小春side 五
秋も徐々に本番に近づき、島のあちらこちらで紅葉が望めるようになってきた。 その折、約一年ぶりに帰ってきた父の第一声は、 「涼夏は元気か?」 「姉様は……お変わりありません」 「そうか」 それきりまた島を出るまで、父の口から姉の名が出ることはなかった。 小春の姉・涼夏は、ある日を境に病を患ってしまった。以降、治る気配はない。 熱に浮かされた瞳が、時折窺う小春に向けられては逸れていく。 何かを探す様子に、小春はそっと、姉の部屋のふすまを閉めた。
衝撃の夏からこの秋まで、小春はそれでも久紫の世話役を務めていた。 ただし、視線がかなり変質したのは否めない。 世話役風情と罵られ、腹が立ったものだが、確かに自分は世話役風情にしか過ぎないと、認識させられた。 ついでに、自分が久紫をどういう目で見ていたのかも。 さつきがふらふら出て行くのに、連れ立って出て行った小春は、訳も分からずその夜ずっと泣いていた。 翌日、赤く張れた目元にしばらく考えて、胸が締め付けられるのを感じ、ようやく久紫が好きだったのだと気づく。 遅い、手遅れ、なんてものは欠片もなく、玉砕してしまった恋だったけれど。 人間相手なら、祝福も呪うことも出来るが、相手は人形。 「生きてる女に興味はない」と言っていたから、さつき辺り、本当に身を投げそうだが、小春には到底出来ない。 そう考えるとさつきより、自分の想いは淡かったのだろうか。 ――――アレを恋と呼ぶのならば。 今日も今日とて戸口前に立つ小春は、少しだけ目に涙を浮かべていた。 失恋の痛みという浪漫溢れるモノではなく、人形を愛する久紫のことを考えて。 応えない相手に愛を囁く姿は、酷く悲しいモノに映る。いっそ人形が動いていたら……けれど動いていたら「生きてる女」になりそうだ。 どう転んでも一方的な久紫の想いを思うと、その姿を見る度涙が浮かんでくる。 ああ、報われない恋とはなんと悲しいものなのか。 いや、本人たち……久紫が幸せならばそれで良いのかもしれない。 気を取り直し、深呼吸のち―――― 「おは――っ!?」 戸口を背にした二人、否、人形と人形師の姿に息が詰まった。 顔が見る見る上気するのを抑えられない。 なにせ、人形の着物を久紫が後ろから脱がしている最中なのだ。 空けた戸口からの光に照らされた人形の肌は、本物のそれより艶かしい。 言葉も上げられず、茫然と様を見ているしかない小春に、久紫が怪訝な顔で振り向く。 「幸乃の娘……何をヤッテる?」 「あ、いえ、はい。お、おはようございます」 戸を閉めて挨拶する小春に鼻を鳴らして返事をする。 些か機嫌が悪いようだ。 もしかして、お邪魔かしら? ふとそんな考えが過ぎったが、それはあまりに理不尽じゃないかと立腹する。 そういうコトを行うなら、小春がまだ来ない時間にして欲しい。 こちらだって朝からこんな衝撃的な場面に出くわしたくなかった。 しかし、戸を閉め切った後で見た人形の背に、おかしな模様があるのに気づいた。 いや、模様というよりこれは―――― 「……名前、ですか?」 尋ねるつもりはなかったが、つい口をついた言葉に、久紫は忌々しそうに頷いた。 「雪乃……か。師匠だな、コレは……」 雪乃……? どこかで聞いた響きに、自分の苗字ではなかったか、と納得する。 「へえぇ。この方、雪乃さんって仰るんですね」 「人形に方やサンはいらんだろう」 愛する相手にあんまりな尖った声。 久紫ほど濃くなくとも、人形好きな小春は少々むくれる。 「酷い言い様ですね。木で造られているとはいえ、形となれば、名前くらい――――」 言いかけて、そういえばと思い出した。
帰ってきた父が久紫の元を訪れ、出来た人形を持っていく手筈になった時。 「この人形、名前あるのかね?」 尋ねる父を胡乱気に見てから、きっぱりと久紫は言ったのだ。 「ナイ」と。
「もしかして、異人さん、お人形に名前、付けない主義ですか?」 結局父が、「いろはにほへと」と番号を付けて持っていった人形の末を巡らせると、 「主義というか……モノに名前付ける酔狂な趣味はナイ。第一、師匠だって付けてなかっただろうガ」 人形を愛してるくせに奇妙な言い回し。けれど思い起こされるのは喜久衛門のこと。 「……喜久衛門様は……確かに付けてはいらっしゃいませんが」 「ダろう?」 それ見たことかとせせら笑う響きに、無性に腹が立った。 「けどそれは、お人形を手にした方が付けるのが良いと、末長く可愛がって頂くためだと仰ってました!」 つい声を荒げてしまった後で、驚く視線に気づいた。だがそれも束の間のこと。 人形の服を元に戻しながら、 「師匠と俺は違ウ。求める方向性も、理由も……」 呟く声は喜久衛門を語る時には、決してなかった冷たいもの。
外の空気を吸ってくると出て行った久紫を見送って後、小春は雪乃と名前が分かった人形の元へ。 久紫の言っていた、方向性が気になった。 恐る恐る、美しい手を取ってみる。 玉の肌とはこういうのをいうのだろう。 滑らかな出来栄えは、喜久衛門ではなく、久紫のものだと分かる。 対して、柔らかな笑みは間違いなく、喜久衛門のもの。 最初見た時ははっきりと分からなかったが、久紫には完璧な造形は作れても、感情表現に欠ける部分がある。 逆に喜久衛門は作る人形全てに多彩な感情はあるものの、どこか人形の硬質さを残した質感があった。 双方の足りないものを掛け合わせて造られた人形は、小春の目に特別なものとして映った。 「……雪乃さんって、とても愛されているお人形ですね」 吐息のように囁くと、柔和な顔が、更に華やいで見える。 羨ましい気もする、綺麗な微笑み。 師匠と弟子が、その時持ちうる全ての技術を駆使して作り上げた人形だ。 だからこそ、久紫も惹かれて―――― 「でも異人さん、雪乃さんの名前は知らなかったみたいですね?」 目線は人形に合わせながら、小春は小首を傾げた。 それ以前に久紫は人形に名を付けず、モノとまで言いのける。 理由が関係しているのかしら? 考える。けれど詮索するつもりはない。それは世話役の務めではないから。 両手で包んでいた手を離し、髪を一つ撫でてみる。 手触りは―――― 「これは……人の髪?」 珍しいと思った。 喜久衛門にしろ久紫にしろ、使うのは動物の毛が主。 その理由は前に喜久衛門が「人の髪ってのは、情があり過ぎるからな。出所も不明な場合が多いから怖くて使えないんだ」と、冗談めかして言っていた。 尤も、冗談めかしていたのは声と顔だけで、目は暗い光を携えていたのだが。 「背中の文字……異人さんが気づかなかったのは、肌以外、全て喜久衛門様が?」 尋ねたところで返ってくる答えはない。 雪乃…………ユキノ…………ゆきの………… 妙に引っかかる、苗字と同じ響きの名。 「ゆ――――」 「幸乃の娘」 口にしようとした名に、苗字が被さる。 驚いて戸口を向けば、久紫が居心地悪そうな顔をして立っていた。 先程の非礼を詫びれば、いいんだと首を振り、 「資料が欲シイ。案内して貰いタイ」 「はい、只今」 草履を履いて久紫に向き合う。 「どちらまで?」 笑みを浮かべて尋ねると、視線をはずす。酷く面倒そうな、諦め混じりの溜息が吐かれた。 「…………師匠が好んでイタ場所なのダガ」
ひくり、自然な笑みが愛想笑いへと変化を遂げた。 |
2007/12/13 かなぶん
修正 2008/4/24
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