帰宅のいろは
この世界の魔術師の定義は、先天的にその身に精霊を宿している、という一点にあるそうな。 かといって、精霊が宿るのは魔術師だけという話でもなく、契約・交渉を図ることで後天的に宿すことも可能であり、こちらは神官等の聖職者として扱われる。 では、魔術師と聖職者、先天と後天、同じ精霊を宿しても一般的に対極に位置する彼らの違いとは何なのか。 それは精霊の力を喚起して強力な魔法を行使する際の、状態変化の度合いにあった。 ある程度の知識と常識、年齢を兼ね備えた後天的宿主の場合、内なる精霊と折り合いをつける事が出来、よって発動時には精霊の神秘性と宿主自身の人格を融合させた、厳粛な雰囲気を持つようになる。 対し、先天的宿主の場合は人格形成が為される前に精霊の恩恵を受けるため、発動時の威力は後天より勝る反面、精霊の影響を諸に受けやすくなり――
結果。
“ハーハッハッハッハッハ!! 踊れ踊れ踊れ! 遊べ遊べ遊べ! 邪魔を許さず、入る邪魔は滅して永久に永久に永久に!!” 「イロハ……性格変わり過ぎ」 時間を取り戻した事で、慌ただしくなる周りの音を耳にしながら、イロハの変わりように未来は呆れながら笑う。 この一年の間で魔術師と聖職者、両方の魔法の行使を見た事はあったが、ここまで性格が変わる者はいなかった。 これはイロハの中の精霊が、他に類を見ないほど強靭である事を示している。 ついでに、ここまでの変化を体感しようとも、永い時を生きて来られたイロハの精神が、揺るがぬほど強いということも。 白い線だった魔法陣は現在、イロハの魔力に反応して鮮やかな金の光を立ち昇らせており、併せて吹く風は中央に佇む未来の髪をふわふわ揺らして遊んでいた。 先程まで髪を纏めていた紐が、同じように宙に舞う姿を横目に、イロハを見つめる未来は思う。 大丈夫……きっと。 こんなに強い力を持つイロハだったら、すぐに出会えるはず。 すぐじゃなくても、何年掛かったって、イロハなら大丈夫だわ。 一度でも私みたいに面と向かって話せるヤツがいるって分かったんだもの。 きっとまた、会える。 私ではない、でも、私以上にイロハと親しくしてくれる人と―― “未来さん” 「へ?」 金色の光の中、知らず知らず落ちていた視線を上げた未来は、今し方聞こえた“声”の主を追って、魔法陣の外にいるイロハを見やった。 しかしトリップ状態に陥っている彼は、自立する杖の前で両腕を大きく天井に向けて伸ばし高笑いしており、ちらりともこちらへ視線を寄越してこない。 気のせい……? それにしては、随分とはっきり聞こえたものである。 首を数度傾げて目を瞬かせ、やはり空耳だったと頭を緩く振ったなら、 “未来さん” 「……ん?」 またしても名前を呼ばれて未来の眉根が寄った。 一度ならず二度までも。 ……ここに来て、変な病気に掛かった、とかじゃないでしょうね? しかもこの世界でなければ治せない類の。 じわり、脂汗が背中に滲む。 顔を引き攣らせた未来は、そうすれば幻聴が出てくるとでもいうように、耳に手を当てては頭を傾かせ、ポンポンと軽く叩いてみる。 が。 “未来さんってば” 「うぅ……幻聴? まさか年って事はないわよね……」 二度あることは三度ある。 せめて三度目の正直で治まって欲しいと思ったなら、未来の苦悩の時間を妨げるように、もう一度。 “未来さん、聞こえていますよね?” 「…………」 仏の顔も三度まで、とは言わないが、やはり聞こえて来る“声”に、観念したような溜息が未来の口を出ていった。 最初は名前呼びや穏やかな口調、魔術師独特の発声法から、イロハが呼んだものと思ってしまったが、眼前の彼はいつもの自分を見失っている。 加えてイロハの“声”は、フードや外套で顔や身体の線を隠していても性別が男と分かる代物だが、先程から未来を呼ぶ“声”には男女の区別がなかった。 どちらでも通じるような、どちらも違うような、そんな不安定な“声”。 しかも口振りから推察するに、未来の反応を確かめているようで、近くにいる雰囲気さえ漂っていた。 そんな相手を探すため、未来はそれとなく辺りを見渡す仕草で、ありんこ一匹逃がさないつもりの視線を投げようとし。 「!」 “やっと、気づいてくれましたね” 即行で相手が見つかったなら、悲鳴をごっくり、空気ごと丸呑みにした。 次いでその相手に向かって手を伸ばすと、腹に指を突き刺してぐるぐる回してみた。 相手は痛がる素振りもみせず、くすくす笑っては身をくねらせ。 “ふっ……くっ、ふふふふふ。や、止めてください。すっごく擽ったいです” 「な、何なの、あんた」 言いつつ手を止めた未来は、それを己の方へ引き寄せるとまじまじ見つめた。 確かに腹に突き刺さったはずなのに、ぐるぐる回したはずなのに、何の感触も残っていない指。 残っていれば残っていたでかなり気持ちの悪い話ではあるが、問題にすべきところはそこではない。 今一度、自分の手から相手へと視線を移した未来。 その姿の向こう、金色の膜の奥に高笑いする魔術師の姿を捉えたなら、未来と彼との間にある口元が笑みに綻んだ。 その、半透明の金色の姿で。 “初めまして、で良いのでしょうかね? わたくしは前からアナタを知っているのですが” 「っと、幽霊?」 “違います” 自己紹介の出鼻を挫かれたせいか、柔和だった表情が一気に不快を示して歪んだ。 金色の光で形成された性差のはっきりしない長い髪の佳人は、余程幽霊呼ばわりが気に喰わなかったのだろう、つんとそっぽを向いてしまう。 “折角、良い事をお教えしようと思いましたのに。もういいです。絶対に教えて差し上げません” 出会って早々、だいぶへそを曲げてしまったらしい。 けれども何の事かさっぱり分からない未来は、検討のつかない“良い事”に加え、相手の高飛車な言い草が気に入らず、正体不明の存在に対する怯えを一時取り止めると、吐き捨てるように言葉を返した。 「あっそ。勝手にしたら」 “な、何て傲慢な! 教えて差し上げようという、わたくしの親切心に対して!” 「だってあんた、教えてくれないって言ったばかりじゃない」 “うぐっ。ふ、普通そこは、気になって仕方がないってなるはずじゃありませんか!?” 「って言われてもねぇ。ほら、言いたくないって言うのに、無理強いしちゃ駄目じゃない? それに悪いけど、見て分かる通り取り込み中なの。私のせいでイロハの気が散っちゃったら申し訳が立たないっていうか」 半透明の身体をいい事に、相手を素通りしてイロハを見つめる。 世に聞こえる邪悪なる魔術師の忌み名の通り、完全にイった顔つきで鋭い犬歯までもちらつかせながら笑うイロハの姿に、けれど未来は怖れるどころか慈しむにも似た微笑を浮べた。 未来とて普通の感覚の持ち主、イロハのフード下の容姿に思うところは多々あれど、その心根を図れば否応なしに胸が熱くなってくる。 「……イロハは、そりゃ元凶だったかもしれないけど、ほとんど関係ない私のために、私が帰る方法を見つけて、そして実行してくれようとしているの。あんたが何者で、何を教えたいっていうのかは知らない。でも、イロハの邪魔はしないで頂戴」 “じゃ、邪魔……言うに事欠いて、わたくしが、我が友の、邪魔……?” 「へ? 友?」 ショックを受ける相手の言葉に丸くなる目。 イロハから、友人と呼べる相手は殺されてしまった魔物たちだけだ、と聞いていた未来は再度、泣く一歩手前の顔つきとなってしまった半透明の相手を見やった。 しかして相手はこれに気づかず、いじけた素振りで口を尖らせ下を向く。 “それはまあ、彼には“声”すら聞こえませんから、友というのは半分願望みたいなものです。でも……今だってこんなに尽しているのに、邪魔だなんて酷い。あんまりです……” 言うなり両手で顔を隠すのだが、いかんせん、半透明なのが災いして、泣き顔がはっきり見えてしまった。 目まぐるしく変わる様子に困惑しか返せない未来は、とりあえずこれまでの会話から相手の正体を推測する。 前から未来を知っており、イロハを友と呼んで今も尽している。 そして魔法陣上を包む金色の光と同じ色彩で象られた、半透明の姿。 「えっと……あんたってもしかして、この魔法に呼ばれた精霊?」 “はい、そうです!” 指を差して確認したなら、やけっぱちに顔を上げた精霊が喧嘩を売るように頷いた。 あまりの勢いに気圧され一歩後退しかけた未来は、魔法陣を踏まないよう気をつけて態勢を立て直す。 そうして改めて精霊を見据えると、泣くのを中断したらしい精霊が、見目麗しい容姿を台無しにする音量で鼻を啜った。 妙に人間臭い精霊である。 本来であれば敬ったり警戒したりするのだろうが、話で聞いてきた精霊とは違う、随分とかけ離れた様子に何やら既視感が生じた。 ……ああ。誰かに似ているなぁって思ったら、まんまイロハじゃん、コイツ。 容姿はかなり違うが、イロハと出会い、後にその正体を知った時の脱力感が未来を襲ってきた。 邪悪なる魔術師とは程遠い、腰が低く押しに弱いイロハと、峻厳たる存在とは言い難い、感情豊かな精霊。 人の噂って当てにならないなー、という感想が出てきても無理はない。 けれど未来は賢明にも口を噤んで思いを吐露せず、代わりとばかりにハンカチを噛む勢いで精霊が悔しそうに言う。 “それなのに、それなのにっ! 幽霊の次は邪魔だなんてっ!” 「あー……確かに言い過ぎたわ。御免なさい。謝るから許してくれない、かしら?」 ヒステリックに叫ぶ精霊の様子から、無理っぽいなと内心では思いつつ手の平を合わせて謝罪のポーズ。 すると精霊、コロッと表情を最初の微笑みに変えては、ニコニコ嬉しそうに言った。 “はい、良いですよ” 「……そ、そんな簡単に? いや、面倒じゃないのは良いけど」 “? 良いのならばそれに越した事はないはずでは?” 「うん、まあ……」 拍子抜けするほどあっさりと機嫌を直した精霊は、すんなり受け入れられて納得がいかない未来を不思議そうに見つめた。 だがそれも束の間の事。 はっと何かを思い出した風体で、精霊が自分の背後にいるイロハを振り返った。 ――身体越しに見た方が早いんじゃないか、と未来が思ったのは内緒である。 兎にも角にも、仮にも精霊、尋常ならざるイロハの様子を見て恐れを為したわけでもないだろうに、慌てて未来に視線を戻すと彼女の両肩に手を置き、ぐらぐら揺れ始めた。 たぶん、肩を揺すっているつもりなのだろうが、未来の手が精霊に触れられなかったように、精霊もまた未来には直接的に触れないらしく、未来に感じられたのは擽るような風の動きだけ。 それでも伝わる必死さに未来が小首を傾げたなら、切羽詰まった様子で精霊が叫んだ。 “お願いします、未来さん! どこにも行かないで下さい!” 「なっ」 思わずドキッと鳴ってしまった心臓。 薄っすら頬が赤くなったのは決して気のせいではない。 こ、コイツ……姿形は全っっ然っ似てないくせに、イロハに似過ぎだわ。 まるで彼から直接懇願された気分の未来は、頭を振ってコイツはイロハではないのだと自分に言い聞かせる。 反面、むくりと沸き起こった疑惑をそのままぶつけてみた。 「ねえ、あんたって……イロハの中の精霊?」 だとしたら、精霊の言葉はそのままイロハにも直結している事になる。 先天的に精霊を宿すとは、身体が人間であっても、精神は人間と精霊とが入り混じった、いわばハーフに当たる状態を指す。 人間が隠したがっている本心を精霊が勝手に暴いてしまうという例も、この世界では度々起こっているらしい。 もしもこの疑惑が当たっていたなら…… 帰還まっしぐらだった意識が急にぐらつき始め、未来の瞳に戸惑いが宿ってしまう。 が、“どこにも行かないで”と言った精霊は、これを真っ向から否定する形で首をぶんぶん、有りっ丈の力を込めて横に振った。 “ち、違います! 冗談じゃありませんよ! あ、あああああああんな、あんなケタ違いの化け物、どうすればわたくしと被るのですか!?” これまた素っ頓狂な声で抗議する精霊。 友とまで言った相手の中の精霊を化け物呼ばわりする神経は分からないが、外れた疑惑に未来はほっと息をついた。 次いで、先程から一人で騒がしくしている精霊に、いくらトリップ中とはいえ、全く気づかないイロハが気になってきた。 そういえば先程、精霊は自分の“声”すら彼には届かないと言っていたのを思い出す。 ……あれ? じゃあなんで、私にはコイツの“声”どころか姿まで分かるのかしら? いい加減に召喚された自分を知っているため、まさかこの段階になって特別な存在だった、などというオチはないだろう。 あったら――責任者をボコボコに殴り倒してやりたいところだわ。 空想の中で指をバキボキ鳴らしつつ、表ではそんな内面をおくびにも出さない仕草で首を傾げる。 「じゃあ、どうして? 行かないでって何? 私にシェイベルムと結婚しろって言うの?」 最後は胃の腑に込み上げてくる不快感から、ぐっと低い声で言い放つ。 諦めで結婚しようとした相手、帰る事が出来る今となっては、以前の嫌悪感が未来の心に絡み付いていた。 否、元からこの感情は未来の中に在った。 諦めざるを得ない状況から自己を守るために、麻痺してしまっていただけで。 自分で言った言葉に怯え、自身を両腕で抱いたなら、またも慌てて精霊がぶんぶんと首を振った。 “ち、違います! そうではなくて……ですから最初に申しました通り、未来さんにお教えせねばならないことがあるのです” 「何だか歯切れが悪いわね? すぱっと言いなさいよ、すぱっと」 すっきりしない言い草に、怯え損だったと腕を組む形に変えた未来は精霊を睨みつけた。 すると精霊は不満そうに口を尖らせ、未来を見ずに横でぼそりと呟いた。 “謝ったくせに……どうしてこうも偉そうなのでしょう” 「聞こえてんだけど」 偉そうと言われて否定する気はないが、この性格は未来のせいばかりとは言い難い。 無論、元来お淑やかだったとまでホラを吹く気はないが、偉そうな口調はこの世界に来てから身につけたものだ。 内心の恐怖をひた隠し、虚勢を張り続けていた名残。 元の世界に帰るならば是が非でも治したい癖だと未来は思い。 「……って、何で私、あんたの声が聞こえてんのかしら?」 “ああ。それは未来さんの存在がここと向こうの境にいらっしゃるからです。わたくしたち精霊は、そういう曖昧な境界にいますので” 「ふぅん?」 今更ながらの質問に、精霊は愚痴を忘れた風体で丁寧に答えてくれた。 残念なのは返事はしたものの未来が全く理解していない点だろう。 自分から振った些細な疑問は忘れ去った未来、改めて精霊が何を教えようとしていたのかと問い掛けた矢先。 「カリヤ!」 「げっ、シェイベルム。もう来たんだ……」 話題には出ていてもすっかり忘れていた存在が、外開きの扉を一気に開け放って現れた。 仰け反りかける未来の姿を視認したエリエルドは、あからさまにほっとした表情を浮かべるが、ゆっくり振り向くイロハを目にしたなら、瞳の銀に負けないくらい美しくも冷然とした刀身を彼へ向けた。 「殲滅の魔術師……私の妻に何をする気だ!」 未来より一つ年下とは思えぬほど、よく通る声がイロハを射抜く。 まだ妻じゃない! と叫ぶ前に、「殲滅の魔術師」というイロハの通り名の一つを耳にした未来は、思わず噴出してしまいそうな自分の口を慌てて覆った。 に、似合わない! 似合わないけど、こんなシリアスな場面で笑っちゃ駄目! こちらの世界の歴史は、ファンタジー物を読む気分で知っているものの、話の中の魔術師と自分の眼で見たイロハには違いがあり過ぎた。 未来が召喚される原因となった呪いの前科もあるため、全部が全部イロハのせいではないとは思わないが、通り名の仰々しさはいかんともしがたく。 場違いな異世界の少女の笑いを余所に、自称・彼女の夫と対峙した公認・邪悪なる魔術師は、嘲りとも苦笑ともつかない形に口元を歪める。 “何、ですか……ふふふ。何をしようとしているように見えます?” イロハの語りが届いたなら、堪えていた笑いを消した未来が不可解だと眉を寄せた。 「……イロハ?」 どうしてあんなに、挑発的な言い方をするの? たっぷり含みを持たせた口調は、魔法が完成するまでの時間稼ぎのようにも思えるが、ただ単にエリエルドを焚きつけているようにも見える。 案の定、普段は年相応でなくとも若いエリエルド、見た目はどうあれ老獪と評して間違いはないイロハへの視線を、殊更危険なモノへと変えていった。 この様子を目にした瞬間、未来はぞっとした。 今のエリエルドの眼光は何度か見た事があり――対峙した者は大概、呆気ない幕切れを迎えている。 彼が剣を納めて骸と化した相手に背を向けるまで、一部始終を見ていても、それを理解出来ないくらいに呆気なく。 頭の中で再生される機械的なエリエルドの動きに視界が揺らげば、これを邪魔するように金色の精霊が顔を突き合わせてきた。 驚きに瞳だけが見開かれたなら、捨て置かれたせいか少しだけ剥れた精霊が、目だけで後ろの二人を指し示す。 正確には、イロハだけを。 “もう時間がないので簡潔に言いますね! 我が友、貴方が名をつけた彼、貴方を送り出した後に生きていくつもりがないんです” 「……え?――――はあ!? な、ちょっと待って! それってどういう」 “どういうって、それは…………あ、駄目。時間です” 「ちょっ!?」 宣言と同時に精霊の姿が金色の光に霧散していく。 不吉な言葉だけを残して消えた相手を追いかけ、宙を掻いた手に光が絡みついたなら。 「わっ」 魔法が完成したのだろう、魔法陣の中の金の光が均一に満ちていった。 眩い光の洪水に手を翳す未来。 その先に薄っすらと、イロハのどこかしら満足げな微笑を認め。
――プチッと何かの切れる音を耳にした。 |
UP 2010/3/16 かなぶん
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