまうなんてっ!」
「…………帰っていいか?」
よよよよよ、と泣き崩れる男に目元を引き攣らせた黄晶。
怒りを抑えた低い声で告げては、木箱ごと身体をくるりと元来た道へ戻そうとする。
「や、待って下さい、黄晶。先程の言に嘘偽りは一切ありませんが」
「そうか。じゃあな」
「いえ、ですからお待ち下さい。からかった訳ではなくてですね、本当に惜しい逸材を失くしたと思っておりまして」
「そうか。じゃあ好きなだけ昔を悼んでろ。俺はとっとと帰って寝っからよ」
「ああ、だからお待ち下さいと申しているではありませぬか。昔を懐かしんではいけませんか? 可愛い少年が知らぬ内ケダモノ仕様になっているのを惜しんではいけませんか?」
「前半は兎も角、後半は駄目だろうな」
「そんな酷いっ!?」
追い縋る女の手つきで黄晶の背中を抓んだ男は、大袈裟なくらいがっくり頭を下げると、慟哭をするようにそのまま叫んだ。
「貴方は私の初恋だったのにっ!!」
「――――っ!」
これには黄晶、帰るのも忘れて縋る男の手を振り払うように振り返った。
「いい加減にしろ気色悪い! 言うに事欠いて初恋とはなんだ! 初恋とは!?」
ついでに防衛本能の命ずるまま突き出した足裏が身体を衝けば、「げふうっ」と低い音を出して地に尻餅をついた男は目を伏せ「ううぅ」と呻いた。
「言ってませんでしたか? 昔は私、貴方の事が好きで好きで堪らなくて――」
「池に突き落としたり、刀振り回して追いかけてきたり、乗馬事故と見せかけて踏み潰そうとしてきたり……他にも数限りない所業を受けて来たんだが」
「ああ、アレですか。懐かしいですね。アレはホラ、よく言うではありませんか。好きな子ほど苛めたくなるという、男の子の困ったちゃんなクセが」
「ねぇよ! 幾ら餓鬼でも限度ってモンがあんだろう! しかも最後には大金盗んだ濡れ衣着せやがって、俺がどんだけ必死で逃げ回ったと」
「ええ、アレはさすがに失敗したと後悔しましたね。そのせいで貴方は町に近寄れなくなって。ううぅ、可哀相な黄晶。そしてそれにも勝る可哀相な私! 初恋の人がこんなになってしまうまで逢えなかったなんて! もっと、もっと早くに気づいていればっ!」
「この野郎……まだ言うか」
いっそこの木箱をのたまう頭にぶつけてしまおうか、という冴えた誘惑に駆られた黄晶。
けれども思うだけに留めて、溜まりに溜まったストレスを吐き出すように深い溜息をついた。
「で? 昔を懐かしむために俺を呼び出した訳じゃねぇんだろ?――というかお前、お付の奴はいないのかよ?」
男の言う昔話に喚起され思い出した黄晶は、幼い彼の傍に常に控えていた数人の強面をきょろきょろ探した。
さすがに当時と同じ人間を雇っているとは考えていないが、今の男は昔以上に護衛を必要とする身のはず。
何せ、先程から滑稽な立ち回りを披露しているこの男は、黄晶の顧客にして封の次期当主・爪縞(そうこう)本人なのだから。
依然として泣き崩れた姿勢を崩さない爪縞は、紫紺の袖で口元を覆いながら高みにいる黄晶を見上げて首を傾げた。
「お付……ですか? いませんよ、ここには」
「は? いないってなんで」
「それはもちろん、彼らが優秀だからですよ」
「?????」
幾ら人気がないとはいえ、否、人気がないからこそ守らねばならぬというのに、その要人を一人にさせる護衛の何処が優秀だというのか。
理解に苦しむと黄晶が眉根を寄せて爪縞を見やれば、厳つい顔立ちをしつこいくらい残念がる素振りで逸らされる顔。
袖から出した手が頬に添えられたなら、嫌味なくらい陰鬱な息が爪縞の口から出ていった。
「初恋の人との逢瀬、邪魔するなんて無粋でしょう?」
「まだ引き摺るつもりかそのネタ」
最早まともに反応するのも面倒だと半眼を返せば、キッと睨みつけて来た爪縞の黒い瞳にご丁寧にも宿る涙。
「だってっ! 黄晶だって私が初恋の人――」
「な訳ねぇだろうが!」
思わぬ爪縞の言葉を受け、聞き流すはずだった腕から木箱が落とされた。
商品が薬種なれば慎重に扱うところを、我を忘れた黄晶は脇目も振らずに腕を振る。
「なんでそうなる!」
「だって可愛かったでしょう、昔の私。もちろん今だってとっても綺麗」
「あのなっ!」
爪縞の自己愛の激しさは昔も今も変わらない様子だが、その言が嘘偽りないのもまた事実。
初めて会った時、確かに黄晶は爪縞の事を素で女と間違えてしまっていた。
しかもその時の爪縞の容姿は、老若を問わず一目惚れしてしまっても良いくらいの美少女然。
爪縞の言う通り、場合によっては黄晶も彼なんかを相手に恋をしてしまったかもしれない。
だがしかし。
「人の思い出を勝手に穢すな! いいか、俺の初恋はなっ!!」
「初恋は?」
かっと頭に昇った血。
つい口走りそうになった黄晶は爪縞の鸚鵡返しに我を取り戻すと、怒りとは別の赤で染めた顔を隠すように口を手で覆った。
「…………あー、いや。何でもねぇ」
「ええっ!? そこまで言っといて!? 人には語らせといて酷くはありませんか!?」
非難の声を上げながら立ち上がる爪縞。
そのまま顔を背けた黄晶は赤くなった頬を維持した状態で、眉を顰めて馬鹿馬鹿しいと鼻で笑った。
「野郎同士で色恋沙汰なんざ語ってどうする。女の好み程度なら兎も角」
「おや? それでは黄晶はどんな女性がお好みで?」
「…………………………コイツをその中へ運べばいいんだろ?」
不自然な話の逸らし方をした黄晶、逃げるように木箱を再び担ぎ上げては、爪縞が出てきた古木の扉に向かおうとする。
これに対して爪縞は今までのように縋らず肩を竦めると、黄晶の背中へ声を掛けた。
「お待ち下さい、黄晶。先導は私が。でなければ貴方、屋敷についた途端にそれこそ警備の者に殺されてしまいますよ」
ひらひらとした紫紺の上着を風で捌きながら、爪縞は黄晶の先頭に立つ。
ちらりと肩越しに振り返れば、厳つい顔へふんわり笑い。
「それにその中身は物のついで。貴方にはご覧頂きたいお方がいらっしゃるのです」
「ご覧? 会わせたい、ではなく?」
「ええ、まあ。だってその方はお会い出来るような方ではないのですよ。そう、同じ目線に立つなぞ持っての外。遥か高みを見上げるように、敬われて然るべき至高の存在」
半ば夢見心地に澱む爪縞の瞳。
ぞっと粟立つ恐怖に黄晶が息を呑めば、視線を前方に戻して爪縞は続けた。
秘めやかな想いを吐露する風体で。
「私の神、鴉巣(あそう)様に――」
* * *
薬師を営む瑪瑙の朝は遅い――どころか、昼前後の起床がほとんどである。
これを自称・夫の早起き孔雀が嘆けば、「煩い」の一言で片付けるのが日常。
かといって寝起きが悪いわけでもないため、その日、部屋の外の煩さを知った瑪瑙はむくりと起き上がると欠伸を一つ。
「んー? 何かしら? 昨日も遅かったから、本当はもうちょっと寝ていたいんだけど」
黒く重たい髪を手櫛で後ろにかき上げ、壁の中に埋め込まれたような造りの寝台から、足を室内履きへと降ろした。
そうして寝惚け眼の内に着替えを済ますと、扉を開けてトコトコ歩く。
「あら黄晶。朝っぱらから人ン家の玄関先で何してんの?」
騒々しい音源を求めて向かったなら、長い金髪を赤い紐で結わえた美人の後ろ手を取り、床に押し倒している知人の姿を発見した。
すると知人・黄晶は、普段寝ている時間に起きているせいだろう、白目部分を真っ赤に染めた黒目で瑪瑙を睨みつけて来た。
血気盛んな脂っこさに、朝はさっぱりめに限るわー、と瑪瑙が現実逃避をし掛けた矢先。
「カァさんはっ!!?」
家主であるカァ子が黄晶にだけ許した呼称が飛んできた。
低い獣の咆哮染みたそれを受け、少しだけ左の眉を煩そうに顰めた瑪瑙。
「カァ子さん? カァ子さんに用事があんの?」
「いるのか!?」
「ああもう煩い。呼んでくりゃいいんでしょ? 全く、仕様がないな。大の男がいつまで経ってもカァさんカァさんって」
「あ、ああ……悪い。頼む」
呆れ返った瑪瑙の言を受け、些か我を取り戻した風体の黄晶が軽く頭を下げた。
――孔雀を組み伏せたままで。
「め、瑪瑙……たっけて」
「無理。黄晶に言って」
「お、おお。悪い悪い」
弱々しい声で懇願するライラックピンクの眼をあっさり見放した瑪瑙は、そんな孔雀の姿を今になってようやく認識した黄晶の言葉を背に、廊下を戻ってカァ子の部屋へと向かう。
しかして途中、はたと気づいては立ち止まり、尖らせた唇に人差し指を一本置いた。
「ん? そーいやカァ子さん、最近見てないな」
家主とはいえ時折ふらっといなくなるカラス姿のカァ子さん。
このため、毎日会わなくても特に心配する事のない生活に慣れきっていた瑪瑙は、まあ行けば分かると思い直し、家の一番奥にある彼女の部屋へ再度歩を進めた。
ぶり返す眠気が襲い来れば、幾度となく欠伸でこれを逃がしつつ。
「……あ、れ?」
その不自然さに気づいたのは、視認していたカァ子の部屋の扉に近づいた時であった。
普通の稀人の住処なら完璧といって良い戸締りなのだが。
「閉まってる……何で?」
移動手段を羽とするカァ子の家である以上、何処でも開いているはずの、扉の上にある窓が完全に閉じられていた。
自然、早足になる瑪瑙。
瑪瑙以上に夜型人間である黄晶の突然の訪問も相まって、嫌な予感だけが膨らんでいく。
足が扉の前に着くより先に伸びた手が取っ手を掴み、追いついた身体ごと瑪瑙が部屋の中へと飛び込んだなら。
「な、何、この羽根? この散らかりよう……か、カァ子さん!?」
カラス姿で使うにしては大きな姿見の前、散乱した黒い羽根が主の異常を告げる中、ようやく覚醒した瑪瑙は家主の無事を祈って彼女の名を呼び続けた。
――この部屋の主が消えてから、実に一週間後の事である。
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