石榴、紫水晶、藍玉、翡翠、瑠璃、燐灰、天河、琥珀、黒曜、葡萄、蛍……

 散りばめられ変わる色彩は豊かで、ベースは金剛の煌きと真珠の光沢。

 模るは、三日月。

「おはようございます、イシェル」

 語る声音はどこまでも優しく甘く切なく、労わるような静かさを保ちつつ、耐え難い悦びを潜ませていて。

「おはよう、アルト」

 横になったまま、宝石を秘めた瞳の主へ、イシェルはふんわり微笑んだ。

 毎朝、一番に見る姿は、それだけで蕩けそうな極上の笑みを浮かべる。

 可愛い。

 口に出して言ったことはないが、イシェルはいつもそう思い、また楽しそうに笑う。

 

 

 

過日の追憶 1

 

 

 セイヒの一件から三日を要し、イシェルたち三人は、新たな町へ移動していた。

 湖畔の町・ツェル。

 小さいながらも、ザウターク大陸で一・二位を争う、美しい風景を誇る観光名所である。

 結果としてアルト=パウムが壊滅させた古宿界隈に似た、くたびれた町の様相。

 けれど周囲に森を望めば、優雅な風情が感じられた。

 特に今は、祭事を近日に控えているため、あちらこちらで飾り付けが為されている。

 なればこそ、人の出入りもいつも以上に多く。

「ああっ、いっそあの人混みの中に火球でも投げ込んでしまいましょうか。折角の美しい風景だというのに、こうまで騒がしいと褪せてしまいますよ」

 そう言って深い溜息をつくアルト=パウム。

 薄衣を幾重にも纏った彼の姿は、朝日がすっかり昇った現在、見晴らしの良い高級宿のバルコニーにあった。

 少しだけ小高い場所に位置するそこは、元々低い町並みが活気づく様を、否応なく見せ付けてくる。

 まだ灯の燈らない毒々しい原色の電球や、罵詈雑言飛び交う屋台、簡易舞台を作成する騒音。

 アルト=パウムのように真と実を込めて口に出す過激な輩はそういないだろうが、元は静かな町、心の中では似たようなことを思う連中は少なからずいるはずだ。

 かといって同意を求めるつもりのない、身勝手で物騒な言葉を取り合いもせず、イシェルは執拗に瓶を撫でる手を見上げて微笑む。

「あら、そんなことないわ? 私はとっても満足しているもの。それにね、私、人間のお祭りって始めてみるから、すっごくドキドキしているの? アルトはドキドキしない?」

 きらきらした藍色の好奇心を向けたなら、ヴェールと長い白髪で作られた影の中、輝かんばかりの笑顔が現れた。

「しています。私はいつだって、イシェルと視線を合わす度、胸の高鳴りを押さえられずにいるのです。ああ、私の愛しいイシェル。願わくば、この胸の脈動を直にお伝えしたい!」

 堪えきれない熱を込めた、いつもの言葉を囁かれ。

 途端、イシェルの長い耳が伏せられた。

「…………御免なさい、アルト」

「……イシェル?」

 併せて動揺を隠せないアルト=パウムが、あれこれ宥める言葉を告げるが、イシェルは静かに首を振る。

「私が……毒の妖精だから、アルトのお願いを叶えられなくて…………御免なさい」

 緑に染む四肢を見て、イシェルは申し訳ない気持ちになった。

 白い衣と薄い翅、人間の少女のような容姿は他の妖精と変わりないが、この四肢だけはイシェルしか持ち得ないものだ。

 世を禍う者――毒の妖精たるイシェルにしか。

 それでも、落ち込んでいてはいけない。

 心配する子がすぐ傍にいるのだから。

 後ろで結い上げられた、緩くウェーブのかかった長い金髪を軽く振り、沈んだ気持ちを払う。

 まだ何事か言い募ろうとするアルト=パウムへ、イシェルは大丈夫と微笑んだ。

「御免なさい。私ったら、また言ってしまったわ。毒の妖精だからって沈んじゃダメだって、アルトから言われていたのに」

「イシェル……申し訳ございません。私の不用意な発言で、貴女を不快にさせてしまって」

「謝らないで? アルトには感謝してもしきれないのよ? この瓶が無くちゃ、私はこうして世界を見て回ることも出来なかったんだから」

 晴れやかにアルト=パウムへそう告げた。

 安心して貰おうと。

 けれど。

「う…………」

 大抵の場合、アルト=パウムは笑み返すのだが、この時は少しばかり様子が違った。

 何かとてつもない罪悪感に苛まれているような、軽い呻きが、少しばかり引きつった口角より零れ出る。

「う?」

 見たことのない反応を受け、興味を抱いたイシェルは、首を傾げて呻きの先を尋ねた。

 が、アルト=パウムは不自然な速さで顔を上げるなり、後方、部屋へ続く窓を見、答えを引っ込めてしまう。

「さ、さて、ジェスク。そろそろ術を解いて差し上げましょう」

 言って、立てた人差し指を空へ跳ねさせるアルト=パウム。

 すると、部屋の中で転がされていた茶色い魔物を縛りつける術が解け、犬面から大仰な溜息が漏れた。

 ぎこちない動きで起きては、手足を回して動作を確認する。

「……毎度ながら、師匠の術は容赦ないっすね。今回も全く動けなかったっすよ」

「……解除するつもりだったのですか? 犬の分際で生意気な。術の強化を図っておいて正解でしたね。前回の反省も兼ねて、たとえ手足が引き千切れようとも、動きを封じる工夫をしてみましたが……正直、骨が折れましたよ」

「……反省兼ねるんでしたら、イシェルの姐さんに何かあった時くらい、動けるようにしといて貰いたいんですが」

 アルト=パウムの言い分を半ば呆れた風体で聞いていたジェスクは、音を上げる腹を擦りさすり言う。

 昨日、宿につくなりアルト=パウムから術をかけられた彼の胃は、夕飯の味を知らない。

 観光名所の湖畔では、名物の淡水魚が数種釣れるため、祭りや風景でなくとも、料理を目当てとする来訪者も多かった。

 ジェスクもその口だったようで、いつもは軽く流すアルト=パウムの仕打ちを、今回ばかりは軽く咎める節。

 だからといって、アルト=パウムが反省するかといえば、まず無いだろう。

 それどころか鼻で笑っては、青と白のヴェールを重ねた衣の胸元、宝石を抱く首飾り同様下げた瓶を優しく撫でる。

「愚かなことを。イシェルのため、お前を自由にさせる? それこそ本末転倒ではありませんか。お前の心配なぞ無用。イシェルは私がお護りします。お前はせいぜい、そこで転がっているのがお似合いですよ」

 つんとそっぽを向きながらも、アルト=パウムは瓶を撫で続け。

「…………よく言いますよ。あのジジイ共追っ払ってから、一日経ってなかったってのに、着いた町で早々おっ始めたくせして」

 ぼそり、イシェルの聴覚に届く言葉。

 首を傾げたなら、アルト=パウムが無言でジェスクの前まで移動、短呪で強化した足を用い、その顔を踏みつけた。

 

 

 床を凹ませるどころか、二階の客室の床にまで風穴を開けたジェスクの身体は、一階まで叩きつけられた威力に反して、掠り傷一つ負っていなかった。

 姿形が子どもにしか見えないジェスクでは文句を言いにくいのか、苦情は全て、元凶であるアルト=パウムへ向かってくる。

 しかし、そこは麗しの吟遊詩人、宿の主人と偉ぶった客を言葉巧みに騙くらかして、集客の一曲でチャラにする手筈となった。

 勿論、曲の御捻りは全て、アルト=パウムが頂く算段で。

 

 

 

 

 

 

 

 爪弾く音色。

 なれど、弦はそこに在らず。

 細く長く繊細な指遣いが、宙を撫でるが如く掻けば、語り部の物語は紡がれる。

 

 

『此れに起こるは、掬い手の波紋より産まれし水辺の逸話。

 語り名はツェル。

 古の名は遥か遠く。

 されど今より継げし水面の宴は、彼の名よりも永く時を謳う。

 掲げらるる一の杯。

 注ぎ満たすは数多の雫。

 寵は籠を紡ぎ、哀は楔を繋ぐ。

 交わす静寂、宿る断絶、炎は凍み。

 刻は永続なれど、限り在り。

 祖から逃れし罪深く、瑕は拠りを求めん。

 杯より伝う血は地を穿ち、染み入りて呼ぶは遥かな母。

 深き眠り、浅きまどろみ、震えし朝露。

 明くる宝玉は陽を見ず、非を視る。

 無風の嵐に煽られ杯は倒るる。

 堕ちた雫は残滓も在らず地へ捧げ。

 象られし新たな杯。

 嘆きを憂く爪跡は頂に紋を遺し。

 探求は愚を知り、手にしては輪を彩る。

 勝者なれば酔い、敗者なれば伏す。

 課されし綾は朽ちぬ瑕を膿む。

 一の杯。

 望みは近しく遠く。

 因なる法、終焉の重囲を知らず――

 語り名のツェル。

 波紋より産まれし水辺は、杯の調べを呑みて宴と為さん』

 

 

 呼吸が告げる、語りの終幕。

 詩の意を汲まずとも呑まれるは、詩人が力。

 誰人も呼気を忘れ、余韻が絡む身を固め。

 はぁ…………

 何者かの吐息が静謐を侵し、続くは荒れ狂う怒号のような、歓声。

 

 

 

 

 

 

 

「お喜びのところ申し訳ありませんが、あれはですね、イシェル。ツェルが負う罪過の経緯なのですよ」

 はむっとパンを口にしたアルト=パウムは、周囲から向けられる熱い視線をさらりと逸らしては、己から発する同様の熱を瓶へ一心に注ぐ。

 アルト=パウムの指先と同じサイズの輪郭を瓶越しでなぞれば、イシェルの顔が斜めに傾いだ。

「罪過?」

「ええ……少し、ほんの少しですが、彼らの言い方が癪に障りまして。祭りを台無しにしてやろうかと選曲したのがあの詩です。……しかし、この地も伝承を忘れて久しいようですねぇ。よもやアレで悦ばれるとは思いもしませんでした。それとも古い御仁が隠されたのでしょうか?」

 アルト=パウムがヴェール越しから向けた視線の先には、彼を睨みつける老いた集団がいた。

 地元の人間らしい、観光目的では不相応な薄汚れた普段着は、宿の地下に設置された酒場奥を居所とする彼らの、保護色の役割を担っている。

 上は富豪連中を相手取る宿屋であるくせに、下に通う者は少々柄が悪くても良いらしい。

 勿論、富豪客をもてなすバーは別に設置されており、そこで詠わせなかった宿屋の主人は、後悔ついでにもう一曲そちらでと頼んで来たが、アルト=パウムはこれをにべもなく払った。

 どうやらアルト=パウムを格好だけの若造と侮り、さして収益にもならんとこちらの酒場で詠わせた様子。

 しかも、この柄の悪さである。

 不興を買ったところで、アルト=パウムの只人ならぬ美貌を彼らへ直接売りつければ良い、とでも考えていたのだろう。

 長旅の生活ゆえ、時折出くわす事柄だが、アルト=パウムはこういう手合いを酷く嫌悪していた。

 このため、今度は相応の金を出すと言われても、利己主義の一度損ねた機嫌は直るはずもなし。

 あまりにも煩く食い下がるものだから、強めの幻覚魔法を短時間、宿屋の主人へ掛けたアルト=パウムは、その時の光景を思い返してはくつくつ笑う。

 が。

「ねえ、アルト? 罪過ってどんなものだったの?」

「…………そうですねぇ……なんと申しましょうか」

 藍色の好奇心から目を背けたアルト=パウム。

 今まで意識外に置いていたジェスクの皿を見ては、眉を顰めた。

「ジェスク、肉ばかりではなく、野菜もお食べなさい。お前がどうなろうと私は心底どうでも良いのですが、偏った食生活で倒れてしまったら、イシェルの眼がお前から離れなくなってしまいます」

「……おいらは魔物っすよ? それに肉ったって、魚肉ですし。野菜は消化悪いんすよ、おいらの種族。それに師匠、逃げ方間違ってます」

 ようやくありつけた食事に茶々を入れられ、不機嫌な顔をするジェスクは、黒い爪で瓶を指差した。

「イシェルを指差すなぞ」と文句を言っていた詩人は、きらきら求める視線を知り、しばらく色んな意味で胸をドキドキさせてから、がっくり項垂れた。

「はあ。分かりました、お答えします。ツェルの罪過、ですね………………イシェルは……その、人間について、どのくらいお詳しいのでしょうか?」

「詳しいって何が?」

「えー……そのぉ、つまるところ……子どもがどこから産まれるというか、どうすれば産まれるというか、そういうお話です」

「うーん。詳しいかどうかは知らないけど、世間で言う程、愛はあんまり必要じゃないって言えば良いのかしら、この場合」

 さらりとイシェルから告げられた、辛辣な言葉。

 受けたアルト=パウムは、何故だか物凄く、落ち込んでしまった。

 

 


UP 2009/5/11 かなぶん

 

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