小春side 七
もうすぐ年明け間近の冬は、徐々にあかぎれた指に冷たさを纏わせていく。 山吹色の着物に、赤い上着を一枚羽織り、肩口までの短い髪を揺らしながら、今日も今日とて久紫の元へ向かう小春は、かなり困惑した表情を浮かべていた。
秋に久紫を花街に案内した帰り、悪酔いした彼を伸介に預けたのだが、それからというもの、どうも久紫の様子がおかしい。 伸介に問いただそうと思っても、町に住む恋人の下にすら中々現れない放蕩者。 そうした様子は小春を介さずとも伝わるもので、町ではある噂が流れていた。 曰く、久紫と伸介はただならぬ仲なのではないか。 噂の理由は小春にも察せられた。 どれだけ令嬢に騒がれようとなびかない、町外れに住まう久紫と、どこにいるのか狭い島ですら検討の着かない伸介。 「……でも、伸介は生来の女好き」 呟いて、幼馴染のにやついた笑みを思い出す。 恋人を大切に想っている反面、小春にすら気安く付き合えという、しょうもない奴だ。 そんなことがありえるものか。 しかし、そこではたと思い当たり、ついでに足も止まる。 「でも、異人さんは“生きてる女人”はお好きではない。つまり、生きてる殿方は……好きなのかしら……?」 女のような手や冷淡な異国の美貌からは察せられないほど、久紫の力は強い。もしかして酔った勢いで? と想像を巡らせて、ぶるぶる頭を振った。 「はしたないわ、小春。そんなこと考えては。もしそうだとしても、世話役の仕事はきちんとこなさなくては!」 ぐっと拳を握って空を見上げる。 今にも雪が降りそうな曇天は、木枯らしを一つ、小春に落とした。
「ひっ」 戸を開けて挨拶後、顔を上げれば件の二人が囲炉裏越しに、向かい合って座っていた。 「……幸乃の娘……シャックリか?」 「よ、邪魔してんぜ」 訝しげな黒い瞳の片眼鏡と、やけに明るいざく切り頭に迎えられ、小春は無理矢理笑顔を引っ張り出す。 「し、伸介……寝坊の貴方が珍しい。いかがいたしまして?」 尋ねれば、久紫と視線を交わし、気まずそうな苦笑を浮かべる。 まさか噂は本当だった? 訳ありな二人の様子に部屋に上がることも出来ず、戸惑い立ちすくむ。 問いただして、事の真相をはっきりしたところだが、違っていたら伸介は兎も角、久紫はかなり不機嫌になりそうな…… 悶々と悩む小春を他所に、伸介がその視界で動いた。 「あー、俺、用事あるから、もう帰るわ」 「ソウか」 幾分残念そうな、久紫の縋る響き。 「じゃな」と草履を履いて横を通り過ぎる伸介に、我に返った小春は追おうとするが、 「幸乃の娘。悪いガ茶を頼む」 そう言われれば、戸口が閉まるのを見送るしかなかった。
おずおず差し出した茶に、 「アリガとう」 と言われ、小春はひくりと愛想笑いを返す。 最近、久紫は礼というものを憶えたらしい。前までは何をやっても当然のような顔をされ、時折腹も立ったたが、これはこれで気持ちが悪い。 何か、とてつもない秘密を隠しているような、付け加えられた柔らかな微笑みが恐ろしい。 すすす……と離れて、こっそり様子を窺う。 茶を二、三口に含んだ後で、久紫は人形造りに没頭し出した。 なんとも為しに息が漏れかかり、慌てて口を塞ぐが遅かった。気がついた久紫がこちらを見る。瞬間的に怒鳴られる、と身構える小春だったが、 「ドウかしたか?」 「い、いいえ……欠伸が」 そんな言い訳をすれば「ソウか」とまた人形を相手にする。 信頼を得て、徐々にこんな風に変化するならば、小春もここまで気味悪がらずに済むのだが。
花街で目的だった資料が、姉様方の仕草なのは、今現在作られている人形を見れば分かる。 どれも艶やかな質感の、美しい肌。綺麗な角度を保った姿勢。 そして――――表情。 今までの硬質なものから幾分和らいだそれは、久紫にしては珍しく豊か。 思い返せば喜久衛門も、花街帰りに造った人形は、質感が豊かになっていた気がする。 仕事も滞りなく終わり、手持ち無沙汰になった小春は、雪乃の髪でも梳こうかと部屋奥の彼女を抱き、慎重に持ち上げる。 小春より若干大きい雪乃に苦労していると、急に軽くなった。見れば久紫が雪乃の体を持ち上げている。 「ドコに置く?」 「へ?あ、ああ、はい、窓の前でお願い致します」 降ろされた人形に礼を言えば、手を振って応え、また人形造りに戻る。 妙な懐かしさに小春は首を傾げながら、項垂れる雪乃の髪に触れようとして、そういえばと膝の上にその頭を乗せた。 変わらぬ端整な微笑みの頬に、小さな汚れがある。 染み付くものではないが、慎重に拭う。 気にもせず微笑む雪乃に苦笑を浮かべ、 「綺麗なお顔が台無しよ……?」 ――可愛いお顔が台無しよ? 重なる声音。 はっと顔を上げ、きょろきょろ辺りを見渡せば、こちらに視線を向ける久紫と合う。 些か驚いた表情に、自分の奇行を恥じて頭を一つ下げた。恥ずかしさに雪乃の顔だけを意識して見つめる。 綺麗になった頬に手の平を当て、数度撫でると、微笑がくすぐったそうな色を浮かべた。 また、懐かしさに囚われる。
幼い初恋が終わったのは、ある女性が喜久衛門と共に現れた時だった。 陽気な爺様の後ろに控えた女性は美しい黒髪に、麗しい微笑みを携えた人。 自分の恋心そっちのけで、小春は喜久衛門に言ったものだ。 「喜久じい様、今年でおいくつでしたか?」 「これこれ小春や、明らかに彼女を見ながら言うのはお止め」 照れより困惑が先に立った皺の、まだ少ない顔。 これを受けて女性はたおやかに袖口に手をあて笑う。 「ふふふ。ありがとう、可愛いお嬢さん。でも私、喜久衛門様と十も違わないのよ?」 「…………老け顔?」 今度はしっかり喜久衛門の方を見て言えば、当人は更に項垂れ、女性は更に笑った。 彼女が喜久衛門を慕う様は、幼い小春でもすぐに分かった。 この女性の華やかな微笑みは、気づけば喜久衛門以上に心を捉える。 だからこそ失恋の痛みも知ることなく、にっこり尋ねられた。 「ねえねえ、お姉様は、喜久じい様のどこがお好き?」 茶を多分に含んでいるのを見計らった問いに、囲炉裏端で喜久衛門が盛大に吐き出した。 しょうのない人、と笑う女性は、膝上で己を見上げる幼い目に、 「全部、かしら?」 悪戯っぽく笑えば、もう一度含んだ茶に喜久衛門が咽かえる。 恨みがましげな視線を受け、きゃらきゃら笑っていると、女性があら、と小春の頬に手を当てる。 「煤がついてるわ。ふふ、じっとして。可愛いお顔が台無しよ?」 柔らかな布と優しく触れる指が妙にくすぐったい。 お返しに女性の頬に触れれば、女性もくすぐったそうな顔を見せた。 笑う二人の様子に、仲間はずれの喜久衛門が情けない声を掛ける。 「なあ“――――”、小春、どちらでも良いから茶をおくれ」
「――、スマンが茶をくれ」 喜久衛門に重なった声音に、我に返った小春は、 「はい、喜久爺様……あ、れ……?」 「…………俺は……師匠じゃナイぞ?」 かなり不機嫌な顔つきの久紫。 慌てて謝り動こうとして、雪乃の頭がまだ膝上にあるのに気づいた。 すっかり気が動転してしまい、身を起こすのに手間取っていると溜息が漏れる。 「イヤ、いい。やはり、自分でヤル」 立ち上がる姿に、申し訳ない気分と多少の腹立たしさをない交ぜにした視線を送る。 仕事中に何をしているのかしら、わたくしは。でも、やはり、なんて…… 暗に役立たず呼ばわりされた気がして、少し剥れた。 「喜久衛門様はそんなこと言わないのに」 ぼそり口をつく言葉。 と、窘めるような膝上の微笑に、ふっと小春の顔が和らいだ。 「でしょう、“雪乃様”?」 思い出した名前に、苗字に似ない響きが含まれる。 |
2007/12/18 かなぶん
修正 2008/5/28
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