過日の追憶 2

 

 歯に物が挟まった説明しか出来なかったアルト=パウムが、きちんと力尽きたのはテーブルの上の料理を平らげた後。

「うううう……誰ですか。私のイシェルの耳を穢した不届き者は…………お前ですか、犬」

「濡れ衣もいいところっすよ。大体、イシェルの姐さんは妖精っすよ? 耳年増になってても仕方ないでしょう?」

「あらジェスク。私、耳だけじゃなくて、ちゃんと年増よ?」

 容姿は美少女然なイシェルが言うと、嫌味のように聞こえる言葉である。

 それでも彼らより遥かに永い時を生きてきた真実は変えようもなく、けれど、二人の目を丸くするほどには充分な破壊力を持っていたらしい。

 何せ妖精は悪戯はしても嘘は付かないのだ。

 悪戯に嘘が混じっていると言われればそれまでだが、自分の存在自体にコンプレックスを持つイシェルは、誰かを騙し傷つける事を良しとしなかった。

 ……ただし、正直に言った話で、誰かが勘違いし傷ついた場合は、全く気にしないが。

「……ジェスク」

「いや、おいらは……」

 不思議そうなイシェルをテーブルへ置き、アルト=パウムは珍しくジェスクを手招き、何やらコソコソ会話している。

 仲が良いのは結構だが、除け者にされた挙句、時折こちらをチラチラ伺う姿はいただけない。

 普段、泣きはしても怒ることの少ないイシェル。

 この時ばかりは、ちょっぴりムッとして両手を腰へ当てた。

 頬を膨らませ、一言。

「ねえ、二人とも――」

「やあやあやあ、素晴らしい限りでございましたなぁ」

 けれど被せられた野太い声が、高い声を潰してしまった。

 途端、先程までの怒りも忘れて、好奇心を藍の目に宿したイシェルは、アルト=パウムへ揉み手をするにこやかな髭面の姿を認め、首を傾げた。

 あまりにもにこやかだったから一瞬分からなかったが、この髭面、身なりそのままに踏ん反り返っては、アルト=パウムへ文句を言っていた二階客室の客である。

 あの時、アルト=パウムの首飾りと一緒にぶら下がっていた瓶の中のイシェルは、これが同じ人間かと疑わしくなるほど、表情を変えた髭面に興味津々。

 髭面も視線に気づいてか、ちらりとイシェルを見たが、その目は嘲りに満ちていた。

「まさかまさか、貴方様がこれほどまでの技量の持ち主とは。いや、先程は失礼致しました。何せ商談が上手く行かず、私も気が立っておりま」

「おや、どなたでしょう?」

 今度は野太い声に、老若男女問わず魅了する声が被さった。

 高い声に気づかなかった無神経な野太さとは違い、その声は何もかも分かっていて、わざと被せたような陰険さに満ち満ちていた。

 尤も、聞く者を陶酔へ誘う声から、これを察することが出来る者は限られており、そういう機微に疎いイシェルも気づきはせず。

 けれど、しばらくはアルト=パウムの声に酔った髭面、意味を理解しては顔をさっと赤らめ、すぐに元の肌色まで戻して笑む。

 白いハンカチを取り出し汗を抑える仕草で激情を宥めつつ、渇いた笑い声を上げた。

「は……ははははは…………加えてユーモアもおありとは」

「はて、犬。お前、この方を知っていますか?」

「いや、おいらは全く」

「そうですかそうですか。では、食事も終えたことですし、そろそろ行きましょうかね」

 ジェスクの言葉に珍しく微笑んだアルト=パウムは、髭面の存在を綺麗さっぱり消し去り、瓶を首へ掛け席を立つ。

 ジェスクへ別会計の伝票を渡しては、自分の分を先に酒場のオヤジへ出し――。

「お、お待ち下さい、吟遊詩人殿! どうか、私の話を聞いて下さい! 商談の成立へ、お力添えをお願いしたいのです! なんでしたらその妖精、こちらで捌かせて貰いますから!!」

「ほぉ……?」

「げ……おいら知らねぇ……」

 手を止めたアルト=パウムに代わり、呻いたジェスクが先に会計を済ませるべく、彼の背後へ回った。

「アルト? 捌くって、何?」

 アルト=パウムが纏う雰囲気の険しさを察知したイシェルが呑気に尋ねる。

 すっと上がった手は、滑らかな動きで瓶を撫でつけ。

「ふ……ふふふふふ…………なるほど? 本来、自由気ままな妖精を瓶なぞに入れているから、売るつもりだと思われた訳ですね? 表では妖精の売買は禁じられているはずですものねぇ。まあ、売買が禁じられているだけで、捕らえること自体は規制がありませんし、所持に関しても今まで咎められはしませんでしたが…………」

 底意地の悪い笑みを向けられた髭面は、にやり、似たような笑みを返した。

「ええ、ええ。表では無理ですが、蛇の道は蛇。逃げ道は幾らでもありますから。どうです? その個体、中々の容姿ですし、かなりの高値で――」

『力の名・陰りの蛇・改竄の録・怨嗟の傀儡・呪え・虚ろの位階』

 有無を言わさず、溜息のように吐かれては、行使された術。

 アルト=パウムへ手を差し出していた髭面は、ひんやりした空気を感じ、身震い一つ。

 術の発動に気付いたのは、髭面の影が黒い光を発して伸び、彼へ襲い掛からんとした時。

「ひっ――――」

 悲鳴を呑み込んだ四方の影は、髭面を包んでは、渦を巻く。

 それからしばらくのち、何事もなかったかのように消え去った。

 放心状態の髭面が両膝から床へ落ち、倒れはせず、座った格好のまま気を失う。

 辺りに走る緊張。

 イシェルから見えたのは、奥まった場所でこちらを睨んでいた老人たちの、切迫した表情。

 咄嗟に身の内へ隠した物が、殺傷能力を期待される品だと、武器とは縁遠いイシェルにも分かった。

「アルト……」

 心配して声を掛けたなら、頭上の詩人はいつも通り微笑んでみせた。

「ご心配には及びませんよ、イシェル。あの程度の者ども、払うのさえ面倒だから放っているに過ぎません。その気になればいつでも――――ねぇ?」

「っ!」

 最後は周囲へ、得体の知れない嗤いをアルト=パウムは向けた。

 

 

 

 

 

 食事を終えて部屋へ戻った一行。

 最初に見物と称して出て行ったのはジェスクだ。

 イシェルたっての希望で祭りが終わる数日間、ツェンに滞在すると知ったためか、アルト=パウムへ師事を仰ぐ魔物の足取りは軽かった。

 その際、イシェルがいてくれて良かったとジェスクは笑い。

 不思議に思ったなら、苦笑する。

「イシェルの姐さんのお陰で、師匠がどっか行くの防げますから」

「……失敬な。それではまるで、イシェルが私の首輪か何かのようではありませんか」

「実際、そうじゃないっすか? 見た感じも」

「犬の分際で……いえですが……首輪…………イシェルに付けられた……考えようによっては…………ああっ、イシェルぅっっ!」

「アルト?」

 いきなり悶える妙な男に対し、当のイシェルは首を傾げ。

「気にしないでください、イシェルの姐さん。師匠は幸せなお人なんですよ。んじゃ」

「うん。気をつけてね、ジェスク」

 手を上げる魔物を見送ったイシェルは、枕下へ彼女を置いたまま、ベッドで身悶え続ける変な詩人を見つめた。

 しばらくジタバタ足掻いていた詩人、ぴたり納まったかと思えば、ベッドの上で身を縮ませて座り。

「くっ……犬のクセに……認めたくありませんが……中々やるようになりましたね」

「何を?」

「……いえ、何でもありません」

 いじましい目でイシェルを振り返っては、大仰な溜息一つ。

 そのまま倒れこんだアルト=パウムは、ヴェールを取っ払い、髪をかき上げ、瓶を傍に寄せた。

 差し込む陽の光がアルト=パウムの、淑女よりなお瑞々しく透明な、滑らかな肌を輝かせる。

 物言わず、じーっと見つめる、煌々たる彼の瞳。

 絶えず柔和に笑むソレ。

 好奇心に輝く藍の瞳も、なんだろうと期待を込めて見つめ続けた。

 じーっと。

 すると徐々に、光に照らされた頬が桃色に染まっていく。

 この単時間で陽に焼かれてしまったのだろうか?

 皮膚の色は白に近ければ近いほど、太陽に弱いと聞いたことがあった。

 加え、アルト=パウムの肌は長年旅をしているとは思えないほど、柔らかな印象を与える。

 触ったらきっと、すべすべで、ふにゃふにゃで、気持ち良いんだろうな……

 毒の妖精である身を悲しむことは度々あるが、残念がるのはこういう時。

 それでなくとも、イシェルのため、色々良くしてくれるアルト=パウムなのだ。

 ありがとうと言って、頭を撫でて、抱き締めて、頬ずりして、キスして。

 額を合わせて、頬を撫でて、胸に抱いて、子守歌を歌って、一緒に眠って。

 猫可愛がりしたくなる衝動は、時折、イシェルをときめかせ、やっぱり残念がらせた。

 もし自分の想像をアルト=パウムが知ったなら、狂喜乱舞した挙句に吐血し、痙攣しながら喜悦を浮べて死の淵に立つ、とは全く思っていないイシェル。

 眉を寄せては瓶に手を当てる。

「ねえアルト。顔が赤くなってるわ。カーテンを閉めた方が良いのではないかしら? 赤くなったままだと肌が痛むでしょう? 日焼けは火傷と同じなんだから。それでなくともシミになっちゃうわ」

 言いつつ、男の人はそういう心配をしないものなのかしら? と考える。

 イシェルの知識は大概女のモノに偏るため、男について知っていることはほとんどない。

 ちなみに、先程アルト=パウムを撃沈させた知識は、毒の妖精と分かる前、色々と世話を焼いてくれた女たちがもたらしたモノであった。

 当時、イシェルの身体には始終、毒とは関係なしに結界が張られていたため、彼女――正確には彼女ら一族と共に過ごしても、影響は全くなく。

 ……そうだ。こうして旅をさせて貰えるのだから、その内、あの子たちのお家の近くにも行くかもしれないわ。

 そうしたら、寄って貰えるようにアルトに頼んでみよう。駄目だったら、仕方ないけど……

 未だ、アルト=パウムが自分へ向ける好意を恋愛感情とは気付かず、彼女のためなら世界すら惜しまないとは知らないイシェル、視線を交わしたまま、胸の中で意気込んだ。

 と。

「平気です。私の周りには結界が張ってありますから」

「……あ、ああ、そうなんだ。すっごく便利ね?」

 別の考えに没頭していたため、アルト=パウムの返答を受けて後、一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 これをひた隠すように取り繕う笑顔を浮かべる。

 失礼なことをしてしまったわ。

 陰でひたすらアルト=パウムへ謝罪を述べるイシェル。

「すみません、イシェル」

「あぅ、ご、ごめんなさい、アルト――――へ?」

 すると何故かアルト=パウムから謝られ、心情をなぞるそれにつられて頭を下げてしまった。

 慌てて顔を上げたなら、アルト=パウムの方は不審に思った様子もなく、至極困った表情を浮かべていた。

「その……本来であれば、女性にこのようなことを聞くのは、いけないことだと重々承知しているのですが」

「え、なに?」

 丸くした目が転じ、新たな好奇心が宿った。

 知らないことを知るのは楽しい。

 生かせるかどうかは別として、学ぶことが大好きなイシェルは、女性が尋ねられていけないと思う話に興味を抱く。

 一体、どんな事を女性に聞いてはいけないのか。

 それは、全種族共通なのか、それとも人間だけだろうか。

 等々。

 細かく上げればキリのない疑問がイシェルの中を駆け巡り。

「いえ、その…………イシェルはどのくらい、齢を重ねてらっしゃるのかな、と思いまして。あ、お答え頂けないのであれば、全くもって構いません」

「……齢?」

 なんだそんなことか。

 ちょっぴり肩透かしを喰らった気分で溜息が出たなら、赤くなっていたアルト=パウムの顔が瞬時に真っ青となってしまった。

「いえっ、やはりお答えなぞ持っての外ですね! 申し訳ございません、浅はかな私をお許しください!!」

 今にも泣き出しそうな瞳が向けられて、両手で瓶を抱き締められる。

「あの、アルト?」

「平に平に、ご容赦下さい!!」

 別段、怒った憶えはないのに頭を下げられては、イシェル、アルト=パウムを宥めるしかない。

 齢なんて聞かれたところで……別に構わないんだけどな。

 答えられるかどうかは――

 また、別としても。

 

 


UP 2010/3/9 かなぶん

 

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