!注意!
このお話には奇人街のキャラを起用していますが、仕上がりが程好く危険です。
それでも良いという方のみ、どうぞ。

 

 

人魚姫A面 9

 

「…………」

「…………」

 満天の星空の下、バルコニーにはしばし、なんとも形容し難い空気が流れていきます。

 人魚姫と王子様、二人並んで柵の下、魔女が立てた波の跡を眺めて。

 先に動いたのは王子様でした。

 かといって何も言わず部屋へ戻っていく背は、人魚姫を気遣っているようで居た堪れない気持ちを倍増させてきます。

 軽口でも良いから、人魚姫もこうなるのを望んでいたんだねぇ、と言ってくれた方がまだマシでした。

 下方、波打つ音に人魚姫はがっくり項垂れてしまいます。

 魔女を助けるつもりがトドメを差してしまった事に、罪悪感だけがヒシヒシ纏わりついてきたなら。

「……人魚姫」

 王子様に呼ばれて振り向いた人魚姫は、困惑気味の笑い顔に似た表情を浮かべようとし。

「さっきから不思議に思っていたんだけど……足、痛くないのかい?」

「へ?…………あ、本当だ痛くな……い…………って、えええっ!!?」

「……声も、出るように?」

 指摘されて自然に喉を通った声。

 思わず首を押さえて目を丸くしたなら、王子様も若干目を見開きました。

「あ、あー……わぁっ、凄い! 本当に声が出ているわ! でも、どうして…………あっ、もしかするとその懐剣!」

 発声練習をし、滞りなく奏でられる声音に感動した人魚姫は、王子様が手にした懐剣を見て手をぱちんと打ち鳴らしました。

「これが?」

「そう、それです! いえ、もしかしたら、の話なんですけど。懐剣を渡された時、教えられていたんです。それで王子様の命を……奪ったら」

 口にすれば、あの時の恐ろしさが身体の芯を冷やします。

 王子様の目の前でそんな話を持ち出してしまったなら、苦い思いが胸中に広がっていきます。

 しかし当の王子様は肩を竦めて先を促すと暗殺者の傍にしゃがみ込み、その手に懐剣を握らせました。

 目で追う人魚姫は一つ頷くと、促された先を続けます。

「……奪ったら、私は人魚に戻れるって」

「なるほど? じゃあ君はこう思ったわけだね? 殺しはしなくても、この剣でボクの血は流れた。だから中途半端な形で呪いが消えた、と。随分都合が良い話だけれど」

「う……わ、私もそうは思いますけど」

 至極尤もな感想を言われたなら、人魚姫は恥ずかしさのあまり顔を俯かせました。

 次いで脳裏に過ぎらせたのは、歓びに水を差す後ろ向きの考えです。

 足の痛みが引いたのも声が出るようになったのも一時の事だけで、また元に戻ってしまうのかもしれないわ。

 一人で勝手に盛り上がっては落ち込む人魚姫。

 これをどう思ったのか、溜息をついた王子様は人魚姫の元まで来ると、その身体を自分の方に抱き寄せました。

「!」

「全く。そうやって考え込むのは褒められた事じゃないよ? 折角、普通に立てるようになって、声も出るようになったんだから、言いたい事はちゃんと言わないと」

「王子様……」

 黒い胸に手を添え、恐る恐る顔を上げた人魚姫は、普段はそれと気づかない美貌を認め吐息を零しました。

 一度だけ、頬の赤らみを取るように王子様の胸に顔を摺り寄せて後。

 再度混沌と潤むこげ茶の視線を交わらせつつ。

「好きです、王子様。ずっと、あなたをお慕いしておりました」

「そう」

「この状況がいつまで続くか分からないから、言わせて貰いますけど……」

 相変わらずの素っ気ない返答に、気恥ずかしくなった人魚姫は顔を下に向けようとします。

 ――が。

「それだけ?」

「へ?」

 その前に問われては、ぽかんとした表情で王子様を再び見つめました。

 屋敷の壁を背景にへらりと笑う王子様は言います。

「君が言いたかったのはそれだけなのかい、人魚姫?」

「ええと……あっ、そういえば王子様、さっきから私の事、お前じゃなくて君って」

「それだけ?」

「え、えと……?」

 王子様が何を言わせたいのかさっぱり分からない人魚姫は、見つめ合ったままぐるぐる考えを巡らせます。

 と、そんな後頭部を直撃するつぶてが一つ。

「あだっ!!? な、何?」

 逃げ道を見出したかのように王子様から離れた人魚姫は、火花の散る視界にふらつきつつ、柵から身を乗り出して海を見やりました。

 そこには小さく、手を振る姉姫の姿がありました。

「人魚姫! 首尾はどうなっている!?」

「わわっ、お姉様、声が大きいです!」

「! お前、声が出るように!? じゃあ、王子を殺して――」

「んー? ボクは生きているけど」

 痛ましいモノを見る顔つきの姉姫でしたが、ひょっこり顔を覗かせた王子様を認めると思いっきり顰めました。

 続いて視線を戻された人魚姫には、姉姫の言いたい事が何となく分かりました。

 ……趣味が悪いって思われたみたい。失礼だわ……そりゃまあ、完全に良い人ってわけでもないけど。

 ちょっぴり口を尖らせる人魚姫に、姉姫も言いたい事が分かったのか頭を掻きかき。

 一転、真面目な表情になったなら、人魚姫に問い掛けました。

「人魚姫、それでお前、これからどうするんだ? その様子じゃ人間の足のままなんだろう? 王子様が結婚しちまったら」

「あっ……そうだ、足の痛みが引いたって、声が戻ったって…………王子様とはもう、お別れしなくちゃ」

「ん? 何で? ボクは別れるつもりないけど?」

「…………え?」

「ほう?」

 いきなり突きつけられた言葉に、一瞬、人魚姫の中の時間が止まりました。

 戻ったなら、手を方々に差し向けがてら混乱を早口で捲くし立てます。

 捨て置かれた姉姫が激昂もせず、にやにや面白そうに二人のやり取りを眺めている中で。

「いえ、だって、この屋敷の娘さんと結婚されるんでしょう? わ、私、王子様が好きで、別れるの、本当は凄く嫌ですけど、一緒にいて邪魔になるのも嫌だし、嫉妬に駆られて酷い事しないとも限らないし、それに――」

「? 結婚? 誰と誰が…………って、ああ。なるほどね。君も勘違いしていたって訳か」

「はぇ? か、勘違い?」

 ぽんっと手を打つ王子様に、ぱちくり瞬く人魚姫。

「結婚、確かにするよ? この屋敷の娘がさ、昔から好きだった相手と」

「え……昔から好きだった相手? お、王子様が相手だったんじゃ」

「だから、それが勘違いなんだよ。娘の方も最初、そんな風に勘違いしててねぇ。時期も悪かったって言えるかもね? 拾った相手が王子で程なく結婚、だもん。前々から結婚話は進められていて、彼女以外の親族しか知らないから、根も葉もない噂が横行しちゃったんだね、きっと」

「で、でも娘さん、私に、王子様との縁談を祝福するかって訊ねて」

「ん? そんな事聞かれたの? それは勿論、反対して欲しかったから、だろうね。神前での結婚は祝福されるモノでなければいけない。でなけりゃ式はぶち壊しになるんだよ。まあ、地域によって、反対する可能性のある者は結婚式が終わるまで牢に入れられたりするけど、君は人魚で、そんな事知らなかったはずだし。落胆、していなかったかい? 祝福するって告げた時」

「う……」

 人魚姫の記憶から、祝福すると頷いた時の娘の芳しくない反応が再生されましたが、王子様の妙に怖い笑みを見たなら、呻き声が口をついて出て行きます。

 構わず頷いた王子様は、目を細めて言いました。

「ちなみに、ボクが部屋を移動したのは結婚の準備のためじゃなくて、王子を“殺す”準備のため。あの日、暗殺者が送り込まれたって知ったからさ。まあ予定より早かったけど、材料は揃っていたし、今日中に実行出来たってわけだけど」

「材料……?」

「そう。王子の血がべっとりついたシーツと暗殺者。懐剣は豪華過ぎるけど刀身は本物で、それを彼は握り締めている。んで、王子の死体役はあの魔女。ペンダントが海に落ちて、暗殺者がここにいたら、皆、こう思うでしょ? 刺された王子は追いつめられ、暗殺者と揉み合った末に海に落っこちたって。だから暗殺者の彼は柵に頭を打って、昏倒中」

「い、隠蔽工作ですか……?」

「おや? 難しい言葉を知っているね? でも、そこまで大層な代物じゃないよ。これで王になりたい子は王になれるし、犯人はわざわざ探さなくてもここにいる。ボクはのうのうと生きていられて……まあ、見つかっちゃった暗殺者のこの子はどうなるか分からないけど、上手くすれば逃げられるかもしれないし。概ね、幸せじゃないかな?」

「え、えと……それじゃあ、私は」

「どう、したい? さっきからボクはそれを君に聞いているんだけど。言ったよね? 君の想いなんて最初っから知ってるって。だからボクはそれだけ? って聞いたんだ。君が言いたいのは、君が望むのはそれだけなのかい?」

「そ、それって……」

 ようやく王子様が何を言わせようとしていたのか、おぼろげに察した人魚姫。

 ですが、あまりにも独り善がりな問い掛けに、恨みがましい目付きが生じてきました。

「王子様……ズルくないですか? それってつまり、私が人間だから叶えてあげるっていう話なんじゃ」

「……君は馬鹿か?」

「なっ!?」

 心底呆れた口調で告げられ絶句する人魚姫を余所に、仰々しい溜息をつきがてら、王子様はくだらないと吐き捨てるように言いました。

「恐ろしく頭の回転が悪いねぇ? ボクはさっきから言っているはずだよ? 別れないって。大体、王子様王子様って言うけど、その役職はもう死んだんだ。そこの海に落っこちてさ。何だったら後追いでもするかい?」

「あ、後追いって」

「今だったら背中を押して上げるよ。“王子”を殺し終えたボクは、さっさとこの屋敷から出て行きたいんだ。この意味分かるかな、手引き役の君?」

「手引き……?」

 徐々に王子様の罵倒の意を掴みかけていた人魚姫は、勝手に付けられた役名に眉を顰めました。

 しかし王子様は説明より前に、いきなり人魚姫の身体を横抱きに抱え上げてしまいます。

「きゃあっ!?」

 背中を押して上げる発言の後の行動ですので、このまま海に放り投げられると思った人魚姫、じたばた足をばたつかせては靴を片方だけ宙へ舞い上がらせ、バルコニー向こうへと葬ってしまいました。

 次、ああなるのは自分――そんな思いに喉を「ひぐっ」と鳴らした人魚姫は抵抗も忘れて顔を青褪めさせ。

 続け様、ひょいと残っていた靴を取られては、必要以上に驚いた眼を王子様に向けました。

「……ところで人魚姫。夜伽の意味は理解出来たかな?」

「はいぃ!?」

 果たしてそれが、今この場面で、どんな意味を持つと言うのでしょうか?

 場違いも良いところの問いですが、人魚姫の頬は一気に赤く染まってしまいました。

 答えとしては十分な反応に頷いた王子様は、人魚姫を柵の上に腰掛けさせると、懐剣の鞘を取り出しました。

「これを隠す時、どこに置いたか憶えているかい? ついでに言うと、可笑しいとは思わなかった? 何かが無くなっている、とか」

「何か? でもあの時はショックが大き過ぎて…………………………夜伽の意味?――ああっ!? あの本!?」

 示されたヒントに思い出したのは、結婚の話を聞いた時、給仕から渡された本でした。

 王子様の指摘通り懐剣を隠した際、同じ場所に隠したはずなのに失せている事に今更ながらに気がつき。

「え……じゃあ、王子様がアレを?」

 しかも話の内容から、隠していた経緯も薄っすら理解しているようで。

 気まずいばかりの人魚姫をどう思ったのか、王子様はここぞとばかりに肩を竦めました。

「迂闊なんだよ、君は。もう一つ付け加えておくとね、ベッドの下なんて分かりやすい隠し場所、掃除をする人が気づかないわけないでしょ? ってことは、この懐剣だって誰かの目に絶対触れているはず」

「うあ……」

「どうやら、ようやく分かったようだねぇ? そう。それなのに、その懐剣が王子の血を付けて、暗殺者の手に握られている。懐剣自体、君が入手したのはボクが部屋を去ってからでしょ? これだけ条件が揃っていたらさ、夜伽の君が嫉妬のあまり、暗殺者を手引き――もしくは君自身が首謀者って事になる。すると、だ。問題は君の処遇なんだ。このまま屋敷に残っていたら君は確実に捕まるでしょ? かといって、ただ出て行っても指名手配犯。だからこの靴を使うのさ」

「靴……」

「そう。バルコニーに一つ、海に一つ。安易だけど、これで後追い自殺が演出出来る。んで、ここからが本題。そこそこ整ったこの舞台には、不必要な人間が二人いる。死んだはずの“王子”と“手引き役”がね。どちらか一方が残っても仕方がないから、二人とも出て行くことになるんだけど」

「……拒否権は?」

「欲しいなら上げるよ? どう転んでも君は死ぬけど」

 からっと晴れた笑顔で告げられ、人魚姫は両手をすすっと差し出しました。

「つ、続きをお願いします」

「うん。でね、そうすると、人魚に戻れなかった君には三通りの道がある。一つはさっき言ったように後追いで」

「い、いきなり死亡コース?」

「もう一つは、知りもしない世の中を一人で旅立って、どっかでのたれ死ぬか殺されるか、死ぬまで不自由強いられるか」

「大して代わり映えしない……」

「最後の一つは、ボクと一緒に行く――だけどボクは無理強いしないよ? 人間である君の望みは尊重するつもり」

「……それってつまり、王子様と一緒に行かないと、私は安全じゃないって話ですよね?」

 おずおず手を上げて主張する人魚姫。

 対し、王子様はきょとんとした顔つき。

「いいや? ボクが一緒だからって、君の命が絶対保障されるわけじゃないよ? たとえば後追いだって、もしかしたら生き残れるかもしれないし、一人旅だって、上手くゆくかもしれない。逆にボクと一緒に来ることで君の身に危険が及ぶ可能性だってある。どれが最善かなんて、全部終わってみなきゃ分からない。だからこそ、ボクは君に尋ねるよ。君はどうしたい、って」

「私は……」

 結論を促され、人魚姫は迷いました。

 けれどそれは提示された選択肢のどれを選ぶか、という事についてではありません。

 提示された瞬間、あっさり決めてしまった道について、人魚姫はこれで良いのかと迷い、悩み。

 ……物凄ぉく、今更な気がするわ。迷いも悩みも、今までだって散々して来たもの。

 顔を上げた人魚姫は、柵に座っているため若干見下ろす形となった王子様を見やります。

 それに……王子様は仰って下さった。ボクは別れるつもりがないって。

 決して直球で言ってくれない王子様に、人魚姫はちょっぴり腑に落ちない気分を味わいますが、諦めたような溜息をついては言いました。

「どうするも何も……私はあなたが好きで、だから人間にもなったんです。そんな私が今更、あなたナシで生きていける訳ないじゃないですか」

「ボクに無断で屋敷を去ろうとしていたくせに?」

「……王子様? もしかして、拗ねているんですか? 私が勝手にいなくなろうとしたから」

「さてね。まあ、気に食わなかったのは確かだから、そう解釈してくれてもいいけど?」

 へらへらしたまま肩を竦める王子様の答えを受け、人魚姫は目をぱちぱちさせます。

 悪戯っ気たっぷりに冗談半分で訊ねていたため、肯定する言は予想していなかったのです。

「そんな……大丈夫ですよ? 私はこれからもずっと、あなたの傍にいたいと願っていきますし。屋敷を去ろうとはしましたけど、あなたの傍に居続けたいと思う気持ちはいつだって私の中にあるんです。私の望みは、あなたと共に在る事、ですから」

 人魚姫は手を伸ばすと、極自然な動きで王子様の頭をなでなでしました。

 流石にこれは嫌がるかと思いきや、されるがままの王子様は目線の高さにある人魚姫の胸へ、顔を押し付けてきます。

 そのまま背中まで腕を回されたなら、人魚姫の脳裏に王子様を心に留め置く事になった、砂浜での出来事が浮かんできました。

 

 海へ帰ろうと動いた人魚姫の腕を、一度だけ軽く掴んだ白い手。

 驚いて見やれば、留められた事に満足した様子で滑り落ちて。

 

 酷く、切ない思いに苛まれ、人魚姫は王子様の頭を守るように掻き抱きました。

 海に落ちた事を仕方ないで済まされても、屋敷にまで暗殺者を送られても、誰かに頼ったりしない、恨み言すら口にしない王子様。

 それなのに伸ばされた手は、引き留めようとした心は、たった一回だけだったとしても人魚姫に向けられたのです。

 王宮を離れ、権力争いから逃れたがゆえに、姫であって姫ではない半端な立場だった人魚姫に。

 だからこそ、人魚姫はここに居ます。

 熱だけでも彼女を求めてくれた、王子様の傍に。

 あなたの傍に私は居たいから、私の傍にあなたが居て欲しいから。

 独りではない、皆でなくてもいい、せめて二人で一緒の道を歩ませて、と。

 狂おしいまでに愛おしむ心のまま、王子様に擦り寄る人魚姫――でしたが。

「わぎゃっ!?」

 声掛けもなく、王子様の肩へ荷物のように担がれては漂っていた甘い雰囲気も台無しです。

「お、王子様!!?」

 黒い背中を逆さにした状態で人魚姫は彼を呼びますが、振り向く気配はありませんでした。

「んじゃま、決まったことだしとっととずらかろうか。あ、そうだ。おい、そこの人魚」

「ああ?」

 背中の向こう、バルコニー越しに姉姫の怪訝な声がやってきます。

 王子様のぞんざいな口調が気に入らないのか、王子様自体が気に入らないのか、それとも――

 うわ……私、お姉様がいるのに、王子様にあんな事延々告げていたんだっけ。

 すっかり姉姫の存在を忘れていた己の行動に、人魚姫が背中の陰で頬を染めれば、王子様の顔が傾ぎました。

 ひゃっ、お、お尻に当たって――って、それ以前に支える手で掴まれているし!

 人魚姫の気づきは、全部が全部、今更です。

 かといって、ヘタに暴れては頭から真っ逆さまですので、ここは耐えるしかありません。

 たとえ、無意識なのか故意なのか、遠目では変わらぬ指が、妖しくしなやかに臀部を撫でていたとしても。

 人魚姫が背後で羞恥に涙を呑んでいても、全く知ろうとしない王子様は姉姫に向かって言いました。

「人魚姫は晴れて、心身ともにボクのモノとなった訳だから」

「ふん、好きにするがいいさ。私はもう、行動を起すつもりはない」

「あっそ。ならいいや」

 そんな勝手に!?……いえ、それはまあ、私が選んだ事ですけど…………ううぅ、でも、あっさりし過ぎじゃないですか?

 堪らず黒い裾を握った人魚姫は、王子様と張るくらい素っ気ない姉姫の返答に胸がしくしく痛むのを感じます。

 けれどやっぱり王子様は、人魚姫の様子を知ろうとはせずに。

「そだ、あとさ……魔女は死んだ?」

「魔女? ああ、アイツか。アイツなら――――お、丁度あの辺に」

「…………へえ? 鮫が獲物を咥えたまま飛ぶ光景なんて、始めて見たよ」

「はぁ、いつ見ても美しい……が、アレは獲物扱いじゃない。正しく表現するなら親子の感動の再会だな。鮫の溺愛っぷりに、魔女はほとんど海底へ引き篭もっていたから」

「ふーん? 確かに涙の再会ではあるみたいだけど……感動って割には、魔女の叫びは貧相だねぇ?」

「そうか? 元からだろ、アレは」

 何だか散々な言われようですが、会話の中の鮫と友達である人魚姫は鮮やかに再現される光景を浮べると、魔女を不憫に思いました。

 次いで、あの高さから落っこちて無事だった魔女に、心の中だけで安堵の息をつきました。

 結果として突き飛ばしてしまった申し訳なさは、ちゃんと持ち合わせているので。

 その一方で、欠片も悪びれない主犯格の王子様は、やれやれと首を振りました。

「どちらにせよ、生きているとはねぇ? ボクはてっきり、魔女が死んだか、それに近い状態になったお陰で、人魚姫の呪いが解けたと思ったんだけど。……しっかし、無事だっていうんなら、これから先、付き纏われそうで面倒臭いな」

 陰鬱そうに吐き出した王子様。

 おもむろにくるりと部屋を向いては、そちらへ歩く素振り。

 どうやら人間外である姉姫を無視して、立ち去るつもりのようです。

 礼を失した態度を姉姫がどう思うのか、王子様が振り返ったために向き合う形となった人魚姫は心配しますが。

「人魚姫……達者で暮らせよ」

「お姉様……ありがとうございます」

 思わぬ声援を受け、不恰好のまま、小さく頭を下げました。

 姉姫のその顔が憐憫に彩られていた事に関しては、意識を逸らしつつ――。

 

 

 

 

 

 

 

 部屋を横切り、廊下をしばらく歩いて後の事。

 

 担がれたままの人魚姫は、おずおずと王子様に提案します。

「……あ、あのぉ、王子様? せめて抱き方を変えては貰えないでしょうか? ふ、服が擦れてて痛いんですけど」

 臀部に置かれたままの手の感触の恥ずかしさもさる事ながら、今回が着替え初挑戦の人魚姫です。

 振り回されたせいで、余計服が乱れてしまった末の無理な格好は、所々に痛みをもたらしていました。

 これに対し、王子様は実にのほほんと返します。

「そお? じゃあ脱ぐかい、服」

「……は?」

「もう少しで守衛の人たちがいるところだし、うん、そうしよう」

「はあ!?」

 ぴたりと歩みを止めた王子様の発言に、意味を理解しかねる人魚姫は質の悪い冗談だと憤慨します。

 が、王子様は至って普通に続けました。

「だって、ボクの存在がバレちゃ意味ないからさ? 君が色仕掛けで守衛たちを誑かして、暗殺者の侵入を容易にしたって事にすれば良いでしょ? 大丈夫、ちゃんと当身を食らわせるから。まあ、色々見られちゃうかも知れないけど、それはそれ、不幸な事故って事で。ボクに関しては散々見てきたから問題ないよね」

「大アリです! それにちょっと待って下さい!? 確か魔女様の魔法で、屋敷の皆は朝までぐっすりって――」

「ん? 言ってなかったっけ? 屋敷の守衛たちにも護符を上げたんだよ。彼らがしっかり働いてくれないと、この屋敷の人間が大変な目に合っちゃうからさ? ちなみに、暗殺者と魔女はわざわざ正面から乗り込まなくても、独自のルートを持っているからね」

「んなっ」

 間髪入れずに否定しても、王子様はいけしゃあしゃあと言いくさり。

 ぎょっとする人魚姫を些か乱暴に降ろすと、逃げる間も与えず首元の紐をしゅるり、解いてしまいました。

「さーて。それじゃあ、ご開帳ー」

 そのまま一気に剥かれてしまったなら、王子様の信じられない行動に人魚姫はありったけの声量で叫びます。

「いっ、いぃやああああああああああああっっ――――!!?」

 

 

 

 その後、王子様の予定とは違い、悲鳴を聞きつけてやってきた守衛たちに背中を向けた下着姿をばっちり見られた人魚姫。

 自分の身体を隠すよう抱きながらへたり座り、赤らみ潤む眼を寄せる彼女へ、彼らが何を感じたかは分かりませんが。

 無遠慮に伸ばされた手や笑いを堪えようとする心配顔、荒い鼻息は怖気が走るものばかり。

 極め付けに「大丈夫かなー、夜伽のお嬢ちゃん?」などと、野太いネコ撫で声で呼ばれたなら、人魚姫の精神は事切れる寸前でした。

 

 そんなこんなで人魚姫の心に、初めて王子様への殺意が芽生えます。

 

 幾ら隠れていた王子様が守衛たちを伸したとしても、諸悪の根源の彼に「怖かった」と泣きついたとしても、ドス黒い思いはドス黒いまま。

 しかし、その姿では目立つからと剥かれた後の争奪戦で着られなくなった服ごと、麻袋の中に押し込められ、なるべく動かないように指示された後で思うのです。

 殺意が芽生えたところで、仮にそれを実行したとしても、自分にとって益となる事は一つも無いと。

 懐剣は暗殺者に握らせてしまいましたので人魚には戻れませんし、守衛たちの様子を見た後では、とてもではありませんが一人旅なんかしたくありません。

 ……もしかして、王子様は全部見越していたのかしら?

 肉体面でも精神面でも、彼なしで生きていく事はもう許されないのだと、誰よりも人魚姫自身が思い知る事になると。

 もしも本当に、そのつもりで全てを実行に移したのだとしたら。

 ぞくり、背筋に悪寒が走りました。

 魔女よりも質の悪い男に引っ掛かってしまったのかと、自分の男運の悪さに人魚姫は辟易し。

「あ、乗合馬車だ。丁度良いから乗せて貰おう」

 一人ごとのように言った矢先、やけに手馴れた様子で、夜更けを征く馬車に乗り込んだ王子様は、麻袋を引き取ろうとする御者にやんわり断わりを入れて座りました。

 曰く、麻袋の中には代えの利かない枕が入っている、だそうで。

 枕が変わると眠れないって、そういう……。はあー。これが俗に言う、惚れた弱みっていうモノなのかしら?

 麻袋の隙間から覗くがらんとした馬車の中、王子様の膝の上で後生大事に抱えられた人魚姫は、ひんやりとした体温に身体を預け静かに目を閉じました。

 

 王子様の無体な仕打ちに慣らされそうな自分を憐れみつつ、それでも冷めやらぬ自身の恋慕の鼓動に呆れ返りながら。

 

 


目次 おまけ 1 

 

 

 

あとがき

さて、ここからは言い訳あとがきでも。
えー…御免なさい
いつの間にやら、軽くS○や調○入っている非常にビミョーな代物になってしまいました;
何度も書いている気がしますが、当初はこんなつもりじゃなかったんです。
思えばB面の流れを思いついた時、そのオリジナル色の強さに原作も別口でやった方が良いのではないか、と考えてしまったのがそもそもの間違いだった気がします。もっと言えば、B面で止めといた方が良かった…とも。
さておき、どうせなら原作ベースを先に書こうと思い立ち、B面後回しでA面の執筆実行。
最初は良かったと思います。本編じゃ可哀相な役どころばかりだし魔女にもちょっとはイイ思いさせてみよう、までは本当に普通でした。
んが、薬瓶片手にさぁ飲むぞっ、という時になってはたと唐突に思い出したわけであります。
このまんま人間になったら、人魚姫の格好相当ヤバくね?、と。
これが、全ての元凶でした。
ここから、全てが狂い始めてきました。
私にとって、結婚出来る年齢のくせに真っ裸の少女に優しく手を差し伸べられる、とってもステキな御伽噺の王子様は未知の領域過ぎたのです。いねぇよ、こんな野郎。ありえねぇよ、この野郎。純粋な御伽噺ならアリかもしれませんが、奇人街ベースにこんな王子様は無理です。もしもB面王子様でこのパターンだったら、人魚姫は即・お召し上がりのお持ち帰りで二度と日の目は拝めない仕様になるくらいです。
ゆえに、年齢制限が掛かってしまいました。けれどA面の余波は恐ろしく強く、結果、B面まで制限仕様に相成りまして。しかも本当はもっと短いお話になるはずだったのに、場面数の多さから気づけばこんなに長く。
人魚姫って結構見せ場多かったんだなぁ、と思いました(まるで他人事のように

そんなわけでこれにて人魚姫A面は終了です。長文でしたが、ここまでお付き合い下さり有難うございます。
内容はこんなんでしたが、ほんの少しでも楽しんで頂ければ幸いです。

2009/11/10 かなぶん


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