誰にも邪魔される事なく、泉の肌を堪能し尽くすかに見えたシウォンではあったが、そこは車の中。

 急ブレーキを掛けられては泉の上から無様に転げ落ちるしかなく。

「…………」

「…………」

 追って少しだけ身を起こした泉との間に流れる、気まずい沈黙が痛い。

 幼さの残る顔立ちに潤む瞳、灯る火照り、張り付く褐色の髪、乱れた肌から覗く赤い所業の数々は扇情的なれども、再び立ち上がって続きを、と思う心はお陰様ですっかりぽっきり折れてしまっていた。

 だからといって八つ当たり気味に、運転する少年へぶつける苛立ちも持ち合わせてはいなかった。

 職務に忠実な彼が急ブレーキをかける時は、決まってきちんと理由があっての事だからだ。

 今回はどうやら無謀運転の大馬鹿者がいきなり前に飛び込んできたらしい。

 しかも運転席を覗ける小窓を見やるに、高級車相手の度胸試しか何かだろう、頭の悪そうな若造がわざわざ阿呆面を引っ提げて助手席から顔を出し、挑発行為をしていた。

 殺す……っ、と一瞬、思春期の少年のような淡い思いを抱いてしまったシウォンだが、どうせ奴らの車のナンバーも顔も、運転を任せている有能少年が控えている。

 彼ならばあの車が盗難車であったとしても現在乗車中のクズ共を明確に割り出し、的確な処理を行うと知っているシウォンは、死体にはならないだけの末路を思って少しだけ溜飲を下げた。

 次いでどかりとシートに腰を降ろし、自身の脱ぎかけの衣服を整える。

 泉の方もと思って目を向けたなら、彼女は既に身なりを整えてしまっていた。

 何となく、居た堪れない面持ちになるシウォン。

 改めて見た彼女の制服姿が、より一層、女子高生フェチでもない彼のプライドをズタズタに引き裂いていく。

 た、確かに齢は一回り以上離れているやも知れんが……だ、だがしかし、俺がコイツを求めて止まないのはコイツがコイツだからであって。だ、断じて……断じてっ、ろ、ろ、ろ、ロリコンなどではないぞっ!!?

 心の中、誰ともなく誰かに叫ぶシウォン・フーリ、29歳、独身(愛人:不特定多数有)。

 どっからどう見てもそうである現実から目を逸らし捲くる彼は、そんな自分を誤魔化すように、今し方手に入れたばかりの少女の肩を乱暴に抱き寄せた。

 するとあっさり自分の腕の中に納まった彼女は、それでは飽き足らず、頭を寄せた胸に自然と手を添えて来た。

「…………!」

 この反応に対処し切れず、泉を抱く手とは別の手で口元を覆ったシウォンは、どういうつもりかと問うような視線をちらり、ぼんやりした彼女の横顔に落とした。

 けれども泉は前を向くだけで、どれだけ注視してもシウォンを見つめ返すはなかった。

 ……当然だ。

 人形めいた泉の様子を受け、それまで感じていた高揚が一気に冷めていく。

 それでも彼女を手放すつもりのないシウォンは、改めて抱き寄せた腕に力を入れると、身じろぎ一つしない唇を覗き込むようにして静かに塞いだ。

 何せ泉はこれから、好きでもない男と生涯を共にするのだ。

 それも平凡からはかけ離れた、友人一家と似た境遇の者を排出するような世界に、どっぷり浸かった状態で。

 自失のていは己を守るための鎧なのかもしれない。

 思えば思うほどにいつかはこれを全て剥ぎ取ろうと、自身と他でもない泉へ勝手に誓ったシウォンは、深まる口付けに合わせて上を向く彼女を苦しませぬよう、再度その身体を横たえさせた。

 気遣うべき箇所をとことん間違えているシウォンに対し、泉は感情を表に出さぬまま、彼の求めに応じてその両頬へ手を添えてきた。

 煽られた体躯が再び添うたなら、迎え入れる彼女の身体がシウォンを優しく抱き締める。

 服越し、全身で泉の熱を味わうシウォンは、これ以上先へ進むのは不味いと猛る身体を誡めた。

 時間はたっぷりある。

 急ぐ必要はどこにもない。

 今はただ、渇望していた少女が傍に在る事だけを良しとする。

 身体だけでは足りない、心までも彼女の全てが欲しい。

 愛しい――ゆえに。

 焦るな。そう自分に言い聞かせた。

 車が進むにつれ、ワーズの邸に近づくにつれ、泉の身柄を完全に掌中に収められるはずの時が近づくにつれ、徐々に高まる言い知れぬ不安がシウォンにはあった。

 ともすれば泉を閉じ込めた後で、ワーズへその価値を告げ、賭けを終わらせてしまった方が良いとさえ思う。

 否、そちらの方がより安全に泉を手元へ置けたであろう。

 しかしてシウォンは逃げのようなこれを終ぞ選ばず、忍び寄る悪い予感を払拭するように幾度となく泉へ唇を寄せた。

 全て滞りなく事が運び、後腐れなく泉を迎えられる、そんな未来を夢想しながら。

 

 とはいえ無論、夢想が容易く叶うほど現実は生易しいものではない。

 それは数多の人間の希望に満ちた夢想を思うがまま打ち砕いてきたシウォンとて、例外に在らず。

 

 

 

 シウォンに寄り添う形でワーズの前に立った泉。

 諦めを胸に虚ろとなった瞳がきょとんとした光を取り戻したのは、へらりと笑う彼が泉を縛り付けていたらしい、初めて見る借用書を破り捨てた後の事。

 開口一番、ワーズは言った。

「おめでとう、綾音泉。これで君は晴れて自由の身。自由って事は勿論、君が友人のため自己犠牲に酔いしれる必要もないんだよ」

「「……は?」」

 寝耳に水はシウォンも同じ事。

 泉と仲良く声を揃えて目を向いた美丈夫に対し、肩を竦めたワーズは口元に手を当て意地悪く笑った。

「傘下の引継ぎご苦労さん。でもそのせいで綾音泉の友人宅関連、付け入る隙多過ぎ。莫大な借金って言ったってほとんど利子でしょ? 最初からシウォン・フーリが関わっていた訳でもない話、随分簡単に事が運んじゃってねぇ。期限内に返済完了。病院にいるっていう彼女の傷はそう簡単には癒えないだろうけど、出来得る限りバックアップしてくれるってさ」

「なっ、何の話だ!? 何の事を言って――」

「うん? つまりね、綾音泉は君のモノにはならないんだよ。特に彼女の意思ナシでは絶対に」

 応接室の机に手を付き身を乗り出すシウォンへ、同じ机上に肘を付いて折り曲げた両手の甲に顔を乗せたワーズは、にっこり綺麗に笑って続けた。

「何せ彼女は多方面に顔の利く御大の孫娘だからね。非公式の、だけどさ」

「まご、むすめ……? 御大って確か」

 ワーズを動かし、シウォンの元から泉を買わせたという?

 思わぬ告白の連続に、泉の目が執拗に瞬きを繰り返す。

 上手く頭が回らない彼女の隣では、それより早く復活したシウォンが噛み付くていで叫んだ。

「は……き、聞いてないぞそんな話!」

「言ってないもんこんな話。初めてだよー? 誰かに話すの」

 対し、へらりと激昂を避けたワーズは椅子ごと横を向くと、机の引き出しから何かのファイルを取り出しシウォンの前へと放り投げた。

 無造作な渡し方には歯を剥きながらも、早速ファイルを開いたシウォンの眼がページを捲るごとに信じられないと動揺を示す。

「勝手に消えた馬鹿な娘が馬鹿な男と出来てさっさと別れた挙句、別々に作った大馬鹿な借金を産み落としただけの孫に吹っ掛けやがった。……御大はそう言って、ボクに綾音泉の身柄確保を命じたんだよ。でも戸籍上からも縁を切った娘の子ども、どんな風に育っているか分からない。ヘタをすれば娘以上の大馬鹿かもしれない。だから見定めろってさ。本当はそういうの、ボクの仕事じゃないんだけどねぇ」

 へらへら笑って両手をわざとらしく上げるワーズ。

 けれども彼の他に言葉を紡げる者はなく、またしても開かれたのは病的とは違う白の中に映える血色の口。

「御大とシウォン・フーリの力は拮抗している。そしてどちらもが互いと強く関係している。どちらかが倒れれば残る一方も倒れるくらいに。だから御大は君が綾音泉に惹かれても妨げはしない。けれど綾音泉の意思なくして君の想いの成就を許す気もないんだ。あれでも爪の先くらいの肉親の情は持ち合わせているからさ。たぶん、君が無理矢理にでも事に及ぼうとすれば、避けるのが難しい地味に痛い嫌がらせをしてくるだろうね。倒れはしないけど、他の追随を許すくらいには弱らせてくるかも。今回みたいに小さな穴をチクチク突いてさ。そうしたら、ねえ? 皆まで言わずとも御大が最期に何をしてくるのか、君なら分かってくれるはずでしょ?」

「…………」

 ワーズが小首を傾げれば、机に置かれたシウォンの手に軋む音が籠もる。

 似た音を隣からも耳にした泉がそちらを見上げたなら、彼女の動きに合わせて緑の双眸がこちらを見つめ返してきた。

 表れたる顔つきは声も通らぬ憤怒、なれど。

「ちっ……」

 捨て台詞の代わりとばかりに舌打ちをしてみせたシウォンは、手にしていたファイルを机の上に叩きつけると、コートを翻し応接室を出て行った。

 シウォンの瞳を追う形でその姿を泉が見送ったなら、背後でワーズが静かに告げた。

「追ってもいいんだよ? あれだけ離れがたいって目で見つめられて、絆されない訳でもないでしょ?」

「……いえ。それとこれとは話が別ですから。感傷に引き摺られたら最期、ですし」

 未だ抜け切らぬ混乱。

 目を閉じて振り返った泉は、改めて向かい合ったワーズへと一歩近づいた。

「お聞きしたい事が山ほどあるんですけど」

「良いよ。ボクで応えられる範囲なら」

 ソファを勧める手に逆らう事なく座れば、椅子を立ったワーズが泉の正面にゆったりと腰掛けた。

 「では」と一つ区切った泉、最初に尋ねたのは尤も気になるところ。

「御大って言う人が私の血縁だって事は分かりました。その影響力もおぼろげに。でもそれならどうして、あなたは、その、私にあんな事してきたのに……」

「無事なのかって?……決死の覚悟みたいな顔して聞いてくるから何かと思いきや」

「わ、私にはそれが一番重要な事なんです!」

 尋ねた時以上に力を込めたなら、虚を衝かれたような顔でワーズがぱちくり瞬いた。

 瞬間的に泉が顔を真っ赤に染め上げれば、そのままの表情で黒いマニキュアの指が頬を小さく掻く。

「うん、と。まあ応えられる範囲は応えるって言った手前、別段、君の質問を評価したりはしないけど……んーっと、何だっけ? ボクが君にして来た事で御大が罰を下さいない理由、だったっけ? それはまあ何て言うか、必要だったから、としか言いようが」

「必要!? 必要って、あ、あのメイド服とか触ったりキスしたりとか、他にもあった全部が全部!?」

 想像だにしなかった答えを得、泉が素っ頓狂な声を出して立ち上がれば、いつもの笑みは何処へやらワーズが心底困った顔をした。

「いやだってさ君、自分は無価値じゃないって断言したくせに、此処に入り浸っていたでしょう? ボクの傍に居たってそんなモノ見つかる訳でもないのに。だから取り合えず、嫌がって貰えそうな事を思いつく限りやってみたんだよ。価値があるかどうかの賭け自体は、御大から君を見定めろっていう中で思いついた事だったからさ。一年くらい猶予があれば、君がどんな子か分かると思って。なのに君は嫌がる割に居続けるし。しばらくはそういうのが好きな手合いなのかと思って、色々試してみたんだけど」

「うっ……あの時のしつこさはそういう」

 賭けの発端はやはり別の人間からだと分かったが、その思惑を悉く跳ね除けた自分の行動が、ワーズに特殊性癖を疑わせていたとは知らなかった。

「でも夏の日、シウォンが君を叩いた時、初めて怖れるのを目にして違うんだと知った。ついでにそういう相手が来ると分かったら、今度こそ君は別のところに行くだろうと思ってた――けど君はやっぱり相変わらず此処に来るし、正直どうしたら良いのか分からなくなったよ。近くで見られるのは確かだけど、どんな子か知るためには自発的な行動も必要だったから。でもまさか、それを正直に問い掛けてみただけで、いきなり邸から出て行くとは思わなかったな」

 遠い目をするワーズ。

 思い出しているのはあの秋の日の出来事だろうか。

「予想外と言えばシウォンの事も、だけど」

「!」

 泉の頭を過ぎる黒一色の少年。

 ワーズから泉の護衛を頼まれたのならば、シウォンが何をしたか知っているはず。

 つい今し方も同じような目に合ったばかりか、今度は本気で受け入れる気になっていた自分の姿を思い出し、泉の顔が照るのと同時に強張っていく。

 自覚した想いがありながら他者の想いを最後まで許しかけ、だというのにのうのうとこうして此処に居る自分。

 吐き気がするほど身勝手だと座ることも出来ずに立ち竦めば、背もたれまで深く座ったワーズが見上げるようにしてそんな泉へ笑いかけた。

 困り顔はそのままに。

「でも、一番驚いたのは看病かな。憎まれる事をしてきたつもりだったのに。あれは本当に参った。てっきりこれまでの恨み辛みを晴らしに来たのかと」

「そ、んな事する訳ないじゃないですか! だって私はっ!」

「――ところでさ、綾音泉」

 ワーズの軽口により喚起された怒りから、動けなかった分を詰めるようにテーブルへ手を付いていきり立つ泉。

 これを穏やかな瞳で見つめたワーズは身を起こすと、泉の眼前まで顔を近づけてきた。

 不意をつく動作から逆に退く事が出来なかった泉は、内心たじろぎながらも挑むような目でワーズを睨みつけ続く言葉を促した。

 緩やかに笑うワーズはそんな泉を宥めるように、薄っすら紅潮した頬へひんやりとした手を添えた。

「君は、君の価値がアレで良かったのかな? 君の価値はシウォンで」

「私の価値……」

 まるで確認事項のように尋ねられ、添えられた手を振り払わない動きで泉の首が静かに振られた。

 流されかけた不甲斐ない己、それすら跳ね除ける仕草で。

「……そんなもの、最初から何処にもありません」

 今更秘めたところで仕様もないと吐露したなら、不安定な混沌の瞳が僅かばかり揺らいで開かれる。

 何かしらの否定を語るつもりなのだろう、ワーズの表情が小さく泳げば、やっぱりこの人は最初からそうだったのだと、泉の口元に押さえきれない笑みが浮かんでしまった。

 最初から、泉には何かしらの価値があると思っていたのだ。

 他の誰でもない、泉を無価値だと言い続けてきた彼自身が。

「あなたの答えは、違う、みたいですけど」

 言ってやれば、はっとした顔つきとなるワーズ。

 変化としては微々たるものなれど、迷い子のようなこの顔は何故か。

 たぶん、御大が気にかける娘だからと、彼なりに泉に価値を見出していたからだろう。

 自身を無価値とのたまう彼が見つけた価値あるモノ。

 けれどそれすらソレ自身に否定されては、内は言わずもがな外に価値を求める事すら無意味だと、そう思うがゆえに。

 ……この人は本当に、自分には価値がないと思っているのね。

 身を乗り出した状態で、ワーズがそうしたように彼の頬へと手を添わせる泉。

 ビクリと震えが伝わったなら、自分の言葉がどれほど彼に衝撃を与えたのかを知った。

 なればこそ、泉は可笑しそうに笑う。

 愛おしさと慈しみを込めた瞳で彼を見つめながら。

「誰にも、自分一人で見つけられる価値なんて、最初からないんですよ。相手がいて、初めて価値が生まれるんです。……自分の価値はこうだって決め付けている人もいますけど、それだってやっぱり、周りに左右されて出てきた結果なんです」

 後半はワーズへ向けて。

 届けば戸惑いからかワーズの手が離れ落ち、これを追う泉の手もワーズの頬から離れていく。

 下がるだけの黒いマニキュアの白い手を掴んだ泉は、行儀が悪いと知りながらも片膝をテーブルの上について身体を支え、もう一方の手でも彼の手を包み込み。

 動作から落ちた視線を元に戻したなら、同じ位置で固まったままのワーズへ再度微笑みかけた。

「だから、私自身が見つけられる私の価値は、厳密にはありません。あなたと同じく、私も無価値なんです」

「ボクと……」

「だけど私からしてみればあなたには価値があるんです、ワーズさん。だって私は……あなたが好きなんですから」

「ボク、を……?」

 それほどまでに意外だったのか、今まで以上に大きく見開かれる瞳に少しばかり泉の笑みが引き攣った。

 人生初の告白、それも初めて意識がある内に彼の名を呼んだ想い。

 発言を許せば潰しに来るワーズを容易く想像できた泉、遅れてやってくる羞恥と戦いつつ頬を染めながら言葉を続けた。

「あなたはあなたを無価値と言って、私は私を無価値だと言いました。でも、私にとってあなたは好きな人で、だから私にとってあなたは価値のある人なんです。でもって、ここからが本題なんですがっ!……そんな私はあなたにとって、無価値、なのでしょうか?」

 早口が過ぎるくらい早口に問いかける。

 賭け自体はもう何の意味も為さないと知っているため、この問いが欲するのは泉が告げた想いに対する答え。

 普通は考える時間を置いても良いのだろうが相手はワーズ、賭けが終わっている以上、もう二度と会ってくれないかも知れないのだ。

 無価値か価値か。

 思えば賭けの話を持ち出された時から、泉の頭の中にはワーズに認めて貰う事しかなかった気がする。

 どちらにせよ早く答えが欲しい、そう思った身体が自然と前に傾いたなら。

「ふぉわあっ!?」

 いきなりソファに向かって倒れたワーズが、包み込む泉の手ごと自分の手を引っ張り上げた。

 前傾姿勢だった泉の身体が、釣り上げられた魚宜しくテーブルを飛び越えワーズの胸に顔面を打ったなら、痛む鼻を擦る暇も与えられずに伸びた腕ごと頭が抱き締められてしまう。

 暴れたところで逃れられず、バンザイ状態の手でワーズの肩をようやく掴めた泉は、これを支えにして顔を上げた。

 すると泉を妙な格好で拘束していた主は、笑いも困惑もない顔でおもむろに口を開いた。

「ボクは……君をどうしたいのかな?」

「……はい?」

 そんなのこっちが聞きたいくらいだと、今もって何故こんな姿で抱き締められているのか分からない泉は思った。

 けれどもワーズは泉を解放する事なく、突然自分の仕事について語り始めた。

「応接室に入り浸っていた君なら分かっているかもしれないけど、ボクの仕事は平たく言うと仲介。それも分野問わずの、ね。だから御大やシウォン・フーリみたいなのと面識があって、でも彼らのどちらかが倒れてもボクには全く影響がない。逆にボクが倒れると他の立ち回りが面倒臭くなるから、多少気に喰わない事があっても報復はされない。その代わり深く関わる者もいない」

「…………」

 淡々とした語りに、何を言いたいのかイマイチ理解出来ない泉は、変な姿勢のままじっとワーズを見つめ。

「そうそう、君の友人を傷つけ壊そうとした奴らはね、何処か遠くに売られちゃったか近場で埋められているかしているよ。シウォン、使えないの嫌いだからさ。粗大ゴミの処理は任せるって来る前に電話寄越して。困るよね、任せられても。まあテキトーに選んだ書類にパパッとサインしちゃうだけで済む話、悩んだりはしなかったけど」

 いつもならばへらりと笑うところでも貫かれた無表情は、ここで一旦言葉を切ると、小さく細く息を吐き出した。

「……ねえ、それでも君はボクに価値があると言うのかい? 今回は助けられた君の友人だって、状況が違えばボクが捌いてたんだよ? この先そういう事はままあるだろうし、君が犠牲を払おうとしたってどうしようもない事も勿論ある。君はそれを傍で見ていられるのかい? 君が言うボクの価値っていうのはそういう――」

「それでも、私はあなたが好きなんです。答えを出す前に諦めさせようとするあなたが。私じゃどうにもならない事があるって充分理解しているつもりです。どれだけ自分が無力かも。……ついでに言ってしまえば、ただ傍で見ている事も私は出来ないでしょう。無駄な足掻きをして自滅する事もある。あなたの負担や邪魔になるのだって百も承知です」

「承知しちゃうんだ、そこ」

「はい。しちゃうんです」

 呆れ果てたような問い掛けに自然と零れる笑み。

 乗じて抱き締める腕が緩んだなら、ワーズの肩を支点にして身体を起こした泉、片膝を彼の足の間のソファに置いては、押し倒す勢いで顔を付き合わせた。

 高校の制服の腰に黒いマニキュアの白い手が置かれたなら、黒一色の男を愛おしげに見つめて微笑む少女は言った。

「だから私はあなたからの価値が欲しい。無価値だろうとなんだろうと。どんな結果になっても私の今の想いは変わらないから」

「後悔は」

「後悔は後にしか出来ません。今はこの想いしか抱けない」

「あ、そ。それならボクも楽に答えられる。君の価値は、ね――」

 重なる姿に告げられたその答えは、甘い余韻となって少女の全てを絡め取っていく。

 

 その、未来までをも。

 

 


あとがき
I can't live without you.、これにて終了です。
和訳すると「君なしでは生きていけない」とか何とか。
こっ恥ずかしいことこの上ありませんね(何
ここまで来てアレですが、借金のカタネタにちゃんとなっていたでしょうか?
方向性は予定通りなんですが、リクエスト…叶えられていると良いのですが;
主役の二人を差し置いて、ある意味シウォンが大活躍のお話でした。
これは予想外。暴走しすぎですね、彼。
でもやっぱり二番煎じと言いましょうか、報われてない。
これこそ頂点クオリティ。彼の醍醐味でしょう。
ちなみに泉嬢、本編での誕生日は春だったりします。
以下におまけ付。その後の二人+αです。

こんな感じに仕上がりましたが、少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。

UP 2010/6/4 かなぶん

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おまけ

 

 泉がワーズの下へ来てからまもなく一年が経とうとしていた――その日。

「ぎゃあっ!? こ、後悔しました、もう後悔しましたからっ!」

「やだなー、泉。後悔は後にしか出来ないんだよ? いいから大人しくコスチュームチェンジしてみようよ」

「出来ますかっ! そんな見るからに甘々のロリータファッション! しかもそれ、ロリなのに何かデザインが全体的にヤラしい! 私はもう、このメイド服で充分ですから!」

「まあまあいいじゃないの。折角の可愛い孫へのプレゼントなんだからさ」

「は!? 出所そこですか!? な、何考えてそんな」

「ん? 言ってなかったっけ? 春に見せたあの服も全部、御大からの差し入れなんだよ」

「ちょおっ!? ま、孫に何着させようとしてんですか、あの人!!?」

 結局ワーズの元に残った泉はその後、御大と呼ばれていた人物に会う機会があったのだが、そんな衣装を揃えてくるような人には到底見えなかった。

 どちらかといえば、そういうのを毛嫌いするようなタイプだろう。

 何かの間違いではないか、と疑う視線を応接室の壁に張り付きながらワーズへ向ければ、へらへら笑う男は昔を懐かしがる口振りで、泉の斜め上を眺めつつ。

「御大も、昔は現役だったからねぇ」

「何のっ!? って、その思わせぶりな顔止めてください! あの人が現役の時、ワーズさんは何歳だったって言うんですか!? というか、今現在が何歳!?」

「んー、企業秘密。オ客様ノ信用ハ裏切レマセンカラ」

「齢と信用に何の関係がっ!? そもそも信用って、何件も裏切っているじゃないですか!」

「えー? だって泉が邪魔したんでしょ、あれ。本当負担増えたよ。お得意様だいぶ潰しちゃってさ」

「た、確かに私、嫌だとは言いましたよ!? でも実際、色々手を回して潰しに掛かったのワーズさんじゃないですか! しかもやったの自分だって分からないよう用意周到に!」

「いやー。ボクってやれば出来る子だったんだねー。最近では裏で糸引くのが楽しくて仕方ないよ。これも全てはボクに価値をくれた泉のお陰だね?」

「……混ぜっ返して全部人のせいにしないで下さいよ」

 話すのも疲れると両手で顔を覆った泉。

 けれどその実、耳まで真っ赤にしてワーズの言に照れては、薄桃のロリータファッションを片手に、こちらを見つめる混沌の瞳をちらりと見やった。

 互いに価値があると認め合って以来、へらへらした笑みの中に生じる温かな眼差し。

 晒されるだけで気恥ずかしさが募る視線から逃れるべく、こげ茶の瞳が下を向いた。

 と、ずずいっとそちらにも現れ出す混沌の眼と――ロリータファッション。

「し、しつこい!」

 思わず飛び退いた泉。

 追ってその腕を取ったワーズは、実ににこやかに言ってみせた。

「泉。知っているかな? 男が女に服をプレゼントするのはね、偏に脱がせたいからなんだよ」

「!!!? な、なななななななななっっ!! そ、それは下着の話で――」

「そういうと思って、はい下着。んー、御大はボクの趣味をよく分かってらっしゃる」

「あ、あ、あ、あなたの趣味って……」

「ああ、違う違う。服の趣味とかそういうんじゃなくて、脱がす過程の話で」

「いぃやああっっ!! き、聞きたくない! 聞きたくないですそんな好み!」

 掴まれた手も用いて両耳を塞げば、これを離したワーズは困ったように眉根を寄せた。

「我が侭はいけないよ、泉」

「どこがっ!」

「それと誕生日おめでとう」

「…………はい?」

 ついでのように告げられた言葉へ泉が目を丸くしたなら、ふっと笑ってワーズは改めて言った。

「お誕生日おめでとう。去年は散々だったみたいだけど。今年で十六歳だったっけ?」

「え……と、はい。そうです」

「保護者の同意があれば結婚できる齢だし。これで心置きなく手を出していいね」

「は、はい、そうです、ね…………って、はいぃ!? こ、心置きなくって、今でも散々――」

「じゃあプレゼント、受け取ってくれるよね。これ着て十六のお祝いたっぷり、しようよ」

「〜〜〜〜っ」

 押し付けられた衣装を腕に抱いてしまったなら、ふっと耳元を擽る不可思議でけれども甘い旋律。

 どう受け取ってもからかわれるのがオチだと分かっている泉は、眦に涙を浮かべて顔を真っ赤にしながらも、一歩退いては噛み付くように吠えた。

「絶っっ対、嫌です! 用意して下さったプレゼントですし貰いはしますけど、絶対着ませんから!」

 言い捨て、そのまま応接室の扉に向かって駆け出す。

 一刻も早く立ち去ろうとドアノブを引っ張り、廊下へ向かおうとしたなら。

「小娘、今日誕生日だってな。祝いの花、持ってきてやったぞ」

「ぐげっ!? な、何てタイミングの悪い」

 泉が御大の孫だと知って一時は遠退き、さして置かずに彼女を口説くため頻繁に出入りするようになったシウォンが、そこにいた。

 抱えきれない程の花束の上にある顔は、出会い頭の泉の様子に若干傷ついた表情を浮かべ。

「ああシウォン・フーリ。ナイスタイミング」

「……何故お前に歓迎される?」

 ふらふら近づくにこやかなワーズを警戒するシウォン。

 どっちにしても茨道、泉が前進と後退を迷って固まったなら、追いついたワーズが半ば強引に肩を引き寄せ、トーテムポール宜しく褐色の頭の上に顎を置いた。

「実はねぇ、泉が今持っている服を彼女に着せたいんだけどさ、恥ずかしがって着てくんないの。だ・か・ら、手伝え」

 対してシウォンの返答は。

「よし来た」

「早っ!? ちょっとは戸惑って、っていうか冗談じゃないです!」

 贈り物のはずの花束を扉近くの棚へ無造作に置いたシウォンは、にやりと嫌な笑顔で青褪める泉に応じてみせた。

「無論、冗談ではない」

「そうそう、冗談じゃこんな事言わないししないよ?」

「ひいっ!? ふ、二人して可笑しいです! な、仲悪く喧嘩してなきゃ駄目なのに!」

 身を翻してワーズの手と近づくシウォンの手から逃れた泉。

 けれども応接室の出入り口は男二人が近くに居る扉のみ。

 逃げられない獲物と知っているせいか、悠々としたシウォンが気安くワーズへ話しかける。

「で? あの服はお前の趣味か?」

「ううん。御大の。予備にいっぱい貰ったから、多少無茶しても良いってさ」

「それはそれは……流石に良い趣味をしていらっしゃる」

「だねー。今までのは写真見て決めてたらしいけど、一回会ったのが利いたみたい。泉はあれで結構エロい身体してるから」

「お前……俺でもまだ味見程度だってぇのに」

「まだって何ですか、まだって!!? それにワーズさん、勘違いさせるような発言しないで下さい! わ、私はこれでも一応、清いままで」

 酸欠間近の赤ら顔で反論すれば、「なーに言ってんだか、この子は」という顔つきでへっと笑ったワーズ。

「清いって……動けない病人相手にいきなりちゅーしたくせに。ボクでもしないよ、あんな鬼畜」

「!!!!!? し、知って!? というか起きてたんですか、あの時!!?」

 遅れて知らされた事実に更に追いつめられた泉が息を詰めれば、わざとらしく溜息をつき肩を竦めたワーズが言った。

「いーや? 途中まで本当に意識失ってたよ? だけどあんな風に攻め立てられたら、ゆっくり寝ていられる訳ないじゃない。ホント、拷問に近いね、あれは。煽られるだけ煽られて、でも具合悪くて何のリアクションも取れない。目を開けたら開けたで気まずそうだしさ」

「うん、あれは酷かった」

「!!?」

 突如として沸いた第三者の声。

 近づく男二人から視線を横にずらした泉は、そこに相変わらずの黒で固めた、一応は冬仕様の暖かそうな格好をした護衛を認めた。

 ワーズを肯定する言にはささやかな反論をしたかったが、今はそれどころではない。

「ご、護衛さん、助けて……!」

 名前の知らない彼をその役で呼んだ泉は、藁をも縋る思いで二人の悪漢から救ってくれと涙ながらに訴えかける。

 しかして護衛は至極残念そうに首を振り。

「御免ねぇ? 助けてあげたいのは山々なんだけど、ほらアイツ、雇い主だしさ。それにボクが請け負っているのは前にも言った通り、君が外に出た場合に限られているから」

 心底済まなそうな声で告げた護衛。

 転じ、屈託のない笑顔を振りまいては、依然として性別不肖の薄い胸をどんと叩いた。

「代わりに最後まで見守っていて上げるから。思う存分逃げ回ってイイ声で啼いてよ」

 ここにも敵が一人!

 頼りの綱を悉く切断された泉は、続けられる言葉も見つからずに口をパクパク開閉。

 その内、左右からがっちり別々の腕を回されては、交互に振り向いた瞳が、白い顔の赤い笑みと傲岸不遜な笑みを両肩の上に認める。

「「泉、誕生日おめでとう」」

 まるで地獄からの迎えのように響く、柔らかく甘い艶めく音色。

 ともすれば抜けそうになる腰を何とか立たせた泉は、お守りのように抱いていた忌まわしき衣装が取られていく隙を狙い。

「これじゃあ去年と大して変わらない!!」

 余程耳が丈夫でなければ防げない大絶叫をしては、怯んだ男たちの手を逃れて応接室を出て行った。

 

 その日、彼女が最後まで無事でいられたかは不明だが……

 護衛の出番がなかった事だけは、追記せねばなるまい。

 

 


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