復讐の隠蔽 4

 

「ねえ、開けたら死んじゃうのよ!?」

 小さく甲高い悲鳴に小汚い白衣のセイヒが青い目を剥き、小瓶から手を引いた。

「ぬ、おおおっ!?」

 反動で宙に投げ出されたのを見ては、また大慌てで小瓶を落さぬよう、危なっかしい手つきで手の内に納めた。

「……無様」

「ふぃー……なんか言ったかね、助手」

「いえ、何も」

 しれっと答えて陰険な青をセイヒに向け、黒衣のギハンは眉根を寄せた。

「博士、先程から何をなさろうとしていたのですか?」

「そりゃあ、勿論、この小瓶から妖精君を出して上げようと」

「……馬鹿か? ……思うに博士、その小瓶、封じの術が施されているのでは?」

 罵倒は口中で止め、ギハンは細い顎で小瓶を示した。

 助手の助言に対し、素直にまじまじと小瓶を見つめ出すセイヒの様子を、晴れやかな空を思わせる瞳を濁らせ観察する。

 根っからの学者肌で、術関係は知識としてのみ頭に入っているギハンとは違い、セイヒは磨けば光る、根っからの術遣いの資質を持った男だ。

 尤も、今更磨いたところで、煤けた異物しか出てこないだろうが。

 小瓶の状態を察し、半ば当てずっぽうで言ったことを確かめる目は、ギハンの凡庸な瞳とは違い、術を知覚できるらしい。

 ギハンの知識からすると、術も用いずこれを行える人間は、術遣いとしてかなり高い能力を持ち合わせているのだが、何を思ったかこの老体は学者を生涯の職と頭から決め付けている節がある。

 完全に宝の持ち腐れだ。

 もしも彼が術遣いとなっていたなら、妻子も彼から離れなかった――と思いかけ、胸内だけで首を振る。

 学者だったからこそ妻子を得られたのであって、術遣いならば、今以上に傍にいたがる人間などいないかも知れない。

 ギハンがこうして付いているのも、そもそもは己のためなのだし……

「おおっ、これは!!」

 薄汚れた宿の鼠の通り道を眺めた視線が、呑気に歓喜する干乾びた声へ戻される。

 簡易の二段ベッドの前に置かれた、小さなテーブルにタオル地の布を敷き、そっと小瓶を下ろしたセイヒは次に首を傾げた。

「面妖な術だな……? 変わった小瓶と思っておったが、二重に術を掛けられておる。外側のは捕縛用のものじゃが、内側のは……えらく難解な封術が施されておる。こりゃあ、ワシには解けんな。それにしてもおかしな術だ。なあ妖精君。あの男は君を捕らえたいのか、封じたいのか、どちらかね?」

 伸びるに任せた、頭と同じ灰白の顎ひげを撫でるセイヒ。

 どちらも対象へ不自由を強いる術だが、捕縛と封印はイコールではない。

 捕縛は肉体、封印は精神を縛りつける代物だ。

 知識の浅い者なら、心身両方を縛る効果を期待するが、それは大きな勘違いである。

 本当に術を強化したい場合、補助系統を使用し、増幅を図るのが賢いやり方なのだ。

 効果が類似しようとも、働きかける部位が違う捕縛と封印では、最悪、妖精を捕らえる術が解けてしまう。

 今もって絶妙なバランスで成り立っている――らしい小瓶の存在は、アルト=パウムの技量が為せる技だろう。

 セイヒの問いを受け、小瓶の中の薄い翅の妖精は手を瓶の側面に当てた。

「分からないわ。アルトが何を考えてるかなんて、妖精と人間じゃ考え方が違うもの。でも、私、毒の妖精だから……」

「毒の妖精……確か、世を災う業深き者……」

「!」

 ぼそりと呟いたギハンの言葉に、妖精は過剰な反応を示して怯え出す。

 小動物を虐めて喜ぶような変態ではないが、慰める優しさも持ち合わせていないギハンは小瓶に顔を近付けた。

 知識によると毒の妖精は、世に出れば害となる反面、心優しい者が多い。

 それ故、同族である妖精たちへの害はないのに、彼らを滅ぼす空想に囚われ、自殺するか、独り隠れ暮らすかを選択する。

 なんとも哀れな生き物だが、この毒を消し去る方法もある――らしい。

 古過ぎる書物に記述されている、と記載された本が、ウィッセンの国立図書館にあったが、古過ぎる故に解読不能という眉唾ものだった。

 過去、優れた学者が解読に成功した、とも書かれていたが、鬼籍に入って久しい人物名など、現在において役立てるはずもない。

 セイヒの失笑に値する接触を背後で観察した限りでは、そんな解毒の方法を探している、とも考えられるが――

「知っているか、毒の妖精よ」

「……イシェルです」

 長い耳が若干下がるのを受け、ギハンはふむ、と頷き、

「では、イシェル。お前は毒の妖精を用いた禁術を知っているか?」

「禁術?」

 毒の妖精には泣く顔をしていたのが、禁術と聞いて好奇心に青い瞳が輝いた。

 妖精に現を抜かす趣味はないが、ちょっとでも可愛いなどと思ってしまった自分を恥じる。

 表面ではおくびにも出さず。

「ああ、物凄く難儀な式と繊細な感覚が必要だが、あらゆる欲を可能とさせる、おぞましくも魅力的な術だ。アルト=パウムほどの術遣いならば、お前を贄として扱うのも――」

「なんとっ!?」

 説明の途中で大声を出した老体へ、鬱陶しいという思いを前面に出して目を向けるが、そのつぶらな瞳から大粒の涙を流しているのを認めては、喉が引きつった。

 眼前にはらりと金髪が落ちるのを払いもせず、どう声を掛けたものか悩めば、小瓶に皺の刻まれた手を伸ばして頷き始めるセイヒ。

 人であったなら、肩を掴んで理解を示す仕草だろうか。

「可哀想に! 妖精君、いや、イシェル君だったかね! 君もあの、極悪非道な冷血詩人の被害者だったわけか!」

「ちっ、妙なスイッチ入りやがったな」

 盛大に舌打ちしてみせても、同情を寄せるセイヒには届かず、困惑を浮べるイシェルは、突然活発に動いた老体へ。

「君“も”って、貴方はアルトに何かされたの?」

「よくぞ……! よくぞ聞いてくれた! 語れば長い話なのだが」

「端折れば、妻子をアルト=パウムに奪われたんだ……間抜けなことに」

「なんぞ言ったか、助手?」

「いえ、なにも」

 流石に今回の悪口は届いたのか、それとも長い話を端折られたのが気に喰わないのか、ギハンを睨みつけるセイヒは、はっとして拳を握りしめた。

「こ、こうしてはおれん! 奴は必ずお前さんを取り返しにくるはずだ! 対策を練らねば!」

「……元からそのつもりじゃなかったか?」

 もしかして、この小瓶を攫うことだけ考えて、後のことを何一つ考えてなかった?

 馬鹿な……とは思いつつ、そういう馬鹿をやるのが、目の前の老体だ。

 長いとは言えないが、それなりの時間を共に過ごした性質を鑑みるに、高い確率で何も考えてなかったと推測された。

 本当にこのいい加減なジジイは、何故、綿密な計算と緻密な作業が必要な、学者を目指したのだろう。

 幾度となく浮かぶ同じ疑問に耽り、気付けばイシェルが遠い目をしている。

 滲むのは好奇心旺盛な光。

「貴女、誰?」

 ぞくりと粟立ち、小さな視線を追っても先には誰もいない。

 急ぎ、セイヒに告げた。

「拙い。博士、アルト=パウムが占術師でも遣って、この妖精を探したに違いありません」

「うむ、分かっとる。妙な視線を感じていたしな」

 ならば早く言え。

 殴りたい衝動を堪え、ギハンはセイヒの指示を待ってみるが、スイッチの入ったセイヒは、元々影の薄い彼の存在を忘れてしまったらしく、

「ふふふふふ……のこのこ向かってくるとは愚か者め! 返り討ちにしてくれるわ! 正義の学者の底力、とくと見よ!」

 と訳の分からない自分の世界に引きこもり、部屋からは出て行ってしまう。

 仕方ないので、嘆息一つ、簡易ベッドの下段に腰掛けた。

「あの……追わなくて良いの?」

「構わない。あのジジイに付いていったところで、アルト=パウムに弄られるのがオチだ。巻き込まれてやる義理はない」

 苦悩するように額を抑えて俯けば、イシェルが気遣う声音で話しかけてくる。

「辛いなら……止めれば良いのに」

 何を言っているのか、ギハンは理解できたが、驚きに目が見開かれた。

「分かるのか?」

「ええ……なんとなく、だけど。ジェスクも気付いてたわ」

「ジェスク……あの犬魔物のことか……」

 セイヒが覚えているとは到底思えないが、ギハンはきっちり己を睨みつける魔物の姿を覚えていた。

 緊縛の術でも掛けられていた風体の小柄な容姿だが、雰囲気で戦い慣れした凶暴さが伺い知れた。

 己の存在を知るならば、尚更会いたくない魔物である。

 もう一度嘆息をし、宙を仰ぐ。

 セイヒが負け、逃げるか死ぬかするまで、動く訳には行かない。

 大した興味もないが疑問を口にしようとイシェルへ目を戻せば、きらきら青に輝く瞳が熱心にギハンを射抜いた。

 白い衣の少女はこちらをずっと見ていたらしい。

 金髪碧眼で中々良い顔立ちだが陰湿な性格のため、人に注目されることの少ない身。

 はっきり言って、こうも真っ直ぐ見つめられるのは苦手だった。

 少しだけ視線をずらす。

「それで……お前はどうするつもりだ?」

「何が?」

「これからどうするか、だ。あくまで可能性の話だが、禁術に用いられる危険がないとは言い切れない。お前はどう思っているか知らんが、アルト=パウムとはそういう輩だ。ヘタに信用すれば、死ぬぞ?」

 脅すでもなく淡々と告げても、息を呑む声も反論もない。

 不審に思って目を向けた先で合った青は苦笑していた。

「どうするって、今更選択肢はないもの。私が毒の妖精であることに変わりはないから。皆のところに帰って傷つけるのは怖いし、自分で残り少ない命を断つのも馬鹿げてる」

「残り少ない……? その容姿で?」

「妖精は成長って、あまりしないから」

 困ったように頬を掻くイシェル。

「アルトが禁術を使うために私を贄として扱うなら、それはそれで構わないわ。もう充分生きたつもりだから。それに、アルトがこの小瓶で毒を封じてくれたから、私は色々なモノが見れるようになったの。世界を巡るなんて、つい最近、自分が毒の妖精だって分かるまで、ずっと憧れていたことだったから」

 変わった言い草にギハンは眉を顰める。

 長く生きていながら、世界を知らない妖精など、一般論に当てはめれば、皆無に等しい。

 彼らは一様に好奇心旺盛で、興味を抱けば身の危険を知りつつも、それをどこまでも追いかける習性があるのだ。

 毒の妖精と知ったのがつい最近と聞き、妖精のズレた感覚を考慮しても、彼女が生きた時間を考えれば、イシェルはその間、好奇心を擽る外と隔絶された生活をしていたことになる。

 と、ここまで考えて、馬鹿馬鹿しいと首を振った。

 仮に、この妖精が数奇な運命を辿っていたとして、それによってギハンが得られるのは、些細な退屈しのぎに過ぎない。

 第一、これ以上何かに関わるのは御免だ。

 協調性に欠けるギハンにとって、あの馴れ馴れしい老体の供をするのは、ただでさえ疲労を余儀なくされる行為なのだ。

 物ぐさと言われようが、根っからのインドア派に、多くを背負う義理はない。

 そんなギハンの思いを知ってか知らずか、イシェルは別の話題を振ってきた。

「ねえ? それより妻子を奪われた、ってどういう意味?」

「…………………………」

 きらきら純粋に輝く瞳が痛い。

 分かってて聞いているなら兎も角、本気で知らない様子にどう説明したものか考えあぐねる。

 妖精相手に男女のアレコレを語る自分を傍目から想像すると、かなり痛々しく映った。

 無視を決め込むのも構わないが、きっとこの妖精はギハンが答えるまで、好奇心から輝く視線を注ぎ続けるのだろう。

 なにせ、妖精の時間は人間より長いのだ。

 他方に好奇心を満たしてくれるものがあるなら、そちらへ瞬時に移りそうだが、生憎のボロ宿ではそれも望めない。

 仕方なしに溜息をついてから、

「お前、夫婦、というのは分かるか?」

「? 婚姻を交わした男女のことでしょう?」

 とりあえず、一番の難問はクリアされたようだ。

 外を知らぬというイシェルの知識が、どれほどの範囲に渡るかは判別出来ないが、婚姻の意味から派生して、恋やら愛やらについて持論を語るなど、想像するだけで寒い。

 語れるほど経験が多いわけでもない――一度、沈みかけ。

「ふらっと現れた男の下に、婚姻を交わしたはずの女が、自分を捨てて行ってしまった上に、一人娘までもがその男を追ってしまった……と言えば分かるか?」

「…つまり、あのハクシは、捨てられちゃったの? ……可哀想」

 妙な呼称がついてしまったが、わざわざ訂正するのも面倒と構わず、溜息混じりに。

「そう言ってくれるな。同情など虚しいだけだ」

 珍しく憐憫を乗せて、浮べた小汚い白衣の老体を思う。

 きーきー喚く声はうるさいが、就寝中、夢に追い縋る呻きは増して癪に障るが……

 駄目だ、どんどん情が薄れる。

 やはり人間、慣れないことは、そうそうするモノではない。

 代わりに殺意が生まれそうになり、慌てて首を振れば、不思議そうにこちらを見つめるイシェルの眼に合った。

 おざなりに咳を一つすると、小首を傾げ、

「ジョシュはハクシを愛してるの?」

 とんでもないことを言い出した。

「……なんだその、えぐい発想は」

「だって、一緒に旅してるのでしょう? アルトはいつも『愛してます』って言うから――」

「一緒に旅してる奴らは皆、愛し合ってる、と?」

 コクリと疑いなく頷かれ、ギハンは具合の悪さに項垂れた。

 あれをどう愛せというのか、頭痛が起こる中、

「でも、愛し合う、っていうのは、ちょっと分からないわ。アルトもジェスクも皆好きだけど、アルトの言う愛は、何か違う気がするの。なんだかとても……ねっとりとしていて、しつこくて、いつまでもクドく残ってる――そんな感じなのよ」

 ほぅ、と頬に手を当て吐息を零す顔に、嫌悪とも迷惑とも取れない皺が刻まれていた。

「…………嫌い、なのか? アルト=パウムが」

 尋ねれば、きょとんとした表情を浮かべ、次いで生じる微かな苦笑。

「ううん、好きよ? ただ、時々重かったり、煩わしいって思ったりするだけで」

 ……充分嫌っているのでは?

 それとも妖精には、嫌うという概念がないのだろうか。

 新たな発見だが、ギハンの専攻に妖精の項目はない。

 なので。

「旅をする目的は人それぞれだ。確かに愛云々が絡む場合もあるだろうが、大抵は利害の一致による」

「へぇー、そうなんだ」

「ちなみに私は後者だ。断じて、愛などではない」

「そ、そうなんだ……へぇー……」

 陰険な晴天の瞳に怒気を含ませ言い切れば、イシェルは居心地悪そうに視線を逸らした。

 謝罪の一つでも欲しいところだが、人間の感覚を妖精に押し付けても無意味なこと。

 加え、

 

ドンッ

 

 ボロ宿を潰す勢いの音と揺れに、ギハンは窓のない壁を見つめた。

「始まったか」

「な、何!?」

「アルト=パウムだろう。運が良ければジジイは生き残れるが……」

 立ち上がり、小瓶の中の妖精を見やる。

 話を聞く限り、アルト=パウムの目的は禁術ではなく、この妖精の解毒だと分かった。

 しかも、かなり濃い想いを寄せているようだ。

 それを取り上げたのだから、ヘタをすると命が幾らあっても足りないだろう。

 ……なんて面倒くさい。

 己から唆した手段とはいえ、本来なら、この妖精を脅しの材料に目的を果たせば良かったのに、あの老体は陳腐な正義感とやらで、全てを台無しにしてしまった。

 せめて、この妖精を持っていきさえすれば、もう少しマシな戦法でもあの足りない頭でどうにか捻り出せたモノを。

 知らず、右腕を強く握りしめた。

 引き千切りたい衝動を押さえ、歯を剥きだして呻けば、イシェルが眉根を寄せているのを知る。

「……止めないの?」

「ああ。望んだことだ」

「じゃあ……逃げないの?」

「逃げられん。あのジジイが枷になってるからな。全く、磨いてもいない術で、勝てるような相手ではないというのに……奴が逃げるか死ぬかしなければ、解放されない身が恨めしい」

 最後はひとり言を呻き、床に赤黒い液体の滴る右手の指で、円を描く。

 黒衣の上から傷つけ落ちた血は、数滴を円の中に投じ、呪文もなしに複雑な紋様を描き始めた。

 蟲の蠢きに現れた魔法陣は、なおも袖口から零れる血を喰らい、黒い光を滲ませた。

 

 


UP 2008/5/2 かなぶん

修正 2008/9/24

 

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