静寂の森   後編

 

 恨みの視線を受け続け、泣きそうな顔の甲冑の妖精は、脇に退いては首だけで先を促す。

 ここからは一人で行け、という意味か。

 ひとまずイシェルの行動を頭から払い、本来の目的に切り替えて歩を進める。

 甲冑の妖精が指し示した先には開けた場があり、巨木がアルト=パウムを迎えた。

 

『なるほど、確かに力の名じゃ』

 場に魔力を帯びた声が響き渡る。妙齢の女の艶やかなそれ。

 探せば巨木の中腹に、虫の糸に絡め取られた、短い白髪と碧い眼の女。

 肩口と下腹部までを巨木に沈めた姿は、息を止めるほど美しく、恐ろしい。

「貴方がこの森の祖……早速ですが、お尋ねしたきことがございます」

『ほんに早きことよ。そなた、もう少し緩やかに生きられぬか?』

 シリンの呆れた言い草にアルト=パウムは自嘲を口元に浮かべる。

「緩やかに生きたからこそ、この様です。踏まえて今回は迅速に動こうと思いまして」

『やれ、呆れた御仁じゃ』

 初めて会うはずなのに、易く言葉を交し合う二人。

 心得ている風にシリンはアルト=パウムに頷く。

『そなたの考えている通りじゃ。あれはここにある。じゃが――――』

 告ぐ言葉を捜し、言い難そうに続ける。

『黒琥珀に当たりすぎたせいか、全てを亡くしてしまったぞ?』

「構いません」

『それに――――性質が変わっておる』

「性質?」

『この、静寂の森そのものに』

「…………」

 アルト=パウムが身じろいだ。

 

 

 

 

 

 およそ夜でしょうか?

 尚明るい木々を吹き抜けの窓から眺め、時を計る。

 シリンとの謁見を終え、またも案内役となった甲冑の妖精に連れられたのは、暖かな洞窟。

 小洒落た家のような造りに、あの小さな妖精たちがこれをどう造り上げたものか興味が湧いた。

 が、内心はそれどころではない。

 アルト=パウムの捜し物。

 生まれる前から捜す事を意義付けたそれがここにある。というのに――――

 謁見で得たのは、確信さえあるのに容易には探せない事実。

 よりにもよって静寂の森とは。

 性質がここと異なれば、捜す方法はいくらでもあったのだ。

 特定の場所から異質なものを弾き出すのは、アルト=パウムにとってお遊びに等しい。

 だが、同質となれば話は別だ。

 注意を幾ら払ったところで見つかる確率は未知数の底辺を行く。

 すぐさま捜したいが人の身には限度がある。

 妖精が造った精巧な結界を渡った負担は、思った以上にアルト=パウムに圧し掛かった。

 しかも甲冑の妖精が放った風を制御するなどという暴挙にも出たのだ。

 加えて静寂の森への破壊工作を目論んで練った魔力は尋常ではない。

 どれも普通の人間には過ぎた力。彼だからこそ為しえたモノ。

 表面上は知れない疲労に溜息をついた。

 だが同時に過ぎる、捜し物とは似つかない小さな存在に項垂れたまま苦笑を浮かべた。

 ともすればここまで必死に追いかけた目的が霞むほどの――。

「アルト……大丈夫?」

 幻聴かと思うほどの囁きで名を呼ばれ、慌ててそちらに顔を向けると、窓の外にイシェル。

 アルト=パウムは反射的に吹き抜けの窓から手を伸ばし掴もうとするが、短い悲鳴を上げながらも素早くかわされた。

「危ないじゃない! 心配してたのに!」

「イシェル……どうして避けるのです?」

 呆然と投げかけられた質問に、イシェルは途端に動揺する。

「だって……私は妖精ですもの」

 確かに妖精を掴むのは非常識にもほどがある。

 彼女らは人間に対して小柄過ぎるのだから。

 しかし――――

「私が聞いているのはそんなことではありません。何故、仲間を避けるのですか?」

「――――っ!」

 図星を隠そうともせず息を呑むイシェルは、飛び退ろうとして何かに気づき、慌てて近くの木の陰に隠れた。

 その間にもイシェルを掴まえようと手を伸ばしていたアルト=パウムは、

「吟遊詩人殿、飯……だ?」

 頭上に焼いた木の実が盛り付けられた葉を掲げる、甲冑の妖精の集団を見て我に返った。

 

 

 気配はまだある。

 そこでアルト=パウムは甲冑の妖精に尋ねてみた。

「イシェル、という妖精をご存知ですか?」

 ビクンッと隠れている木の葉が揺れた。

 甲冑の妖精は気づかず、少し思案顔を浮かべてから、手を一つ打った。

「ああ、はぐれのことか?」

「はぐれ?」

「いつからか共に住むようになった娘だな。中々良いヤツだぞ。だが、一度行方が知れなくなってからはあまり顔を出さないんだ」

 心から案じている表情。

 イシェルの様子から、妖精たちと諍いでもあったのかと考えていたアルト=パウムは首を捻る。

「行方が……? 何かあったのでしょうか?」

「さあな。詳しいことは分からないが――――」

 甲冑の妖精が眉を顰める。侮辱された時よりも酷く歪んだ顔つき。

「その頃丁度、仲間が数人行方不明になったんだ。もしかすると人間に捕らえられたのかも知れん。奴らにとって我らは格好の獲物だ」

 忌々しげに吐き出す。

「人間、ですか…………しかしここには厳重に結界が張られていたはず。根拠は?」

 自らがこれを通り抜けた事実を失した発言だが、妖精の結界へ干渉するなぞ、上位の術遣いでなければ出来ぬ所業。

 それを知った上でさらりと吐くのだから、アルト=パウムの自己に対する絶大な信頼が測れよう。

 甲冑の妖精も了承しているようで、さらりと受け流しては唸った。

「根拠もなにも――――近くで人間の死骸が見つかったんだ。苔に侵食され、半分溶けかかった姿でな」

 がさっ

 何の音かは見なくても分かった。

 礼もそこそこに制止も聞かずアルト=パウムは洞窟を出た。

 イシェルが前方の宙を飛んでいた。

 

 

 短い呪文を手に宿す。

 クルクル巡る球状のそれを迷いなくイシェルへ向かって投げつけた。

「きゃああっ」

 球に捕らえられたイシェルは尚も暴れまわる。

 アルト=パウムは無言でその球を手中に収めた。

「は、離して!」

 イシェルの顔に浮かぶのは、憤り、恐れ、悔しさ――――そして哀しみ。

「イシェル……貴方は――毒の妖精だったのですね?」

 大きな震えが球を通じて伝わる。

 大粒の涙が頬を伝うのをイシェルは慌てて拭う。

 アルト=パウムの手に涙が落ちないよう、そうしているのだろう。

 毒の妖精とは、多種に渡る妖精の中でも外界への害が特に強いものをいう。

 人間が苔の侵食を受けて半分溶けるなど、当に毒の妖精がもたらす害である。

 故に、本来影響を受けないはずの妖精同士の接点でさえ、彼らの方が嫌うのだ。

 だからこそ、イシェルは彼らがいない時にしか、アルト=パウムの前へ姿を現してくれない。

 こうして捕まえても、好奇心に寄ろうとする妖精を術で牽制しようと、イシェルは自分を隠すように必死に身を縮めて顔を伏せてしまう。

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!」

 一体何に謝っているのか、涙を拭いながら頭を下げ続ける妖精をアルト=パウムはじっと見つめる。

 

 毒の妖精だと黙っていたことに?

 自分の力が人間を殺してしまうことに?

 それとも――――それとも自分自身が存在していることを?

 

 深い、深い、深い溜息がアルト=パウルの口をついて出た。

 イシェルの体がまた大きく跳ね上がる。

「アルト……」

 手を翳され、イシェルは恐ろしさに目を瞑る。

 手が恐ろしいのではない。この手を壊してしまう自分が恐ろしいのだ。

 だが、イシェルが次に眼を開いた時、透明な壁がそこにはあった。

 ぐるりと回れば同じような壁が続く。

 下を見れば透明な、見上げれば水晶の杭。

「アルト……?」

 名を呼ばれアルト=パウムは球から展開した瓶に閉じ込めた瞳へ、疲労感たっぷりに尋ねた。

「大掛かりな魔法は眠気を伴うんです。単刀直入に聞きます。イシェル、私と共に来る気はありませんか?」

「え……でも私は!」

「毒の妖精だから? そんなことはどうでもいいんです。私は貴方の想いを聞きたい。このままここで仲間を傷つけることを恐れて生きるか、今ここで命を絶つか。それとも私と共に広い世界を見てみるか」

 提示された選択肢にイシェルは絶句しているようだった。

 それもそうだろう、今日初めて会った相手にこんな横暴、自分だったらソイツを叩きのめす。

 だが、アルト=パウムの予想に反して、イシェルの口から出たのは意外な言葉だった。

「…………そんなの、一つしか選べないじゃない……」

 大粒の涙が頬を伝う。

 しかし、浮かんでいるのは悲哀などではなく。

「ずるいわ。それじゃあ私、あなたと一緒に行くしかないじゃない」

 イシェルと出会って初めて見る、満開の笑顔。

 

 

 

 その後、半日ほど静寂の森にて目的の物を捜すアルトだったが、見つからない事実に落胆することなく、あっさり諦めてしまった。

 彼の首飾りに引っ掛けられた瓶詰めの妖精が、「諦めないで」と応援するのに首を振り、

「収穫は別にありましたから、良いんです」

 にっこり笑う。

 

 


UP 2007/11/25 かなぶん

修正 2008/7/2

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