桃色計画発動中 

 

 鬼瓦さんが知っている姫は諸国にいますが、知り合いという姫は一人しかいません。

 通称・姫。

 本名・綾瀬川姫路(あやせがわ ひめじ)。

 数年前、鬼瓦さんがうっかり師事し、考え方の違いから離別した、天才だけれど悪の権化だった学者です。

 彼女に関わったことを若気の至りだったと、当時一桁の年齢だった鬼瓦さんは述懐します。

 悪逆非道の限りを尽くし、実験動物を鬼瓦さんへ押し付けた姫が、信じられないほどの極悪人だと知ったのは彼女が死んだ後なので、離別には別の原因がありました。

 

 

 

「しかし……まさか、本当に計画していたとは……無謀な話だ」

 回想を終えた鬼瓦さんは、ぽつりと呟き、襖の縁へ頭を押し付けて宙を仰ぎました。

 他二人へは自分が着ているのと同じ白い着物を着せ、青年へはボロ布を繋ぎ合わせた即席の着物を渡した鬼瓦さん。

 けれど、ダメージをやり過ごした青年は、鬼瓦さんをじーっと見つめるだけでしたので、仕方なしに着せつつ、会話を重ねて姫の情報を得たのでした。

 その後で、またしてもぴたりと寄り添い、じーっと鬼瓦さんを見つめる青年を知っては、ポチへ頼み、現在、拘束して貰っているわけです。

「……だが、信じるしかないな。姫自身、予期せぬ事態だったろうが。彼らがこんな姿になっては、な」

 襖から体重を戻し、立ち上がった鬼瓦さんは、重ね着た藍染の上着を直しながら、金と赤いメッシュ髪の男の枕下へ膝を落としました。

 氷嚢を少し持ち上げ、顔を覗きこみます。

「さて……キジ、かな? お前は?」

 静かな声で問うと、閉じられていた瞳がゆっくり開かれました。

 現れたのは、氷の冷たさを思わせる藍玉の双眸。

「おに……がわら……?」

 掠れた綺麗な低音の返事に、鬼瓦さんは苦笑しました。

「いきなり呼び捨てとは恐れ入る。そう、鬼瓦だよ、キジ。まだ具合が悪いか? 何か口直しを持ってこようか?」

 キジの頬を撫でつつ、優しく尋ねます。

 少しだけ赤みを帯びた顔に、鬼瓦さんは内心でほっとします。

 彼らの姿を変えた元凶の青年は、桃の果肉が二人を気持ち悪くさせた訳ではないはずだ、と言っていましたが、その通りだったようです。

 断言したくせに、では何故気分を害したのか分からない様子の青年は、まさか自分のせいだとは思ってもみないのでしょう。

 興味対象は鬼瓦さんだけだと言い張るので、考えるつもりもないでしょうが。

 食べついた先の、野郎の裸。

 余程男に餓えていない限り、嬉しいはずがないということに。

 その余程の人物を鬼瓦さんは一人知っていましたが、今は只、キジからの返答を待ちます。

「…………」

「ん? キジ、何が欲しい? 何が食べたい?」

「鬼瓦……」

「遠慮せずに言え。というか、欲しいならさっさと言ってくれ。遅い店でももうすぐ閉まる時刻だ」

「…………」

「……よし、水だな」

 頑固なキジめ。

 人の姿に近くなったのだから、もう少し素直に言ってくれれば良いものを、と鬼瓦さんはちょっぴり萎れました。

 なので、頬から手を離した表情が、どれだけ後悔に歪んでいたか知りません。

 氷嚢をあっさり戻したので、なお分かりませんでした。

 次いで鬼瓦さんは、もう一人の枕下へ腰を下ろします。

 キジの時と同じように氷嚢を持ち上げ。

「ゴクウ……無事か?」

「さ、酒が欲しい……末期の酒をぉ」

「そうか。分かった」

 野太くも逞しい呻きに、鬼瓦さんは氷嚢をさっさと戻しました。

「ふぅ……とりあえず、買出しに」

「私も行こう」

「却下」

 相も変わらず、じーっと見つめる青年の提案を拒む鬼瓦さん。

 ポチを見ては、額へぴっと手の平を翳します。

「ポチ、私は買い物に行ってくる。その間、絶対にソイツを逃がすなよ?」

「はいっ、ボス!」

「うむ、良いお返事だ」

 翳した手でぽんぽん頭を撫でてやれば、青年を下敷きにしたままのポチがにこにこ笑います。

 乗じ、打掛下の尻尾もふりふり振れました。

 それが腰を振っているようにも見えて、目のやり場に困る事実には目を瞑り。

「何か欲しいモノはあるか?」

「ありませんっ! さっきの甘いので、お腹一杯です!」

「……そうか」

 元気な返答に、鬼瓦さんは少しだけ戸惑いました。

 元服したての少年姿ですが、ポチの精神はそれより幼いようです。

 しっかり教えないと、悪い大人に容易く騙されてしまいそうでした。

 思い返してしまったのは、青年をべろべろ舐める、ポチの姿。

 精神衛生上、あまり好ましくない光景です。

 情事紛いなモノは、覚悟もなく見るものではないと思いました。

 気が滅入りそうです。

「ポチ、甘いのではなく、桃だ」

 まずはこの辺から教えてやらなくては駄目だろう。

 そう思った鬼瓦さん、ふと、視線を外さない青年を見やりました。

「そういやお前、名は?」

「ない」

「そうか……じゃあ、モモと呼ぶがいいか? 呼称がないと面倒だ」

「分かった。モモだな。胸に刻んでおく。鬼瓦のモモだな」

「待て。なんだその、物凄く誤解を招きそうな肩書きは?」

 青年・モモが頷いたことで、買出しに向かおうとしていた鬼瓦さんは、嫌そうな表情で彼を睨みました。

 すると彼は無表情と棒読みを貫いて言います。

「私が姫に処置され設定された行動は、鬼瓦の探索、発見後は、その生体を調査すると共に、鬼瓦の好みの所有物となることだ。なればこそ、私は鬼瓦のモモ」

「いらんっ」

「クーリングオフは不可だ」

「知るかっ! ポチ、絶対放すんじゃないぞ!」

「はいっ、ボス! こら、新参者! 動くんじゃない!」

 良い返事の後で、モモを押さえつけるポチ。

 新参者、ということは、ポチの中ではすでに、モモがこの家に住むところまで話が進んでいるようでした。

「…………」

 衝撃の事実を知った鬼瓦さんは、訂正を入れようと手を伸ばしかけ、その前に空腹なのを思い出し、後回しすることに決めました。

 朝・昼・晩の食事は大切です。

 尤も、完全夜型の鬼瓦さんが摂取するのは、夕食と朝食だけ。

 おやつのような夜食を摂ることもありますが、大体は二食で生活していました。

 だからこそ、食事は最優先されるのでした。

 

 

 

 

 

 酒とそこそこの食料を購入した鬼瓦さん。

 道中、あの桃はどうしたんだと問う、町人たちの声がありましたが、鬼瓦さんがあの桃は猛毒だったと伝えると、皆、納得して終わりました。

 毒だと分かったならさっさと処分しろ、などと言う御仁はいません。

 かといって、そんな猛毒を若い娘に預けておくなぞ出来ん、と言う御仁もいませんでした。

 皆、鬼瓦さんを信用しているのです。

 ……ただ単に、厄介事から目を逸らしたいだけと言われれば、それまでのことだったりしますが。

 ともあれ、帰路に着いた鬼瓦さんは、ごちゃっと物品の置かれた玄関を目の当たりにし、提灯の仄かな明かりに照らされつつ、頭痛を覚えます。

 巨大桃の一件が解決したという話が、町中に広まった結果なのは、今までも、何か解決するごとに似た光景が展開されてきたため、察することは出来ました。

 けれど。

「……毎度毎度、何故、玄関前に置くんだ? しかも夜。出先で会っているのだから、まだ不在だと分かっているだろうに」

 ぶつぶつ文句を口にする鬼瓦さん。

 とりあえず、買ってきた物を横に置き、玄関までの道のりを発掘しては、次々品物を運んでいきます。

 米俵に干物の箱、梅干やら塩漬けやら砂糖漬けやらの瓶、味噌樽に酒樽、乾物や果物入りの籠等々。

 しばらく、買い物に行かなくて済みそうな食材の数々を仕舞い終え。

「……これは」

 そう呟き、鬼瓦さんが見つけたのは、大きな葛籠です。

 嫌な予感を抱きつつ開けると、ぎっしり衣料品が詰まっていました。

 しかもどれも華やかな品ばかり。

 隅には小さな葛籠が着物の中に埋もれており、これを開けると簪やら櫛やら、大層な品が出てきました。

 鬼瓦さんの顔に、段々、青筋が浮かんできます。

 これを散すように、仰々しい溜息を吐いた鬼瓦さんは、衣料品の一番上にあった、折り畳まれた紙を見つけました。

「…………」

 書いてある内容はなんとなく分かっていましたが、一応、中を開いて確認します。

「東雲柳玄(しののめりゅうげん)…………何を考えているんだ、あのオヤジは?」

 鬼瓦さんが呆れた名前は、その昔、鬼瓦さんのお母さんに懸想していた男の息子のモノでした。

 当の息子と面識は全くないのですが、オヤジと評した男とは面識があります。

 事ある毎に、自分が添い遂げられなかった相手の娘と、若い頃の自分にそっくりだという息子を婚姻させたがる、非常に困った御仁です。

 今日も今日とて、巨大桃の処遇を決めた鬼瓦さんを褒めつつ、息子の名を勝手に用いては、どさくさに紛れて婚姻を勧める旨が、紙には書かれていました。

 いつもの鬼瓦さんなら、これらの品を明日にでも売るところ。

 受け取ったら即・婚姻という話でもないので、鬼瓦さんは気兼ねなく、ぱーっと馴染みの店に売ります。

 どうせ貰い物、店側の言い値で売るため、たくさん品を持ち込んでも、嫌な顔はされません。

 寧ろ、ぼろ儲け出来ると歓迎ムード一色でした。

 しかし、今日の彼女は一味違いました。

「……装飾品は売っても良いが、着物は取っておこうか。あいつらの状態が、以降、どうなるかも分からんし」

 すぐに戻れば良し、もしも一生あのままだとしたら、確実に身につける物が無くなります。

 ドキッ☆男だらけの裸体祭り――なぞ、たとえ目が見えなくとも、近場にあって欲しくありません。

 今だって、ぼやけた視界で見てしまった桃の光景を、全てなかったことにしてしまいたいのです。

 けれど、逃避したところで解決の糸口などありません。

 逃避しなくても解決の糸口は見つかりませんが、対処くらいは出来ます。

 食料や衣料を充足させる、暮らすには最低限必要な対処が。

 とはいえ、こんな馬鹿デカい葛籠、玄関には入りません。

 面倒面倒と思いながら、鬼瓦さんは服を取り出しては、家の中に運び戸を閉めました。

 後に残ったのは、大きな空の葛籠が一つだけ。

 

 

 

 

 

 香の物と雑穀入り白米、もとい、白米入り雑穀、具のない味噌汁の晩飯をよく噛んで平らげた鬼瓦さんは、改めて、男どもを寝かせていた客間に腰を下ろしました。

 鬼瓦さんが食事をしている間、復活を遂げた様子の二人の男は、ポチに押し潰されたままのモモへ、時折、嫌そうな目を向けます。

 流れる険悪なムードへ鬼瓦さんが溜息をつけば、床に頬をくっつけたモモが言いました。

「鬼瓦……私の上の物体へ、放すよう言ってくれ」

「物体とは何だ、新参者! 俺のコトは兄貴と呼べ!」

 モモの上でキャンキャン吠えるポチ。

 流石にソレは無理だろうポチ、と窘める言葉が、鬼瓦さんの口一杯に広がりましたが、これをすり潰して彼女は首を横に振りました。

「悪いが」

「では、ここで粗相しても?」

「ポチ、離せ。速やかに。厠はソコを曲がった先にある」

 巨大桃から出てきた無表情でも、生理現象は立派にあるようです。

 鬼瓦さんの命令に、ポチは渋々モモの上から退きました。

 途端、跳ね起きたモモは、局部を押さえつつ、全力疾走で鬼瓦さんが示した方角へ。

 余程切羽詰った状態だったのでしょう。

 それでも変わらぬ無表情は怖いことこの上ありませんが。

 荒々しい足音が遠退き、騒々しい扉の閉まる音が伝わり。

 これより先の音は聞きたくなかったので、鬼瓦さんは立ち上がり、開いていた襖を閉めました。

 

 


UP 2009/6/26 かなぶん

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