追従の魔性

 

 夜の森の中。

 詩が終わればもたらされる小さな拍手。

 胸元から聞こえる音にアルト=パウムは満足そうに笑む。

「すごいわ、アルト。とても綺麗な詩ね?」

「ありがとうございます、イシェル。貴女が聞いてくださるなら、どの様な詩も限界以上の力で奏でられます」

 うっとり語りかければ、瓶の中に納まった小さな妖精がくすくす笑った。

「面白い人よね、アルトって。お金もない妖精一匹に聞かせたところで、なんの意味もないのに」

「何を仰いますか。貴女に聞いて頂ける上に、賛辞まで与えられるのです。これ以上意味のあることがこの世にあるとでも?」

 些か不機嫌な声音に、イシェルは途端に長い耳を伏せる。

 落ち込んだ節の彼女に、アルト=パウムは慌てて薄絹を重ねた衣の、己の胸に下がる瓶を持ち上げた。

 両手で包み込むように、ヴェールに隠れた目元の近くまで掲げる。

 四肢を碧に染めた白い衣の薄翅の妖精は、項垂れたまま哀しそうに頭を下げた。

「ごめんなさい。アルトの気分を害するようなことを言ってしまって……」

 すっかり気を落としてしまった様子に、アルト=パウムは己の失態を内心で罵りながら、

「いえ、私の方こそすみません。ですがイシェル? ご自分を卑下なさるのは出来れば止めて頂きたい」

「……はい」

 こくりと金糸の髪が揺れるものの、愛くるしい顔は依然上がらない。

 何と言葉を紡いだものか……

 吟遊詩人という職につくアルト=パウムは、声と語りを操り、老若男女問わず虜にする芸当を得意とするのだが、イシェル相手では全て掠れてしまう。

 偽りでなく真実のみを彼女には告げたいという衝動が、彼の饒舌な語り口を寸断するのだ。

 

 これが、俗にいう惚れた弱みというヤツでしょうか?

 

 イシェルに出会ってからというもの、どうも己の調子がおかしいと感じていたアルト=パウム。

 こちらへ微笑まれては口角が緩み、ちっぽけな虫を賞讃されては苛立ち、涙を流されては動揺し、そっぽを向かれては気が狂いそうになる。

 イシェルの一挙手一投足から目が離せず、気づけば、彼女を見つめて瓶を撫でながら生活を送る、という技まで編み出していた。

 そうして最後に導き出した結論が、これ。

 しかも出逢った当初からアルトと愛称で呼ばせる辺り、無意識の一目惚れだったらしい。

 結論が出るまで呼ばれ続けても、全く違和感がなかったのだから、重症としか言いようがない。

 となると、次に浮かぶ想いは決まっていた。

 

 名実ともに、イシェルを自分のモノにしたい――

 

 種としての人間と妖精が添い遂げるのは、この世界の摂理では決して不可能ではない。

 一介の詩人には過ぎたる魔力を持つアルト=パウムにとって、そういう術を熟知しているのは当然のこと。

 特に、イシェルを瓶に“閉じ込めて”からは、殊更にそんな文献を漁ってみたものだ。

 しかし、邪魔な存在がアルト=パウムの渇望を悉く妨げる。

「……貴女が、毒の妖精であることを気になさっての卑下だとすれば、それこそ無意味なことです」

 びくっと瓶が震え、アルト=パウムはやはり、と忌々しげに息を吐く。

 毒の妖精――自身の意思に関わらず、世界に害なす妖精を総称する名。

 自分とイシェルを遠ざける、腹立たしい存在だ。

 数多の文献を辿っても、毒の妖精を保有する毒から切り離す法が見つからない。

 そのせいでイシェルは時折、自分の存在自体を罪と蔑む。

 そんな彼女を連れだす際、親切心にかこつけてその身を封じた瓶は、イシェルを毒から解放して後も、彼女を縛り続けるための物であったのに。

 重要度としては後者が色濃いアルト=パウム。

 とはいえ、あの時はそんな下心など自覚しておらず、後に調べた結果から、やはり無意識に自分は彼女を求めていたのだと知った。

 そんな彼の想いなどイシェルは知る由もなく、ぽろぽろと真珠のような涙を流し始めた。

 なるべく落ちないように拭うのは、涙が瓶をすり抜けてアルト=パウムを害するのではないか、そう恐れて。

 健気な様子にアルト=パウムはそっと、瓶を優しく撫でる。

 本当は直に触れたいものだが、いくら魔力があろうと人間でしかない彼には無理な話だ。

 触れれば彼女を毒の妖精と察した話のように、身が苔に侵食され溶かされてしまうだろう。

 そうなれば、アルト=パウムは一生彼女の心を苛み続けることができるが、死んで後の独占など、くだらない。

「生きてこそ、意味があるのです……」

「アルト?」

 ぼそりと低く呟いた声に、待ち望む顔が上がる。

 深い青に涙を潤ませた眼に、喉がごくりと鳴った。

 今のアルト=パウムの想像の全てをイシェルにぶつけたとて、世間知らずの彼女にはきっと欠片も分かりはしまい。

 例えば、全身全霊を込めて愛を囁いたところで、イシェルが返す愛は友愛に近い。

 この差をもどかしく思いながらも、だからこそ己は未だ平常心を保てるのだと、アルト=パウムは考えている。

 この状況下で相思相愛になりでもしたら、それはそれで嬉しいのだが、決して彼女には触れられない苛立ちで、自分が何をしでかすか検討もつかない。

 他が知れば変質者を見る眼で注目されるアルト=パウムは、自分たち以外の干渉がない今に酔いながら、愛おしい想いを込めて瓶を撫で続ける。

「イシェル、貴女がご自身をどう思われようとも、私は貴女を愛しています」

 吐息のように自然に吐かれた言は、数えるのも面倒なほど回数を重ねており、

「アルト……有難う。私も貴方が好きよ」

 その都度同じ台詞で応えるイシェルに、頬が緩むのも同数、否、それ以上。

 涙を引っ込めて己だけに微笑む妖精を眺めては、頬ずりしたい衝動を必死で抑える。

 万が一にでも己の想いが彼女に伝わり、それが拒絶されてしまうのが恐ろしいから。

 まあ、拒絶されようとも逃がしはしませんけれど。

 昏い想いを胃の腑に沈め、至福のひと時を味わうアルト=パウム。

 

 

 

「……………………あのぉ、アルトの師匠? 少しはおいらにも構ってくれませんかね?」

 

 情けない男の声が漏れたのは、アルト=パウムが再度、瓶を撫でようとしていた時。

 ひくりとアルト=パウムの口角が上がるものの、完全に無視を決め込んで瓶を撫でる。

 けれど、神経の全てを注いだイシェルの方が、声の主とこちらとを交互に見始めたため、仕方なしに左を向いた。

「……なんですか、犬。貴方にアルトと気安く呼ばれる筋合いはありませんよ?」

「や、犬じゃなくて、ジェスクですって。アルト=パウムの師匠、いい加減おいらに詩の一つでも伝授してくださいよ」

 言外にいなくなれと伝えているのだが、察しの悪いジェスク・クルーグは、一番触れて欲しくない方へ、

「なあイシェル、アンタからも言ってく――――きゃぅ!?」

 問答無用で飛んできた紅蓮の塊に、ジェスクは慌てて避ける。

 安堵も束の間、人型の犬と称するに相応しい茶色い毛並みの尻尾から、嫌な臭いと煙が上がる。

 キャウキャウ鳴きながら、ごろごろと地面に転がって鎮火するジェスクは、肩で息をしながら付いた木屑を払った。

「ううう……ひでぇよ」

「黙りなさい、獣風情が。気安くイシェルの名を口にするばかりか、馴れ馴れしく話かけるとは! 今度行えば一瞬で消し炭にします!」

 瓶を庇うように胸元に押し当て、怒りに任せて無詠唱の魔法を使ったアルト=パウムは、自分より大きな魔物に詩で鍛え上げた声量を持って唸った。

 

 静寂の森を抜けてすぐ、前々からアルト=パウムに弟子入りを志願していた、この魔物が合流する。

 イシェルとの二人旅を目論んでいたアルト=パウムは、当然却下するのだが、イシェルがジェスクを珍しがってしまい、こうして同行する羽目になったのだ。

 でなければこんな忌々しい犬魔物、どうして生かしておきましょうか。

 何が忌々しいかといえば、先ほどのようにイシェルとの甘いひと時を邪魔するばかりか、彼女とジェスクはウマが合うのだ、口惜しいことに。

 

「アルト――=パウム、私は別に呼び捨てでも構わないわ?」

 聞き慣れないイシェルからの響きに、アルト=パウムは胸を掻き乱された。

「イ、イシェル!? 貴女はどうか、アルトとだけお呼びください。こんな獣の真似をする必要なないのですから」

「獣じゃなくて魔物ですよぉ?」

 悪い夢だとばかりに捲くし立てるアルト=パウムを、イシェルは戸惑う素振りで迎えた。

「でも、ジェスクは良い魔物だわ。私にだって親切だもの」

「――――!!?」

 必死に他の名を呼んで庇う姿に、半身を抉り取られる痛みを味わう。

 そんなアルト=パウムの様子など露ほど察せず、

「流石はイシェル――の姐さん!助かります!」

 一応はアルト=パウムに気を使ってみたのだが、今の状況では効果は全く期待できない。

 イシェル自身は両手に包んだ瓶にいるものの、ジェスクと示し合わせたかのように交わされる視線が、心底腹立たしい。

 ぎりり……と噛み締められた歯が小さく鳴った。

 不穏な気配に気づきもせず、イシェルは次々ジェスクの良い点を上げていく。

 勿論、アルト=パウムに聞かせるために。

「ええと、それにね、ジェスクは長く生きてるから色んなことを知ってるわ」

 私は犬より生きた時間は短いですが、犬より多くを知っています。

「あとあと、とっても強くて勉強熱心よね」

 私は犬より強くて犬が師事を仰ぐほど勉強しています。

「でね、とても大きいの! 心も体も!」

 愛らしくピョンと跳ねる様に内心で毒づくのも忘れて、アルト=パウムの頭は真っ白になってしまう。

「ほら、背なんか、私より大きいアルトより大きいのよ?」

 一番の長所とでもいうように、ジェスクを自慢げに紹介するイシェル。

 ぷつん、と何かが切れる音が、アルト=パウムの耳に届いた。

『力の名・開幕の鐘・逆巻く風――――』

 ぶつくさと文句の代わりに呪文を唱える。

 小さく紡がれていくそれに、魔力の申し子と称される魔物や妖精が気づいたのは、完成間近の時。

 静止も届かず、動作を一切必要とせずに放たれた魔法は、ジェスクの足元で展開し、柱のような光が立ち昇る。

 悲鳴すら掻き消す轟音に包まれるのに、もう用は終わったとアルト=パウムは背を向けた。

 彼の胸に下げられた瓶の中のイシェルは、抵抗も抗議もできず。

 愕然とした彼女に未だ胸を痛めつつ、

「どうせ私は心が小さくて、背も小さいですよ」

 ぼそりと文句を吐き捨てる。

 

 それから一日も経たず、宥めるアルト=パウムと泣き続けるイシェルの前に、半分の背にまで縮んだジェスクが現れた。

 喜びに涙を忘れたイシェルを認めたアルト=パウムは、了承も得ずに同行者となったジェスクに対し、更に嫌悪感を募らせていく。

 

 


UP 2008/1/7 かなぶん

修正 2008/7/2

 

目次 1話

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