髪結いいらず

  

 発注はしても家一軒。

 頼んですぐに出来上がる代物でもなし。

 まだまだ時間が掛かるため、人形師・宮内久紫の身柄は依然として、彼の恋人である幸乃小春の屋敷、不在が多い彼女の父親・信貴の部屋にあった。

 

 遠い異国の地にまで商売の手を伸ばす信貴、そんな彼が棚に収めている多種多様な言語の本を一通り読んだ久紫は、手持ち無沙汰も相まって、本来の職である人形師の仕事に戻っていく。

 仕事、といってもこの半年間、精神的に参っていたせいで離れていたので、あるのは近所の駄菓子屋で扱うような安価な品物作りだけだが。

 高名だった人形師の弟子である久紫、この仕事内容にはさぞかし苦い思いがあろう。

 ――という世間の目を余所に、本人は背中を丸めてちまちま作るこの仕事を楽しんでいた。

 安価な品はそのまま安い材料に繋がる。

 安い材料というのはその値段に見合うだけの強度しかないため、力み過ぎると容易く壊れてしまう。

 しかし、久紫は元々凝り性の質である。

 いかな安価の品といえどもある程度は凝ってみたいもの。

 けれどもあまり凝りすぎると完成手前でやれ何処が外れた、やれ何処が欠けただのとなり結局は水の泡。

 

 それが、今の久紫にとっては堪らなく面白かった。

 

 此処までは凝って良く、此処からは売り物を頭に据えての強度を考える。

 絶妙の匙加減は自分の感覚で把握するしかない。

 程好い緊張と己如何の探求心。

 加え、休んでいた間に腕が鈍ってはいないかと、商売込みで試せる場は有難かった。

 試した結果は長年染み付いたもの、そう易々と腕は身体から離れてくれないと知る。

 なればこそ、久紫が人形師でいる間は世話役として傍に仕える小春も、人形造りに没頭する彼を嬉しそうに見つめていた。

 

 ――のだが。

 

 

 幸乃の家の屋敷の縁側で作業していた久紫は、さらりと視界の端を通った黒髪を何気なく追った。

 すると出会うのは、まさかこちらを見るとは予想していなかったのだろう、少々驚いた様子の小春。

 丁度、茶を持って来たと思しき中途半端な格好で、自分と久紫の間におぼんを置いた彼女は、曖昧な笑みを浮べて小首を傾げた。

 併せ、肩にまで触れる黒髪が同じ傾斜で流れる。

「久紫さん? 如何かされましたか?」

「イヤ……すまん。何でもない。……アアそうだ。茶を貰おうカ」

「あ、はい。只今」

 流石に「何でもない」だけで済ませては拙いだろうと、まるで元から茶を貰うつもりだったと言わんばかりに告げれば、愛想の取れた微笑みを向けた小春が急須を傾けた。

 暖かな陽だまりの中で、茶の注がれる音が呑気に響く。

 最中、視線を手の内の人形へ落とした久紫は胸内でぬぅ……と唸った。

 左の黒目と右の片眼鏡の奥に映る人形。

 象るのは髪の短い幼女の姿。

 この人形と小春を比べる真似はしないが、どうしても一つだけ気がかりな事があった。

「どうぞ」

「アア。ありがとう……」

 おぼんを挟んだ隣に膝を下ろす小春へ上半身を向けた久紫は、作業の全てを右手と膝の上に留め置き茶に腕を伸ばした。

 ――が。

「久紫さん?」

 湯呑みに触れる直前、方向を転換した左手の甲が小春の左頬をなぞった。

 戸惑いながらも紅くなり始める小春を前に、普段であれば微笑ましい想いを抱くところを久紫は眉根を寄せる。

 その指が一筋絡めたのは、出会った頃より伸びた髪。

 正確には半年間、傍にいなかった内に伸びてしまった、久紫の知らない彼女を表す長さ。

 最初はこの人形と同じ長さだったはずなのに。

 知り合ってからまだ二年。

 それ以前の彼女を知らない久紫にとっては、たかだか半年と言い切っても良いはずなのに、彼女を形成してきた時間は愛おしく思えど、その半年間だけはただただ忌まわしかった。

 あの時、彼女の傍に別の男がいた事を除いても、知らないというだけで厭わしい。

 否、悔しいと思ってしまう。

 女々しい事だと自嘲に口元が歪めば、頬を染めるだけだった小春が心配そうに眉を寄せた。

「久紫さん、どこかお加減でも――」

「いや、ソウいうわけではナイのだが……。本当に、伸びたと思ってな」

「伸びた……ああ、髪の事ですか? そうですね。結った方が良かったかもしれません」

 感慨深げに言ったにも関わらず、ズレた解釈をしてみせた小春は小さく溜息をついた。

「いっそ切ってしまいましょうか」

「っ、ソコまでは言っていないぞ!?」

「きゃっ! く、久紫さん?」

 思わず声を荒げて頬から離した手で小春の手首を取る久紫。

 対し、ただの呟きで終わらせるはずだった小春は、突拍子のない行動に唖然とした表情で久紫を見る。

 これを認めると、途端に久紫は動揺して小春から手を離す。

「あ……いや、違う。何でもナイんだ、何でも……」

 身体ごと視界を人形に移しては、ばつの悪い思いに眉を顰めた。

 声を荒げたのは偏に、小春の髪を切るという発言を聞き喜ぶ、後ろ暗い心が久紫自身にあったせいだ。

 髪を切った程度で過ぎ去った半年間が戻ってくるわけではない。

 増して、なかった事になるわけでもない。

 それなのに、伸びた髪を鬱陶しいと思い、切るという選択を迷いなく口にする彼女へ、久紫の心は喝采混じりの賛同を示した。

 浅ましく歪んだ気持ちで。

 だからこそ久紫は自分のそんな心に声を荒げた。

 決して、小春に向かって怒鳴ったつもりはなかった。

 なのに振り返れば、突然当り散らしたと言われても仕方のない現状。

 ……穴があったら入りたいくらいだ。

 失態を演ずる自分の愚かさに覆える顔もなく、代わりとばかりに手の中の人形を壊れるか壊れないかの強さで押す。

 出来れば小春には、何事もなかったかのように世話役の仕事に戻って欲しい。

 無様な久紫を丸ごと忘れてくれたなら。

 きっと、ただの世話役の彼女であったなら、そうしてくれただろう。

 けれど久紫の恋人は彼を迂回するとおぼんとは逆の隣へ腰を下ろし、様子を気遣い伺ってくる。

「久紫さん。私の髪、結った方が良いですか? それとも短い方がお好きでしたか?」

「……アンタの髪なんだから、アンタの好きにすれば良いダロウが」

 放って置いてくれと頼むつもりで、ぶっきらぼうに答える。

 しかして一度これと決めたら強情に徹する小春は、久紫の逃げを許さず怪訝な顔をしてきた。

「勿論、好きにさせて頂きます。ですから、わたくしは久紫さんにお尋ねしているのです。長い髪はお嫌いでしたか?」

 反則的な言い草に久紫の喉がぐっと詰まった。

 噛み砕けば、久紫好みにして欲しいと同意。

 示す事柄が髪だけとはいえ、かなり過激な発言である。

 しかも小春は無自覚で言っているのだから始末に終えない。

 自ずとたじろいだ久紫は小春に顔を合わせると、ふるふる首を横に振った。

「いや、嫌いデハ」

「では、わたくしに長い髪は似合わないと」

「そ、ソンナ事はないぞ!? そこまでは言っていない! いない、が……シカシ」

「しかし?」

 押し黙ればその先を強請られ、若干仰け反り気味の久紫は思う。

 こういう時の小春の、まだあどけなさの残る容姿は卑怯だ、と。

 この国の人間から見れば異人と呼ばれる、生まれも育ちも他国である久紫にとって、この国の人間はどれも実年齢より若く見えるきらいがあった。

 が、事小春に関して久紫の両の目は、他よりもっと若く――否、幼く彼女を写してしまう。

 たぶん、この国の人間から見ても彼女は童顔なのだろう。

 現に、彼女より一つ年下だという娘には妙齢の女を感じさせる色香があり、小春には目に見えてコレという艶がなかった。

 かといって、久紫に幼女趣味はない。

 第一、久紫が彼女に惹かれたのはもっと別の要因、決して容姿に限った話ではないのだ。

 とはいえ、それはそれ。

 普段は世話役をきっちりこなす小春ゆえに、こうして無邪気に訊ねてくる様は、答えなければいけない義務感を久紫の中にもたらしてくる。

 はぐらかしても責めはしないだろうが、こちらに罪悪感を抱かせる残念そうな顔を小春はするだろう。

 一種の脅しと考えるか、それとも惚れた者の弱みと思うか。

 後者の方が建設的と捉えた久紫は、それでもなお、気まずそうに前置いた。

「しかし……わ、笑わないで聞いて欲しいのダガ」

「はい」

「俺自身、酷くガキ臭いとは思ってイルんだ」

「はい」

「ソノ、出来れば呆れないデモいてくれると有難い」

「はい」

 話を引き延ばすように連なる弱気な言葉の数々。

 けれど小春は急かす真似をせず、微笑みながら頷き先を待つ。

 どんな言葉でも受け入れる覚悟を垣間見た久紫は、視線を落としては気恥ずかしさを隠せずに頬を指で掻き。

「気に、入らないんダ」

「え……と、私の長い髪が?」

「違う。あの半年間で伸びたその髪が、気に喰わナイんだ。俺の知らないアンタが其処にいるようで!」

「…………」

 全て吐露すれば、返って来るのは沈黙。

 ほかほか暖かい陽気に包まれていながら、徐々に冷えたモノが久紫の心に凝り固まっていく。

 やはり、可笑しいと思われた。

 呆気に取られて声すら出ないのかもしれない。

 ない交ぜになった後悔の波に襲われつつ、幾ら待っても何の反応も示さない小春に業を煮やした久紫は、縁側の板目を睨みつけていた目を上げる。

 と、そこで見たモノに自然と首が傾いだ。

「……小春?」

 久紫の想像通り、確かに呆気に取られた表情を小春はしていたが。

 それすら霞むくらい、真っ赤に染まった顔色はどうした事だろう?

 思わず伸ばした手を額に当てたなら、はっと我に返った小春がわたわた忙しなく手を動かした。

「で、では、わたくし、これから髪を切って参りますね!」

「ハ? いや、ちょっと待て、小春」

 張り切って宣言して立ち上がった手を掴めば、ふらつく動きですとんと元の位置に腰を下ろす小春。

 おどおどしながら朱混じりの頬に両手を当てた彼女は、何かに追われている素振りでさえあったが、久紫はまだ全てを伝えてはいないのだ。

 一つ、コホンとわざとらしく咳払いをし、小春の眼をこちらに向けさせてから、久紫は先を続けた。

 小春につられたせいでもあるまいに、少しばかり頬を赤く染めた状態で。

「あー……その、な? 我が侭ついでに言わせて貰うと、髪を切ったアトでもう一度、アンタには髪を伸ばして貰いたいんだ。か、勘違いして貰っては困るが、俺は決して、髪の長い女が好きとイウわけではナイ。タダ……長い髪のアンタも見てみたいというか、何だ、その……色んなアンタを見たいんだ。自分勝手な話だとは思う、ソレでも――」

「く、久紫さんっ! わ、分かりました、分かりましたから!……もう、お止め下さい。これ以上はわたくし」

 尻すぼみになった言葉共々、顔を覆い隠す小春。

 拒絶されてしまった……

 そう受け取った久紫は痛む胸を僅かに押さえて小さく呻いた。

 次いでゆっくり顔を上げた小春、赤らめた顔色はそのままに、責めるような視線を久紫へ送ってきた。

「久紫さんは……久紫さんは少し、表現を抑えるべきだと思います。何でもかんでも真っ直ぐで来られては、わ、わたくしの心の臓が持ちませぬ」

「……スマン」

 非難の声に久紫の頭が気持ちと共に下がった。

 いよいよ本格的に嫌われてしまったのかと落ち込んだなら、この様子に慌てて小春が付け足した。

「あ、謝らないで下さいまし。わたくしはただ単に、そのままを申されてはいつか自分が茹蛸になってしまうのではないかと……それくらい、久紫さんの言葉が気恥ずかしくて、同時にとても嬉しいのです」

「嬉シイ……?」

「はい、とても」

 久紫が顔を上げれば、変わらぬ赤さを携えた小春の微笑が迎える。

 信じられない気分でこれを視界に納めた久紫は、呆気に取られた表情で彼女へ問うた。

「だが、俺が今話した事は全て俺の勝手な願望で、アンタに益は一つもナイはずだ。それなのに」

「それでも、だからこそ、です。わたくしに対する久紫さんの願望だからこそ、とても嬉しいのです。わたくしが久紫さんを想うように、久紫さんもわたくしを想って下さるのだと分かるから。……真っ直ぐな言葉はすぐに胸が一杯になってしまいますので、出来れば少なめでお願いしたいのですけれども」

「…………」

 言う小春の方とて久紫以上に直球過ぎる。

 互いに同じくらい赤くなった二人は、やがてゆっくりと向かい合う。

 視線が絡めば二、三度逸らしつつも、しっかり顔の合う位置に来たならどちらともなく苦笑を零した。

 おもむろに、人形を膝から降ろした久紫の手が小春の頬に伸ばされた。

 受ける彼女は避けることをせず擽ったそうに首をすぼめるのみ。

 親指の腹で頬をなぞれば、小春の瞳が柔らかく細められる。

「では……良いカ?」

「はい。元より未練なぞございません」

「ソウ、か……髪は女の命とも言うのにな」

「髪を切った程度で死にはしません。……それはまあ、勝手に切られるのは嫌ですが」

「酷な事を頼んで悪イ」

「いいえ。だってこれは勝手ではありませんもの。確かに、望まれたのは久紫さんかもしれない。けれど、わたくしはわたくしの意思で選びました。ですからこれ以上は、たとえ久紫さんであっても口出し御無用。勿論、謝罪も御法度です」

「手厳しいのダナ、小春は」

「はい。わたくしにも譲れないモノがございますから」

 胸を張る勢いで誇らしげに言い切る小春。

 眩しいモノを見るように目を細めた久紫は、込み上げてくる温かな想いに耐え切れず、溜息を一つ零した。

「髪……今、切るのカ?」

 口出し無用と言われたなら、久紫は話題を変えるしかない。

 しかし言った当人は、一瞬ぽかんとした表情を久紫の手の中で浮かべてしまう。

 彼女にとっては余程突拍子がなかったらしい。

「へ? あ、はい」

 遅れての理解に頷く小春を見て、口元を知らず知らず緩めた久紫は誤魔化すように小さな咳をする

「ならば剃刀を。俺が切ろう」

「…………………………え、えっ、ええっ!?」

 更に遅れた理解。

 思わずといった風体で久紫の手から離れて仰け反った彼女は、倒れるか倒れないかの絶妙な傾き加減を維持して問う。

「く、久紫さんが!? わ、わたくしの髪をお切りになられると!?」

「そこマデ驚かんでも良かろうニ。心配はいらんゾ? 師匠の髪やら雪乃の髪やら、散々整えさせられたからな。ソレなりに保障できる腕はアル」

「ゆ、雪乃様の髪まで?……久紫さんって、本当に器用な方なのですね」

 呆気に取られるやら感心するやらで忙しい小春へ、ふっと笑った久紫は告げる。

 ――今は亡き二人の恩人と纏わる過去の情景を脳裏に浮かべながら。

「兎も角、アンタの髪は是が非でも俺に切らせてくれ。人目も憚らず堂々とアンタに触れられる特権、よもや他のヤツに与えはしまい?」

 

 久紫の知らない半年間の内で伸びた、小春の髪を切る。

 その相手が女であっても久紫はこれを許さない。

 

 小春に触れて良いのは自分だけ――などと不毛な事は言わないが、一つくらい、彼女の中で久紫から始まる部分があっても良いのではないかと思った。

 時間の経過と共に伸びゆく髪、切った地点に自分がいられたなら、と。

 あからさまな独占欲染みた想いに、呆れ果てた己の口元が笑みを刻む。

 茶化し混じりの言葉を向けられた小春はまたも顔を真っ赤に染め上げると、伸ばされたままの久紫の手を両手で包み込み、コクコク小さく頷いた。

 

 


あとがき
本編で少し気になっていた部分のお話。
独占欲云々いうなら、ここら辺もきっちり締めとこうと。
久紫は比較的何でも出来ます。
元々そういう環境で育った面もありますが、大半は喜久衛門のお陰(?)。

「髪結いいらず」、少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

2010/1/11 かなぶん

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