小春side 

 

 降り注ぐ陽がじりじり小春の肌を焼く。

 買い出しのため町に下りただけなのに、崖上の家とは段違いの熱さ。

 店先で涼みつつ、用を済ませてまた戻る。

「小春さん」

 その背に声が掛けられた。

 何事かと振り返れば、甘味処でこちらを面白そうに見つめる、涼やかな顔たち。

 少々げんなりした面持ちの小春だったが、仕方なしに彼女たちに近づく。

「何か御用ですか、春野宮のお嬢様方?」

 いくらか愛想を引っ張り出して笑いを貼り付けた。

 言外に用がないなら呼ばないでください、という色に染めて。

 それには気づかない素振りで、三人の娘のうち、広い額を惜しげもなく晒す、一番身なりの良い少女――春野宮さつきがくすりと笑う。

「大変そうね」

「今日は暑いですから」

「あのお方はお元気?」

 少しだけ熱に潤んだ瞳。

 さつきのその様子に、小春はほとんどどうでもよさそうに、

「ええ、お変わりなく」

 小春の返事を聞くか聞かないか辺りで、「きゃー」やら「良かった」やら騒ぐ娘たち。

 もう用は終わっただろうと小春は家に戻ろうとして、

「小春さん、お願いがあるのだけれど。良いかしら?」

 艶めいた、からかうような顔。

 同じ年頃ながら、まだ幼さが抜けない顔の小春と比べ、美人と称されて申し分ないさつきの表情に、一瞬どきりとする。

「この文、届けてくださらないかしら?」

 幽藍島は春野宮財閥の所有する島だ。分家とはいえ春野宮の令嬢のお願い――命令を、父は側近ながら、どうしてその娘にしか過ぎない小春に断ることができよう。

 相互の立場を完璧に把握したさつきに、小春はただ、頷くのみ。

 

 

 軽く戸を叩いても返事はない。

 構わず戸を開け、小春はとりあえず買い出した品々を所定の位置に。

 障子を開けきった崖上の家には、涼しい風が入ってくる。土地柄、滅多に強風に襲われない上、虫もそうそう入ってこない造り。

 ぼんやり、夏の間だけでもここに泊めて貰えないかしら、と考えたりもしたが、あまりに浅はかな想像に顔を真っ赤にして己を叱咤する。

 現在のここの主は立派な殿方なのだから。

 前の主も殿方は殿方だが、幾分とうが立っていたから、あんまり深く考えたことはなかったが……。

 一応小春も女なのだ。精神はまだ未熟でも、体は特有の丸みを帯びて久しい。

 それに……、と預かった文を見て溜息をつく。

 こんなものを預かって、そんな馬鹿な真似をすれば、さつきに、引いては春野宮家に睨まれてしまう。

「……これ、もしかして牽制のつもりなのかしら?」

 苦笑が漏れた。

 さて、久紫はどこだろうと三間に区切られた狭い室内を、火照りを冷ましながら探す。

 だいぶ打ち解けて来た異国の男は、例の片眼鏡をつけたまま、戸口の反対側に面した開けた障子に負けないほどの、大口を開けて呑気に寝ていた。

 ひくっと口角が上がる。

 人が散々熱かったり重かったり苦しんでたのに、加えてご令嬢連中に絡まれたというのに、人形師は涼しい室内で気持ち良さそうに涎を垂らしているのだ。

 腹が立たない方が難しい。

 得体の知れない苛立ちを抱え、文でぱたぱた自分を仰ぎながら久紫に近寄る。

 ぐしゅっとその鼻が鳴った。

 それだけで頭が冷静さを取り戻す。

「異人さん、起きてください。風邪引いてしまいますよ?」

「むー?」

 がっくんともたれていた壁から体を引っぺがした久紫は、つむじを見せながらしばらく唸った後、顔を上げた。

「……幸乃の娘……か?」

 その間抜けな姿に笑いを堪えつつ、文を手渡す。茶化すように、

「分家のさつき様からです。全く、どこで人気を集めてらっしゃるんだか」

 反射で受け取る久紫に苦笑し、さて夕食の作り置きでもしましょうか、と戻る小春だったが、響いた音に驚き振り向いた。

「異人さん、何をっ!?」

 その先では遠慮なく破られる、折りたたまれたままの文。

 さつきに対して友好的な感情を持っていなくとも、一生懸命書いたであろう文の結末に、小春は非難の眼を向ける。

 対して久紫は気にも留めず、囲炉裏の細い火にこれを投げ捨てた。

 更に上がる悲鳴に似た声に、久紫は寝ぼけた表情のまま頭をがしがし、苛立たしげに掻く。

「幸乃の娘。お前、なんてモノ持ってきやがル」

「だから文です! ああもう、酷い」

 火掻き棒を使ってどうにか紙片だけでも集めるが、そのほとんどが黒ずんだり灰塗れだったり、散々なもの。

「酷すぎます、異人さん! あのさつき様が文を書かれるのも珍しいのに、こんな……」

「珍シイ?」

 惨すぎます、と言う間もなく、憤怒を抑えた声音に気づき、小春は視線を囲炉裏の紙片から久紫に移す。

 立ち上がり、嫌悪感も露わにした姿。

 手を叩いた時よりも、更に不快な表情に、蛇に睨まれた蛙の如く息を止める。

 目に浮かぶのは混乱と恐怖。

 このまま首に手を掛けられそうなくらい殺気立つ久紫に、体の震えが止まらない。

 そんな小春の様子に気づいたのか、久紫は一瞬戸惑う素振りを見せてから、大きく溜息をついた。

 溜息というより、深呼吸に近い。

 深い息に小春の怯えも治まった。

 改めて座りなおし、久紫がちょいちょいと手招く。

 近づくと、そこに座れと前を指差し促される。

 差された場所から若干、久紫より距離を置いて座った。

 不穏になったら構わずいつでも逃げられるように。

 それくらい先ほどの久紫は恐ろしかったのだ。

 

 

「外は暑かっタか?」

 開口一番の意外な質問に、小春は何を今更と頷く。

 今日は夏に入ってから一番暑い日だ。店の顔見知りも皆、ぐったりした体だった。

 本当は休みたいだろうに、休んでは日常が差し支えると、力なく笑うのを思い出し、同時に久紫が先ほどまで涼しい中寝ていたのを思い出す。

 怯えより怒りが沸々戻ってきた。

 そうして預かる羽目になった文を捨て、何故と問えば怒られるのは、あまりに理不尽だ。

 小春が本来の調子を取り戻したのを確認するように、一つ頷いた久紫は、ふむ、と顎に手を当て考える形を取る。

 何を語るつもりなのか、見当のつかない小春は、眉根を寄せた。

「暑い日、コノ国では怖い類の話をスルと聞いたが……?」

 頷いてみたものの、小春はそのテの話が苦手である。人形の髪が伸びるという話を聞いて、一時、この家を訪れなくなったほどだ。

 今でもふとした瞬間、怖くなったりする。

 何気なく、障子窓を背に座る久紫の左隣、部屋の奥隅の人間に似た人形を見る。

 たおやかに笑うその目が、こちらをちらっと見た気がして、背筋がぞくりとした。

 慌てて久紫に視線を戻せば、こっちはこっちで意味深な暗い笑み。

「では丁度良イな。今から話すのは実体験に基づく、恐ろしい話なんだが……ってオイ?」

 久紫の視線が下へ移ったのに合わせ、そろそろ逃げ出そうとする小春。

「いえ、何でもないです……どうぞ先を続けてください」

 言いながら、尚も戸口へ向かう。

「待テ、幸乃の娘。ドコへ行く?」

「ど、どこと申されましても、わたくしには何とも……」

 へらへら愛想笑いを浮かべて、草履に足を伸ばす。調子の良い笑い顔とは対照的に、顔色はすこぶる悪い。

「オイ?」

 ――その肩を久紫が止めた。

 途端、自制心を失って、置かれた手を払い、耳を塞いでしゃがみ込む。

「嫌です!聞きたくありません!怖い話とか、わたくし、本当に本っっっ当に、駄目なんです!!」

 涙目になって体まで震えだす始末。

「幸乃の娘、マテ、落ち着け――」

「いやっ!」

 見もしないで突き出した両手を受け、久紫が無様に尻餅をついてしまった。

「異人さんっ!?」

 慌てて側に寄り、身を起こす手伝いをする。

 打ち付けた背中を擦ると、反対の手を掴まれた。

 驚いてすぐ振り払おうと思ったが、苦痛に歪んだ顔の近さに思考が止まってしまう。

「イタタ……幸乃の娘、少しは落ち着いたカ?」

 立ち上がろうとするのをぎこちなく手伝いながら、次第に俯いていく小春。真っ赤な顔に久紫は気づく様子もなく、

「恐ろしい話ってノハ、別に幽霊の類じゃナイ。まあ、俺にとっては幽霊ヨリも恐ろしい話だが」

 手を引かれて先ほどより近い位置で座らされた。

 未だ顔を上げられない小春をどう思ったのか、再度深呼吸してのち、久紫は口を開いた。

 

 


2007/12/13 かなぶん

修正 2008/5/28

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