小春side 十八

 

 帰ってすぐ、絹江とさつきに囲まれ、何かを期待する眼差しを受けた。

 本当はこの人たち親子なのでは?などと思いつつ、笑って首を振ってやれば、がっくり肩を落とす始末。

 けれど――――

 

「幸乃の娘?」

 呼ばれて心の臓が飛び出るのではないかというほど、激しく脈打つ胸。

 慌てて振り向けば、久紫が首を傾げてから、柔らかな笑みを浮かべた。

「スマンが、茶を貰えないカ?」

「……はい」

 小さい返事をすれば、おや?という顔つきになって、近づいてくる。

「また熱デモ出たか?」

 そういって額に手を当てられ、小春は顔が赤らむのを止められず固まってしまう。

「少し熱い……カ? 気分はドウダ?」

 医者でもないのに覗き込む麗しい顔に、小春は真っ赤に顔を火照らせて、

「大丈夫です!」

 今度は元気良く返事をする。

 呆気にとられたように、ソウかと頷き戻る久紫から視線を逸らし、小春は煩い心臓辺りを押さえた。

 絹江とさつきに示したとおり、別段、看病の間に何かしらあったわけではない。

 小春と久紫の関係は、今まで通り、人形師と世話役のまま――――だが。

 に、人形が恋愛対象ではないと知っただけで、何故ここまで!?

 正直、自分の浅ましさが腹立たしい。

 可能性が一縷でもあると、久紫の行動一つ一つに、おかしな反応をしてしまう。

 休もうか。距離を置けば少しは冷静になれるかもしれない。

 そんな風にも考えたが、こうなっては辞めない限り、想いを引きずってしまいそうだ。

「それに、辞める、なんて……父様に頼まれているのですから。無理に決まってます」

 溜息をつけば、カシャン……と高い音が後ろから聞こえてきた。

 驚いて振り向けば、いつの間にか近くにいる久紫――足元には湯呑み、だった物。

 咄嗟に「動かないでください」と叫び、破片を片付ける。

 茶が来ないのに業を煮やしたのだろうと、自分の気持ちに囚われていたのを謝るつもりで、顔を上げれば、蒼白の片眼鏡。

「や、辞めル!? ……幸乃の娘……辞めタかったのか……?」

 泳ぐ目線に足が一歩退くのを、腕を引いて制止させる。

「わわっ、異人さん!? 危険ですから動かないでください!」

 けれど、掴んだはずの腕の先の手は、小春の肩を軽く掴み、もう片方も同様に置かれる。

 自然に向き合う形に照れる間もなく、

「辞めルのか? 本っっ当に、辞めてしまうノカ!? 俺に何か問題でも……いや、問題だらけだったカモしれないが――」

 妙な必死さに、小春はついつい眼を逸らしてしまう。

 まさか「貴方への想いで仕事が手に付かないから」などとは、言えるはずもなく。

 しかしこれは逆効果だったらしい。

 あーでもない、こーでもない、とおかしな妥協案染みたものを出してきた。

 しかもどれも支離滅裂。

 終いには「人形が恐ろシイのか? 人形を作るのを辞めヨウか?」と、それでは小春が世話役をする理由がなくなってしまう。

 と。

 くすくすくす……

 そんな混乱状態の久紫を笑う声が聞こえて来た。

「小春。君って凄い人気者だねぇ」

 一瞬で引きつる顔を元に戻せず、振り向けば、戸口に見知った優男の姿。

 緩く結われた薄茶の長い髪は、それより濃い茶の上着に落ち、下には新緑の着物が覗く。

 ふんわりと漂い絡みつく香の匂いは、紛れもなく春野宮志摩のもの。

「…………誰ダ?」

 恐ろしいほど不機嫌な久紫の声を遠くに、木枯らしを持ってきた志摩を凝視する。

 身の毛がよだつ寒さに、小春は冬が嫌いになりそうな気分に陥った。

 

 

「ご高名な喜久衛門殿の弟子にして、ご自身もまた、ご高名であらせられる宮内久紫殿にお会いでき、春野宮志摩、光栄の極みに存じます」

 人好きのする笑みを浮かべたまま、居間で頭を深々と下げる志摩。

 これを鼻を鳴らして受けた久紫に、新しい茶入りの湯のみを渡せば、

「小春。私にも、おくれ」

 さも当然のように言われて腹が立つ。

「志摩様? どういった御用でこちらに来られましたか?」

 苦々しい顔で茶を渡せば、手を掴まれて隣に引っ張られる。仕方なしに座れば、にこりと笑んで、

「この前来た時、約束したじゃないか。今度は宮内殿にお伺いを立てたい、と。一緒に行こう、と。でも君は仕事だっていうから、わざわざ来て上げたのに」

 一々苛立ちを募らせる、毒を含む言葉に、小春は心底呆れた風を装う。

「あらあら、それはご苦労様ですこと。どうせならずぅーーーーーっと、お待ちになっていらっしゃれば宜しかったでしょう?」

「本当、君ってつれないねぇ。私はこんなにも君を好いてるのに」

「――――熱っ!?」

 声に驚けば、囲炉裏の向こうで久紫が茶を零している真っ最中。

 慌てて立ち上がろうとするが、志摩の方が早く動き、久紫に手拭を渡した。

「大丈夫ですか? 大切な御身に火傷でも負われれば、幸乃殿に私は何てお詫びをすれば良いか」

 小春の知る志摩からは想像も出来ないほどの労わり。

 久紫の無事を確認し、安堵の息まで吐いてみせる。

 裏があるとしか思えない行動に、眉を顰めていれば、今度はこちらに手を差し出した。

「じゃあ小春、そろそろ行こうか?」

「は?」

「何だト?」

 言葉は違えど、異口同音に困惑を発せられ、志摩は心底愉快そうな表情を浮かべた。

「実は幸乃殿が君に用があるというんだ。私はその迎えなんだよ。なに、平気さ。宮内殿の世話なら、ほら――」

 志摩が指差したのを受けて、戸口から影がさっと消える。

 しばらく見ていれば、伸介と瑞穂、さつきが現れた。

「分家の彼らがやってくれるだろうから。ね?」

 にこりとこちらを向く笑みを逸らして、伸介のみ睨めば、ぶんぶん手と首を振る。

 どうやら志摩が連れて来たのではなく、遊びに来たのを察せられてしまったらしい。

 頭の痛い思いにかられて溜息を一つ吐いた。

 いくら嫌いな志摩とはいえ、父・信貴の使い以前に、世話になっている春野宮本家の三男坊。

 無碍に扱う訳にはいかず、だからといって、手なぞ取る義理もない。

 一人で立ち上がり、久紫の方を向いて、少したじろいだ。

 眼に複雑怪奇な光が宿っている。唯一判別出来たのは、物凄く怒っているらしい、ということ。

「…………し、失礼します」

 逸らしつつ頭を下げれば、返事もない。

 何故こんな目に?

 元凶を睨めばもう戸口で、にこにことして待っている。

「ほら、行くよ?」

 犬猫を呼ぶ甘い声に、どす黒い思いを抱えながら通りかかった戸口の台所。

 ふと、思いついた。

 

 

 

 帰れば帰ったで、迎えた父の顔は「もう帰ってきたのか」という途方に暮れたもの。

 察してやれやれと首を振る。

 どうせ志摩が面白半分に小春を呼ぶ役目を担ったのだろう。

 たぶん、いや、確実に、久紫の世話が終わった後でも良い用事であったはずだ。

 これを包むことなく、庭に出て興味もない木へ爽やかに微笑むのに近づき、刺を含ませて言えば、

「ああ、やっぱり分かるのか。流石は小春」

「いい加減にしてください! 今回はわたくしではなく、異人さんにご迷惑が――」

「異人さん? ……もしかして宮内殿のことかい?ふぅん……」

 にやにや面白そうな顔つき。

 段々構うのも馬鹿らしくなり、背を向ければ、また腕を掴まれる。

 抱きしめはしないものの、憤慨して「離して」と引っ張った。

 すると簡単に離す。

 質の悪い冗談ともう一度向け掛けた背に、楽しげな言葉が被さった。

「小春? 良いことを教えて上げようか?」

 どうせ碌でもないことと、それでも一応、胡乱気に振り向けば、今度こそ腕を引っ張られ、腰に手が這わされた。

 気持ちの悪さに身を捩れば、耳元に唇を寄せる。

「君のお姉さん、治せる医者がいるんだ」

 くすぐる風より届いた内容に、頬が怒りに染まった。

 「嘘っ!」と叫ぶより先に、額を寄せる顔が哀れみを表す。

「まあ、信じる信じないは君の勝手、だけどね。でも、君の父様はこのことを君に伝えたかったんだよ?」

 驚きに目が開かれる。

 志摩の瞳に初めて真実を見て。

 そんな小春を楽しむように、腕を離れた手が頭の後ろに這わされる。

 近づく顔。

 唇に寄り添う感触は――――

「…………くっくっくっ……最高だよ、小春」

 久紫の家から失敬した、しゃもじに追い立てられ、離れた志摩の顔を、この時ばかりはにこりと笑って出迎える。

「お褒めに預かり光栄ですわ」

 けれど体は寄り添うまま。

 油断なく志摩の動向を探る小春に対し、志摩はあまりのおかしさに視線を遠くへ投げる。

 と、一瞬にやり笑みを濃くして、小春から手を離す。

 すぐさま離れるのに、

「小春」

 熱っぽく呼ばれて、まだ何かあるのかと、視線だけで追えば、志摩から遠い頬に手が添えられ、逆の頬をねとりとしたものが、下から上にかけて這う。

 かっと熱くなる頭に、我を忘れて志摩を突き飛ばした。

「な、何を考えてらっしゃるんですか!?」

 怒りに叫べば、

「勿論、小春のことを」

 微笑む姿に殺気を覚えながらも、力で適うはずもない。

 出来ることといえば、口を押さえてくつくつ笑う志摩から一刻も早く離れ、怖気の走る舐められた頬を洗うことのみ。

 

 


UP 2008/3/6
かなぶん

修正 2008/4/24

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