白いドレスに白いヴェール。

 婚礼衣装に包まれた姿はまだ幼さを残す黒髪黒目の少女。

 椅子に腰掛け伏し目がちにその時を待てば、来訪を告げるノック音。

 反射でビクッと震える己に苦笑を浮べた彼女は、大丈夫だと自分に言い聞かせるように緩く首を振った。

 手にしたブーケを握り締め、息を整えては返事をし。

 けれど現れたのは彼女が思っていた姿と違い、いつかの日、王宮の庭に現われた魔術師。

 驚く彼女に、世界で知らぬ者は誰一人としていない魔術師は、しかし、あの日と変わらないどこか頼りない笑みを浮べて会釈を一つ。

「こんな時にお伝えするのも難ですが――」

 そう、切り出した。

 

 

帰宅のいろは

 

 

 

 本筋へ入る前に少しだけ、少女のこれまでの経緯を語ろう。

 

 彼女は、所謂異世界とやらに召喚された、比較的早く新しい環境に順応できる、極々普通の高校生であった。

 特別容姿が優れているわけでも、特別運動神経にずば抜けたものがあったわけでも、昔から不思議な力が備わっていたわけでもない、そんな彼女が召喚された場所は、とある王宮の塔の一角。

 求められたのは異なる世界の人間の血。

 要は、誰でも良かったという話だった。

 そんな事を突然言われて納得できる人間など、そうそういない。

 元より、彼女が扱う日本語とその世界の住人が使う言語は、あまりにも違っていた。

 語学に堪能だった憶えのない――どころか、日本語以外を苦手とする彼女に、その言語を理解する時間はなかった。

 仮にあったとしても、理解しようとする気さえなく。

 すると生じるのは言葉の壁よりも前の、力による抵抗である。

 相対するは屈強そうな兵士、賢い選択ではない――後に彼女自身そう思ったが、かどわかされたも同然の状況下、んなこた言っていられなかった。

 無論、勝敗は歴然。

 加えて彼らの目的自体、彼女の血だったものだから取り押さえられ方はかなり乱暴で、気づけば骨を数本折られたばかりか顔まで殴られてしまっていた。

 鼻からどろりと流れる生温かい液体に続き、口内に広がる痺れるような痛みと生臭い味。

 反射で涙が溢れ出ては、嗚咽に乗じて吐き気が喉をつく。

 かといって、従順になる彼女でもない。

 もしも場所が見知ったモノであったのなら、暴力の波が早く過ぎる事だけを祈っただろう。

 けれど、こんな風に扱われた経験などなく、見知らぬ場所から逃れられるかも分からない今、自分の命は自分で守るしかないのだ。

 大人しくなった矢先にザックリやられては堪らないと、取り押さえられながらも隊長格と思しき兵士の甲冑を睨みつける。

 ――が、彼女はどこまでも普通の高校生。

 鍛えられえた強靭な精神や肉体を持った事は一度たりとてないのだから、心身共に極限状態の中で保てる意識は在りもせず。

 ぷつり、世界が暗転。

 そうして目覚めた彼女を迎えたのは、先程とは打って変わった豪奢な部屋。

 傷ついた身体も夢だったと思うほどに痛みはなく、恐る恐るベッドから降りれば、共におちる肌触りの良い寝間着。

 けれどこれを見た瞬間、彼女はざわりと鳥肌を立たてて己の身を抱いた。

 自分で着替えた覚えがないのだから、当たり前だろう。

 身体自体に違和感はなくとも眩暈を来たす気分の悪さに吐き気を催せば、重厚な扉からノック音。

 出来る返事もなく、逃げ場を探してカーテンに隠れたなら、そのタイミングで西洋の中世時代を髣髴とさせるメイド姿の娘と銀髪銀眼の男が現れる。

 もぬけの殻のベッドを見るなり色を変えた彼らは、口々に彼女を探し求める言葉を紡ぐ。

 どう見ても言語の通じない容姿であるはずなのに、今度ははっきり分かる言葉に一瞬惚けた時、男が彼女を見付けた。

 あからさまにほっとした表情を浮かべる男に対し、つられて思わず肩の力を抜きかける彼女だったが、「大丈夫か?」と気遣わしげに問うてくる声を聞いてはあらん限りの悲鳴を上げた。

 何が大丈夫なものか。

 声を掛けたこの男こそが、彼女が睨み続けていた隊長格。

 酷い手傷を彼女に負わせた相手だったのだ。

 甲冑の中身と声とが一致した瞬間、彼女は持てる力の全てで男から遠退こうとしたが、余程鈍いのだろう、男は理解できないという顔つきで彼女の腕を捕らえた。

 瞬間、彼女の意識はふつり、途切れてしまった。

 再度目覚めた時、彼女の前には女が一人。

 神官だというこの女は、彼女が召喚された経緯や兵士たちが血を得るために行った暴力への謝罪、この世界について知り得る限りの情報を彼女に伝えてきた。

 最初は頑なに拒んだ彼女であったが、流石は神官とでもいうべきか、徐々に話を受け入れさせていく。

 こうして言葉が通じるようになった事の説明も、物語の中でしか見聞きしない魔法を使ったからだと知った。

 加え、元の世界に戻るのは難しいという事も。

 そんな彼女に対し、周囲の人間はただひたすらに優しかった。

 神官からの謝罪で夢ではなかったと分かったあの痛みが、魔法によって癒された時のように。

 まるで全てをなかったかのように振舞おうとする態度は、彼女に不快だけをもたらしたが、彼女は決してそれを表には出そうとしなかった。

 しても孤立するだけ。

 無駄な行為だったから。

 普通の高校生でも、否、学校という閉じられた空間にいた経験があったからこそ、彼女は内面をひた隠しにして彼らと交流を持った。

 あの隊長格の男――実際は少女より一つ年下だという少年さえ、表面では許してみせた。

 本当は視界に入って欲しくないほどの恐怖を感じていても。

 だがしかし、誰にも本心を打ち明けられない状況は、彼女の中に段々と別の感情を刷り込ませていく。

 どれだけ頑なになっても、この世界でしか生きられないのならば、妥協を見つけ折り合いを付けていかねば身体が持たないからだ。

 彼女の中に生まれたその感情、仮に愛着とでも名付けようか。

 感情を間に挟めば途端に色を変える世界に辟易しながらも、笑顔を取り繕えるようになった頃、隊長格のあの少年は彼女の前で膝をついた。

 なんでも、プロポーズだとか。

 無論、笑顔を見せるようになったからと言って、少年への嫌悪感や恐怖が完全に拭いさられるはずもなく、彼女は何度も拒み続けた。

 この世界でも珍しい銀髪銀目の少年は、そんな自分から目を逸らさず普通に接してくれる彼女に惹かれたのだとのたまうが、熱っぽく語られたところで知った事ではない。

 けれどもあまりにしつこく求婚を受け続けた彼女は、次第に少年へ同情するようになった。

 重ね、少年と友人であるという若き王の耳にその話が入ったと聞いた事もあり、彼女は溜息と共に観念する。

 そして後日、王に謁見した彼女は、婉曲な部分は多少見受けられたものの、王から直々に少年との結婚をほのめかされてしまった。

 断われる、はずがない。

 身寄りのない異世界で地位ある相手からの求婚を拒み続けていられたのは、偏に、彼女の背後に王がいたからだった。

 でなければ今頃、優しかった人間も彼女に不信感を持って接していただろう。

 齢の割に少年の地位はそれくらい高く、反面、彼女の地位などこの世界のどこにも存在しないのだから。

 その王が結婚を促す。

 本人は促しただけのつもりであっても、また、周囲もそうとしか捉えていなかったとしても、彼女にとって意味するところは絶対服従の命令。

 出来る事は、結婚の相手がまだマシな方だった、という妥協点探しだけ。

 王宮以外にこの世界を知らない彼女では、一人では決して生きていけないだろうし、王宮に残ってもある年齢以上の女は大概結婚している。

 どちらにせよ、一生独身で貫き通すのは無理且つ無謀だった。

 それに、と彼女は思った。

 相手がどんな胤であれ、己の胎で育んだ子どもは紛れもなく、この世界で唯一の彼女の肉親。

 まだ孕んでもいない子どもに想いを寄せるのは間違っているかもしれないが、早くその顔が見たかった。

 結局のところ、妥協はしていても根底で納得などしていなかったのだ。

 足掻いた所で異世界の人間、目的がどれだけ崇高であろうとも、当人にしてみれば戯れに連れられ冷遇され、かと思えば優遇され――そして戯れで捨てられる可能性さえある。

 彼らがこの可能性を幾ら否定しても、好き勝手に処遇を扱われている真っ最中の彼女に受け入れる謂れはない。

 だからこそ、彼女は子どもを望み、だからこそ、彼女は少年の求婚を承諾した。

 少年は柄にもなく顔を綻ばせて喜び、彼女はそんな彼の姿にただただ同情した。

 少年の方には彼女への愛があったとしても、彼女の方には彼への愛などなかったから。

 必要さえあれば老若男女問わず、彼女が最初に受けた類の暴力を平然と行える相手。

 人間でも生き物でもない無機物を扱うに似た態度は、口付けと抱擁を交わす熱を持ってもなお、彼女の凍てついた心を軟化させる事はなかった。

 全ては妥協と現実を鑑みた末の結論。

 まだ見ぬ我が子にだけ捧げる愛情を抱く彼女にとって、少年は単なる道具でしかない。

 血を得るためだけに召喚された彼女のような、そんな道具でしか――。

 

 以上が、彼女が通ってきた過去の経緯である。

 そしてこれからが本筋。

 彼女――狩谷未来(かりや みく)が選ぶ“未来”の話である。

 

 


UP 2010/2/1 かなぶん

修正 2010/2/22

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