小春side 一
幽藍島という島がある。 本島と呼ばれる場所から船で二、三時間程度沖の辺りにある島だ。 その昔、罪人が流されていた曰くつきの島ながら、ここを買い取った春野宮財閥が手を加えたため、今では都にも引けを取らない華やかな場所となっている。 ここで生活するのは主に春野宮の分家と、縁ある者たち。 日用品から花街の類も存在する、実に多種に溢れた島なのだ。悪く言えば個人の乱雑な想像の産物。 この島にあって、違う姓ながら幸乃家の地位は、春野宮の分家と等しい。 偏に春野宮を影で支える、現当主・幸乃信貴の能力の賜物である。 その末の娘である小春は今、重い気持ちを引きずったまま、町外れの小さな家に向かっていた。
久紫殿の世話、頼むぞ。なに、喜久衛門先生と同じように接すれば良いのだ―― 慌ただしく言い残して、また本島へ行ってしまった父を、小春は恨めしく思った。 「無理に決まってます。だってあの方、宮内様とは全然違うんですもの」 出逢いから数時間で分かった相手の性格に、大きな溜息が漏れた。 第一、父様が悪い、とも思う。 同じ年頃の分家の娘たちの家には、お手伝いさんが数人雇われているのに、幸乃の屋敷はやたらと広い割に三人。 どうあっても手伝わなくては、日が暮れてしまう。 あかぎれもすっかり馴染みの手。 叩かれた赤みも痛みもないが、胸はまだ締め付けられる苦しさ。 「大体、なぜわたくしが?」 あれから数度、久紫に町を案内したのだが、その後、決まって分家の娘たちに囲まれ、 「いいわねぇ、幸乃さんは」 「ねえねえ、あの方、どういったものがお好きかしら?」 「これ、届けてくださらない?」 と、口やかましい。 では一人、代わりに行って頂戴、と言いたくとも、ご令嬢たちに誰かの世話は無理だと理解している。 雇っているお手伝いさんに頼むのも可能だが、それだと家が立ち行かなくなる。彼女たちの手際に自分はまだ程遠いのだ。 「はあ」 溜息混じりの吐息を山吹の着物越しに、かじかむ手に吹きかける。 もうすぐ十五になる春の只中だが、海に近い幽藍島は暖かさを未だ運んできてくれない。 いつの間にか家までついてしまった。 意を決して小さく叩く。 「ドウゾ」 ぶっきらぼうな返答。
久紫様、と呼ぶのは、なんだか躊躇われ、 「異人さん」 「……ナンだ?」 定着した呼び名に片眼鏡の不機嫌な目がこちらを射る。 小さな人形を彫る、濃紺の作務衣の背は丸めたまま。 おずおず茶を差し出すと、鼻を鳴らして受け取った。 相変わらずの無愛想。 溜息が漏れかかるのを止める。集中しているように見えて、久紫という人物は些細な物音でも気が散る様子。 世話のためならいざ知らず、心の機微程度で音を出されては迷惑らしい。 短い髪を一つ振り、作業に没頭する久紫から離れ、人形の部位が置かれた棚を見る。 最初はそれすら許してくれなかった久紫だが、少しは師を世話していた小春を認めてくれたのか、ある程度近づいても怒鳴らなくなった。 久紫の作る人形は、全ての部位において、完璧のように見える。その出来栄えは喜久衛門を凌ぐほど。 ただ、決定的に何かが足りなかった。 それが何かなど、明確には分からないのだが。 と、小さな瞳と合う。 視線を交わして数秒。 小春が口を開くより先に、もごもご動かしていた口を止め、一言。 「ちぅ」 「ね、鼠っ!」 「チッ、またか!」 あたふたする小春とは対照的に、没頭していたはずの久紫が箒を持って、怯むことなく棚目掛けて振り下ろした。 力一杯叩きつけられた箒は、鼠は捕らえず、棚を半壊させてしまう。 「人形が……」 齧られた指の先が棚から落ちて割れた。けれど気を殺がれた腹いせに、鼠殺しに没頭しだす久紫は尚も暴れる。 しばし茫然としていた小春は、もう一度、久紫が棚を襲おうとしているのに気づき、飛びついて止めた。
半壊した棚と人形を片付けながら、明日にでも大工のおじ様方に来てもらわなきゃ、と思い馳せていると、 「……悪かったナ」 聞き間違いかと疑ってしまうほど小さな謝罪が、久紫の口から聞こえて来た。 あまりにも小さい声だったが、聞き返すこともせず、 「いえ……でもお人形が……」 バラバラに散らばってしまった腕や足を、悲しい気持ちで拾う。 「人形ならまた作れば良いダロウ。……幸乃の娘。人形がそんなに好きカ?」 問われて驚きに久紫を見る。いつもは二言三言なのに、やけに饒舌。 そんな小春の様子に久紫は後悔した様子で口元を隠す。 「お人形が好きか……って」 くすり、笑ってしまった。 「女の子は大抵好きです、お人形さん。でもわたくしの場合、宮内様の影響が大きいのですけれど」 「宮内様……師匠のコトか?」 また尋ねられ、そういえばこの方も宮内の姓だと気づく。 ご親戚か何かなのかしら? にしては似ていない。 父譲りの性格上、気にはなっても詮索してはいけない、と己に言い聞かせる。 「はい。み……喜久衛門様は、よくわたくしにお人形を見せてくださいましたから」 触らせてもくれました、とは言えなかった。 「ソレは……・師匠の人形は美しかっタろう……」 思い耽る素振りに返事はせず、また人形を拾い、袋に集める。 集めながら、会話が出来たことに、内心どきどきしてしまう。 毎日会っていると綺麗な顔立ちも凡庸に思えてくるが、邪険にする様がないだけで、こうも簡単に胸が騒ぐとは。 訳も分からない動悸に襲われ、火照る顔を抑える。 と、ある一点に目が留まった。 転がった指を追った先の、居間奥、障子張りの窓辺近く。 あの、女性の人形。 微笑む姿はそのままだが、暗がりの中、光る糸が髪についていた。 蜘蛛の巣……? 何気なく手を伸ばし取ろうとする。 ぱんっ 信じられないほどの力で手首が叩き落された。 「痛っ……」 「ドサクサに紛れて触ろうとするな!見るのは許したガ、触るのを許した覚えはナイ!」 痛みに俯く頭上で、激昂が轟く。 先ほどまでの高揚が冷めるのを感じた。
蜘蛛の巣なんて……貴方に――――
なおも口を開こうとする気配に、 「すみません!」 頭を下げて謝り、残りの手足を乱暴に袋に詰める。 これが終わったら、今日はもう帰ろう。 惨めな感覚とは別の思いに襲われ、袋を縛る。 「オイ」 呼ばれたが、振り向く気などさらさらない。 「今日はこれで失礼します」 袋を抱え、戸口でもう一度頭を下げる。 「オイ?」 戸惑う気配が伝わる。けれど顔を上げることなく、ぴしゃりと戸を閉めた。 家までの坂道を無言で歩く。 大工に棚の修理を頼むのは忘れず。 涙に暮れることはなかったが、代わりに少しばかり、苛立ちが残った。
――綺麗なお人形を粗雑に扱う貴方に、わたくしを叱る権利があるとでも? |
2007/12/12 かなぶん
修正 2008/4/24
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