瑪瑙を尋ね、カァ子の安否を確認してきた黄晶は、いないどころか攫われたらしい形跡があると聞かされ激昂した。
 けれども起き続けていたツケだろう、その瞬間、一気に意識を失い倒れてしまった。

 途端、ある劇的な変化が黄晶の身に起こる。

 驚く孔雀に、カァ子の部屋で黄晶を寝かせるよう命じた瑪瑙は、居間に行くと食卓の椅子に腰掛け足を組み、白く爛れた右半分の顔を擦った。
「ここに来る前の黄晶の取引先って確か、封の爪縞だったわよね。氏族相手だから気を使って店に行く日取り、早めてやったってのに」
 薬種店を営む黄晶のスケジュールは瑪瑙の知るところでもある。
 それは彼女が常連であり、カァ子の知り合いであり、黄晶に酷な仕打ちをした薬師である、と同時に――金剛を師に持つため。
「瑪瑙……」
「あ、孔雀、ご苦労様」
 カァ子の部屋から戻ってきた孔雀が、浮かない顔をして目の前の席に座った。
 いつもであれば、労いの言葉に顔を明るくして、そのまま瑪瑙に抱きつこうとするのだが、今は光のような美貌に陰を落すばかり。
 その理由に察しがついている瑪瑙はあえて聞かず、神妙な顔で彼女を見つめた孔雀は、両手を卓の上に置くと、稀なる真剣な目つきで問うてきた。
「ねえ瑪瑙……黄晶って、何?」
 未だ分からぬ正体ゆえに、これをそっくりそのまま孔雀に問い掛けたくなる、あるいはお前が言うなと言いたくなる瑪瑙だが、今回は彼の気持ちが少なからず理解できるため、溜息をついて答えた。
「薬種店を営んでいる稀人で、カァ子さんが昔拾って育てた、三十路過ぎの独身貴族」
「うん。それは知ってる。だって何度か会ってるもん」
「……ああ、そういやそうだったっけ。うーん、寝起きで頭回ってないわ」
 右頬に置いていた手を左目に押し当てる瑪瑙。
 以前、孔雀が来てから初めて薬種店へ出かけた瑪瑙は、その後、彼から夜に一人で出かけるなと言われていた。
 もちろん言うだけに留まらない孔雀は、以降、瑪瑙のお供を彼女の意思とは関係なく買って出ていた。
 そんな中で孔雀が最初に出会ったのは、薬種店店主の黄晶。
 愛しい瑪瑙が常連になっている店、その店主の性別が男とあって、当初思いっきり疑いの眼差しを向けていた孔雀。
 だが黄晶が冷やかし混じりに孔雀を瑪瑙の夫かと尋ねたなら、態度が一変した。
 黄晶にしてみれば冗談のつもりだったのだろうが、初めて瑪瑙の夫として彼女の知人に認められたと思った孔雀は、舞い上がって厳つい彼を親友呼ばわりする始末。
 異様な懐き方をする孔雀に対し当の黄晶はドン引き、親友の称号を即行で付き返したが、めげる事を知らない金色のふわふわ頭はお構いなし。
 どうも孔雀は、人を諦めの境地に追いやる事に長けているらしく、最終的に彼を受け入れてしまう瑪瑙同様、黄晶も店主と客を超えた認識への訂正を無駄だと、会って二、三度で結論付けている。
 そんなこんなでやや一方的な、友好関係を持っていた孔雀と黄晶の、信頼の揺らぎを知った瑪瑙は、だからと真摯な姿勢にもならず、手を降ろすと左だけにしかない黒目で困惑する孔雀を見つめた。
「黄晶が昔、私の薬の実験台になっていたって話は知っているわよね」
「う、うん。カァ子さんから聞いた。顔の事言われてカッとなっての犯行だったって」
「……どういう伝え方してんのよ、カァ子さん」
 反論の余地は全くと言って良いほどないため、口の端で小さく愚痴るに留め置く。
 気を取り直し、ふぅと息を吐いた瑪瑙は卓に肘をつくと頬杖し、物憂げな表情で言った。
「でね。その時知ったんだけど、黄晶ったら、それよりずっと前に私の師匠の実験台になっていたらしいのよ。しかも自ら進んで、さ」
「瑪瑙の、師匠?」
「うん。私なんかよりもずっと優秀な薬師で」
 嗜虐趣味で変態で気持ち悪くて陰険で。
「助けた人は数知れず」
 苦しめた人は数知れず。
「薬師としては全てにおいて素晴らしく」
 真っ当な人間としては全てにおいて手遅れな。
「本当に、尊敬出来る人よ――何度も言うけど薬師としては、ね」
「へぇ〜凄いねー」
 瑪瑙が裏に隠し持つ思いも含みある言葉も勘繰らず、素直に呑気に感心する孔雀。
 毒気の抜かれるこの反応に、瑪瑙は吐息のように笑い、背もたれに身体を預けた。
「だからさっきのは……平たく言うとその名残。意識を失うと保てなくなるのよね」
 カァ子の部屋で眠る黄晶の、倒れると同時に起きた異変。
 これを知るのは、黄晶自身と彼にそうなる薬を与えた師匠、そうとは知らずに彼を弄んだ弟子、そして今し方知ったばかりの孔雀のみ。
「あ、そうそう。カァ子さんは知らないから。言わないでね?」
「ふぅん? カァ子さん除け者にして、瑪瑙と秘密共有出来るのは嬉しいけど……何で?」
 言わないという約束にはこぎつけたものの、理由を聞かれて瑪瑙は少しだけ眉根を寄せた。
 けれどそれは拒絶や不快を表すものではなく、苦笑めいた表情を形作っている。
「何で、って聞かれてもねぇ。私じゃなくて黄晶に聞いて頂戴。黄晶がカァ子さんに知られたくないって言ったから――」
「脅しの材料にでもしているの?」
「は?」
 妙な話の流れに瑪瑙の口元に浮かんでいた笑みが、ひくくっと引き攣った。
 若干突き出した唇に己の人差し指を当てた孔雀、いかがわしいライラックピンクの瞳に幼子のような純粋な光を宿して首を傾げた。
「だって黄晶の店行った時さ、他のお客さん、瑪瑙と同じモノ買って料金水増しされてたでしょ? だから」
「ちっがう! 濡れ衣もイイとこ! 黄晶が私に値引きすんのは、純粋に私が怖いってだけなのよ!」
「……力入れて言うとこなの、それって?」
 孔雀が半ば呆れた声をあげたなら、両腕を組んだ瑪瑙が噛み付く素振りで言い切った。
「当たり前でしょ! 幾ら私でも人の想いを脅しの材料になんかしないわっ! そんな事するくらいなら、ちゃんと実力行使で心身ともに追い詰めて脅すわよ!」
「瑪瑙……」
 瑪瑙の断言に、孔雀は非常にビミョーな顔をする。
 何とも表現し難い孔雀の、視線だけ物言いたげと分かる姿に、瑪瑙はぷいっと横を向いて剥れた。
「兎も角。黄晶の話はここまで。そんな事より今はカァ子さん! って言っても、黄晶が起きるまでは動けないんだけど。問題は……たぶん氏族絡みってとこよね。しかも封なんて面倒臭いったらありゃしない」
 げっそりとした瑪瑙の顔が戻って来れば、孔雀が「うん?」と軽く唸った。
「封って確か……この前、傷薬作って上げたところだよね? 丁度、俺と瑪瑙が新婚旅行してた時に怪我して、でもいなかったから他の薬師に頼んだけど」
「妙な旅行を勝手に捏造すんな。……でもそう、その封よ。その薬師の薬が合わなかったからって、薬師協会に掛け合って免許剥奪したばかりか、利き腕一本丸ごと切り落としたっていう、ね。ったく、限度を知らない餓鬼かってのよ。手ぇ串刺しにされたぐらいで、八つ当たりなんてみっともない」
「八つ当たりなの?」
「……まあ傷の具合を聞いたところじゃ、薬師の方もよく免許取れたなって腕だったみたいだけど。どの道、私は氏族ってのが嫌いなのよね」
「俺も嫌いだ――我と君を引き離すだけに飽き足らず、不躾に触れ貪るなどと」
 投げやりに悪感情を披露する瑪瑙に対し、常時斜め上空に蝶々の飛んでいるような孔雀が、そのなりを消し去る冷徹な気配を発し始めた。
 併せ、ぐっと低く重くなる室内の空気。
 けれど瑪瑙はこれすらいい加減に流し、肺の奥から深ぁい溜息を吐き出した。
「何より、一緒にいると目立つし」
「え、そっち?」
 物憂げな瑪瑙の発言に怒りの出鼻を挫かれた孔雀。
 一気に部屋の空気が元に戻ったなら、そんな彼を眺めた瑪瑙は再び陰鬱な息をついた。
「そういう意味では、孔雀とも出歩きたくないわ。氏族以上に目立つから」
「そ、そんな」
「というか、それ以前に必要以上に出歩きたくない。だから私はもう一眠りする」
「め、瑪瑙?」
 ふらりと立ち上がった瑪瑙、そのまま居間を出て行こうとし、孔雀に手首を掴まれては肩越しに振り向いた。
「何?」
「いやあの、カァ子さんは?」
「……黄晶が起きて来ないと話にならないもの。それに私もまだ寝たりないからさ」
 ここで瑪瑙、思い出したかのように大きな欠伸を一つ、翳した手の中に落とした。
「はあ……。それにしてもさすがは封ってとこかしらね。カァ子さんの部屋、随分羽根が散らばってたってのに、廊下には一枚も残さないなんて。それがあったらもう少し早く――」
「ああ、廊下に散らばってた羽根なら、一週間くらい前に片付けたよ?」
「……は?」
 孔雀の手が離れたのを知り、移動を再開しかけていた身体が、勢い良く背後の能天気な顔へと向き直った。
 思わず後退り仰け反る孔雀の胸元へ両手を伸ばした瑪瑙は、そこを掴むと交差して自分より身長のある男を締め上げた。
「くーじゃーくぅ? なぁんで、その時、私に一言言ってくれなかったのかなぁー? んん?」
「ぐっ……だ、だって、お掃除はソレと気づかれずに完了する方が格好良いんだもん。それに俺、最初見た時、あの羽根の散らかりようはカァ子さんの嫌がらせだと思って」
「はあ? 何だってカァ子さんがそんな意地悪姑みたいな事を」
「してたんだよっ、ここに来たばかりの頃は! わざと泥のついた足で歩いてみたり、拭いたばかりの床の上で草とか虫とか、身体についたのぶるぶるって俺の目の前で払い落としたり! 瑪瑙は寝てたから知らないだけだもんっ!」
 孔雀属する理の人と、カァ子属する利の因縁は根深い。
 それでも彼らの関係は良好だと、生活サイクルが二人と若干違う瑪瑙は思っていたのだが。
「……カァ子さん」
 行方不明のこの状況、実は自業自得なんじゃないだろうか、と思った瑪瑙。
 孔雀の服を手早く正すと、金の刺繍が施された黒い胸に軽く額を寄せ、「御免」と小さく謝った。

* * *

 爪縞の元で監禁生活を送るカァ子の一日は、参拝だという数人との面会以外、大半が眠りに割かれていた。
 不自由を強いられる身の上ではそれしか出来ない、そんな理由もあるだろうが、カァ子本人の感じ方は少し違う。
 コトワリの力に制限が掛かってからというもの、異様に身体がだるいのだ。
 気力をごっそり削ぎ落とされたような、酷い虚脱感。
『はあ』
「カコ様?」
 溜まりに溜まった澱を取り除くように、溜息が黒い嘴を揺らしたなら、近くに控えていた翡翠が気遣う声をかけた。
「辛いのか、カラス」
 次いでカァ子に向けられた声の主は、今まで眠っていた良王。
 姉の横で大人しく座っていた彼は立ち上がると、近づくのも恐れ多いと言わんばかりの翡翠を尻目に、祭壇の上に再び置かれた果物の山へ手を伸ばした。
 これを制したのはカァ子。
『お止め』
 叱るでもない静かな制止に良王がビクつき手を止めたなら、背後からその手ごと小さな身体を抱き寄せた翡翠が深く頭を下げた。
「誠に申し訳ない。貴方の供物に手を伸ばすなど。ほら良王。貴方も謝りなさい」
「翡翠……俺はただ、このカラスが腹を減らしたのではないかと思って」
 翡翠の腕に抱かれた良王が、心外だと言わんばかりに口を尖らせる。
 幼いその様子にククッと喉を鳴らしたカァ子は、不恰好な羽を広げると肩を竦めるに似た動作をした。
『謝る必要はないさ。良王、だったか。ありがとさん、気遣ってくれて。あたしは大丈夫だよ。でもそこの果物には手を触れない方がいい。毒が入っている可能性もあるからね』
「毒? あの男はお前を神だと敬っているのにか?」
「良王! 命の恩人に対してその口の聞き方は」
『ああいや構わんよ、翡翠。というかアンタも普通に喋ってくれ。そう畏まられると、あたしも言葉を改めにゃならんのかと思ってしまうからさ』
「か、カコ様……カコ様が私を翡翠とお呼びに…………」
『…………?』
 元々硬い口調で喋る娘ではあったが、名乗り合ってからの翡翠は増してぎこちない。
 不審に思いつつも会ったばかりの相手、そういうモンだとカァ子が思ったなら、何やら面白くないといった顔つきの良王が口を尖らせて言った。
「質問したのは俺が先なのに。どうして翡翠ばっかり」
『ああ、悪い悪い。爪縞から神呼ばわりされているのに、何故毒が入っているかって話だったね。……まあ平たく言うと、あの野郎にとってあたしは神どころか、憎い仇のようなものでさ』
「「仇?」」
 良王どころか翡翠までもが黒い瞳を輝かせて喰らいついた単語に、カァ子は内心でやれやれと首を振った。

 爪縞のせいで見る羽目になった翡翠の背中の刺青は、極(きょく)という氏族が使用するモノであり、その形状から龍鱗(りゅうりん)と呼ばれている。
 小さな鱗から始まる龍鱗は、域を統べる中央に籍を置きながらも、中央を除く全ての域に散らばる極の極たる証だが、それ以外にも描かれる理由があった。
 広範囲に一族を有しながらも、どの氏族からも下賤と蔑まれる極、請け負う役割は多岐に渡れども、どれもが表立って触れ回れる代物ではなく。
 ゆえに鱗の数はそのまま役割の成功、個人の評価を示しており、数が多ければ多いほど一族の中では優秀、他の氏族においては忌避を喚起する。

 

 そんな極たる二人が課された役割について、先の反応で察しのついたカァ子。
(……それであの背か。良王にしてもこれじゃあねえ。脅されてあの様だったってぇのに。よりにもよって、仇に明るくなる極とは)
 わざわざ説明されなくても分かる暗殺の役割に、いい顔をしなかったカァ子だが、カラス姿の彼女の表情など、稀人である彼らには察せまい。
 共に暮らしている瑪瑙や、共に暮らしていた黄晶は別として。
 かといっていつまでも黙っていれば、さすがに気づかれるだろう。
 相も変わらず向けられる「仇」へのキラキラした視線に、心持ち二人から離れたカァ子は、気を取り直すように咳払いをして先を続ける。
『あくまで仇のようなものって話さ。あたしの方はすっかり忘れてたんだけど、その昔、餓鬼だったヤツはあたしを捕まえようと躍起になっていてねえ。どうもこの、白い眼が気に入ったらしくて』
「「ああ」」
『ちなみにコレ、あたしにとっちゃ劣等感そのものだからね。世辞でも褒めるんじゃないよ』
「「…………」」
 笑い含みに本気の声音で宣言すれば、爪縞が躍起になっていた理由に納得しかけた二人が押し黙る。
 さしもの極も、得体の知れない力を操る相手、今は使えないと知っていても、敵には回したくはない様子。
 これに気を良くするでもないカァ子は、自分の意見が聞き入れられた事に頷くと、羽先で黒い頭をさやさや掻いた。
『で、そん時あたしは上手く撒いたんだが、ちょいと住処に近いトコでね。ほら、翡翠には言っただろ? 拾った子がいたってさ。それが運悪く爪縞とばったり会っちまってねぇ。あの餓鬼、その子に一目惚れしやがったんだよ』
「てっきり男児だと思っていたが、拾った子は女児だったのか」
『いんや。列記とした男の子だよ』
「「えー……」」
 翡翠の納得に否定を為せば、非人道的な行いが日常だったはずの姉弟が、一様に引きを見せた。
 仇は良くても、同性同士は駄目らしい。
 とはいえカァ子は首を振った。
『まあ、ヤツも最初はあの子の事を女と間違えていたからね。儚げな容姿も然る事ながら、あたしン家にあったのが女物の服ばかりで』
「お、女物……カコ様は女と暮らした事が?」
『ん? ああ、まあね。色々訳アリのが居てさ。男は片っ端から追い出したが、女となるとどうもねぇ』
「カコ様が、女と……」
 妙なところで引っ掛かっている翡翠には、少しばかり眉根を寄せたカァ子。
 視線を良王に向けたなら話を続けていく。
『あの頃からヤな奴だったよ。あたしを追いかけたせいで泥塗れになってたんだけど、入浴を勧めるあの子にさ、一緒に入らないかって誘うんだ。餓鬼のくせして下心満々で。ヤツはヤツで、美少女然の容姿だったから、当然あの子は止めた。でもヤツはそんなあの子を無理矢理浴室に引っ張り込んで服を脱がせたのさ』
「抵抗、しなかったのか?」
『したけど無意味だった。あの子、貧弱だったからね。あたしもヤツが封と知っている手前、あの子の将来を考えると出るに出れなくてね。でもってそこで早々に男同士だと分かったんだが……不味かったのはこの後さね』
 身体が膨らむまで息を吸い込んだカァ子は、陰鬱な思いと共にそれを一気に吐き出した。
『そこで諦めれば良いものを、ヤツはあの子に異様な執着を見せた。初めて出来た友達だとあの子は喜んでいたってのにね。好意の裏返しというには行き過ぎた陰湿な虐めをヤツは繰り返していたんだ。最終的に濡れ衣を着せるなんて真似をあの子にしてさ。以来、町に居辛くなったあの子とヤツには接点がなく』
「? それではお前が仇にならいじゃないか」
『言っただろ? みたいなものだ、と。爪縞が望んでもいないのにあの子を追い出すところまで行ったのはね、町から追い出される前日に、それまで渋々でも自分に従ってたあの子が、初めてヤツを拒絶したからなんだよ。白い眼のカラスを捕まえて見世物にするっていう、ヤツの提案をね』
「それって」
 良王の視線が繋がれている止まり木ごと、カァ子の姿を上下した。
 今正に見世物状態だと告げる眼に頷いてみせたカァ子は、白い瞳を祭壇の上の果物に落すと、目を細めて嘲るように笑う。
『だから毒が仕込まれていても、おかしくはないのさ。……尤も、あたしが何者か知っている状態での毒なら、別の効果を期待してのモノだろうが』
 後半はぽつり呟く。
 思い出すのは、コトワリの力を封じた際の爪縞の言葉。
 自分の願いを叶えてくれるなら、すぐにでも解放してやる、と。
 そうして告げられた願いは、しかし、カァ子には到底叶えられない願いだった。
 よりにもよって苦手分野、それも他人相手なぞ、出来るわけがない。
 ――元より、出来たとしてもカァ子にそうするつもりはなかったが。
 なればこそ、そんな彼女の得手不得手も知らぬ爪縞は、拒まれただけだと思い込み、今もカァ子を捕らえ続けているのだ。
 言う事を聞かせるためならば、毒さえ厭わないほどに。
 この状況下、ありがたいのはそれでもまだ、爪縞がカァ子と黄晶の関係を知らないことだろう。
 昨夜、白い眼のカラスに黄晶が驚いても、それは爪縞にとって嬉しい事でしかなかったのだから。
 幼い頃の別れ際のやり取りを、黄晶は――初恋の君は覚えていてくれたのだ、と。
『全く……力さえ使えればこんなところ、さっさと抜け出せるってのに。言葉に不自由するってのは辛いもんだねえ』
 軽く毒づくようでいて、心底忌々しげに吐き出したカァ子。
 爪縞の目的を知っていても、何も出来ない自分に嫌気が差す。
 それは、一人なら内に抱えら続けたところを、他者に話す事で表出してきた思いだった。
 口惜しい。
 助けを待つしかない身が、助けを求められない身が、不愉快極まりない。
 自分の思い通りにならない状況が。
 言葉も満足に紡げない事が。
『ちっ……いい加減、ここは飽いたよっ!!』
「「っ!」」
 どうにもならないと知りつつ、否、知っているからこそ、カラス大の身体の何処から出てくるのかというくらいの叫びが上がる。
 鳥でありながら、地を駆る獣の咆哮に似たそれへ、姉弟は震わせた身を寄せ合って互いを抱き締めた。
 するとその時。

「カァ子さん、言葉が欲しい? 自由になりたい?」

 狭い室内に届く、懐かしい声。
 けれどもそれは、カァ子が助けてくれると思っていた人物よりも低音を発している。
 有り得ない、そうカァ子は思ったのだが、その人物は問い掛けたくせに返事を待たず、容易く部屋に入って来た。

 カチャッと、コトワリの力を使えなくさせる部屋の真正面の扉を、馬鹿正直に開けて。

 

 


UP 2010/7/10 かなぶん

修正 2018/4/18

目次 021

Copyright(c) 2010-2018 kanabun All Rights Reserved.

inserted by FC2 system