復讐の隠蔽 2

 

 世界地図を広げると、世界の果てと呼ばれる海域に、ぐるりと囲われた大陸が三つ存在する。

 その内左上に位置する、フェルシュ大陸にて有名な国が、ウィッセンである。

 といっても、何か特別な観光資源があるわけでもなく、名高いのは数多の研究機関がよってたかって、この国にある、という一点のみ。

 なので、学者を志すでもない人間には、いたって退屈なところだ。

 店一つ覗いてみても、あるのは学術書や得体の知れない器具ばかり。

 学者の伴侶やその子供らを満足させる品は、無駄だと一切省かれている始末だった。

 

 そこへ訪れたのが、麗しの吟遊詩人、アルト=パウム。

 

 老若男女問わず魅了する彼の詩に、日頃退屈していた者たちはすっかり魅せられ、それどころか、研究に明け暮れるだけが生きがいの学者までも、彼の詩に引き寄せられてしまう。

 だが、幾らアルト=パウムといえど、国全体が麻痺に陥るほどの技量は持っていなかった。

 げに恐ろしきは、娯楽施設の異常なほどの少なさである。

 最初は面白半分で滞在していたアルト=パウムだったが、段々がっつく国民を相手にするのが面倒臭くなり、ある日突然、行方をくらましてしまう。

 これで、全員が全員、夢から覚めてくれれば良かったのだが――――

 

 

 

 

 

「し、死ぬかと思ったわい……」

 ぜーはー荒い息をするのは、アルト=パウムに足蹴にされた老人、セイヒ・ワルフェン。

 手紙に仕込んだ術から返ってきた脅しの炎は難なく避けられたが、時間が経って後訪れた幻術は、今の今まで彼を苦しめていた。

 一行に出会い、幻術を喰らったのは昼を過ぎた頃だったはずなのに、空には現在、セイヒの青い目を焼く三日月が浮かぶ。

 息を整え、ぎりりと歯を噛み締めながら、乱れた灰白の髪をかき上げた。

「全く……年寄りをなんだと思っとるんだ? ワシにはあんな、惨たらしい殺され方をされる謂れはないぞ……」

 幻術の内容を思い返し、ぶるりと震えれば、ほかほか湯気を上げるカップが差し出された。

 芯から温まりそうなスープを受け取り、セイヒは林道脇の焚き木へ戻る男に礼を述べた。

「すまんのぉ助手。こんな辺境組んだりまで連れて来てしまって」

「……いえ。……お気に為さらず」

 陰気に嫌味を混ぜた声の男は名をギハン・トルヒという。

 学者であるセイヒの助手として同行しているが、金髪の下でセイヒを見る青い瞳には、嘲りが見て取れる。

 ついでに白衣を真っ黒に染めた出で立ちが、どう見ても、白衣のセイヒと相対していた。

 それでもセイヒはギハンを助手と扱い、スープを啜ってから、ふむ、と頷いた。

「はるばるザウターク大陸まで、奴を追って5年……? くらいじゃったかの……まあ、兎に角、だ。今度こそ、妻と娘の居所を聞き出し、憎き奴めをこう……けちょんけちょんに出来ないものか?」

 眉を寄せ、ううむと唸った。

 

 セイヒがアルト=パウムを追って、フェルシュ大陸の反対に位置するザウターク大陸まで来たのは、彼がウィッセンから行方をくらまして数日後、愛する妻と娘が置手紙もなく失踪してしまったことに端を発する。

 

 手掛かりは一切なく、途方に暮れていたセイヒの脳裏に、失踪する前の彼女らが語っていた人物が思い起こされた。

 

 ウィッセンの中心部から外れたエンテ村に、美麗な姿と声音の吟遊詩人が現れたという。

 紡ぐ言葉はどれも甘く、奏でられる音律はどこまでも優しく、娯楽と縁遠いエンテの人々の――特に常日頃から男たちに立腹していた女たちの心を捉えては離さないそうな。

 それだけならまだしも、その吟遊詩人、あろうことか女たちの誘いに乗じては、彼女らに極上の一時を提供している、とまで噂されていた。

 まさかまさかと思いつつ、それとなく、セイヒは妻と娘に問うてみた。

「ぎ、吟遊詩人殿とやらは、どんな輩だ?」

 思った以上に上擦ってしまった声を反省する間もなく、まず妻が顔を赤らめ、

「とても……素敵な方ですわ。私のことを、綺麗、なんて言ってくださって」

 少女のように恥らう妻にびびっていると、今度は娘が潤む瞳に熱い吐息混じりで身を捩じらせ、

「今一度、あのお方と夢の一時、堪能したいわ……」

 恥らう素振りで自室に籠もってしまった。

 いやいや嘘でしょう? と思いつつ、後で娘に何言われても構わないと、部屋に耳を当てていれば、妙に艶めいた思い出し笑いが聞こえてくる。

 流石に己に近い年齢である妻はない、と仮定しても、だ。

 娘とは確実に、何かしらあったに違いないと、恋愛方面に疎く、結婚出来たのが奇跡で子を授かったのはこの世の終わり、とまで評されたセイヒは憤慨した。

 そうしてそのままの勢いで、件の吟遊詩人が詩を奏でている現場に踏み込み――あっさり魅了されてしまった。

 村の広場にて、美しい旋律を透き通る声と共に響かせたのは、確かにアルト=パウム。

 詩が終わり、文句も忘れてのろのろ近付いてしまったセイヒに対し、アルト=パウムは男とも女とも取れぬ声音と笑みで問う。

 

 「如何されましたか?」と。

 

 完璧呑まれてしまったセイヒは、以来、吟遊詩人の件で妻と娘にとやかく言えなくなってしまったが、失踪となれば話は別。

「にしても奴め! 今回が初めてではないというに、ワシの顔を忘れてような素振りで」

「……実際、忘れられてんだろ……」

「ん? 何か言ったかね、助手?」

「……いえ」

 陰気に陰気を重ねたギハンの、対して輝く金髪が揺れる。

 同時に明るいはずの空色の瞳を影に濁らせ、

「良い……提案があります」

「おお、言ってみよ、助手」

 スープを飲み干し、地にカップを下ろす様を、鼻で笑うような声で一つ頷く。

「先程、後方よりワルフェン博士の無様――もとい、雄姿を拝見しておりましたが、あの詩人、ずっと小瓶に視線を投じたままでした」

「小瓶……そういや、随分、変わった造りをしておったな?」

「……私には普通の小瓶としか思えませんでしたが」

 言外に、見間違いだろうこの爺、と聞こえる言い方にセイヒは一切勘付かず、にやりと微笑む。

「ふむ。どうやらあの小瓶、ワシらが思ってるより、奴には重要らしいな」

「……私を同列にするな」

 ぼそりと忌々しげに吐かれた台詞など、希望を見出したセイヒには届かない。

 ぎゅっと拳を握りしめ、天に突き出した。

「よし決めたぞ! あれを奪ってやろう!」

「どうやって?」

「ふっ、正義の学者に不可能はない!」

 妙な自信を引っ張り出して白衣をゴソゴソ漁り、取り出したのは白いチョーク。

 地面にぐりぐりと魔法陣を描いていく。

「……学者?」

「ぅお、痛いとこを突くでない、助手。魔法とはいえ、使えるものは猫でも使うのが学者というものだ」

 言いつつ、最後にぴっとチョークを弾く。

 描かれた魔法は一介の術遣いであっても、扱いの難しい空間移動の法。

 チョークをポケットに戻し、手を払って粉を落す。

 顔も一度張って、「よし!」と掛け声。

 両手を魔法陣に翳し、呼吸を整えれば、辺りの空気が一変した。

 焚き木の火が音もなく消え去る。

『示しの姓・定めし身・測りの異・計りの違・繋ぐ・小曲の禍福――』

 月の薄い光の中で、魔法陣が白く発光し、光の粒子をそのまま宙へ放つ。

 綺麗に螺旋を描く魔法陣の上に、まずセイヒが立ち、次にギハンが立った。

 カツン。

 セイヒの靴音が本来の倍の響きを持ち、魔法陣が波紋を起こし――

 

 二人と共に、消え失せる。

 

 

 

 

 

 四六時中、イシェルにべったりと思われがちなアルト=パウムだが、時折彼女から離れ、別の場所に行くことがある。

 その際、イシェルの話相手はもっぱら、ジェスクとなるわけだが……

 

「ねえジェスク? 街に着く度、こんな夜中にアルトはどこへ行っているのかしら?」

 宿の一室、枕の上に置かれた小瓶の中で、イシェルは床に寝転がる茶色い魔物に問う。

 ジェスクはこれに、少しだけ視線をずらし、考えてから合わせた。

 ――師匠、あれで自制利く方じゃありませんからね。どこかで発散しないと狂っちまうんでしょう。

「発散……て、何?」

 尋ねられてはもう一度目を逸らし、うねうね動きながら眉を顰める。

 どうやら説明しにくいことらしい。

 察してイシェルは溜息を吐いた。

「ねえジェスク? どうしてアルトは、貴方の声と動きを封じてしまうのかしら?」

 ――さあ? おいらにゃ、分かりかねますね。

 すぐに示された答えは、目だけで交わされる会話によってもたらされるもの。

 イシェルとジェスク、ウマの合う二人、実は目だけでも会話が出来る。

 もしも、この事実をアルト=パウムが知れば発狂しそうだが、幸い、彼はこれを知らずここにもいない。

 日に日にイシェルへの想いを昂らせていくアルト=パウムにとって、ジェスクは単なる邪魔者にしか過ぎないが、当のイシェルが彼を友として扱うため、渋々同行を赦していた。

 とはいえ、自分が席を立つ間、楽しくお喋りなぞさせて堪るものかと、最初にジェスクの言葉を封じ、筆談で笑い合う様を認めては、ジェスクの手足を封じ――

 アルト=パウムの想いをいまいち理解できていないイシェルと、理解はしていても嫉妬されているとは知らないジェスクの二人は、同時に仲良く首を傾げた。

「アルトだからなのかしら? それとも人間だから?」

 ――さっぱりですね。きっと、おいらたちじゃ、師匠の思惑なんて図れないんでしょう。

 また仲良く唸る格好。

 

 その時、空間が揺らいだ。

 

 突然のことにぽかんとする二人は、揺らぎが納まって現れた白衣と黒衣を見ても、同じ表情。

 彼らの方は、一息ついて、場所が宿内と知っては、臨戦態勢に入って辺りを窺う。

 部屋の中央でそんな動きをしようと、大した効果は得られないだろうに、えらく真剣である。

 ――な、なんだ、コイツら!? 白衣は昼間のジジイだけど……この黒いの……なんだ?

 奇妙な臭いを感じてジェスクの鼻先に皺が寄った。

 小柄でも魔物である彼に対し、しかし、ジジイと黒い男は全く警戒せず、

「……アルト=パウムはおらんようじゃな?」

「アルトなら今はいないわ?」

「な、何奴!!?」

 ずざっ、と大袈裟な音を立てて、イシェルのいる方へ身構える二人組み。

 恐る恐るといった様子で、じりじりベッドに近付き、小瓶を見ては叫んだ。

「おおっ!? これじゃないかね、助手!」

「……ええ」

「あの、貴方たち、誰?」

 困惑と好奇心に尋ねるイシェルに、また二人組みは身構え、中を覗いてはまた叫ぶ。

「おおっ!? こ、これは……虫?」

「……違うだろジジイ……妖精です」

 小さく悪態をついた黒い男が小瓶を取り上げて、まじまじとイシェルを見つめた。

 品定めする陰険さに、イシェルが珍しく顔を顰めると、白衣のジジイが取り上げた。

「妖精、妖精……おお、妖精かね、君!」

「そ、そうだけど……貴方は?」

「うむ。ワシはだね――げぇ」

 踏ん反り返って自己紹介を始めようとするジジイに、黒い男が襟首を引く。

「……何を悠長に……さっさとずらかりましょう…」

「……む、むぅ……ちょいと悪いが妖精君、ワシらに付き合って貰うよ」

「え? え? え?」

 混乱するイシェルの返事も聞かず、白衣のポケットに小瓶を突っ込んだジジイは、黒い男と共に、今度はちゃんと扉から出て行った。

 床に転がったままのジェスクは、黒い男を終始睨んでいたが、はっと気付いてどうにか術を解除できないか、うねうね動いては、綻びを見つけて一気に引っ張った。

 手順を踏まない術の解除は、鎌鼬に似た裂傷を手足にもたらすが、構っている暇はない。

 

「――――――――――!!」

 

 手足の自由は戻っても、戻らない声を張り上げ、ジェスクは部屋を飛び出した。

 

 


UP 2008/2/29 かなぶん

修正 2008/7/2

 

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