お守りいろは
花壇が並ぶ広場のベンチの一つに、食事中の友人二人の姿を見つけた未来は、その内、美紀の紙パックのお茶を攫うと、彼女が声を上げる間もなく口一杯の一口を吸い上げた。 「ぶはっ! 生き返るぅー!!」 そのまま「はい」と美紀に戻せば、もう一人の友人・相沢未沙(あいざわ みさ)が、太い黒フレームの分厚い眼鏡をぐっと押し上げて不敵に笑った。 「クーちゃん、道真公と関節キッス」 「誰が学問の神よ!」 「そうそう、頭悪いのにねぇ」 「あんたね」 美紀の睨みが未沙からこちらへ向かってくるのを横目に、その隣へ腰掛けた未来は、弁当を広げながら深い息をついた。 「いやあ。それにしても、恋に飢えた女の子は怖い怖い」 「お疲れー」 「お、さんきゅ」 美紀を挟み、未沙が紙パックのお茶を渡してくる。 美紀から奪ったのと同じ銘柄へ、早速ストローを差した未来は、一口飲むとしみじみ息をついた。 「あー、生き返ったっと。さぁて、お弁当を広げますかー」 「おいコラ、未来」 「ん? 何?」 「私のお茶」 「うん、美味しかった。ありがとう」 「…………」 にっこり笑って礼を言えば、何か言いたそうな顔をしたものの、結局黙ってしまう美紀。 茶髪が掛かる彼女の頬に、少しだけムスッとした膨らみを見つけたが、それには触れず、開けたばかりの弁当へ箸をつける。 「ったく。朝のしおらしさはどこ行ったのよ」 ブロッコリーを一口齧れば、美紀のぼそっとした声が聞こえて来た。 痛いところを衝かれ、ぐっと詰まりそうになった未来は、聞こえていませんよ、のフリで何とかもぐもぐ。 すると今度は美紀の向こうから、不思議そうな未沙の声がやってくる。 「そういえばクーちゃん、どうしたの?」 「何が?」 「姿勢。すっごく綺麗。座る時もそうだけど、歩く時も、思わず押し倒してしまいたくなるくらいだよ?」 「確かに。変な評価はさて置くとしても、未来の姿勢が昨日と今日でがらりと変わっていることは、私も認めるところではある」 「そ……かな?」 言われても分からない未来だが、原因には思い当たるところがあった。 そっか。あっちの礼儀作法って、こっちでもある程度通用するんだ……。 今ではすっかり身に付いてしまったもの、思わぬ土産に面倒な気分に陥った未来は、それとなく友人二人の動作を目の端に入れた。 ……全然気にしていなかったから分からなかったけど、改めてみると結構酷い姿勢だわ。 未来の受けていた礼儀作法が当たり前だった、異世界での生活。 懐かしむ気持ちは欠片もなかったが、あちらの方が確かに皆、姿勢は綺麗だったと静かに首を振った。 と、そんな未来の失礼な感想など知る由もない美紀が、にやりといやらしい笑みを浮かべてきた。 「さては男が出来たな」 「……え?」 姿勢についてアレコレ考えていた未来は、前後の会話が繋がらずに目を丸くする。 これをどう受け取ったのか、キラーンと目を光らせた美紀の横から、未沙がにょきっと顔を出した。 「おやおや。何とも探りを入れたくなる反応ではありませんか」 「ふむふむ。昨日、家に来た時は普通だったわね」 「ほおほお。ということは、道すがらにばったりと、運命的な出会いが?」 「ううむ。そんなイイ男、この辺に転がってたかあ?」 「いや、少なくともイイ男ならほらここに、その親類が」 「おおー。うん? ってことは何? あのお兄様方に慣れている未来が見初めてしまうほどの、人類的に在り得ない、更に上の男がいるってか!?」 「おお!? 言われてみればそうね、その通りね!? 何それ、ちょー見たいんですけど!!」 未来を一人置いてけぼりに、勝手に盛り上がる友人二名。 ああ。昨日と今日で劇的に変化していたら、恋に直結ってわけか。短絡的だわ、二人とも。お陰で説明楽になりそうだけど。 未来の身に突然降りかかった――と彼女たちは思っている、しおらしい態度と姿勢。 ともすれば、直球で理由を探ってきそうな二人が、見当違いの妄想を働かせてくれたお陰で、異世界に一年いたんだー、とは言えない未来の苦労がなくなった。 なればこそ未来は、最大限、これを活用した話を捏造する。 タイミング良く、好奇心たっぷりの二対の目がこちらを見たなら、嘘くさくない程度で溜息をついた。 「おおー」 「では、やはり?」 向けられる架空のマイクに、身体を少しだけ引いた未来は、しばらく沈黙を保ち、逡巡を偽ると、仕方ないなとばかりに言った。 二人が勘繰る男の影に、彼の魔術師を当て嵌めながら。 「はいはい、そうですよ。お二人の言う通りです! あ、でも、言っとくけど、彼氏とかじゃないからね? 好きは確かに好きだけど、そういうんじゃなくて、もっとアットホーム的な」 「なるほど、そういう家庭を築いていきたいと」 「違うって。家族的な意味で」 「うわー、クーちゃんったら大胆ー。もう家族構成まで考えているんだ。え、なになに? 高校卒業後は即結婚ですか?」 「あのね! だから違うんだって! 一緒にいて安心するとか、そういうのなの! 第一、彼とは告白したりされたりする仲でもないし」 「「きゃー! 聞いた? 彼ですって!」」 「くっ、コイツらっ!」 演技のつもりが、茶化す二人により、段々と本気になっていく。 未来は顔を赤くして立ち上がりかけたものの、膝上に置いたままの弁当の存在を思い出しては、大きく息をついて姿勢を正し、付き合ってられるか!、と言わんばかりに玉子焼きをぶっ刺した。 乱暴に、けれども損なわれない上品さでパクついては、目を閉じてもぐもぐ口を動かす。 ったく、この女どもは。イロハとは、そういうんじゃないってのに。……うん? それじゃあ、どういうのなのかしら? 空になった口へ、もう一口玉子焼きを放り込んだ未来は、今度は目を開け、地面を見つめながら咀嚼する。 家族的な意味――そう言った自分の言葉に嘘はない。 だが、父母や兄たちと同じ気持ちを向けているのかと問われれば、何かが違う気がした。 大切な人だという認識に変わりはないものの。 考える手が無意識に、スカートの上からブレスレットを触る。 と、一通り騒ぎ終えた美紀が、アンニュイな溜息をついた。 「そうかー。とうとう未来にも彼氏が出来たかー」 「だから違うって――」 「黙れ、クーちゃん。真実はどうあれ、一緒にいて安心だの、告白しなくても分かり合えてるのよ的な発言をした時点で、あんたは私らの敵だ」 「敵って……この三人の中で、今まで彼氏いなかったの私だけじゃん」 幾ら何でも酷くはないかと目で訴える未来。 対する二人は、揃って同じ溜息をつき、同じ首振りをする。 「分かってないなー、未来は」 「全くね。問題は数じゃないんだよ、数じゃ。キーちゃんなんて、地毛なのに茶髪ってだけで遊んでるって思われてさ。それ目当ての奴ばっかりと付き合う羽目になって、今時珍しい身持ちの固さのせいで、何度もフラれてきたんだよ?」 「そうそう。未沙なんて、見た目文学系で暗いけど、結構イイ身体しているから、押しまくればちょろいって思われててさ。それ目当ての奴ばっかりと付き合う羽目になって、そんな雰囲気になったら、陸上部で鍛え上げた足で急所叩くか、全力で逃げるかして、色々ふいにしてきたのに」 「ねー、キーちゃん」 「ねー、未沙」 「……あんたら、怖いから笑い合うの止めなさい」 互いに互いのろくでもない遍歴を語り合い、不穏な気配を発しながら微笑む美紀と未沙。 黒い展開に呆れ顔をした未来は、止める言葉だけを掛けると、丁度横を掠めた影にそちらを見やった。 「あ、岩城さん――」 「と、ヘチマだねぇ」 何ともなしに名を呼べば、岩城の傍にいるもう一人、人気の英語教師のあだ名を美紀が呟いた。 これを次ぐように、未沙が言う。 「あの噂、本当なのかしら。ほら、岩城がヘチマにモーション掛けてるってヤツ」 楽しいいがみ合いの時間は終わったらしい。 未沙の言葉に唸った美紀は、どうだろうねー、と悩む素振り。 ちなみに、彼の英語教師が何故、ヘチマというあだ名で呼ばれているのかと言えば、八巻という苗字から美紀が命名したためである。 八巻ならば頭に巻くハチマキで良さそうなところを、わざわざヘチマにしたのは、気合を入れる鉢巻きとは縁遠い、いかにも見てくれだけの容姿と雰囲気だから、だそうな。 ともあれ、未沙の言葉に首を捻る美紀とは違い、ふっと口の端を上げた未来は頭を振った。 「違うんじゃない?」 「へ? 何で?」 「ふっふっふー。ってな訳で、岩城さん、こっち引き摺って来てもオーケー?」 多くを語らず、弁当を置いて立ち上がれば、顔を見合わせた美紀と未沙がにやっと笑う。 「良いわよ」 「後で理由教えてくれるなら、ね」 「勿論。近い内に必ずや。ではでは〜」 長い付き合い、未来の言葉に面白味を見つけてだろう、軽く応じた二人に、軽い挨拶を返す。 そしてそのまま、校舎の陰に隠れてしまいそうな岩城たちの下へ。 「いっわしっろさーん!」 「「っ!?」」 未来がいかにも親しげに岩城の名を呼べば、すぐこちらを向いた彼女とは違い、わざわざ一歩、後ろに下がったヘチマが青い顔を寄越す。 しかしてそれも一瞬のこと。 人気に違わぬ顔をキリッとさせたヘチマは、爽やかに見えないこともない笑みを浮かべて言った。 「やあ、こんにちは。何か用かな?」 「あ、こんにちはー、ヘチ、じゃなかった、ハチマキセンセ」 つってもあんたに用はないけどね。私はちゃーんと、岩城さんって呼びましたよぉ? にこにこ笑み返しながら、心の中で毒づく未来。 そうしてヘチマが何か言おうと口を開く直前、岩城の手が未開封らしき弁当袋を持っているのを知っては、やや強引に握って彼女へ言った。 「ね、岩城さん。お昼まだなら私たちと一緒に食べない?」 「え、でも……いいんですか?」 大して親しくもない相手からの誘い、迷う素振りの岩城だが、言葉に否定は見当たらない。 これへ力強く頷いた未来は、そこではっとした顔を作ると、すっかり存在を忘れていたとばかりにヘチマへ視線を移した。 「あ、すみません、ハチマキセンセ。もしかして岩城さんに用があって?」 なるべく申し訳なさそうに見えるよう、最大限に努力して問えば、掴んだ岩城の手に力が篭る。 対し、ほっとした顔のヘチマは頷き、 「あ、ああ――」 「ああ、でも、もうすぐお昼休み終わっちゃうし、それじゃあ岩城さんお昼食べれませんもんね。用があるわけないかー」 「…………」 これ見よがしに大きな声で言ってやれば、ぐっと言葉を呑み込んだヘチマが、顔を引き攣らせながら頷いた。 「そ、そうだな。じゃ、岩城――」 「さよなら、先生」 「……ああ、さよなら」 次の約束でもするような口調に、岩城が被せて別れを告げる。 未来という逃げ道が出来たせいか、やけにきっぱりした声を受けたヘチマは、諸々の思いを呑み込むように同じ別れを告げると、校舎へ向かって歩いていった。 最中、未来を凄まじい目で睨みつけて。 けれども未来はこれに気づかないフリをすると、岩城を友人二人の下へ誘導した。 本当に、さよなら。ね、センセ。 誰も知らないヘチマの“未来”を、心の中で嗤いつつ。
胡蝶に言われるがまま、何度か着替えを行ったイロハは、すっかりへとへとになっていた。 何せ胡蝶と来たら、有無を言わさずイロハの顔を暴いたばかりか、手袋まで外そうとしてきたのである。 顔に関しては、未来以下、狩谷家に晒した部分でもあるため、胡蝶が驚いても当然のように受け止められたが、未来にさえ見せたことのない手袋は別。 この世界の方々に影響が及ぶかは分かりませんが、僕の手は触れたモノの生命力を根こそぎ奪ってしまう魔性の手。そう簡単に明かせるはずありません。 だというのに、胡蝶はしつこかった。 魔法云々の説明が出来ない以上、手袋を外せない理由をでっち上げるしかないイロハは、胡蝶の妖しい手の動きを掻い潜りつつ、考えに考え抜いてようやく嘘をついた。 自分の手には昔からのしきたりに則った呪いをしており、この手袋はその保護に使っているのだ――とか何とか。 ほぼ嘘になっていない嘘だが、昔からのしきたり、というのが効いたらしい。 イロハの頭部をじろりと眺めた胡蝶は、そこもしきたりのせいと解したらしく、ようやく諦めてくれた。 永年忌んできた頭部のお陰で難を逃れられたイロハは、複雑な思いを抱いたものだが。 そんなこんなで着替えを終え、狩谷兄弟の下へ引き摺られていったイロハ。 それぞれ思い思いに寛いでいた二人が、その格好を見て感嘆の声を上げた。 「おーおー、すっげー普通」 「凄いな、イロハ。どこからどう見ても二十前後だぞ」 「ぅええ!? そ、そんなに若く見られちゃうんですか?」 「は? どういうこと? この子、実年齢もっと上なの?」 イロハが戸惑いながら、目深に被った帽子の下で言えば、胡蝶が目を丸くした。 これに何と言ったものか分からないイロハはおろおろし、ソファーに腰掛ける明人が、ふっと笑った。 「この子、とはご挨拶だな。言っておくが、イロハは俺は勿論、お前よりもずっと年上だぞ?」 「へえ? こぉんなにお肌綺麗なのに、私より年上なんだぁ。……何て羨ましい」 「ふぁいっ、きょ、きょひょうひゃんっ!?」 いきなり胡蝶に頬を抓まれたイロハ。 抵抗を試み、じたばた暴れてみるものの、細身の割に胡蝶の抑え込む力は強く、どうにも身動きが取れない。 ぐにぐに動く頬に涙が滲んで来たなら。 「あんま苛めてくれんなー」 「あいたっ!?」 死角で歩み寄ってきた晴人が、手にした冊子で胡蝶の頭をぺちっと叩いた。 軽い攻撃に大袈裟な動きで応対した胡蝶、叩かれた頭を擦りさすり、唇を尖らせて言った。 「明人さんのお兄さんったら乱暴過ぎ! ちょっと羨ましがっただけなのにぃ」 「羨ましがるのはお前の勝手だが、イロハへの過剰なお触りは厳禁。何せコイツは妹のフィアンセなんだからな」 「えっ」 シャーマンとは違い、フィアンセの意味をきちんと拾えたイロハは、晴人の言葉に短く声を上げた。 聞き間違い? そう思い、晴人へ確認を取ろうと手を上げた、瞬間。 「うええええええええええええええっっ!!? 在り得ない! 断っじて、在り得ないわっっ!」 何故か過剰に反応した胡蝶が、ない髪の毛を掻き毟るていで、形の良い丸い頭を指圧で歪ませた。 |
UP 2011/4/7 かなぶん
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