復讐の隠蔽 5

 

 出会い頭、練りに練り込んだ術を放つアルト=パウム。

 彼の手を離れた黒い光球は、宙に舞うと同時に九つの黒い蛇を出現させ、散開。対象を襲う。

「うひぃっ!?」

 まさか角を曲がった途端に鉢合わせるどころか、そんなモノを放たれると思わなかったのだろう。

 老爺が情けない声を上げつつ、それでも防壁を咄嗟に展開した。

 稲光の音を響かせて弾いた老爺は、続け様、短呪を唱えてなおも襲い来る蛇の頭を跳ねた。

 老体にしては良い判断と動き。

 それでも練った術が詠唱を怠った術で完全に払える訳もなく、余波は彼の老爺の皮膚を切り裂く。

 けれど、老爺は慌てながらも適切に、回復の術を自分へ放った。

「ちっ。無駄な足掻きをしますね。どうせ余命幾ばくもない身でしょうに」

「っめ、滅多なことを言うもんではないぞ、若造! もっと老体を労われと教わらなんだか!? 大体、お主、もし通りかかったのが一般人だったら!」

「そのような失態は侵しません……が、そうですね。万が一ありましたら、証拠隠滅ぐらいはしておきましょうか」

「っ! な、な、なー!!」

 きーきー喚く老体は憤慨しながら白衣を翻し、蛇に続く連撃を避けていく。

 傍目からだと投げやりに火球を投げるアルト=パウムだが、その実、全てが老爺を仕留めるべく動いていた。

 これを察せるのは投げる本人か、受ける老爺か、突然始まった戦いに目を回す魔物くらいだろう。

 とはいっても、周囲に人影はない。

 アルト=パウムが選んだ宿屋周辺とは違う、廃れた感満載の街並みには、この騒々しくも物騒な術合戦を見物する物好きはいないらしい。

 懸命な判断である。

 常軌を逸脱したアルト=パウムの傍で無事でいられる存在は、そういないのだ。

「老爺、当たれとは言いません。イシェルを解放なさい! そうすれば見逃して差し上げます!」

「解放じゃと? おかしなことを言うでない! 捕縛と封印はお主がやったことではないか! 第一この状況で、お前がワシを見逃すとは到底思えん!」

「おお……正論だ」

「ジェスク! 感心してないでお前、何か役立ちなさい!」

「………………へ?」

 再度呼ばれた聞き慣れない自分の名に惚け、己を黒い爪で指差したジェスク。

 慌てて動こうとし、止まる。

 黒いくりくりした犬の目に映るのは、アルト=パウムが破壊した家屋。

 衝突と同時に爆ぜるため、火事までいかないが。それにしたって無茶が過ぎる。

 しかも、アルト=パウムが放つ術は、弱まるどころか数も火力も増すばかり。

 それがジェスクの参戦を期待してのものだと知る由もなく、未だアルト=パウムの妬みを知らない魔物は途方に暮れた。

「し、師匠。役に立てったって……こんな術中、どうすれっていうんすか?」

「決まっているでしょう。老爺の足止めです! 羽交い絞めならばなお好ましい」

「そんなことしたら、おいら、死んじゃいますって!」

「望むところです! と、言いたいところですが、この程度の火球ではお前、死なないのでしょうね」

「うう……なんでそんな、しみじみと残念がるんすか?」

 言いながらアルト=パウムの指示通り、老爺の下へ走り寄るジェスク。

 薄汚れた建物を染める火球。

 流れ弾を装うこれを背に受けて、なお向かってくる小さな魔物を認め、老爺が呻いた。

「うぬぅ。魔物すら使役するか。なんとおぞましい男よ。なんでコレが良かったんじゃ……?」

 火球を避け、老爺の指がジェスクを差す。早口で。

『示しの姓・虚ろなる間・熱砂の氷柱・凍れる風見鶏・貫け・無垢なる老僕っ』

「はやっ!」

 言うやいなや、空中の水が凝結して細く巨大な氷柱を作り、ジェスクの身を貫こうと迫る。

 勿論、身軽なジェスクはこれを避けるため、身を捩り――

「おや」

 すっとぼけたアルト=パウムの声を合図に、ジェスクの背で火球が爆ぜた。

 辺りに一瞬、夜を忘れるほどの光が満ちる。

 凄まじい音と爆風。

 これを春のそよ風の如く涼やかに受けたアルト=パウムの薄い笑みが、への字にひん曲がった。

「……生きてましたか」

「……い、一応」

 背には火傷、腹には幾つもの氷が突き刺さった魔物へ、詩人は深い溜息をついた。

「残念」

「お、おおおおおおおお主! いくらなんでも酷すぎやしまいか!?」

 半分は責任あっても、老爺にとってジェスクは敵で、アルト=パウムにとっては味方――

 そんな見解を察して、アルト=パウムは心外だと更に口を曲げた。

「酷い? 人の恋路を土足で邪魔する愚か者など、綺麗さっぱり消えてしまった方が世の中のためではありませんか」

「どこの世の中だ、どこの! ――ぬお!?」

「ちっ。老体ならば避けぬのが常識でしょう?」

「お、お主の常識は、世間一般では立派に非常識じゃ!」

 人間であれば致死量の血を流し続けるジェスクを尻目に、アルト=パウムはせっせと火球を老爺へ投げつける。

「ほらほら。貴方が当たってくださらないから、この犬を救うこともままならないではないですか」

「勝手ぬかすな! どうせお主のこと、ワシを殺めた暁には、用済みの魔物も殺すつもりであろう!?」

「ふぅ……酷い言われようですね。それではまるで、私が一度でもコレを頼ったように聞こえてしまいます。訂正してくだ――さい!」

「ぬおおっ!」

 投げやりを改め、鋭い一撃を投げつけるアルト=パウム。

 防壁を展開する老爺だったが、炎は当たる直前で真昼の陽の如く煌いた。

「くわっ!?」

 光に怯む老爺の声を聞き、アルト=パウムの口元に酷薄な笑みが戻った。

『力の名・開幕の鐘・逆巻く風――』

「そ、その術は!」

「おいら……かけられた……同じっすか?」

 腹を突き破るつららで、地に縫い付けられたジェスクが絶え絶えに言葉を紡ぐ。

 だくだくと流れていた血は止まっている。あと数分もすれば完全に回復するだろう。

 内心で残念がりながら、術を唱えたまま首肯してやった。

『消失の余波・滅せ・因果の螺旋――』

 呪文の完成とともに、老爺の足もとで展開する術。立ち上る光の柱。

 高く、低く、聞き取るのが難しい多重の轟音が響く。

 両手で耳を塞げないジェスクを労わる素振りなく、自分の耳を塞いでほくそ笑む。

 アルト=パウムの余裕綽々の笑みが消えたのは、光の柱が消失してのち。

 両手両膝を地面につき、ぜーはー荒い息をする老爺を認めたからだった。

「………………………………………………………………………………しぶといですね」

 ジェスクが生きていた時とは違い、憤りより呆れた声を上げた。

 この言葉に反応し、老爺は青い目を涙で潤ませ、キッと詩人を睨みつけた。

「お主……! ぃい、いくらなんでも、だ! 滅尽の術なぞ……! 禁術であろう!?」

「き、禁術?」

「ええ、そうですよ? 滅尽の術は時と世に障りを為す邪法です。なにせ対象の存在をありとあらゆる記憶から滅する術、ですからね。あ、勿論、対称はあの世行きです。抜かりはありませんよ?」

「…………………………」

 人間と魔物では術の遣い方が異なるため、初めて知った事実にあんぐり口を開けるジェスク。

 てっきり、イシェルが身長をとやかく言ったから、背丈を縮める術が施されたのだと思っていたらしい。

 これを鼻で笑うアルト=パウム。

「イシェルとのひと時を邪魔した罰にしては、優しい部類だと思いますがね。簡単に死を与える辺り」

 薄衣についた埃を軽く払う言い草。

 憤慨したのはジェスクではなく、のろのろ立ち上がった白衣の老爺だ。

「くっ……外道め。簡単に死を、じゃと? 死んだ者は生き返らぬわ。その理、術遣いとあろう者が、よもや忘れたわけではあるまい!」

「知ってますよ。それこそ貴方の言う世間一般の常識ではありませんか。私とて折角退いた相手、そう簡単に舞い戻られては迷惑ですし」

 長い白髪を一房、細くしなやかな指に巻きつけて遊ぶアルト=パウム。

 確実に仕留めるつもりで放った術を防がれ、興ざめしている風体。

 満身創痍の老爺へ止めを刺す気配もなく、苦悶を浮べる魔物を助けも殺しもせず、やる気の感じられない呟きが漏れた。

「おや、枝毛」

 丁寧に一本摘み、乱暴に千切る。

 ふっとその髪を夜の中へ投じ、気だるげな雰囲気を滲ませて言う。

「……そろそろ、イシェルを解放してはくれませんかね? あの瓶には特殊な魔法を掛けてますから、邪法さえもイシェルには影響を及ぼしませんが」

「…………ワシがお主の要求を易々叶えるとでも?」

「する気はない、と?……さて、困りましたね? 薄汚い白衣の中など、彼女の居るべき場所ではないのですが……イシェルのためとはいえ、老爺の懐を探るのは遠慮したいですし」

 ふむ、と考える。

 すぐさま生じる答え。

「……ああ、この手なら――」

 にんまり微笑んだアルト=パウムは、術の名残で満足に動けない老爺に近づき、そっとしなだれかかる。

 滑らかな動きで薄汚れた肩へ手を置き、耳元で囁いた。

「心地良いお話をして上げましょうか? 貴方はどうやら、私を憎まれているようですから。術もなかなかの腕をお持ちですし。こちらの方が効果的でしょうねえ」

 老若男女を惑わす声音は、老爺の目を陶酔に揺らす。

「な、なにを――」

 それでも最後の抵抗とばかりに、声を荒げる老爺。しかし、一度魅了された頬には年を刻んだ皺の上からも分かるほど赤い。

 アルト=パウムは全て把握しつつ、愛を囁くように語る。

「屈辱、でしょう? 心底憎まれる私の声を至近で聞きながら、実行できるのは頬を染めるくらい」

「!」

 一気に顔色を変えた老爺が目を擦るのを、やんわり止めた。

「ふふふ……良い反応です。しかし、私も貴方のような老爺のために語り続けるのは、御免こうむりたい。これ以上自尊心を傷つけられるのは、貴方も嫌でしょう? 私は嫌です。囁くなら、萎びた耳ではなく、愛くるしい彼女へ想いごと伝えたい」

 ほぅ……と熱っぽく甘く吐いた息は、アルト=パウムの思惑通り、老爺の耳をくすぐった。

「ぃ」

 言葉にならない息が干からびた老爺の口から漏れ、アルト=パウムは笑みを深め――

「…………師匠、節操なし」

 ぼそりと口先で吐かれた音は、風にすら乗らなかったのに、アルト=パウムの動きを固めた。

 老爺の耳から遠退きもせず。

「……待っていなさい、犬。イシェルを無事取り戻した暁に、今度はお前の相手をしてやりますから。それこそ、もう、二度と、足腰が立てないように、ね」

「ひぃ……」

 上がった情けない悲鳴は、魅惑の声音に当てられ、足腰立たなくなってへたり込む老爺のもの。

 ジェスクはといえば、本気と思っていないのか、氷に貫かれた姿のまま。

「有難うございます! なるべく早めにお願いしたいっす」

「…………」

 何を言ったところで無駄と知ったアルト=パウムは、老爺へ腹いせに、ネチネチ甘い罵倒を続ける。

 

 妖精の居場所を老爺の懐と決めつけて。

 

 


UP 2008/5/9 かなぶん

修正 2008/7/2

 

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