久紫side 二十

 

 それから程なく訪れるのは、新しい世話役。

 久紫の接し方は、今までと何ひとつ変わらない。

 一定の距離を保ち、彼女らは家事を、久紫は人形を作るだけ。

 久紫の周りで変わったことがあるとするならそれは、あれ以来、伸介たちが訪れないこと。

 

 希薄な人間関係、築き上げた冷ややかな壁。

 今はどれもが心地良く。

 ――虚しい。

 

 

 

 来客が、あった。

 久紫の許しも得ず、世話役へ暇を申し付けた男は、幸乃信貴。

 明日の朝、島を出るのだと言う。

 いつ来たかも知れぬ男がいつ立つるなぞ、どうでも良いことだった。

 作り掛けの人形へ、険しい顔をするのも、同様に。

 出来の悪さは久紫が一番良く分かっていた。

 だからこれは、売り物ではない。

「……売りますか、これを」

「イイヤ。出来の悪さは分かってイル。そんなモノ、売れるハズがナイ」

「……売れません、か。……そうですな。売り物にはならないでしょう、こんな――髪の短い人形なぞ」

「ダロウ?」

「……人形でなければ、売れるのでしょうがね」

「……幸乃殿」

 何を言いたいのか察し、呼べば、何も聞かない優れた目利きは問う。

「いかがされましたかな、宮内殿?」

「イヤ……ご息女は、息災カ?」

「……さて。一人は元気ですが、一人は臥せております」

 まるで謎掛けのような応え。

 思い出すのは、幸乃の家には小春の他、長子がいる話。

「ご息女は二人だったカ……」

「ええ。もう一人は涼夏、と申します。長いこと臥せっておりますが――」

「…………ソウ、か」

 つまり、彼女は元気なのだ。

 安堵する――はずが、何故か残念に思う。

 久紫が付けたと後悔した瑕すら、彼女は気に留めず、ただ、気まずさから来ないだけと知って。

 気落ちする人形師を流石にまずいと思ったのか、けれどそんな気配は微塵も感じさせず、信貴は袖を捲った。

「さて、勝手に世話役を帰した手前、料理の一つでもしませんとな」

「…………………………は?」

 聞き間違いかと思った。

 が、上げた顔に映る信貴は、たすき掛けを勇ましくしており。

 茶色の山高帽は脇に置き、懐から鉢巻を取り出しては頭に締めて。

「宮内殿、注文はございますか?」

「ぃい? ほ、本気カ?」

「ええ、本気ですよ? さあさ、ご遠慮なさらず。どうせ材料費は宮内殿の負担なのですから」

 浮かんだのは、とても爽やかな良い笑顔。

 と、連なる記憶。

 確かあの時、喜久衛門は「ノブ坊」と口を動かして――

「…………幸乃殿」

「はい、何なりと」

「…………俺の記憶に誤りがなけれバ、貴殿とは昔、会った覚えがあるのだが」

「ええ、ございますよ?」

 なんでもないことのように、あっさり頷く信貴。

 あまりの潔さからぎょっとする久紫は、注文をせがまれて「握り飯」と答え――

 

 古今東西、あらゆる具材を駆使した握り飯が並んでは、財布より腹が心配になった。

 

 

 

 最後に汁を啜れば、残ったモノは晩にでも食べれば良いと信貴は言う。

 こっくり頷くだけでも苦しい腹を生み出した握り飯は、流石彼女の父というべきか、どれも皆美味しかった。

 だが、しばらく握り飯はいらないな、と思う久紫。

「それにしても、世話役たちの言う通りですな。しゃもじがないとはこれいかに」

「シャモジ?……なかったのカ?」

「ええ。はて? 宮内殿も知らぬとは、鼠にでも齧られましたかねぇ?」

 のほほんと言って、しばし沈黙。

 のち。

「…………宮内殿は、待つのが苦手ですか?」

「?」

 突然そんなことを聞かれても、疑問符だけが頭に浮かぶ。

「いや、私は昔から苦手でしてね。……けれどある時、思ったのですよ。待つことは相手を信じることに似ていると。要はそれまで、何かを信じることが出来なかった話で」

「幸乃――」

「久紫殿」

 遮られる呼び名は、暗に告げる。

 これから言わんとする話から逃げるなと。

「――――待っては、下さいませんか?」

「……何を」

 小さな抵抗。

 跳ね除け、柔和な眼が灰と黒を射抜く。

 深みまで覗くように。

「断つことを、全て。そして――待っていて欲しい。親の欲目と言われたならそれまでですが」

「ノブ」

「さて、長居をし過ぎましたかな?」

 何も、久紫へ許さぬ信貴。

 呆気に取られている内に、せかせかと帰る姿が戸口へ向いて。

 それこそ逃げる風体は、本当に待つのが嫌いなのだろう。

 けれど言いたい。言ってやりたかった。

 だって、貴方の娘は……

「だぁもう! 絹江には違反だの言っておきながら、何たる不始末。阿呆か、私は……」

 小さく戸口へ罵る声が届いて、目を丸くしたなら、気まずそうな中年男が振り返る。

「聞こえ、ましたよね…………聞かなかったことにしてください」

「……あ、アア」

 頷けばいつも通りの笑みを浮かべ、会釈しては去っていく。

 結局、本当に、何ひとつ久紫へ反論を許さなかった事実に行き当たっては、胸の中の喜久衛門が一人ごつ。

 ――な? 狸とだけは、あ奴に言われとうないだろ?

 空耳への肯定は間を置かず為され。

 

 

 

 

 信貴が島を出て数日後の夜半。

「御免くださいまし」

 聞き覚えのない、涼やかな声音が戸口の向こうから聞こえた。

 しん……と鎮まり返った冬の空気によく響くそれは、女の物だが、だからこそ久紫は応じたものか迷う。

 久紫に飽いたのか、このところ久しく、纏わりつく女に遭わず。

 かといって油断を持った憶えはないため、こんな時間に訪れる女へ警戒は募るばかり。

 蝋燭の明かりがあるので居留守は使えないが、人形造りに没頭していると相手が思えば――

「困りましたわ。小春さんのことで、とても大事なお話が――」

 がったんっ! と、大きな音を立てて、戸口が開いた先。

 薄布を被った妙齢の女が、にこりと微笑んだ。

 

 

 茶を出せば、女が目を丸くした。

 世話役に家事を任せている男が、茶を入れられることに驚いたのだろうか。

 礼は言いつつも決して手を出さず、「良い色ですね」と物珍しそうに見る様。

 内心では不味そうと思っているのだろう。

 けれど、女の無礼はそれに限らない。

 尋ねてきたくせに開けた戸は閉めず、外よりかは温かい室内でも被った薄布は脱がず。

 たおやかな仕草とは裏腹に、やっていることは傍若無人。

 半ば呆れる久紫。

 女へは勿論のこと、彼女の名を聞いただけでそれを招いた己に対しても。

「わたくし、小春さんの姉ですの」

「……確か、スズカ、だったカ」

「あらまあ。どこでその名を? 小春さんが紹介するとは到底思えませんが」

 のほほんとした言い草は信貴に似、小首を傾げる仕草は絹江によく似ていた。

 よって、姉という言を容易く信じた久紫は、信貴が尋ねてきた旨を告げ――。

 妙な違和感を抱く。

 つまり信貴は、家族にここへ来ることを告げずに来たのかと。

 そして、もう一つ。

「……シカシ、臥せてイルと聞いたガ」

「ええ。臥せっておりますよ。今はだいぶ、起き上がれるようにはなりましたが」

 己のことだというのに、他人事のような語り。

 この女……人の話を聞いているのだろうか?

 いぶかしんでじっと見つめれば、口元へ手を当てくすくす笑う。

「わたくしの顔に何か付いておりますか?」

「イヤ……大事な話、トハ?」

 流石に不躾と感じて視線を逸らしたなら、大気が動く。

 目を戻した先で、女が頭を下げていた。

「お願い致します。小春さんをどうか、お助け下さい」

「……ハ?」

 全く見えない話に息だけ漏れては、顔を上げた女が矢継ぎ早に語った。

 それは――――

 

 

 

 待て、と彼女の縁者は一様に言う。

 それだけを、久紫へ望む。

 けれど――

 

 納得できない。

 彼女だけが何も知らされない、なぞ。

 

 姉を名乗る女が語ったのは、近々彼女が本島――あの男のいる春野宮の本家へ行くこと。

 しかしてそれは、伴侶の実家へ赴くためでも、婚約者へ嫁ぐためでもなく、姉の病を治すために。

 あの男は、彼女と恋仲でも何でもないと聞いた。

 ――口付けを交わす場面の衝撃を、知らぬ様子へ伝える言葉はなかったが。

 それでも聞き手に徹すれば、可笑しな話が舞い込んできた。

 病んでいるようには見えぬ、目の前の姉を治す見返りとして、彼女に男との婚姻関係を結ばせるという。

 裏に、春野宮の膿を落とす、稚拙な計画を抱いて。

 口付けし合う仲なのに回りくどい。

 いや、それよりも何よりも。

 どうして、彼女には知らされない?

 疑問の答えは、彼女の答え如何では、男はそのまま婚姻を推し進める腹積もりである、というもので。

 納得なぞ、できるはずもない。

 幸福を、無理にでも祈ろうと思っていた久紫には到底――。

 財閥の婚姻に綺麗事を持ち寄るつもりは毛頭ないが、それにしたって好き合う者同士のはずだ。

 だというのに、片や姉を盾として婚姻を迫りつつ裏で画策し、片や何も知らされないなどと。

 驚かされたのは、あの絹江までもが、この話を是としたこと。

 春野宮の腹心である信貴が従うのは致し方なくとも、外見はおっとり、内面は気性の激しい彼女の母が、そんな取引染みた計画を許すなど。

 いきり立ち、助けてと言うなら、己から伝えれば良いと久紫は吐き捨て。

 だが、女は哀しそうな顔をして首を振るのだ。

 違うと。

 助けて欲しいのは現状ではなく、彼女の心だと――のたまう。

 ふざけたことを……久紫は思う。

 相手のいる彼女へ、未だ横恋慕する己をぶつけて、何の救いが訪れるのか。

 どちらも共倒れが良いところ。

 払えば、女は音も立てずに去り――直前、目ですら姿を追わぬ久紫へ。

 

 見捨てないであげて下さい。待っていて下さい。

 

「冗談じゃ、ナイ」

 吐きつけたのは、明朝、幸乃家の門扉。

 浅く降った雪を踏みつけ、同じ強さで歯を軋ませた。

 お節介。

 そう思う心はあっても、どうしても、彼女へは告げねばならぬ。

 取引染みた婚姻で。

 幾ら好いた男が相手でも。

 それで姉の病とやらが治っても。

 幸福になれるとは思えないから――

 

 門扉を潜って。

 ふと、視界を掠めた影。

 映せば、ぼんやり庭を見つめる、その姿。

「ア…………」

 どくり、血が廻る。

 ごくり、喉が鳴る。

 久方ぶりに目にした華奢な輪郭。

 元気だと、聞いていた。

 なのに。

 縁側へ腰掛ける彼女は、衰弱が色濃く。

 儚く。

 冬の景色と交われば、冷え切っていて。

 小春……名が霞むほど、寒々と。

「……小春」

 だから、呼んで。

 だけど、彼女は久紫に気付くなり、恐怖を映して屋敷へ入り。

「小春!?」

 変わらぬ拒絶を受けては本来の目的を忘れ、それでも少なからず礼儀を重んじ、玄関から入り。

「人形師様?」

 留めるのは、彼女の母。

 名を呼んでは会わせろと言う。

 でなければ、教えてやれと。

 彼女の、幸福を願うのならば――

 喚く久紫を宥め、落ち着かせた絹江は、婚姻を知る彼へ頷いてみせた。

 ただしその判断は、彼女に任せると。

 招かれて、長い廊下を歩く。

 絹江が示すまでもなく、一度だけ訪れた彼女の部屋で久紫は足を止め。

 待っていろと、またも言われて。

 待つ、耳に。

 入る、言葉がある。

 

「異人さん……は?」

 

 続く絹江の言葉が帰ったと告げるから、彼女の様子は久紫に会わせられるモノではないのだろう。

 何より――

 

 待てと言われたのに、逃げるように何も告げず、去った久紫。

 その耳にこだまするのは、異人さん、という記号。

 

 馬鹿だ、俺は。

 最初から、許されてなどいないのだ。

 何も――――

 証拠に彼女は呼ぶ。

 

 彼相手でなくとも、彼を指しては異人――――余所者、と。

 

 


UP 2008/11/20 かなぶん

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