久紫side 

 

 惑わすたおやかな指。艶めく微笑。

 裏を隠し、表には華やかさを飾りつけ。

 引いた紅は決して笑みの他歪まず、白いとっくりに白い手を添えては器を満たす。

 動作一つとっても、客という君臨者に傅くが如く。

 けれど、艶やかにして色を毒のように含む、弦から覗く魔性の瞳は、真実嘲笑う。

 ひと時の戯れを楽しむが故に。

 気づかぬは愚か。

 気づけども素知らぬ風体は賢者か、道化か。

 二つの知覚はなれど、結末に同等の道を描く。

 身を持たせて次へ繋ぎ。

 あるいは――身を滅ぼして先を閉ざし。

 傍観に徹しては滑稽な、生ある者が演ずる人形劇。

 操るは生無き金の妄執。

 奪い奪われ騙し騙され驕り驕られ貶め貶められ……

 舞台上で繰り返される艶やかで儚い応酬は、華に彩られ醜怪をひた隠す。

 人の内面にも通ずるそれらは全て、人形の質を実に近づける恰好の素材――――なれど。

 

 ――集中できん。

 

 

 

 

 喜久衛門贔屓だというここは、港とは反対の海辺にある、花街を形成する店の一つ。

 流石は師というべきか、内装は無駄を省いた中に気品を感じさせ、客の相手をする女はどれも廃れず、けれど毒と色を内包した曲者ぞろい。

 何かを作るために必要なのは、モノと同時に人を見る目だと、彼の師は語っていた。

 道具であれば、使用する者の手つき・息遣いに至るまで、知らねばならない。

 人形ならば、人の形を為すもの、どうして人を蔑ろに出来ようか、と。

 では人を嫌う己には人形は作れない?

 そんな風に問えば、一瞬虚を衝かれた顔をし、喜久衛門は豪快に笑った。

 ――人は人に添うモノだ、自ずと、な? 否定しようとも、ほれ久紫、お前の作る人形にはどれも人の肌が宿るだろう? それこそ人を感じている証明ではないか……しかし。

 ここで一区切り、底意地の悪い笑みを向けて、一言添えた。

 ――助平め。人肌など、どこでどうすれば、あんなに艶かしく作り上げられるものか。こりゃあ、ワシがお前に弟子入りせんといかんか?

 茶化す言い草だが、その瞳の奥には、探る光が宿っていた。

 

 そしてその光は、時を越え別の目を持ち、現在、久紫を突き刺している。

 

 注がれれば口に運ぶを繰り返し、酒をちびりちびり呑む久紫の右隣。

 二階座敷の通りに面した壁を背に、目の前の騒ぎを見ては呆れ、こちらを見ては真意を探る、恨みがましい顔つきの小春がいた。

 何をそんなに怒っているのかは、大体、分かる。

 花街とはいうなれば、男に女との夢を与える場所。

 女である小春が本来、好き好んで行くような場所ではない。

 久紫に酒を注ぐ太夫を筆頭に、店の女たちと親しげな様子から、喜久衛門の付き添いを幾度か経験していると察せても、快いものではないのだろう。

 勿論、案内を終えた後で、今日の勤めはこれにてさようなら、でも問題ないのだが、小春は終ぞ言い出さず。

 久紫はといえば、この手の場所に来たのは数え切れぬほどであっても、初日のほとんどは喜久衛門同伴……

 否、引きずってでも同伴させられた、の間違いか。

 体格差を考えれば喜久衛門が久紫を引きずるのは、今も昔も物理的に無理があるが、その都度好々爺は好き勝手を言って、出不精の久紫の重い腰を渋々上げさせていた。

 精神的には充分、引きずられていた己を思うと、情けないやら哀れやら。

 そんな訳で、初めて来た場所で一人になる恐怖から、小春へ帰ってよいなど容易に言えず仕舞い。

 けれどこんな視線を向けられるなら、帰って貰った方が良かった。

 ……いや、それ以前に来るべきではなかったかも知れん。

 ちらりと眼前の馬鹿騒ぎで殊更はしゃぐ、久紫とそれほど齢の離れていないざく切り頭の男を見る。

 小春の射る視線も、勿論久紫の観察に弊害をもたらすが、それ以上にこの男の存在が集中力を奪っていた。

 理由ははっきりしないが、原因は同行を求めた彼が「小春」と流暢に彼女を呼んだことにある、ようだ。

 受け答えた小春も彼の名を呼んでは、やけに親しげに会話し、今もこうして男を見ては増して久紫を睨んでくる。

 

 ――別に………………おかしなことでは、ない。

 

 珍しく巡りの早い酒に、顔が熱を発するのを感じつつも、久紫は手を休めず思考に浸った。

 小春はこの幽藍に生まれ、育ってきたのだから、親しい友人や……恋人がいても、おかしくはないのだ。

 久紫は彼女と似た背格好で、腹を大きくした娘を本島で見かけたことがあったから、年の頃もその娘と同じくらいと考えて良いはずで。

 加え、彼らの会話を聞かされた内に潜む、恋人、という単語。

 何より窘める小春と宥める男の様子から、二人が恋い慕う間柄なのを察してしまった。

 だというのに同行を許してしまった久紫。

 睨む小春の気持ちも分からぬではない。

 けれど――――こちらとて妙に落ち着かず、気が揉まれるのも、また事実。

 きっとこれは、世話役という近い位置にいた者の知らない顔を知り、戸惑っているだけなのだと結論を急き、ちらりと短い髪の娘を見た。

 太夫と何やら親しげに話している。

 間に自分がいるのも忘れた風体に、どんどん酔いが回ってくる。

 酒が好きか嫌いか問われれば、久紫はそのどちらでもなかった。

 こうして呑むのは言葉に自信がないのに加え、根っからの人付き合いの悪さ故、人との会話を極力減らすための策でしかない。

 幸いなことに酒は強い方であったから、今まで難なく長時間呑みつ観察することが出来た。

 しかし、今回に限っては黒い前髪が視界を覆うほど、意識が朦朧としてきている。

 悪い夢のようなぐるぐるした視野に、気分の悪さを覚えていれば、隣から物凄い音がした。

 目線だけで追えば、片眼鏡の奥がぎょっと虚ろに見開かれた。

 小春の膝の上に、赤ら顔の男の姿があったのだ。

 迎える彼女も微笑んでいる様に、何か見てはいけないものを見た気になって、すぐに意識を酒に戻す。

 痛むほど激しく脈打つ心臓の音に、呑み過ぎかも知れないと暗示をかければ、くすくす笑う声が鮮明に聞こえてきた。

 視線をやったなら、久紫を横目に太夫が面白そうに言った。

「こ、小春ちゃん、大人気ね。流石、恋多き女は違うわ」

「ごぶっ」

 喉に熱い液体が引っかかった。

 渡された手拭で口を拭きながら、太夫の言の真実を求めては、小春が顔を真っ赤にし、彼女に詰め寄る。

「姉様、何を藪から棒にっ!」

「おお、確かに小春は好きになる相手、多かったな。俺を筆頭に」

 会話に加わった茶化す男の言葉に、やはり恋人同士かと、憶測ではなくなった事柄にしおれていると、小春が憤慨して叫んだ。

「違うわ! わたくしがお慕いしていたのは、貴方のお兄様……あ」

 慌てて口を塞ぐ様に、自棄気味に酒を煽ろうとしていた手が止まる。

 鼓動に合わせて響く頭痛を他所に、男は小春の恋人ではなかったのを知り、危うく出かけた安堵の息を呑み込んだ。

 ――だとしても、俺には関係ない。それにコイツは恋人でなくとも、兄を慕っていると言ったではないか。

 むぅ……と唸りたいのも堪え、再度煽ろうとした手は、いつの間にか目の前の馬鹿騒ぎから抜け出した店の女の言でまたも止まった。

「確か……七番目くらいの好きな人よね」

「ナナ番目?」

 恋多き女とは聞いたが、この齢にして、そんなに多くと付き合った経験を持っていたのか?

 声を失えば更に、三十回目の恋、などという不穏な話が聞こえ、酔いの具合悪さが遠退く。

 半年以上を共に過ごして来た娘の一面は、久紫に纏わりつく娘らよりふしだらで。

 いやそれより、そんな娘の近くにいて、終ぞ好かれた様子のない自分は一体何なのか。

 彼女にとって人形師は人形師という生き物であり、男と考えたことすらないと?

 ――そうかもしれない……でなければ花街なぞ、連れては来ないだろう。

 花街自体が男を客層としたモノである事実を忘れ、得体の知れないショックで頭が真っ白になっていく久紫。

 そのまま意識を手放しそうになる直前で、

「まあ恋っていっても、片想いで全部終わらせてしまってるから。小春ちゃんの場合」

 ――片想い……片想いか、そうか、片想い……それなら、まあ、憧れとか色々含むところもあって然るべき……

 胸内で盛大に安堵の息が漏れ、と共に悪酔いの気持ち悪さが戻ってきた。

 しかし、自分でも理解できない安堵は、その気持ち悪さを幾分和らげ、酒の味をようやく久紫へ運んでくれた。

 師と同じ酒を選んだという太夫だったが、その言葉通り、酒を人避けの策の一つとしか考えていない久紫が呑んでも、心地良い口当たり。

 これを自棄で煽ろうとした自分に内心で苦笑し、何故ここまで心を騒がせねばならないのかと軽く首を振って口に含み――

「小春ちゃんの初恋の相手は、宮内喜久衛門様、よね」

「っ――――!?」

「異人さんっ!?」

 狙い済ました驚愕の初恋相手に、完全に喉を塞がれた。

 慌てて背を叩く小春を驚きに見ていれば、更に続く、曰くの初恋話。

「初恋で二年以上で宮内の爺様ってことは、出会ってすぐじゃない? 四つあたりかしら」

「年の差あり過ぎじゃない?」

「加えてあげると、初恋が終わったのは違う人を好きになったからじゃないみたいよ。雰囲気で分かったわ。二番目の恋はそれから半年くらい経って――」

「太夫!!」

「っゆ、幸乃の娘……」

 背を擦りながら非難する姿に声を掛け、まさかまさかと信じられない気持ちで尋ねた。

「イマの話、本当カ?……師匠が、初コイ……?」

 すると、真っ赤な顔を更に赤くし、交わした視線を小さく外して熱い息を吐き、小春は小さく、頷いた。

 どうやら人形師はしっかり彼女の中で人と認識されていたようだ。

 ならば、久紫も人――男と認識されているはずで……

 思い起こせど、想われた形跡は過去に在らず。

 

 それから先の記憶を、久紫はあまり、覚えていない――。

 

 

 

 

 

 

 意識が取り戻されたのは、まだ明けきらぬ夜中のこと。

 いつの間にか眠ってしまったのかと思い、腕を立てて身を起こせば、自宅の居間。

 どう帰ったのかさっぱり覚えておらず、硬い布団に跨って座った。

 ぼやける頭を掻けば、鈍痛。

 一体何の痛みか判別出来ず、前夜の一件を思い出しては、これが話に聞く二日酔いかと結論付けた。

 酒を嗜むようになって数年経つが、二日酔いというものを経験したのは今回が初めて。

 喜久衛門の介抱は何度か経験しているものの、思い返せば、自業自得と結構ぞんざいな扱いをしてしまった。

 ――師匠、あの時はすまない。

 今は亡き、身悶える姿に心から謝罪し、続いてその姿を初恋とする少女を思い描く。

 彼女にも迷惑をかけてしまった気がする。

 酔って記憶が不鮮明なのだから、何も迷惑をかけていないなど、どうして楽観できよう。

 案内を頼んで付き合わせて、その上酔いつぶれて……

 ――俺よ、頼むから妙な醜態だけは晒すな。

 今頃自らへ忠告したとて時既に去り行き。

 後悔の溜息が零れた。

「後で小春にモ謝らねバ――――?」

 発して、戸惑い、己の唇に触れる。

 呑み過ぎたせいで干からびたソレは、特に変わった様子もなく。

 もう一度。

「……小春……」

 呼んだところで夜中、姿形はない。

 それでも、

「ぅおっ!? ナ、ナゼだ? ナゼ小春の名ガ言える!?」

 沸々湧き上がる喜びに、ひたすら流暢に呼べる名を繰り返す。

 宝物のように大切に、一つ一つの名に喜びだけを浮べて。

 と。

「…………楽しそうだな、お前」

「!?」

 恨めしげな声に身を竦ませて驚き、源を探して見下ろす久紫。

 その先、濃紺の作務衣の下に押し倒された形で、ざく切り頭の布団、もとい、男がこちらを睨む。

 

 


UP 2008/7/14 かなぶん

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