小春side 十四
これは、本当に布団の化け物ですね。 囲炉裏端で、こちらを闇から覗く布団の視線に、小春は呆れたような苦笑を漏らす。
しばらく惚けた様子の布団は、視線を囲炉裏に戻すと、くぐもった言葉を発した。 「シバラク、と言ったハズだが……?」 「十日も過ぎていれば、しばらく、で良いと思ったのですけれど」 返せば面白くないと鼻を鳴らす。 手伝いの報告から、長雨の間、久紫がこの布団をずっと被ったままだと聞いていたので、小春は彼の視界が狭いのを良いことに、忍び足で近づき、一気に布団を剥ぎ取った。 「アッ!?」 中から現れた久紫は眩しさに顔を顰める。 やつれてもない様子に内心でほっとしつつ、 「異人さん……もしかして……眼鏡、失くされましたか?」 非難めいた視線を逸らし、左目を押さえる久紫は、小春が布団を持っていこうとするのには、慌てた声。 「アア、布団」 「駄目ですよ。このお布団干さないと。湿気を吸って、すごく重いです」 有難いことに、長雨を終えた空は快晴。縋る声を無情に払い、物干し竿に干す。 風通しの良い久紫の家から、一歩出ただけで焼けつく陽差しに、夕方までには乾いてそうだと頷いた。 そうして左目を抑えたままふてくされる久紫に、困惑を浮かべながら小春は問うた。 「どこで眼鏡を失くされたか、覚えてらっしゃいますか?」
渋々といった様子で案内されたのは、寝所。 箪笥が数点と敷き布団があるだけの部屋の隅を指差す。 「アノ鼠の通り道だ」 なるほど確かに鼠が通りそうな隙間が、壁と箪笥に挟まれてある。覗けば、多少埃を被った片眼鏡。 けれど取るにはさほど苦にならない距離。 首を傾げる小春に久紫は気まずそうな顔をする。 「腕が……通らなかっタ。道具を使ってもミタが、丁度届かナイ」 「でも、お手伝いさん方に頼めば――」 「……ドウやって?」 心底困った、情けない顔が浮かぶ。そういえば、久紫という人は、初対面の人間と話すのが苦手であった。 「……伸介は?」 「アイツは……言ったら笑うダロウ」 むすっとした表情に、ついつい頷いてしまった。 小春の腕に道具の長さを足して、片眼鏡を救い出す際、もしかして、さつきが言っていたのはこのことなのだろうか、そんな風に小春は考える。 久紫の世話役をいつもする自分は、特別な意味はなくとも、久紫にとっては身近な人間、気安い人間なのだろう。 それはそれで嬉しい反面、淋しそうなあの背を思えば溜息が漏れる。 さつきの諦めがあろうとなかろうと、小春だって所詮、“生きてる女”なのだから。
慎重に拭いて渡せば、久紫は頬ずりしそうな勢いで片眼鏡をつけた。 小春は苦笑しつつ、耽った考えに、自分が未だ久紫に惹かれていることに気づいた。 なんて諦めの悪い。 けれど妙な清々しさを伴う想いは、捨てるのも勿体なく―― 「ナァ、幸乃の娘」 「うぁっはい!?」 あっさり機嫌の晴れた久紫に、惚けていた小春は素っ頓狂な声を上げる。 これに小首を傾げながら、 「今日は夏祭りダッタか?」 「あ、はい、そうです。延長に延長を重ねて、ですけれど……でも、異人さん、随分お祭りに御執心ですね?」 考えもせずにそう軽口を叩けば、困惑と憤慨が入り乱れたおかしな顔。 「シュウシンというか……祭りは好きダ……しかし、アレは人が多い。知らん奴バカリだと息が詰まル」 初めて聞いた感想に、小春はやはり大した考えもなく、 「では、一緒に行きませんか? 綺麗ですよ。最後に海に灯篭を流したりし……て……」 笑っていた表情が強張るのを感じる。 一体自分は何を言っているのか、久紫の呆気に取られた顔が俯いたのを見て、赤らんだり青褪めたりしながら固まってしまった。
祭り囃子が遠く、近くで鳴り響く。 渡した林檎飴を頬張る久紫は、不思議な面持ちで尋ねてきた。 「舐めて食べルのか、食べて舐めるのカ、ドッチが正しい?」 「……あまり深く考えては負けな気がします」 真面目くさった答えに、そうかと頷き、また林檎飴に口をつけた。 小春の考えなしの提案は思いのほか受け入れられ、現在二人は祭りの最中にいる。 祭りということもあり、小春は紺を基調とした花の浴衣で、久紫は白が基調の浴衣。 提灯や出店の明かりに挟まれ、買い食いを楽しむ中には令嬢もいるが、彼女らは例の噂以来、久紫に近づこうとはしない。 噂を信じている、というより、噂を信じてしまい、久紫に冷たくした自分たちに負い目があるらしい。 久紫本人は全く気にしていないが、それでもあしらう苦労が減ったためか、いつもより伸び伸びした表情に見える。 と、知った顔が現れた。 こちらに気づいて近づいてきたのに、久紫は途端気を害した顔つきになる。けれどこれを平然と受け止め、 「こんばんは、小春さん、久紫様。申し訳ありませんが、瑞穂さん、見ませんでした? ああ、でもご心配なさらず。痴情の縺れというものですから」 紺に蝶が飛ぶ浴衣のさつきが、辺りに気を配りながら尋ねる。 まるで空気のような扱いに戸惑う久紫とは裏腹に、小春は首を振って答えた。すると、すぐに別の知り合いを見つけたのか、そちらへ走っていく。 「ドウしたんだ……アレは」 肩透かしを喰らった呟きを他所に、小春はただたださつきの背を目で追っていた。
もうすぐ灯篭が流されますよ、そう振り返った肩に、両手と額が押し当てられた。 何事かと慌てる小春とは対照的に、小さな声。 「…………人に……酔っタ。気持ちがワルイ」 覗いた顔は確かに青白い。 困惑しつつも海岸を向く、閉じた茶店の外の椅子に誘導する。 屋台の喧騒から離れた静けさに、並んで座れば、くてっと左肩に重み。 瞬間に思い出されたのは、羞恥ではなく雪乃の恐怖。 更に困惑して、けれど支えのない方へ傾けるわけにも、避けて硬い椅子に寝かせるわけにもいかず、仕方なしに膝へ頭を横にして置いてみた。 ……仕方なしに、です! 自分に言い聞かせ、傍目にどう見えるかなどは、二の次と、赤くなりそうな顔を叱咤する。 「ウゥ……」 その間にも呻く久紫の背を擦る。 「大丈夫だと思ったンダが……スマナい」 「いえ、わたくしも気づかずに申し訳ございません。あ、ほら、灯篭ですよ?」 謝り返す小春の視界に明かりが一つ、流れていく。 意識を別に移せば少しは楽になるだろうと示した先を、久紫はぼんやり眺めた。 月明かりに映える美麗な横顔に、どうやら作戦は成功したらしいと一息つく。 けれどまだ青い顔が仄かな赤みを帯びているのを見、熱でもあるのではと、そっとその額に左手を置いた。 己のと比べれば、若干熱いかも知れない。 手測りのいい加減さに辟易し、離そうとした手に、久紫の手が重なった。 「……冷たイ」 滑らかな肌の感触に、戸惑いながらもじっとしていれば、重ねられた手が離れる。 完全に預けられた頭の重みに、小春はなんだか呆気に取られてしまった。 しばらくの間、遠くで揺れ流れる灯篭を追う。 と、身じろぐような感覚を膝に、小春は今しかない、そう意識を戻した。 こんな状態の久紫に、少しずるい気もするが、ここで言って置かなければ、言いそびれてしまいそうだ。 「異人さん――――」 呼べば応えとつかぬ返事。 「この前は、本当に申し訳ありませんでした」 この格好では分からないかも知れない。そう思いながらも頭を下げると、首を振る様子が膝に伝わった。 目を開け、小春は戸惑う。 てっきり灯篭を眺めていると思った瞳が、気持ち良さそうに眠っているのだから。 「異人さん?」 もう一度呼べば、音を嫌って顔を膝に埋める始末。 額からずれてしまった左手で、短い黒髪を一つ撫でてみる。 「んんっ……」 子供のように甘える音が低く漏れ、小春は益々どうしたものか悩み、戸惑い、赤らむ。 こんな姿、誰かに見られたら―――― 狭い島では噂の広がりが恐ろしく早いのを、久紫が来てから散々思い知った。 碌でもない好奇の目を想像し、けれど、気持ち良さそうに寝ているのを、起こしたものか分からず。
だからこそ、駆けて来た二つの足音に、咄嗟に息を殺してしまった。 |
2007/12/25 かなぶん
修正 2008/4/24
Copyright(c) 2007-2017 kanabun All Rights Reserved.