「じゃっじゃじゃーんっ! 正義の味方、孔雀君、参上っ!」
 入室後、しゅたっと珍妙なポーズを決めた孔雀に対し、向けられた第一声は、
『ノコノコ入って来る奴がいるかい、このあほんだら!!』
「あうっ!? ひ、久々なのにカァ子さん、ちべたい」
 野太い怒声に堂々とした態度を一変、壁に縋って涙を浮かべた孔雀は、ぐずぐず鼻を鳴らしながら口を尖らせた。
「折角助けに来て上げたのにぃ。いいもん、いいもんっ、孔雀は勝手にするんだもん!」
『だもん、じゃない! いいかい、この部屋にはね――』
「カコ様……アレは何ですか?」
「あれ? 男の子が二人いる」
 重ねて叫ぼうとしたカァ子の言葉を遮る声を聞き、またしてもコロッと表情を変えた孔雀は首を傾げた。
 今回、彼に課せられた任務は、悪漢の手からカァ子を救出する事のみ。
 ――孔雀からしてみれば、カァ子も悪漢の一人なのだが、その辺は言うと怒られるので心の引き出しにそっと閉まって置きつつ。
 けれども見た目、カァ子の仲間っぽい少年たちを認めたなら、どうしたものかと迷ってしまう。
 そんな彼の困惑を余所に、少年に問われたカァ子は羽先で頭を掻いていた。
『何って聞かれてもねぇ。まあ、正義の味方と言って現れたからには、敵ではないだろうが』
「つまり、カコ様を助けに?」
『うーん、それなんだが……って、こんな悠長に話している場合じゃなかった! おい、孔雀!』
「にゅ? なになに、カァ子さん」
 鋭く呼ばれた名に反応し、一先ず迷いを放った孔雀。
 てくてく近づいたなら、祭壇の前まで来たところで、いきなり顔面に跳び蹴りを食らった。
「ふげっ!? な、何するのさ?」
『だーかーら! どうしてアンタは呼ばれた程度で近づいて来るんだよ!』
「だ、だって呼んだから……というかカァ子さん、逆さま」
 止まり木に足を繋がれた状態で、つっ込みに全神経を集中させたらしいカァ子の姿に、鳥の足跡をつけた孔雀が眉根を寄せた。
「なに? 何プレイ?」
『こ、のっ! 子どものいる前で、んな事言うヤツがあるか!』
「子ども……」
 じたばたもがくカァ子を横に、慌てて彼女を助ける少年と、こちらを凝視する少年を見比べた孔雀は、止まり木に戻ったカラス姿へ再度尋ねた。
「カァ子さん、子どもいたんだね」
『ちっがう!!』
「ぶっ」
 間髪入れず、またしても繰り出される跳び蹴り。
 二度目だろうとも学習せずに顔面で受けた孔雀は、覆った顔の目の端に涙を滲ませつつ、またしてもじたばた吊られてもがくカァ子へ貧相な声を上げた。
「酷いよ、カァ子さん。さっきから」
『酷いのはどっちだ! どうしてこの状況で、そういう発想になるんだ、ええ!?』
 再び少年の手を借りて止まり木に戻ったカァ子。
 納まりのつかない怒りを強引に静めるように足を踏み鳴らした彼女は、白い瞳でこちらを睨みつけると、真っ黒な嘴の中で低く唸った。
『兎に角だ。孔雀、とりあえずこの部屋から出るんだ。ここにはコトワリの力を封じる何かが――』
「ああ、この音の事?」
『……音?』
 何もない上空を人差し指で示せば、カァ子共々少年二人が上を向いた。
 この様子に、ようやくカァ子が何を危惧しているのか察した孔雀は、軽い愉悦ににやっと笑うと、偉ぶる仕草で腕を組んだ。
「ふっふーん。カァ子さんのその慌てっぷり。もしかして俺がこそこそ此処に来たと思っているのかなー?」
『はあ?』
 話の飛びっぷりについていけないのだろう、カァ子が孔雀へと怪訝な視線を寄越せば、更に踏ん反り返った彼はえっへんと言った。
「瑪瑙との共同作業だよ。中の人たち薬で眠らせて、正々堂々表から入って来たんだ。もちろん、記憶操作もしといた。これで鴉巣様に関する事柄は全て抹消されました。だからさっさと撤収しなくちゃねー」
『正々堂々って……いやしかし記憶操作? 中の奴ら全員かい? 幾らコトワリの力が使えると言っても、限度を超えた話じゃないか……』
 驚きに目を剥くカァ子に対し、有頂天を一通り味わった孔雀は肩を落すと、それまでの雰囲気をがらりと変え、冷え切ったライラックピンクの眼差しを虚空へ向けた。
「いやしかし耳障りな。我が領域を侵すとは恥を知るが良い」
『孔雀……?』
 カァ子の訝しむ声にちらりとそちらを掠めたなら、自身の変化に気づいた孔雀が尊大に息をついた。
(そうか。この状態の我をこやつにまともに見せるのは初めてであったな。まあ良い。だからとこの利の小娘が、我との接し方を改める事はあるまいて)
 理の人と利との仲の悪さはかなり年季の入ったものだが、孔雀個人はカァ子をそれなりに気に入っていた。
 本人には口が裂けても言わないが。
 だからこそ孔雀は、この程度で関係は変わらないと自身に言い聞かせ、おもむろに手を差し伸べた。
 祭壇の上に翳されたその手は、祭壇がなければ、まるで誰かへ忠誠を誓わせる支配者を思わせた。
 もしくは、気まぐれに人をすくう神の如く。
 ぶるりと震えた他者の肌を感じながらも、眉一つ動かさない完璧な美貌で孔雀は告げる。
 コトワリの力を喚起するための言ではなく、誰の耳にもそれと分かる言葉で。
 唯、一言。

 「失せろ」――と。

* * *

 「たっだいまー!」と能天気な声を上げてやって来た孔雀に対し、居間で茶菓子を食していた瑪瑙は「お疲れー」と言って、抱きつこうとするその腹に拳を閉まった。
「うぐ……ひ、ひろい…………カァ子さんより、めにょうが鬼……」
「はいはい。いい加減、抱きつこうとしたらどうなるか学習しようね、孔雀。で、カァ子さんは?」
「あううう……功労者は俺なのに」
「分かってるって。頼んだのが孔雀だったから、私は安心してお茶してたんだもの。でも、こうして無事帰って来てくれて、本当に良かった」
「め、瑪瑙ぉー」
「じゃなきゃ晩ご飯、どうしようと思っていたところだったから」
「……はうぅ」
 身体を二つ折りにして痛がる孔雀の恨みがましい呻きへ、指を組んだ瑪瑙はにっこり微笑んでみせた。
 途端、頬に朱を差した美人は、腹を抱えつつも台所へと引っ込んでいく。
 素直な孔雀の背中を見送った瑪瑙、振り返っては居間の入り口にひょっこり顔を覗かせた久しぶりのカラス姿へ、左目を少しだけ安堵に揺るがせた。
 良かった、と無事を喜ぶ心は秘めて置き、表にはにやりとした笑みを浮べる。
「これはこれは鴉巣様、だったっけ?」
『……止めておくれよ』
 げっそりとしたカァ子の様子に「ふっ」と吐息を漏らした瑪瑙は、次いでその鉤爪が掴んでいる腕の主を見やった。
「それはそうと……この子たちは?」
 瑪瑙の目が順繰りに、カァ子を腕に止めた青い服の少年と、その陰にしがみ付いた黒い服の少年へ向けられた。
 年の頃は青い服の少年が十五歳前後、黒い服の少年が十歳以下といったところか。
 面識のない二人の少年だが、見返すこの目の強さは何だろう?
 特に青い服の少年は、とても厳しい眼力で瑪瑙を射抜いている。
 視線だけでも人を殺せそうな少年に対し、珍しくも瑪瑙が怯みかけた――矢先。
「ば、化け物」
「んだとこのチビ」
 黒い服の少年の、白く爛れた右半分の顔を見ての発言を受け、条件反射に動いた瑪瑙の手が、懐から掠め取った液体を自然な動きで彼に飛ばした。
 青い服の少年が構えた時には既に遅く、液体を被った黒い服の少年はその場でばったりと倒れてしまう。
「良王!?」
 カァ子を腕に乗せているためか、素早く動けなかった青い服の少年が、悲愴な声を上げて倒れた少年の傍らに膝をつく。
『瑪瑙……相手は子どもだよ?』
「いやあ、つい」
 えへ、と全く悪びれもせずカァ子の白い目を流した瑪瑙。
「ただの睡眠薬だから大丈夫。それよりカァ子さん、この子たちは? カァ子さん好みの黒髪黒目って事は稚児――」
『おいっ!』
「ってのはもちろん冗談。こっちの子は男装しているけど、声からして女の子だし。……で?」
 鋭い声を掻い潜り、カァ子に答えを促したなら、別の方向から別の問い掛けがやって来た。
「……その風貌、薬に耐性を持つ良王相手にこの腕前、瑪瑙という名。もしや貴方は不殺の毒妃か?」
「は? 何だって貴方みたいな子がその異称を知ってんのよ?」
 虹蹟の片田舎で引き篭もり生活を満喫している瑪瑙だが、薬師としてのその名は数多の異称を持つほど広く知られている。
 それゆえ二つ三つ異称を知られていても不思議ではないのだが、青い服の少女が口にした称だけは、ある氏族しか知り得ない名だった。
 その昔、「名を売りましょう」と提案した瑪瑙の師が捕まえ、渋々ながら出来たばかりの薬を渡した氏族以外は。
「驚きはしても否定はされぬ。ではやはり」
 けれども少女は得心がいったと頷き、今度は瑪瑙が気味悪そうに彼女を見やった。
「うげ。って事は何? 貴方、それからその子も極だっていうの? なんて相手連れて来たのよ、カァ子さん」
『連れて来たのよ、って仕方ないだろう? 置いておく訳にはいくまいし。というより、何故異称だけで極だと分かったのか、そっちの方があたしは気になるんだが』
「そ、それは……」
 瑪瑙がすすす、と視線を外したなら、ついていた膝をこちらに向けた少女が、薄く青褪めた顔で語った。
「お噂はかねがね。私が幼き頃、そう齢も違わぬ女児の造りし毒が、裏切り者を厳しく断じたと聞いております。決して殺さず、自害も許さず。口を割らない限り、地獄のような苦痛を心身に負わせ、精神崩壊まで導く。そうして最終的に、こちらの問い掛けに素直に応じさせるのだと」
『アンタ……そんな小さい頃から、なんてえげつないモンを』
「…………」
 愛想笑いも出来ずに斜め上空を見やれば、少女の腕に止まった状態のカァ子が端でやれやれと首を振った。
 気まずいばかりの瑪瑙は視線を戻すと、話を戻すべく両手を振った。
「で、カァ子さん! その子……ええと名前は」
「はっ! 翡翠と申します!」
「う、うん……と翡翠? そこまで畏まらなくていいからさ。普通にしてくれないとやり辛くて」
「っ!!? や、殺り辛い……た、ただで殺される訳には参りませぬ!」
「……あーっと。それでカァ子さん、ホントどうすんの、この子」
 瑪瑙の異称を当ててから、過剰な警戒を示す翡翠の絡み辛さに、彼女とのまともな会話を早々に諦めた瑪瑙は、暫定保護者のカァ子に所在を質した。
 カァ子も翡翠のこの様子には思うところがあるのだろう、若干視線を下に外しては、迷う素振りで広げた片羽に嘴を突っ込んだ。
『そうさねぇ……“鴉巣様”への供物だったから、連れて来たんだが』
「極の血筋が供物? 黄晶から新興宗教の御神体扱いされているって話は聞いていたけど、カァ子さん、そこまでヤバい邪神だったの?」
『言うに事欠いて邪神とはなんだい、邪神とは』
「だって生き物が供物なんでしょう? しかも若いとはいえ極の。罪に穢れた氏族なんて、邪神以外の誰が好き好んで喰らうってのよ」
『……邪神でも腹壊しそうなアンタに、穢れてるとは言われたかない』
「あら。腹壊れても構わないっていう神に近い物好きならいるけれど?」
『ヤツの性癖なんざ知るかいね』
 軽口で続け様に応じれば、孔雀の話が出たところで何故か疲労感たっぷりに首を振るカァ子。
 何かあったのかと首を捻る瑪瑙だったが、差し当たっての問題は極の少年少女のこれから。
 瑪瑙は話を元に戻そうと口を開きかけ、けれども声を発する前に別方向からドタバタやって来た足音が、未だ廊下に膝をつく翡翠の腕からカァ子を掻っ攫っては、言葉を忘れてごくりと空気を呑み込んだ。
 驚く翡翠を押し退ける形でカァ子を抱え上げたその人物は、巌のような顔を不気味に歪ませ黒い瞳を涙で揺らがせた。
「カァさん、カァさん! 無事で良かったっ……本当に、良かったっ! 瑪瑙の嬢ちゃんとあの兄ちゃんに任せて大丈夫かと思っていたが、本っっ当に、無事でっ……無事で……無事、で?」
『ちょ、ちょいと黄晶!? ひ、久しぶりに顔を合わせたってのにアンタ、いきなり羽を広げるヤツがあるかい!』
 感動の再開も束の間の事。
 断りもなしに居間へ入って来た黄晶は、食卓の上に降ろしたカァ子の羽をデカい図体に似つかわしくない繊細な指使いで広げさせると歯を軋ませた。
 これを覗き込んだ瑪瑙は不恰好に切られた羽を認め、先程から翡翠の腕に止まったままのカァ子の理由を知った。
「カァ子さん……痛む?」
 ここに来て、叩ける軽口を失った瑪瑙が気遣わしげに尋ねれば、黄晶が離すのを待って羽を閉まったカァ子がふんっと鼻で笑った。
『心配すんのが遅いんだよ、全く。……黄晶? アンタもヘタな考えはお止しよ? 恨みつらみを晴らすなら、やるのはあたしが先だ。それに今行ったところで、アイツらはあたしに関する記憶を全て失っている。アンタが出て行けばややこしくなるのは目に見えているだろうからね?』
 転じ、不甲斐ない己を責めるように卓の縁へ額を押し付ける黄晶に対し、長年共に暮らしてきた瑪瑙ですら聞いた事のない、慈しみ諭す声を掛けるカァ子。
 開かれた片羽がスキンヘッドをさやさや撫でれば、巌の顔が黒い胸に埋められた。
『優しい子。瑪瑙に助けを求めてくれたのだろう? ありがとう。お陰であたしは帰って来られた。黄晶、顔をお上げ。久々に元気な姿を見せておくれよ』
「カァさん」
 顔を上げた黄晶に涙の跡はなかったが、カァ子の羽先は流されなかった嘆きを伝うように彼の頬を優しく撫でた。
『ただいま、黄晶』
「……おかえり」
 そうしてまた埋められる顔に、今度は両羽を広げて迎えたカァ子は、『はあ』と大きな息をついた。
『なんてーか、ようやく帰って来たって感じだねえ。あそこで黄晶を見た時は、無茶しないかと冷や冷やしたもんだが』
「カァ子さんて……そんなに過保護だったんだ」
 半ば呆れた瑪瑙がそう言えば、黄晶の耳を塞ぐように抱く羽がつるつるの頭を撫でた。
『過保護で結構。本当に気が気じゃなかったんだ――って今実感した』
「何それ?」
『いやね。あの部屋に居た時、本調子じゃなかったんだよ。コトワリの力も使えなくなるし。孔雀のお陰でどうにかなったんだが……』
「コトワリの力が? うん、まあ、それならカァ子さんが囚われていた理由も分かる、けど……何で?」
『孔雀が言うには、簡単に知覚出来ない何かの音が部屋全体を揺らしていたらしい。その仕組みもヤツらの記憶ごと消した、と孔雀が言っていたものの……なあ瑪瑙? 孔雀の記憶操作、正味の話どれくらい信用に値する? あんな高度な力、そう長くは持たないんじゃないか?』
「え……えーっと、それはぁ」
 不安がる白い瞳からついつい目を逸らした瑪瑙の脳裏に過ぎる、いつかの日の出来事。
 以前、この家を半壊にした孔雀がカァ子の記憶を、煩かったから、という理由で操作した事があった。
 しかし当のカァ子は未だにその事を知らず、従って瑪瑙は嫌な汗を流す事しか出来ず。
(い、言えない。言えるわけない。信用に値するけど、その理由がカァ子さん自身だ、なんて)
 応えられない答えを持て余し、他の話題を探したなら、黄晶の顔がゆっくりとカァ子から離れた。
 これに逃げ道を見出した瑪瑙は、わざとらしくぽんっと手を打った。
「そ、そうだカァ子さん。黄晶もカァ子さんを助けるのに一役買ったんだよ。丁度今日も封のところに呼ばれてるっていうからさ、眠り薬をそれとなく置いてきて貰って。孔雀が侵入するのに、なるべく穏便にした方が良いかなって思って」
「……あ? あれって眠り薬だったのか? それにしては奴ら、全員きびきび動いてたぞ? だから俺はてっきり、何かまたいかがわしい薬を使用したのかと」
 甘えに似た姿を見せていたとは、微塵も感じさせない黄晶が首を傾げれば、そんな彼に怪訝な顔をしたカァ子が問う。
『黄晶? アンタ、あの時あそこにいたのかい?』
「ん? ああ。すぐに帰ろうとしたんだが、爪縞の奴が邪魔してな。……そういやアイツには眠り薬、効いてなかったんじゃないのか? 俺は行く前に解毒薬を服用していたから、問題なかったが」
「ううん、大丈夫。あの薬は意識を眠らせるだけで、身体に染み付いた習慣はそのまま実行される代物だから。……何かあったの?」
 瑪瑙が探る視線を向けると、黄晶の顔が苦虫をすり潰したように陰った。
 言いにくそうな様子に、記憶操作からカァ子の意識を逸らすのが目的だった瑪瑙は、それ以上追求せず、左にしかない黒目を翡翠へ向けた。
 黄晶の登場により放置された彼女は、だからと恨みがましい目をこちらに向けるでもなく、眠る良王を腕に抱えて心配そうに様子を伺っていた。
 経過はどうあれ、カァ子が帰って来た以上、次に問題となるのは彼らの処遇だ。
 何せ、カァ子に関する一切の記憶を消し去ったということは、その供物だったという翡翠と良王も極の下へ戻せば済む話。
 それがこうして此処にいるのは、カァ子が望んだからに違いなく、瑪瑙以上に最善を知るはずの彼女が、無意味に彼らを連れて来たとは思えなかった。
 必ずそこには理由がある。
 なればこそ瑪瑙は、再度問いを元に戻す。
 翡翠と良王、二人のこれからをどうするつもりなのかと。
 その頭には最早封の事はなく、過去として処理されてしまっている。
 つまりはコトワリの力が使えなくなった、その事柄すら、力を最初から使えない瑪瑙はさして重要視しておらず――

 目覚めた黄晶から事の次第を聞いた瑪瑙の作戦は、「カァ子さんが捕まったままだと瑪瑙の意識がそっちばっかりに言ってしまう」という孔雀の協力によって、一気に成功率が増した。
 まず封に呼ばれた黄晶が薬を置き、これを外から孔雀がコトワリの力を使って散布。
 充満したところで侵入し、カァ子らを救出。
 その後、“鴉巣様”に纏わる記憶を片っ端から消した孔雀は、自分のその能力を彼以外は誰も知らない藍銅のお墨付きだと豪語し、かなりの自信を見せていた。
 孔雀曰く、その時使った力は、大本の記憶を操作し断つ事でそこから伝播した情報を消し去る、という同族であってもそうそう使えない高度な代物らしい。
 とはいえ、記憶を操作する上で距離も時間も障害にならないのだから、力を使えない瑪瑙であっても、その凄さは理解出来た。
 ついでに、失われた記憶は各人で勝手に修正されるとなれば、言う事は何もないだろう。

 ――大本の記憶が、封の爪縞の敷地内だけに留まっていれば、の話だが。

* * *

 人々の記憶から“鴉巣様”という存在が消えて数日後の夜。

 理由は知れないが、ここ最近、胸にぽっかり開いた穴を埋めるように酒を煽る爪縞の元へ、一つの影が前触れもなく訪れた。
 爪縞が気づくまで誰一人として気づかず此処まで易々来た存在に、彼は部下の無能を罵倒し、直々に下してやると剣を抜くが、影の正体を知っては態度を軟化させる。
 この者が相手であれば致し方なし、と。
 次いで来客と認めた影に席を進めるが、当の影はやんわり断わると、首を傾げて爪縞へ問うてきた。
 「調子はどう?」と。
 これへ飲酒する自分への嫌味かと爪縞が零せば、口元に下弦を描いた影は、携えた扇に笑い声を落としつつ巾着袋を置いた。
 紐を緩めては、包みを一つ取り出し。
 「呑むときはこれを服用なさいな。悪酔いはしないはずだから」そう言って。
 これをからかいと受け取り、せせら笑うように鼻で笑った爪縞は、それでも貰っておこうと巾着袋を手に取った。
 そうして顔を上げれば、そこにはすでに影は在らず。

* * *

 入った時同様、誰にも気づかれず外へ出た影は、虚ろな瞳をした門番たちが徐々に正気を取り戻していく様を見つめつつ、ぽつりと漏らした。
「折角、白い目の鴉の事を教えて上げたのに、全部消し去ってしまうなんて薄情な子。しかもあの機械まで失くしてしまうとはね。でも……んふ。噂の鴉巣様見たさに此処まで来て、それ以上に面白いモノ見つけちゃったわ。長生きはするものねえ?」
 ねとりと絡みつく声が宙に溶けて消えれば、図ったかのように影の背後につく馬車。
 扉を開けた御者へたおやかな手を伸べ、労いの言葉をかけた影は、今一度封の屋敷を振り向くと上方、浮かぶ月に目を細めた。
「過ぎた酒は本性を暴く毒。そこに付け込む薬は、ねえ? 彼に何を思い出させて与えてくれるのかしら?」
 影の自問に答える声はなく、馬車に乗り込めば更に紡がれる言葉。
「白い目の鴉、纏わる事象。思い出した時にもう一度逢いましょう、爪縞。その時は、綺麗なモノに目がないお前が喜びそうな情報を教えてあ・げ・る」
 窓越しに屋敷をちらりと掠めた影は、コロコロ鈴のような声で、扇の内、ひたすら笑う。

 

 


あとがき
これにて鴉巣様編(今命名)は終わりです。
引き延ばした割にあっさり片が付きました。
でも色々と面倒な事を残した回でもあります。
後々(忘れずに)回収していければ良いと思いつつ。
ここらで人名に関するお話を少々。
お分かりかと存じますが、カァ子以外は皆宝石から来ています。
今回出てきた中ですと、黄晶は黄水晶、爪縞は縞瑪瑙と言った具合です。
良王は翡翠(石)の中でも最上質とされる”ろうかん”の”ろう”の字から。
だからと相互に関係する話ではないので、単なる名前として見て頂ければありがたいです。
ちなみに最後にご登場の影につきましては、ノーコメントとさせて頂きます。

UP 2010/7/16 かなぶん

修正 2018/4/18

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