小春side 十一

 

「敵に塩を送られに来ましたわ!」

 堂々と正面から入って来たさつきは、朱の差した顔を天井の隅にやり、そう小春に宣言した。

 苦笑以外、何を返せば良かったのか。

 

 

 伸介に引きずられる形で去ったさつきは、あの後、一度も久紫の前に姿を見せなかった。

 体の具合でも悪いのか、伸介に問えば「あれはそんなタマじゃねぇよ」と一笑されてしまう。

 そうして小春が十六の誕生日を迎えた春の終わりに、神妙な面持ちのさつきが夕方、幸乃家に現れた。

 自身の料理に倒れたのが、良い薬となったのか、高飛車さは変わらずとも神妙な面持ちで、小春に指南を乞う姿は、微笑ましいもの。

「違います、さつき様。どうしてそこで蜘蛛なぞ投入なされるのですか?」

「こ、これはとても栄養価が高いんです!本来なら触りたくない代物ですが、そう言われては――」

「……お願いします。ご自分で口にされるものだけ、料理にお使いくださいませ」

 炊事場を占領しての調理実習は、今日で十を数える。

 夕方から夜半近くまで行い、帰りはさつきの家の者が迎えにくる、といった具合だ。

 けれど一向に発展が遂げられないのは、さつきの奇抜な料理センスの賜物。

 本家筋に近いさつきの家には、多種多様の異国の品が届くためか、良い、と聞けば何でも入れたがるらしい。

「蛇の干物に、木の屑……毒々しい草花に、干した……何かしらね、これ?」

 小さなほおずきに似た実ながら、独特の臭いを発するソレに顔を顰めたのは、小春の母・絹江。

 春野宮の分家令嬢をあまり快く思わない絹江は、しかしさつきに対してだけは別口に笑顔を用意してあるらしい。

「さつきさん、毒薬よりも媚薬の方が宜しいのでは?」

「き、絹江様! いつからそちらに!?いえ、わたくしは薬ではなくお料理を……」

「さつき様。どさくさに紛れて、奇怪な粉を入れないでください!」

 途端、煙を上げる鍋。咽かえる母と令嬢を尻目に、勝手口を開けた。

 煙に目をやられ、歪む視界。

 咳き込むこと数度、小春に影が掛かった。

「こんにちは、小春」

 物静かな男の声に、小春はぽろりと一つ、涙を流して立ち尽くす。

  

 無言で睨む小春に、帰ってきた父・信貴は苦い愛想笑いで、拝んでみせた。

「頼む。本来ならば私がお相手すべき方なんだが、仕事が……な?」

「…………分かりました。いつまで、ですか?」

 仕事なら仕方なしと、大仰な溜息をついて了承すれば、信貴は更に苦い笑い。

「明後日まで……」

 頭痛に顔を顰め、元凶を見れば、真っ赤な顔をしたさつきに、何事か微笑み語りかけている。

「ほ、本家のご子息様が、何故このようなところへ!?」

 引っくり返った悲鳴に、人の家を悪く言わないで欲しい、と小春はもう一度溜息をつく。

 

 

 

 小春、小春、と犬猫を呼ぶ気安さに振り返れば、人好きのする笑顔の優男。

「小春。私は団子を食したい」

「……はい、志眞様」

 愛想笑いも作るのが面倒と、つっけんどんに返す小春に、春野宮志眞は、なお笑う。

 

 春野宮の本家の三男である彼は、分家令嬢たちに随分人気があるらしく、行く先々で黄色い悲鳴が届いてくる。

 しかし、久紫と共に歩いている時とは違い、彼女らは決して近寄らない。小春に向ける視線にも妬みの類は感じられない。

 手の届かない存在。これを解して、小春は嘲笑いたい気分だった。

 珍しい薄茶の髪を緩く結い、新緑の着物を纏う姿は、見るものを安心させる働きがあるらしい。

「小春。これは団子と呼べるのかな?」

 客商売ながら志眞を見、惚けた表情の給仕が慌てて去っていくのに、無性に謝りたくなった。

 笑みを絶やさず、言外に「まずい」と評する志眞を知っている身としては、疲労感だけが蓄積されていく。

「お団子です」

 返せば、くすくす笑い、その団子をまた口に運ぶ志眞。

 本当なら今頃、久紫のところで昼餉の支度でもしているというのに。

 突然の世話役を他に頼めたは良いが、またさつき辺りが暴走していたら。

 それを思うと、早くこの男が去ってくれないか、剣呑な光を携えて見つめる。

「小春? 言いたいことがあるなら言えば良い。私たちは腹の探り合いをする仲ではないのだから」

 邪気のない笑み。

 確かに分家なら兎も角、小春は幸乃という、春野宮とは本来関係ない家柄。

 志眞の機嫌を損ねた程度で追い払われるほど、幸乃の家は春野宮にとって軽くはない存在だ。

 けれど、小春はあまり志眞自身とは、慣れ合いたくない。

 嫌いなのだ、この男が。

 あくまで沈黙を保つ小春に、志眞は機嫌を損ねるどころか、更に笑みを深くする。

「本当、私は君のそういうところが、好きだよ」

「……………………………………………………有難うございます」

 仇敵をねめつける視線すら、志眞は楽しげに受け止めた。

 

 

 

「げ、本家!」

 そんな声が聞こえたのは、散々案内をせがまれ、ようやく帰ると志眞が言った時。

 黄昏も当に越えた路地の折、たむろしていた一人が大袈裟に反応した。

「おや分家の。こんなところで、奇遇だねぇ?」

 にこやかな笑みに毒をこっそり混ぜた顔つきに、伸介は小春の方を見た。

 疲れに首を振れば、伸介は眉根を寄せる。

「お前……今日来なかったのはそういうことかよ」

「小春? この分家と何か約束でもあったのかい?」

 論外とでもいうような表情を浮かべるのに、小春は伸介を殺気立った目で射抜く。

 口を覆うがもう遅い。

 仕方ないと隠すことなく溜息をつき、

「今、人形師様のお世話をさせて頂いています」

「ああ、宮内久紫殿か」

 ぽんっと手を打つ様に、小春と伸介が目を剥く。

 二人の様子に志眞は馬鹿にした忍び笑いをし、

「全く、幽藍の情報は本当に遅いね。宮内殿はかなり有名なんだよ? もっとも、分家なら、知ってるはずなんだけど。正月にすら本家に来ない君が知らないのは、無理からぬ話、かな?」

 分家の中でも本家筋に近い者は、正月や盆に、顔見せとして本家の元に馳せ参じるのだが、何かと問題の耐えない伸介は、呼ばれもせず、また、本人も下らないと行かない。

 咎めるより、からかう笑い声に、伸介の口がへの字に曲がる。

「行ったところで……窮屈なだけだ」

 ぼそり、呟いた言葉に、志眞は急に真面目な顔つき。

「ま、そうなんだけど。でも情報が遅いっていうのは、難があるよねぇ。君は君で良い手腕を持っているのに」

 覗く好意の光に、伸介が心底嫌そうな表情を浮かべる。

 小春ほどではないにせよ、伸介もこの男を苦手としていた。

「……ところで分家の。彼らを追わなくて良いのか?」

 唐突に話を変えて、志眞が伸介の後ろに視線を投じる。

 つられて見れば、たむろしていた連中が遠く、逃げるように駆ける姿。

 「うへぇ」と妙な声を上げて、一応志眞には頭を下げ、伸介は連中を怒鳴り散らしながら追っていく。

 残された小春は呆気に取られ、志眞は心底おかしそうにくすくす笑う。

「本当、分家だが、彼は好きだねぇ」

 ともすれば馬鹿にした言い草。

 顔を顰め、合図もなく小春が帰路に戻るのを、笑いながら着いていく。

 

 

 

 小春、と名を呼ばれ億劫そうに振り向いたのは、幸乃家の敷地に入ってすぐ。

「なんです――――」

 顰めた顔で問いかけた言葉は、喉を通らず、変わりに悲鳴が小さく鳴る。

 両頬に這う手と付きあわせた額、至近の笑み。

 一体何の冗談と、両手で胸を押そうと手を外そうとしても、効果はない。

 それでも足掻く小春の混乱を楽しむように見つめながら、志眞は語りかける。

「今日は有難う。とても楽しかったよ。本当、君といると癒されるね」

 背中が粟立つ囁きに、小春が青褪めた。

 頬に添えられた手が離れると同時に、胸を突き飛ばして離れようとする手首を掴まれ、逆に引き寄せられる。

 目元に柔らかな感触。次いでは、ちろりと濡れたものが触れた。

「――――っ!」

 悲鳴を上げかけるが、乱暴に抱きしめられ、背と頭に回された手が、暴れる小春をあやすように撫ぜる。

 息が出来ず赤くなる小春の耳元に囁きがもたらされた。

「私は明日帰るけれど……次は、宮内殿のところへでも、案内してもらおうかな」

 嫌な予感にびくんっと一度震え、急に大人しくなった頬に、志眞は満足そうに触れる。

 

 


2007/12/24 かなぶん

修正 2008/4/24

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