自分で言うのも難だが、私の料理の腕はそんなに悪くない。

 が、もう一つ加えさせて貰えるなら、私の料理の腕はそこまで良くない。

 要は、普通、と言うヤツである。

 

 以前、由美のヤツが、図々しくも人の冷蔵庫から酒を漁ったばかりか、肴を作れと言ったことがある。

 

 従う必要はないのだが、コイツがまた、言うタイミングが狡いというかなんというか。

 丁度私も、酒の肴に何か欲しいと思っていたところだったので、テキトーに炒めて味付けた、大層な名前もない代物を出したところ、

「んー…………遙ちゃんってさぁ、無難、だよね」

 という、非常にビミョーな評価を下してきた。

 これに対し、酒も入っていたせいで、幾らか気が大きくなっていた私は、炒め物の中に入っていたゲソをもごもごやる由美の肩を、てぇいっと脛で蹴りつけた。

 私より小柄でも格闘に関して有段者な由美は、大した抵抗もみせずに転がると、素面でも良いノリに、更に磨きをかけて泣き真似をする。

「あーれー。何を為さいますの、お前様ぁ」

 潤んだ瞳で斜め上にいる私を見つめた由美。

 同性ながら艶っぽい仕草には「おおっ」と思うが、口の端から飛び出たイカ足が、上下にピコピコ動くのはナシだろう。

 ここで白い眼を向けるのは素面の時。

 酒入りの私は、それでも御近所迷惑にはならぬよう軽く、片足をたんっと踏み鳴らし。

「煩いうるさい! 誰のお陰で喰えると思ってるんだっ! そんなに言うなら自分で作りやがれぃっ!」

 びしっと台所を指差しては、胸を逸らして腕を組んだ。

 するとどうした事か、由美は顔を俯かせ、不穏に肩を揺らし始める。

 最初は泣きの演技に入ったのかと思ったのだが、肩の揺れが大きくなるにつれ、笑っているのだと気づき。

「へ、へへへへへ……お客さん、チャレンジャーだねぃ。いいぜ、受けてやろうじゃねぇか。ただし、後悔はナシだぜ?」

 新たな展開を持ちかけてくる由美に、私は自分の役どころを把握し、ごくりと唾を呑んでは、顎の、垂れてもいない汗を拭った。

「あ、ああ。後悔は、しない」

「本当だな? もう後戻りはできねぇんだぜ? 待ったもナシだ。……待ってろよ、地獄を見せてやんぜ」

 待ったナシで待ってろとは此れいかに。

 ともあれ、台所へ向かう、酒のせいではない、妙に覚束ない足取りの背を見送った私は――

 

 後悔すらマジで出来ない地獄を見る羽目になった……。

 

 

呼鈴 中編

 

 

 そんなこんなで話は眼前のハンバーグに戻る。

 香ばしい肉の香りに腹を鳴らしながらも、自分のニオイが気になる私は、どこか上の空でテーブルへこれを運び。

 家族と食事する時はテレビを消して団欒を楽しもう、という世間様の良識を無視、箸を持つより先にテレビをつけた。

 ちなみに、実家でも家族の団欒時にはテレビをつけていたが、無言で画面を見続ける事は、ほぼない。

 姿勢が悪くなる、行儀が悪い等の理由なら分かるけど、団欒時にテレビは御法度、という風潮はどうだろうと思う。

 テレビがないと間が持たない団欒に、消した所で果たして楽しさがあるものなのか。

 まあ、日常の些細なつっ込みどころは放っておくとして。

 いただきます、のその前に。

「……ねえ、変なニオイってどんな感じなの?」

『? 随分固執するな?』

 耐えかねて尋ねる私へ、声の主は不思議そうに言う。

 じ、自分から振っておいて、それはないんじゃありませんか?

 女性の社会進出と比例して増える、アレやらソレやら、今までは男性特有と思われていたニオイの大本を気にするのは、社会に進出しているつもりの私も例外ではない。

 もし自分が、アレだったりソレだったりしたら……

 生きていけない――まで飛躍しなくとも、医師の的確ななんちゃらが必要になるはずだ。

 ニオイというのは、身体から発せられる一種のシグナル。

 一概に、抑えときゃイイって代物でもないのだから。

 ……まあ、部屋に問う理由の大部分は、健康とあんまり関係ない、好きな相手に嫌われたらどうしようというモノなんだけど。

 だけど声の主は、私のそんな葛藤なぞ知る由もなく、相も変わらずペタペタと、頬やら髪やら肩やらに触れつつ。

『はるかが分からないなら良いのではないか?』

「……いや、私の鼻自体が麻痺しちゃってるかなぁ、って思うんだけど」

 あっさりした物言いに、声の主に惚れているとは言えない、まだまだ真っ当な人間でありたい私は、話題の鼻を掻いては視線を逸らした。

 移った視界の先、テレビは夕方のニュースの真っ最中。

 けれども、世の中より自分の内側から発せられるニオイが気になる私は、今一度自分の身体をクンクン嗅いだ。

『はるか……』

 半ば呆れた声と共に、“視線”が宥めるように背を叩いた。

「だって……気になるのよ…………って、駄目だわ」

『どうしたんだ?』

「ハンバーグの匂いが充満していて、自分のニオイが尚更分からなくなってる」

 がっくり肩を落とせば、乗じて、ぐぅ〜、と鳴く腹の虫。

 ニオイより飯、と訴えかける胃を押さえたなら。

『ニオイより先に、ご飯を食べた方が良いのではないか?』

 もっともな指摘に、ぐっと詰まる私。

 元はといえば、全て貴方が悪い、なんて極論に達するまで、時間はそう掛からず。

「元はといえば――」

『お腹を空かせたせいで、お前の具合が悪くなってしまうのは、お前が仕事の間、ずっと待っている時より嫌だ』

 急に被せてきた声の主の言に、意味なく顔が熱くなってきた。

 これを払うように、私は口を尖らせ。

「……具合悪くなったら、待つ必要なんかないくらい、一緒にいられるかもよ?」

『具合が悪いのに無理をさせてどうする。一緒に居られて嬉しくないわけではないが、もしそうなったとしても、私はお前の療養を優先させる。そんな風に引き留められて嬉しがったりしない』

「……一回、遅刻させたくせに?」

『うぐ……そ、それはお前が…………いや。だからもう、お前の言う通り、何もしていないだろう? 遅刻しそうな時はちゃんと起している』

「うっ……そ、その節はお世話になりまして」

 照れ隠し混じりの揚げ足取りを決行したなら、自分が揚げ足を取られて自滅する。

 視線を更に彷徨わせる私に対し、声の主は続けてこんな事を言った。

『それに私は、苦しむお前の姿なぞ見たくない。お前にはいつも、笑顔でいて欲しい』

「う、うん、ありがとう……じゃあ、食べるわ」

『ああ。思う存分、心ゆくまで食べてくれ』

 そこまでの量はないんだけどな、と思いつつ。

 作ったのは私なのに、勧める声の主の言を受け、ニュースから天気予報に代わった画面を横目に、早速箸を取る。

 

 

 

 

 

 食事を終え、一息ついた私は、つけたテレビはそのままに、やはり気になるニオイから風呂へと直行。

 汗臭さはあるものの、変と言われるニオイは感じられず、まさか自分のニオイが変わった!? と焦る事数秒。

 とりあえず全身を丹念に洗い、シャンプーの香りしかしなくなったところで、泡を落として風呂から出た。

 ドライヤーを当てた黒髪を後ろに流し、肩にタオルを羽織っておく。

 黒いタンクトップと短パンという、身軽な格好で居間に戻ったなら。

 突然、ぺたっと顔面に張り付く“視線”。

 たとえるなら、ちゃちなお化け屋敷の釣竿こんにゃくのような。

「……いきなり何すんの」

 生臭くなければ濡れてもいないけど、なんとなく、羽織ったタオルで顔を拭く。

 ちょっぴり屈辱的な気分。

 すると。

 

きゃああああああああっ!!

 

 こんにゃくより唐突に、女性の悲鳴が起こり、思わず鳥肌が立ってしまった。

 何事か分からず、慌てて音源を覗き込んだ私は、そこにあった老婆のドアップと向かい合い。

「なんだ、心霊特集か」

 ほっと胸を撫で下ろした。

 そうしていそいそ、ソファを背にして絨毯に座ると、クッションを手繰り寄せた。

「もう、言葉で言ってくれれば良いのに」

『前に、中途半端なところからじゃ怖さが半減する、と言っていたのはお前だろ?』

「ああ、そういやそんなことも……あ、次のが始まる。……ねえねえ」

『……ああ、分かってる』

 クッションを抱きかかえ、視線を釘づけたまま手招けば、背中を抱え込むように“視線”が降りて来た。

 これに少しばかりリラックスしたところで、画面の向こうが動き始めた。

 私はこういった特集が結構好きである。

 特に暑い日は格別。

 冷たい酒があればもっとオツだと思いつつ、次のCMでは取りに行こうと計画する。

 けれど、決して、得意というわけではなく。

「っ、び、ビックリしたぁ」

 画面上、再現ドラマとやらが展開される中で、薄暗い照明の部屋に微かな人の声がすれば、クッションをぎゅっと握り締めた。

 この手の再現ドラマは、演出が上手いのか、次に何か来ると分かっていても、驚いてしまうものである。

 なので、見ている時はついつい、最初から最後まで見てしまうのだが。

「うわっ……」

 何者かが、登場人物の死角から腕を触るカットに、自分の腕を擦る。

 次いで、背中を覆う“視線”に擦り寄るよう動けば、肩が軽く叩かれた。

 緊張を解すそれにほっと一息ついたなら、その緩みを待っていましたとばかりに、部屋の電気が勝手に消える。

 ビクッと大きく反応した矢先、部屋に笑い声がこだまして。

「っ!」

 これまた絶妙なタイミングで、おどろおどろしい女が登場人物の背後から現れた。

 そして画面上に慄く登場人物のアップが映され、目をぎゅっと瞑ると暗転。

 場面が切り替わり、後日談が淡々とした口調で流れていく。

 これが都市伝説なら登場人物は生きていなかったりするモノだが、投稿者がいる以上、大概生きているオチなので、私は小さく息をついた。

「ふぅ……あ、CM。酒、酒っと。確か、チューハイがあったような」

 CM明けが来る前にと、“視線”を背負ったまま、いそいそ冷蔵庫へ向かう。

 思った通りにあった缶チューハイを手にし、これをグラスへ移した。

 冷え具合は中々のモノ。

 ほくほくした気分で、元の定位置に私が座れば、不思議そうな声がもたらされた。

『……なあ、はるか?』

「ん、なぁに?」

『今の話…………怖かったか?』

「んー、それなり?」

『……どの辺が?』

「え、だって、誰もいない部屋から声が聞こえて来るんだよ? 目には映らないのに、身体に何か触れてきたりさ。電気も勝手に消えるなんて……自分の身に置き換えたら怖いじゃない。うう、やだやだ。想像したら気持ち悪くなってきた。夢に出てきそうだわ」

『…………』

 怖い話は、終わった後が大変だとつくづく思う。

 視界を閉ざした瞬間、何かがいるんじゃないかと勝手に想像が働いてしまうのだ。

 じゃあ、見なきゃいいと言われそうだが、怖いもの見たさで見てしまうのが、人間の悲しい性と言うか何というか。

 まあ、その怖さも一夜明かせば、なんのその。

 とりあえず今は、チューハイ一口、頭を軽く振っては、不穏な想像力を払い落とし。

「……どうしたの?」

 背中とは別に、髪を弄くる“視線”を知った私は、テレビの上をテキトーに見つめて問う。

 答えに応じる声は、考える風体の後。

『いや…………………………何か、可笑しくないか?』

「? 何が?」

 言いたいことが分からず、髪に落とされた“視線”へ手を翳した。

 触れると質感がなくなってしまう“視線”。

 かといって私から“視線”に触れる事は出来ない。

 なので、この手の位置は、私の思い込みで出来ていた。

 手と髪の間に、“視線”があるという思い込み。

 時折、私から触れられたらと思う時がある。

 低い声に似合わず、子どもっぽい拗ね方をする時に、あやしたり宥めたり、言葉だけではなく行動で示せれば良いのに、と。

 今でも恐々と触れてくる事があるから、たまには私から、大丈夫だと伝えたかった。

 貴方を拒んだりしない、と。

 ……病んだままでいたくないという理由から、引っ越す考えは変わらず持ち続けていても。

 だから、触れる代わりに翳す。

 そんな私の気持ちが伝わっているのか、声の主は最初から何も言わず。

 今日に限っては、髪から離れた“視線”が、翳した手に重ねられていく。

『お前は……怖くないのか、私が』

「え、何で――――って、あ、次の話が始まったわ」

 静かに、という代わりに、翳していた手をクッションへ回せば、背後の“視線”が腕を肩から回すように伸びていった。

 不可思議な“視線”に抱かれ、眼前には怪奇現象を見つつ、こっそりと私は思う。

 何も可笑しなことはない。

 そりゃあ、最初は幽霊の類を疑って、無謀にも今思い出しても鳥肌モノの気持ち悪い輩を招き寄せてしまったけれど。

 アレを追っ払ってくれたのは、助けてくれたのは、間接的に彼(?)で。

 私を傷つけるどころか、守ってくれる相手を怖がる理由なんて、在りはしないのだ。

 どこにも――

 

しゃんっ

 

 その時、私の耳に微かに聞こえて来た鈴の音。

 驚いて顔を上げ、テレビへ意識を戻したけれど、そんなシーンでもなく。

 思わずキョロキョロ辺りを見渡した私は、特に変わった形跡のない室内に、空耳かと納得して、もう一度、視線をテレビに戻した。

 私の不審な行動に、何も言わない声の主を訝しむ事もなく――

 

 


2009/8/11 かなぶん

修正 2009/10/29

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