久紫side 十二

 

「な、なんていうか……お前、手馴れてるな。俺だってそんな……」

「脱がさなけれバ何も始まらナイだろう? ソレに言い出シタのはお前だ。責任を持って付き合え」

「うへぇ……」

 心底嫌そうな声を聞いても久紫の手は休むことなく動き、最後の一枚がはらりと床に落ちては、伸介の顔が真っ赤に染まった。

 

 

 話は少し前に遡る。

 その日来た世話勤めは、噂に踊らされ久紫を敵視したことを詫び、続けて今日は小春が来られないのだと詫びた。

 

 戸口が開いたのを受け、はっとして振り向き、ざく切り頭の持ち主と知っては作業に戻る。

「んだよ、つれねぇなぁ。俺とお前の仲だってのに……いや、違うぜ、そこ、目を逸らすな!」

 入ってくる気配が他方を向いたのを知り、追えばぎょっとした顔つきの手伝い。

 己まで否定を口にすれば、一生懸命さが逆に怪しまれそうで、伸介一人に全て任せ、馬鹿馬鹿しいと鼻を鳴らすに留めた。

 すると、手伝いはバツの悪そうな顔を浮かべ、買い物へ行ってくると出て行く。

「……お前ってさ、結構、良い技持ってるよな?」

「何の話ダ?」

「いやぁ、お陰で妙な噂が綺麗さっぱり、消えてくれそうって話だ……ところで、小春はいないのか?」

 珍しいと辺りを見渡す伸介は、招いてもないのに囲炉裏近くに腰を下ろす。

 わざとらしく映った様に、今度は不機嫌を余さず加えて鼻を鳴らし、人形作りを再開する。

 現在久紫が手掛けているのは、カラクリ人形の頭。

 その数、二十。

 一列に転々と並べられた同じ顔は、数が満たされるのを待つ風体で、棚から久紫へ熱心に視線を注いでいた。

 ひくり、しゃっくりに似た声が背にした伸介から漏れ、気付いたかと薄く笑いが零れた。

「な、なんだ、この首……ど、胴体は!?」

「胴は受注の内にナイ。ドコぞの有名なカラクリ師が合作を申し付けテきたんだ。一体だけ作る、と聞いたガ、失敗しても良いヨウ、予備に沢山欲しいト言われてナ」

「失敗って……こ、小春は……大丈夫なのか?」

「アア。人形はコンナ状態でも平気ラシイ。先程の手伝いは卒倒しカケタが、流石は小春ダ」

 自然に綻ぶ口元だが、途端、端が下がっていく。

「ダガ……今日は来なかっタ。モシカすると、本当は恐ろしかっタのではナイか?」

 自問には伸介から否と答えが届き、くるりとそちらを向く。

 苦笑混じりに迎えられては顰める顔。

「大丈夫だって。最初の反応がなんともないなら。けど……恐ろしい、か。案外良いとこついてるかもな?」

「イイとこ?」

「ああ。ほら、あの人形だよ」

 親指でぞんざいに差されたのは、小春を精神的に追いつめようとも大切な生き人形。

 今日も変わらず微笑む姿を見た伸介は、頭部を傾け、

「お前さ、小春が倒れたの気にして、全然考えてなかっただろ。なんでコイツ、動いたんだ、とかさ?」

「あ……」

 言われてみれば確かに。

「もしかしてさ、コイツ、カラクリ仕込んであるんじゃねぇのか? 小春って幽霊の類死ぬほど嫌いだけどさ、仕掛けで動いてるんなら納得するぜ、きっと」

「カラクリ……」

 手元の小さな首を見つめる。

 穏やかな微笑が等身大の人形に重なった。

 

 

 

 

 

 そうして話は戻り、人形の着物を鮮やかな手並みで剥ぎ取った久紫は、普段お調子者の割に小春の言う通り純情な伸介へ、少しだけ眉を寄せ――。

「ほお? 久方ぶりとはいえ、珍妙な趣向を好まれるようになりましたな、宮内殿?」

「「キャアッ!?」」

 背にした戸口からの温和な声に、伸介共々、高い悲鳴を上げる久紫。

 とんでもない場面を見られた気分で、剥いだばかりの着物を人形に被せて振り返れば、興味深そうな色を目に宿す、中年の男がいた。

 声に似つかわしい温厚な顔つきと恰幅の良い身体。

 着物と同色の茶色い山高帽を軽く上げれば、白髪の入り混じった黒髪が数本、彼の額に落ちた。

「……ふむ? 大の男が揃いも揃って、昨今の女人にも聞かれぬような可愛らしい悲鳴を上げるとは…………いやはや、齢は取りたくないモノですな」

「ノ――――ノブタカ殿…………い、イツこちらへ?」

 久紫を幽藍へ誘った小春の父・幸乃信貴は、娘に世話役を託してから、受注を手紙で済ませるばかりで、一度もこの家へ――久紫の下へ来ていない。

 非難はないが、それにしても突然すぎる訪問に混乱したなら、柔和な笑みから品定めする光が出現した。

「ほほう。信貴殿、ときましたか……やれやれ。これでは絹江の言う通りではないか」

「キヌエ……アア、小春の母――デハなくて、奥方ノ」

「ええ、ええ、そうですとも。しかし、人の名をなかなか憶えてくださらない貴方が、私の家族の名を留められているとは……それも小春に関してはイヤに流暢ですな?」

 奥深くを探る、ともすればからかっているような闖入者の台詞に、久紫は真っ白になった頭で首と手を振った。

「ぃあ、ち、違う。俺は別に小春を妹のヨウに思ってるナンテ、コレっぽっちモ。ダカラ大丈夫だ、ノブ――幸乃殿」

 ここのところ小春ばかりが目に入る久紫にとって、幸乃といえば小春を指す代名詞でしかなかったことに気づき、ついでに久紫は自分が目の前の男を「幸乃殿」と呼んでいたことを思い出しては、不恰好ながら言い直した。

 けれど信貴は気に入らなかった様子で、神妙な表情を浮かべ顎を擦る。

「のぶゆき、の殿……はて、そのような者は知りませぬが…………小春は妹、ですか?」

「妹――うあ……」

 つい先程己が何を口走ったか思い出しては、妙な羞恥から顔が染まっていく。

「ふむ? そうなると、私は宮内殿の義父になるのか」

「ぇう……チョ、チョット待ってクレ、幸乃殿。確かに奥方はハハと呼ばれてイイと」

「絹江が? やれやれ。あれも気の早い…………そう思いませんかな、伸介様」

「げ」

 弁明を図ろうと必死の久紫を他所に、信貴が話を振ったのは、死角から出て行こうとするざく切り頭。

 呻いた表情は、喜久衛門に似ていると評した時より増して嫌そうに歪み、信貴の視線が外されないのを知ると、渋々といった様子で久紫の近くまで戻って、珍しく正座をした。

 姿勢までぴんと正したなら、自分の目に映るコイツは本当にあの伸介なのだろうかと疑いたくなるほど、真面目な視線を信貴へ返している。

「私如きに様はお止め下さい、信貴様。春野宮に名を連ねるとはいえ、末端の、それも愚にもつかぬ行いしか知らぬ者、敬称なぞ無用にございます」

 そうして出てきたのは殊勝な語り口。

 これへ、久紫は目を見張って、心からの感想を述べた。

 最近では噂を恐れて人目のある時にばかり訪れる彼の、聞き慣れた名前をきちっとした発音で呼びながら。

「伸介…………気持ち悪」

 自然と呼ばわる名に最初の方こそ驚いた伸介だったが、慣れてからは一段と砕けた口調を用いて言う。

「うっせぇ! んなこと俺が一番よく分かってんだよ! けど仕様がねぇだろう、相手は幸乃家の主で、本家の懐刀なんだから!」

「幸乃家の主……家長はキヌエ殿デハ?」

 信貴そっちのけで、小声でそんなやり取りをしていれば、至近から興味深そうな声が届く。

「ほう? 家長は絹江ですか。いやはや、確かに」

「「うひゃっ」」

 いつの間に近づいたのだろう、声の発生源を振り返った久紫たちの眼前には、しゃがんだ信貴の顔があり、驚いた二人は大きく後ろへ仰け反った。

「なんと大袈裟な。人を化け物か何かのように……少々傷付きますな。それに伸介様、敬称は私にこそ相応しくありません。話し方もどうぞ改めず、今まで通りで。そちらの方が面白――いえ、気安いのですから」

「…………相変わらずっすね、小春の父ちゃん」

 まだ心臓がバクバク脈打っている久紫とは違い、苦渋を目一杯表情に乗せた伸介が唸れば、信貴はにっこり笑って、二人が仰け反り空いた場所を指差す。

「それで、人形相手に何をされているのですかな? 義父としてはとても気になる部分なのですが」

「ノ、ノブタカ殿?」

 珍しい詮索よりも義父と称されたことに、乱れた呼吸のまま呼べば、信貴はそれはそれは楽しそうに「何でしょう、久紫殿」と尋ね――――

 

 久紫は何故か、胸を刺す痛みに襲われる。

 

 

 

 信貴に事の顛末を告げれば、一瞬だけ、商人の目に親の遠くを見る目が加わった。

 喜久衛門が過去にした仕打ちを浮べているらしいそれに、どう言ったものか惑えば、一転、喜久衛門の同門であり道を違えたカラクリ師の情報が与えられた。

 

 次の日。

 やってきた小春が人形を見て驚いたのを受け、昨日来なかった理由はやはりこの人形にあったのかと久紫は納得した。

「幸乃の娘……チョット来い」

 目は人形に投じたまま小春を呼び、着物を脱がせた腹の一箇所をぐいっと力を込めて押す。

 すると、昨日確認した通りに、歪な線なぞなかった腹が外へぱっくり開かれた。

「ひっ……え、これは……」

 小春が驚くのも無理はない。

 なにせ彼女の父が腹の先を見て、「内臓のようですな」と評した通り、中には赤や白の糸が張り巡らされており、重なった箇所はまさに人の臓物を髣髴とさせる輪郭を模っているのだから。

「ああ、コレは――――」

 そう言って、ようやく小春の方を振り向いた久紫は、まさか肩越しに覗いているとは知らず、一瞬、固まってしまった。

 次いで愛想のいい加減さはあっても微笑まれ、巡り始めた熱を恥じるように息を吐く。

 小春を妹と思っている――そう己を結論付けた久紫だったが、彼自身に妹がいた経験はない。

 ただ、伸介の眼差しが、小春に対する自分の眼差しと似通っている気がして、そう思っただけで……。

 ……妹、というのは、ここまで胸を高鳴らせる存在なのだろうか。

 などとトンチキなことを思いつつ、人形の腹の糸を一つ、指で持ち上げた。

 やはり昨日確かめた通り、糸と同じように人形の腕が持ち上がる。

「カラ……クリ……? 喜久衛門様は、カラクリを?」

「ダな。アル動作をさせる、もしくはこちらがスルと、反応を返すヨウに出来ているミタイだ」

 腹に糸を帰すと、腕は下がる。

 開いた腹を閉めて、上半身を起す。

 ここからが本番と、昨日やった時には少しばかり躊躇した動作に気を引き締める久紫。

 無防備でしかない、けれど記憶の中の雪乃に似た背中へ、恐る恐る抱きつく。

 そのままふぅと雪乃の耳元に息をかけた。

 たったそれだけで、意思のない人形の腕が、前へ回された久紫の腕をそっと握る。

 人形のモデルである佐々峰雪乃に、儚い想いを抱いたことはあっても、こんな動作を己からも彼女からもしたことはない。

 だというのに、人形を雪乃と錯覚してしまいそうなのは、使われている髪が雪乃自身のモノだからだろうか。

 久紫にしろ、喜久衛門にしろ、人毛を使って人形の髪を仕上げたことはなかった。

 特に喜久衛門は、大枚を積んだ先方が、用意してきた髪で人形作成を頼もうと、断固として人毛の使用は拒み続けていた。

 時には、人を喰ったような好々爺の面を剥ぎ取ってまで。

 理由は終ぞ聞かなかったが、小春に毎日の如く梳かれ、生前同様の美しさを誇る濡れ羽色の黒髪が、全てを物語っている気がした。

 人形には不必要な生きた質感。

 そこへカラクリが加えられては、生無き器にさも命が宿ったような異質さが増し―ー。

 ギギギギギ……、かたかたかた……という音が、久紫の耳朶を打つ。

 カラクリによって、ゆっくり、人形の顔が久紫へ向けられ、その肩にかくんっともたれかかる。

 その黒い瞳は、髪に反して無機質な闇に、片眼鏡の人形師を陥れ――。

 似たような瞳で感慨なく人形を映していた久紫は、小春の惚ける声で我に返った。

「これって……」

「ドウやら、抱きしめて耳元で風が起きると動く仕組みラシイ。アク趣味極まりない……が」

 久紫がもたれる頭を捩って退けると、人形はまただらりと腕を垂らして俯く。

 これを寝かせて着物を調えつつ、久紫は髪と瞳の歪さに眉を顰めた。

 あれほど人毛を使うことを拒んでいた男がそれを用い、道を違えたはずの男を頼って己では為せない動作を身につけさせ――――結局、捨てられた哀れな人形。

 否、喜久衛門は人形を手放しはしなかった。

 最期まで。

 だからこそ、黒髪はどこまでも美しく整えられ――他は久紫が手を加えなければ朽ちる一方だった。

 小春には人形の手入れなど出来ないと言っていた久紫だが、それは売られていく自作の人形に関してであって、雪乃と名の刻まれたこの人形は別。

 尤も胴体に関しては製作者だろうが、そこは喜久衛門の手前、まさか脱がすわけにもいかず、結果、背中につけられた「雪乃」のクセ字やカラクリに、今の今まで気づけなかったのだが。

 死してなお、雪乃の死を引きずる師の影を、まざまざと見せ付けられた気分は酷く息苦しかった。

 もし、一人でこの事実に対峙していたなら――考えるだけで眩む視界を動かない気配へ向ければ、温かな安堵が胸に広がる。

 そう。一人ではないから、小春や彼女の周りの人間がいたから久紫は、合作の人形に秘められた闇を知っても、自暴自棄にならなくて済むのだ。

 

 喜久衛門を失った後のような――彼の皺くちゃの手が久紫の手を取る前のような、自棄を起さずに。

 

「コレで安心したカ?」

「……へ?」

 それなのに当の小春は、気の抜けた返事をした。

「……もしかして、わたくしのため……だったのですか? 今の」

 なんとも惚けた問いかけ。

「他に誰がイル?」

 つい強い口調でそう言ってしまった久紫だが、ここにきて己の行動が全く説明のないまま進んでいたことに気づいた。

 急にバツが悪くなり、語気を若干弱めて経緯を口にする。

「聞いたゾ? 伸介から、アイツは幽霊の類が死ぬホド嫌いだカラ、もしかすると、ココにはモウ、来ないかもしれナイ、と」

「来ないって……来てるじゃないですか、こうして」

「…………確かにソウだが……」

 つれない言い草がちょっぴり寂しい。

 妹のように考えている小春の不安を少しでも取り除けないか、との思いから行動を起したのに。

 その裏に、昨日のように突然世話役を交代されたくない、我が侭があるのも自覚しているが。

 もっと言えば、仮に交代しようとも、小春が来てくれさえすれば、久紫の心配は払拭される。

 妹――ひいては家族を小春に投影してしまった久紫にとって、自分の目の届かないところにいる彼女は、常に心配してしまう対象なのだ。

 

 本当の家族の関係もよく知らないから、余計に。

 

 そんな情けない、久紫の中だけの兄という役割へ、妹は何かしら感じてくれた様子で笑んでくれた。

「あっ、でも、はい、安心しました。これで心配なく来られます、有難うございます」

「ソウか……」

 きっと世話役だからこその気遣いなのだろう。

 礼と笑みに返す相好が崩れていく。

 けれど用が終わったとばかりに、その後口数少なく、仕事をこなしていく彼女を見ては、自嘲が久紫の中に生じた。

 

 不恰好なおままごと。不完全な家族ごっこ。

 彼の中だけにある、偽物の役割。

 

 昔はそれを嫌ったはずなのに――――

 

 小春の姿を端に入れては項垂れる耳へ、幻聴の嘲りが響いた。

 人形と重ならない嘲りが、一つだけ。

 

 


UP 2008/9/16 かなぶん

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