!注意!
このお話には奇人街のキャラを起用していますが、仕上がりが程好く危険です。
それでも良いという方のみ、どうぞ。

 

 

人魚姫B面 4

 

 体感時間の長さに絶望した矢先、急激に引く痛み。

 どっと疲れが出たのも束の間の事。

 

 っはあ…………っ!? 声が!

 

 溜息でさえ音にならない喉を知り、人魚姫は首を押さえて愕然としました。

 腰に回されていた蛸足は取り払われており、よろけてもふらりと傾いだ身体は波間を漂うだけ。

 すると、着用していた紫の衣の下から、人間の足が投げ出される形で現れたではありませんか。

 !!?

『おおっ!?』

 ぎょっとする人魚姫に続き、王子様の歓声が届きました。

 途端人魚姫は、鱗に覆われていた時は全く感じられなかった羞恥に襲われ、紫の衣で足を早々隠してしまいました。

 中で身を縮めたなら、尚更増して、衣以外何も身につけていない身体を感じ、目の端に涙が滲んできます。

 魔女様……そんなに、そんなにも、私の事を?

 これならまだ、鏡越しで対峙した方がマシでした。

 よりにもよって、慕う彼の手で、他の男の好みに身体を変えられてしまうなんて……

 深い哀しみに囚われ、声も上げられずに泣く人魚姫。

 そんな彼女を脇に追いやり、鼻息も荒く王子様は魔女に手を伸べました。

『では魔女よ……早速、ソイツを俺の下へ』

「ん? ああ、はいはい」

 軽い調子で頷いた魔女は、丸まった人魚姫の腕を掴み上げると、己の方へ引き寄せます。

 もう、どんな事をしても無駄――そう全てを諦めてしまった人魚姫は、それでも魔女の顔を見つめます。

 今生の別れとなるであろう、愛しくも憎らしい、大好きな彼の姿を心に焼き付けるために。

 けれど。

 ……へ?

『……あ? 何をしていやがる、魔女。さっさとソイツを――』

「んー、無理」

『はあ!?』

 丸まった人魚姫を、何故か母親が赤子をあやすように抱きしめた魔女は、眉を寄せてへらりと王子様へ笑いかけました。

 凄む王子様と同じく、混乱する人魚姫は、背筋を正すと、自分の下にある紫のヴェールに包まれた頭部を見つめます。

「だからね、無理なんだよ」

『んなっ、は、話が違うじゃねぇか! てめぇ、最初に言ってたじゃねぇか! 俺にソイツを寄越すと!』

 え……最初って?

「んー? それこそ違うよ? 気に入るかどうか分からないけど、人間に近い、けれど人間とは違う種族の奴を、話し相手に紹介しようか、って言っただけ。それにあの時、君は言ってたじゃないか。誰がお前のような胡散臭い奴を信用するか、って」

『ぐっ……根に、持っていやがるのか? だから無理だと!』

「って、わけでもないんだけどねぇ」

 …………何だろう、この展開?

 そういえば先程から魔女と王子様は、既知の間柄であるような会話をしていました。

 一人、爪弾きにされた人魚姫が首を傾げたなら、ふいに魔女の顔が上がりました。

 あまり見せてくれない、優しい微笑みを携えて。

「そーいや、お前にはまだ言ってなかったね? 今の話で凡その検討はついているだろうけど、ボクと王子様は前に一度会っているんだよ。この子ったら、モテる割に、自分の容姿が人間っぽくないって僻んでてさ? 世の中、面白くも何ともないから、各国巻き込んで、潰し合いの全面戦争目論んでいたんだ。彼の国は強いからねぇ。他国同士をぶつけ合わせる裏工作も得意なんだよ。んで、人間好きのボクとしては、そんな事して人間が激減したら嫌だから、王子様に会って言ったんだ。どうすれば、物騒な発想を取り止めにしてくれるか、って」

 王子様の突飛な発想に目を丸くした人魚姫は、怪訝な顔つきで鏡越しの彼を見やります。

 これには思うところがあるのか、目を逸らす王子様。

 人魚姫が魔女に視線を戻したなら、闇色の髪の向こうで、混沌の双眸が細くなりました。

「王子様はね、他に夢中になれるモノがあるなら、止めてやるって言ったんだ。そこでボクはとっても良い事を思いついた。人間っぽくないのが面白くない原因なら、似たような相手を近づけたらどうだろうって。丁度、ボクの窟に飽きもせず通ってくるお前がいたからさ? そんな愉快なお前なら、王子様を楽しませる事が出来るかもと思って。だけど王子様は拒否したばかりか、告げていたお前の容姿に対して」

『っ! お前、それは――』

「発展途上の小便臭い餓鬼なんざ、使い捨てにもなりゃしねぇ――って」

 …………………………。

「ボクはあくまで、話し相手として紹介するつもりだったんだけど。性別が女って聞いた途端、そんな反応でさ。ちょっと困っちゃった」

 白い目を向ける人魚姫に言い訳も出来ず、目を泳がせる王子様。

 その態度こそ、一言一句、魔女の話が嘘ではない証拠、とは気づきません。

「んでも、やっぱり人間が激減するのは宜しくない。そう思ってたら、お前がここに来たんだよ、人魚姫」

 私?

「そう。大人になったと、ね」

 するりと伸ばされる白い手に頬を撫でられた人魚姫は、惚けた面持ちでそれに己の手を重ねます。

 魔女が何を言おうとしているのか量りかねる傍ら、安心させるように触れられた違和感から、仄かな期待を滲ませつつ。

「お前が知っているかどうかは知らないけど、大人になった人魚の行動範囲が広がるのはね、危険を回避できるようになるからだけじゃない。伴侶を見つけやすくするためでもあるんだ」

 伴侶……

「……お前は何故、自分がここに来られるか分かってる?」

 へ?

 唐突に話を変えた魔女を伺うように、人魚姫は顔を近づけました。

 人魚姫がここに来ていたのは人魚姫の意思でしかなかったはずだ、と。

 そんな心を読んだかのように、魔女は小さく首を振りました。

「来るのはお前の勝手、だけどね。仮にも魔女の窟。考えた事はなかったのかい? 何故、この窟に入る事が出来るのか。侵入を許されたのか。……確かに用がある者は入れるけど、それはボクの力を目当てにするモノだけ。ボク自身を目当てにしても、ここに入れるはずがないんだよ」

 ……それって、つまり?

「つまり、ね。ボクが許したんだよ。懲りず訪れるお前を。ボクのモノだと思う事で、許容した、受け入れた。煩わしい事この上ないって分かっていたのに、お前があんまりにも、無邪気にボクへ笑い掛けるから」

 ボクの…………ぅわ。

 期待した以上の答えを受け、人魚姫の顔が真っ赤に染まりました。

 こうなると面白くないのは、先程から蚊帳の外扱いになっている王子様。

『おい! 誰がお前の、だ! ソイツは俺の――』

「だから、許せなかった。ボクのモノが、ボクの手を勝手に離れて、同族であっても人間外の相手と一緒になるなんて」

 けれど魔女は王子様を無視して話を進めてゆきます。

 人魚姫も魔女の言葉にしか耳を傾けません。

「それならいっそ、人間の男に嫁がせようと思ったのさ。上手くすれば、お前を通して人間と接触を持てるかもしれない、とね。お前はボクのモノだけど、ボクはあくまで人間が好きで、人魚には興味が持てない。それはお前が一番、身を持って知っているでしょ?」

 …………。

 魔女の含みを持たせた言い様に、人魚姫は今まで見た事がないくらい、全身を真っ赤に染め上げました。

 後一押しで、卒倒してしまいそうな人魚姫の脳裏には、魔女が“嫌がらせ”と称して、人間に似た上半身へ行ってきた、あんなことやそんなことが、ずらりと絶え間なく再生されていました。

 耐えられないと目を伏せたなら、端で魔女のへらりとした笑みが深まります。

「そう。どうやら理解してくれたみたいだねぇ? なら、あの呪いの意味も分かるよね? 運命の人……それは紛れもなく彼の事だ。お前が諍いを止められる要因になってくれれば良いと。でも、幸せに関しちゃ、お前自身が見つけるモノでしょ? 正直さ、あの時にはもう、どっちでも良いかなって思ったんだ。王子様と一緒になっても、どこぞの馬の骨と一緒になっても。ただ、未来永劫、幸せでさえあれば良いって」

 魔女様……幸せって、私の気持ち、ちゃんと考えていて下さったんですね。

 抱き止める手を離され、自由を約束された人魚姫は、けれどその場に留まったまま。

 妙な空気を作り上げる二人に対し、鏡越しでしか眺められない王子様は、ギリギリ鋭い牙を軋らせて唸りました。

『おい……いい加減にしろよ、お前ら! 俺を無視するのも大概にしろ! 第一、魔女!』

「ん?」

『お前……俺の問いに答えていないぞ!? 何が無理だと言うんだ! ソイツを俺の下へ連れて行く事に、どんな障害があると!?』

 指を差されてビクッと身を震わせる人魚姫を横に、王子様へ向き直った魔女は呑気に言いました。

「んー? だってさ、コイツ、もう人魚じゃないんだよ? 人間なんだよ?」

『ああ? んなもん、見りゃ分かる! だから連れて来いと――』

「うーん、分かってないなぁ。だからさ、無理なんだよ。人間になっちゃったから、もう、この窟から出せないんだ」

『はあ!?』

 まるで正気を疑うような声が王子様から為されれば、思わぬ発言に人魚姫はきょとんと目を丸くしました。

 ……え、えと、それって?

 しかし完全に理解する前に、魔女は困ったような笑いを王子様へ向けます。

「あのさ、ここは海底なんだから、人間じゃ溺れ死ぬでしょ」

『あ』

 言われて見れば……私、どうして生きているのかしら?

 人魚から見ても、人間から見ても、不可思議と映る魔女の、至極常識的な指摘に、人魚姫も王子様も今初めて気づいた顔つきを浮べました。

 これへ肩を竦めた魔女は、上方にいる人魚姫の喉元へ、そっと手を翳します。

「ここの窟は、ボクの住んでいるところだけあって、人間でも生きていられる造りにしている。でも、外はやっぱり海底だから、人間を運ぶのは無理。酸素の供給は出来るけど、連れて行く途中で大型の魚に襲われない保障はないからね。圧の違いで鼓膜が破れる可能性もあるし……それに、さ?」

 とんっと人魚姫の肩が押されました。

 突き放される行為に驚いた人魚姫は、慌てて不慣れな人間の身体を動かし、魔女を目指して泳いでゆきます。

「人間になった今、ボクはコイツの意思を尊重しようって考えているんだよ」

『何を』

「人魚姫、応えて。お前はどうしたい? ボクは人魚だったお前の望みは叶えたくないけど、人間であるお前の望みは叶えたいから」

 私は……そんなの、選ぶまでもないわ。

 魔女の言葉に、一時泳ぎを止めていた人魚姫は、足場を見つけると、それを蹴って一気に愛しい彼の下へと近づき。

「!」

『なっ!?』

 その首に腕を回すと、語れない口を用いて、答えの代わりに魔女の唇を塞ぎました。

 流石にこの答え方は予想していなかったのでしょう。

 愕然とする王子様をバックに、混沌の瞳を目一杯見開いた魔女は、深めようとする動きを察知しては、これをべりっと引っぺがしました。

 人間になったのだから、特に拒まれはしないと思っていただけに、人魚姫はちょっぴり傷つきました。

 ――が、自分の行動を思い返すと、恥ずかしさのあまり、口元を覆ってしまいます。

 わ、私、何て事を……

 余程、鬱屈した想いを抱えていたようです。

 恥じ入る気持ちはあれど、幾らかすっきりした面持ちの人魚姫。

 対照的に、目の前で失恋決定の物証を突きつけられた王子様は、届かない手を鏡越しに叩きつけました。

 そのせいで鏡にヒビが入っても構わず。

『ふ、ふざけるな! 俺の望みはどうなる! ようやく、ようやく見つけたんだ……俺に添うてくれそうな女を。それなのに……これじゃあ完全に当て馬じゃねぇか!!』

 完全に自分の立ち位置を察した王子様は、更に吠え掛かります。

『大体、お前は魔女なんだろ!? どうして女同士で』

「ん? 女同士?……ああ、なるほど? どうりでボクが何しても怒らなかったわけだ。うん、まあ、世の中広いし、そういう愛の形もあるかもしれないけど。魔女を名乗っててもさ、ボク、男なんだよね」

『はあ!?』

 まさに寝耳に水、という面持ちで固まる王子様。

 やや男性よりとはいえ、中性的な容姿の魔女を、今の今まで女性だと思っていたようです。

 輪郭をおぼろげにする、艶やかで妖しい紫の衣とアクセサリーも、王子様の思い込みに拍車をかけていました。

 続くどんでん返しに、ヒビがどんどん増してゆけば、不穏に王子様の肩が揺れました。

『……いいだろう。ソイツを渡さないというならば、俺は諍いを起すまでだ。人間を激減させてやる』

 一通り、クツクツ笑った王子様は、じろり、魔女を睨みつけました。

『……嫌だろう? 嫌だよな? ええ、人間好きの魔女さんよぉ!? ならばソイツで手を打ってやる! また人魚にしてから、人間にする薬ごと、俺に渡せ! そうすりゃ、制限なんざ関係ねぇだろう!?』

 最後は懇願混じりに、悲痛に。

 ほだされそうになる物言いですが、結局は物扱いされている自分に、人魚姫は魔女の身体へぎゅっとしがみつきました。

 一人の命で他大勢が助かると言われても、人間自体、今日が初見の人魚姫にはピンと来ません。

 これが近しい人魚なら、また話は変わったのかもしれませんが。

 ともあれ、当の魔女は、そんな二者の想いなぞ量ることなく。

「んー……どうぞ、お好きなように」

『何っ!?』

「ボクは人間が好き。それに間違いはないけど、優先されるのは近くにいる人間なんだよ。君の発想だってね、遠くにいる人間が同じ位置の人間との諍いで減るのが嫌ってだけで、本当に止める気なんてないんだ。そんな容姿でも君は人間、だからさ? 人間の意見は尊重するよ」

『ぐぅっ』

 万策尽きた風体で、それでも人魚姫を諦めきれないのか、歯を剥き出しヒビに爪を立てる王子様。

 いい加減その行動こそ、人魚姫を怯えさせている原因と分かっても良さそうなものですが、気づく様子はありません。

 基本、人間のやる事には賛同を示す魔女は、へらへら笑って言いました。

「御免ねぇ? 君のお願い、叶えて上げたいのは山々なんだけど、コイツはボクのところが良いみたいだからさ? それに……」

 人魚姫をぶら下げたまま、ヒビの入った鏡に近づいた魔女は、おもむろにその手を鏡面へ添えました。

 ガラス越しで別れを告げる恋人のように、向こうにいる王子様へ。

「王子様。とても残念な事だけれど、君はコイツを泣かせたんだよ。人間以外なんて気に留めるのも苦痛でしかないボクが、未来永劫の幸せを、と呪ったコイツを。そりゃ、万事が楽しい生なんてありゃしないけどさ?……コイツはこの窟に来る時、それ以前にどんなことがあっても、笑って挨拶するんだ。それなのに、さっきは笑みも挨拶もなかった。これがどういう意味か、分かるかい?」

『…………』

 するり、魔女の指が鏡越しに、睨むだけの王子様を撫でました。

 しなやかな動きで、軽やかな音色で。

「さよなら、王子様。初めての恋に悩める君は、もう少し頭を冷やした方が良い。そしてもし、それでも君がコイツを望むなら、鏡越しにでも口説けば良いのさ。ボクは人間の望みは叶えるから、コイツが自発的に君と会いたいと思えば会える。だから、今はさよなら」

『! 待――』

 魔女の言葉に合わせ、鏡が真っ白に光ります。

 眩い光に魔女の胸へ顔を埋めた人魚姫は、しばらくすると恐る恐る、顔を上げて鏡を見やりました。

 ヒビのない鏡面に、寄り添う二つの影。

 あのヒビは王子様の方にある鏡のモノだったと察する前に、人魚姫の頬が薄っすら赤くなります。

 けれど、ふいに思い至っては翳りを映しました。

「んー、どうしたんだい?」

 声と共に伸べられた手が、人魚姫の顔を上げます。

 見交わすこげ茶と混沌の瞳。

 先に動いたのは魔女の方でした。

「不安、かい? 王子様がまだ怖い?」

 優しく問われて、少しだけ考える素振りをみせた人魚姫は、ふるふる首を振りました。

 とんでもない人間だという認識は変わりませんが、王子様への嫌悪感はほんのちょっぴり薄らいできていました。

 本当に、ほんのちょっぴり、でしたが。

 王子様は、近くにいるとやっぱり怖いけど……もっと怖いのは、不安なのは…………

 添えられた手を掻い潜り、人魚姫は再度、魔女にしがみつきました。

 多少怯んだ様子の魔女は、恐々といった調子で人魚姫の髪を撫でつけます。

「……不安は、ボク? お前の望みを叶えるボクが……怖い?」

 この問い掛けに人魚姫は、魔女へ身体を擦り付けるように頷きました。

 はい。流石に王子様みたいなのは、重くて自由がないから、遠慮したくなりますけど。

 ほんの少しでいい。

 私と同じくらいでなくても、その意味合いが違っていてもいいから。

 魔女の指が髪を絡め梳く感触を背に、人魚姫は彼と視線を合わせました。

 自然、屈む背、頬へ伸ばされた手へ、自分からも添うように近づいて行きます。

 あなたから、望まれてみたいんです、魔女様。

 人魚姫の想いを知りながら、王子様の下へ向かわせ、口説くよう勧めた魔女。

 幾らボクのモノだと言われても、何一つ、確証が持てない人魚姫は、静かに目を閉じました。

 暗闇の中、呆れた溜息が魔女からもたらされます。

「やれやれ。王子様じゃないけど、あんまり伝わってなかったみたいだねぇ? ボクがどれだけお前に気を配っていたか。お前の意思を尊重していたのか」

「っ!?」

 言いつつ、魔女は人魚姫に対して、でこぴんを施行。

 まさかこの場面で、こんな事をされると思っていなかった人魚姫は、額を抑えるなり恨みがましい目で魔女を睨みつけ――

 

 不意をつき、重ねられる唇。

 

 驚きから額の手を離せば、混沌の瞳が誘うように細まりました。

 おずおず、魔女の首に腕を回したなら、背中と頭を支える手が、更に人魚姫の身体を引き寄せます。

 と、奇妙な感触を知った人魚姫は、小さく離れた合間を縫い、下へと視線を落としました。

 そこには、紫の衣から覗く人間の足が――

 魔女様にも?

 思わず、もう一度魔女と顔を付き合わせた人魚姫。

 どういう事かと視線だけで問おうとすれば、にたりと笑みを深めた魔女、答えることなく人魚姫の唇を塞ぎました。

 混乱の最中、乱れ入る熱に翻弄され、こげ茶の瞳が潤んだなら、頭を支えていた手が露わになった人魚姫の外腿に手を這わせます。

 未だ慣れない感触にビクつけば、離れた魔女がクツクツ肩を震わせました。

「言って、なかったっけ? ボクは一応、魔女、だからさ? 部分的にでも自分の姿を変える事は可能なんだよ。薬なんか使わなくても、こんな事は朝飯前……って言ってたら、なんだか腹が減ってきたな」

 雰囲気丸投げで自分の腹を押さえた魔女は、あっさり人魚姫を解放すると背を向けてしまいました。

 ぐるぐる巡る熱に苛まれ始めた人魚姫としては、素っ気無さ過ぎる態度です。

「何してるの? おいで。飯にするよ」

 それでも呼ばれたなら、拙い泳ぎで魔女の後を追いかけます。

 どうにかこうにか並ぶと、へらへらした顔が自分に向けられている事を知りました。

 つい、口が聞けなくても不機嫌が分かるよう、顔をふいっと逸らす人魚姫。

 魔女はさして気にせず、その頭にぽんっと手を置くと。

「飯は生活の基本だよ。疎かにしてはいけない。食べられる時に食べとくモンだからね。それに、ちゃんと教えて上げるから。焦る必要はないでしょ? 時間はたっぷりあるし」

 …………………………ええと?

 不思議な言い様に、人魚姫が魔女の方を向いたなら、色んな意味でドキドキする笑みがそこはありました。

「不安の解消とこの足の使い道。今までは人外で、さっきまでは人間だったから我慢してきたけど、人間のお前がボクの望みを望むなら、ボクはその通りに従うまでさ。でも、辛くなったら早く教えてよ? ボクは人魚だったお前が思うほど、お前自身に興味がないわけじゃないんだから」

「!」

 遠回しとも、直球とも取れる魔女の言葉に、人魚姫はぴしっと固まります。

 次いで徐々に赤くなってきたなら、クツクツ笑う魔女がまた先を歩き出し。

 その袖を追って掴み、くいっと引いた人魚姫は、真一文字に引き結んだ首を小さく縦に振りました。

 これをきょとんと眺めた魔女は、苦笑を一つ浮かべ、人魚姫を伴ったまま奥へ。

 途中、今更ながらに人魚姫が思い出した事といえば。

 すっかり忘れていたけど、私、誰にも魔女様のところに通っているなんて言ってなかったわ。それに、人魚の姿も大勢の人間の前に晒してしまって……ど、どうしよう。

 山積する問題をうっかり浮べてしまった人魚姫は、一時、鬱々とした気分に陥ってしまいました。

 

 後に、シャチサイズにもなれる姉姫が魔女と旧知であった事、その姉姫と人魚姫自身の活躍(?)により、人魚の声は耳を潰す・人魚を獲ると船が沈む、という迷信が生まれた事などを、魔女から聞かされるわけですが……

 

「……まずは身体を慣らす事から始めないとねぇ」

 魔女がボソッと小声で漏らした言葉を、余す事なく拾い上げた人魚姫は、山積していた問題はどこへやら、これから自分の身に起こる出来事を思い――

 

 火照った溜息をこっそり零しました。

 

 


あとがき
とりあえず、これにてB面は終了です。なのであとがきを少々。
人魚姫のリクエストを頂いた時、最初に思いついたシーンが、漁船の網に掛かっるアレでした。
王子様との出会いは食器の上で。
彼を妖しい感じの魔女にしてみたいと思ったのは、その後だったでしょうか。
兎にも角にも、パロディとは名ばかりの、完全コメディだったわけです。
これが何をどう間違って、年齢制限なんか設ける羽目になったのか。
そこら辺はA面のあとがきにでも書かせて頂くとして。
王子様、とことん報われない。本編以上に報われていない。
触った分だけ手酷い仕打ちを受けております。
最初はちょっぴり良い目でも、とか思っていたのに。結果は御覧の通り。
これはもう、彼の特性としか言いようがありません。
以下におまけと称して、その後の二人を書いていますが、かなり痒いのでご注意下さい。

こんな感じの仕上がりですが、少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。

2009/9/30 かなぶん

目次

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おまけ

 

 それは、人魚姫と魔女の仲が公になってから一ヶ月後のこと。

 

 相も変わらず不気味な光を保つ窟の中で、ぼんやりとした光が鏡に映り始めました。

 これが収束したなら、鏡の中に先程まではなかった、一つの影が現れます。

『おい、魔女。約束だ。俺にソイツを口説かせ……』

 影の正体は、魔女と交信できる新しい鏡を見つけた王子様。

 本当は直々に海へ潜って、人魚姫を攫う気だったものの、魔女の窟があまりにも深い場所にあるため、断念したのがこの結果でした。

 魔女に言われた通り、正々堂々、鏡越しに人魚姫を口説こうとしたわけですが。

「んー。なんだい、こんな時間に」

 常時、暗闇に包まれている深海にあって、時間はあまり関係なさそうですが、寝起きの様子の魔女はカウチの肘掛に背を預け、王子様の方を見やりました。

 

 ――一緒の寝具に包まった、人魚姫の姿を胸の上に置いた状態で。

 

『――――!!?』

 初っ端から、艶っぽい絵を見せられた王子様。

 指を突きつけ、ショックで声が出ない口をパクパク動かし、何事か叫びました。

 これを緩い寝間着姿で視認した魔女は、ヴェールのない髪を掻きかき。

「王子様……? ってことは、諦めなかったんだ。うーん、いいねぇ。見目は兎も角、人間からの連絡は嬉しいよ」

『――――っ!!』

 のほほんとした魔女の言い様に、ふざけんなっ!! と噛み付く形相の王子様。

 王子様の目的は、魔女ではなく人魚姫なのですが、へらへらした顔は変わりません。

 言葉を失ったままの王子様が、それでも何事か罵声を浴びせようとした矢先。

 ふ……ぅ……?……魔女、様?

「おや、起しちゃったかい?」

『!』

 声の出ない言葉で魔女を呼んだ人魚姫が、ゆっくり目を開けたなら、王子様がべったり鏡に張り付きました。

 どうやら自分に気づけと身体を張って示しているようです。

 けれど人魚姫は、魔女の胸に頬を擦りつけると、鏡を目の端ですら捉えず。

 挨拶のつもりでしょうか。

 魔女に腕を回すと、その顎に口付けをしました。

 とても幸せそうに、うっとりとした面持ちで。

『んなっ!!?』

 あまりの衝撃に、ようやく声を取り戻した王子様。

 しかし王子様が受けた衝撃は、挨拶のキスだけではありませんでした。

 魔女に抱きついたせいで、人魚姫からしゅるりと肌蹴た寝具、晒された素肌。

 ところどころ、仄かに赤く色づく背には、一糸も纏われていなかったのです。

 続く腰下のラインにも、何かを身につけているような膨らみは見受けられません。

『っ、こ、この――!』

 王子様の心境を如実に表すように、みしっと大きな音が響けば。

 ひゃっ!?……あ、あれ? どうして鏡が?

 いつぞや、王子様が向こうで鏡を壊した時に起こった閃光を知り、完全に覚醒した人魚姫は、魔女を下にした状態で身体を浮かせました。

 寝具を落とし、クセのある褐色の髪と共に波に漂いかけたなら、茫然と鏡を見つめる意識を戻すように、クツクツ鳴る喉があります。

「ああ、困ったねぇ。折角、常連になってくれそうな子だったのに。まあ、これで諦めても、諦めなくても、彼の意思だから、ボクはどっちでも構わないんだけど」

「?」

 魔女へと視線を戻した人魚姫は、喉に伸ばされた手を知り、擽ったそうに首を縮めます。

 次いでどうしたのだろうと近寄れば、目を細めた魔女が喉を再度、撫で上げました。

「人魚姫……その格好がお気に入りかい?」

「?…………………………っ!!?」

 言われて初めて、波に浮かぶ自分の身体が、何も身につけていないと知った人魚姫は、慌てて落とした寝具に手を伸ばしました。

 笑う魔女は寝そべったままで、寝具を拾って渡しますが、人魚姫は礼も言わずに奪い取ると自分の身体へ巻きつけました。

 な、何をするんですか! 私、眠る前は確かに!!

 キッと睨みつける人魚姫に対し、魔女はククッと軽く咳をするように笑いました。

「御免ねぇ。何を言いたいのか、ボクにはさっぱり分からないよ」

「〜〜〜〜っ!」

 確実に言いたい事は理解しているだろうに、わざとらしくはぐらかす魔女。

 人魚姫はあまりの怒りに歯噛みをします。

 かといって、魔女がこの様子を気にする訳もありません。

 それどころか。

「にしても、慣れないねぇ。ボクに隠したところで今更。もっと凄い格好だってして見せたのに」

 したんじゃありません、させられたんです!!

 色んな感情がない交ぜになった赤で、全身を染め上げた人魚姫は、ぷいっと顔を逸らしました。

 もう知らない、という意思表示にも関わらず、魔女は更に続けます。

「やれやれ。どうもお前には、眠るとすぐに忘れる癖がついているみたいだね? 憶えていないようだけど、服にしても、ボクに応えて自分から脱いだんだよ? ほら、思い出して御覧よ。眠る前の事、はっきり浮べられるかい?」

「っ」

 息を呑む人魚姫ですが、それは言いたい事をやっぱり理解していた魔女に対してではなく――

「思い出した、みたいだね」

 う……ううぅ…………

「おいで、人魚姫」

 ……はい。

 小さく頷き、伸ばされた手に手を重ねた人魚姫は、寝具に包まった状態で魔女の腕の中に納まりました。

 乗じて足首と腰に絡みつく蛸足から、魔女の気分がそちらに向いていない事を知り、ほっと息をつきます。

 人間の足は、魔女から求められる合図。

 それがこの一ヶ月間、身体を魔女好みに散々慣らされてきた人魚姫が、何度も意識を朦朧とさせながら学習した事でした。

 いつも素っ気ない魔女様から、求められるのは嫌いじゃない……ううん、どちらかといえば好き、だけど…………これ以上連続でされたら、私の身体がもたないもの。

 今は完全に人間の身体な人魚姫は、度々強行される無茶な要求があっても、人間好きの魔女が、休む機会を与えてくれる事をしっかり認識していました。

 

 ――が。

 

 えぅっ!?

 魔女の肩に頭を預けた矢先、しゅるりと寝具の中に入ってくる蛸足の感触。

 ふひゃっ、やっ、あぁっ!

 気を抜いていた分だけ、遠慮のない侵入を許した肌は、鋭敏にその動きを伝えてきます。

 魔女にしがみついた人魚姫は、荒い息で彼の鎖骨を何度も擽りつつ。

 ま、待って、んっ、ゃ、だって、まだ、ぁっ、そこまで、お、落ち着いてもっ、ふぅううっ、い、いない、ないっ、のぉっ――あっ!

 頬を紅潮させ、潤んだ瞳を仰け反らせれば、歪んだ視界の下、混沌だけが柔らかく微笑んでいるのが見えました。

 交わした視線から、止めてと訴えかける人魚姫ですが、魔女は縋る彼女の髪を緩慢な動きで梳くだけ。

 身を捩って離れようとしたなら、胸元が肌蹴るのを待っていたかのように、もう一方の白い腕が人魚姫の背を捕らえ、身体を引き寄せてしまいます。

 ついでに髪を梳いていた手が頭を抱くと、声にならない喘ぎを上げて切なげに苦悶を浮べる額へ、魔女は唇を押し当てて言いました。

「マンネリ化は早い崩壊を招くってね。人間のお前が望むなら、ボクはどこへでも連れてゆくよ? だけどね、自分のモノを手放したくない気持ちは、ボクにだってあるんだ。だからこの先、誰がお前を誘惑しようとも、お前の意思がボクに向き続けるよう、努力する必要がある。コレはそんな努力の表れ」

「っ……っ、っ…………」

 発せない声の代わりに、息の詰まる音だけが人魚姫の喉を突き続けたなら、魔女が苦笑を浮べて問い掛けます。

「辛いかい、人魚姫? でも、これすらきっと、序の口だよ? お前の望みを叶える事が至上となってしまったボクには、お前を引き留めておく方法が他に思いつかないんだ」

 魔女、様……

「……ねえ? 辛いならお望みよ、ボクの人魚姫。もう止めて欲しいと。声がなくとも意思を表示することは可能でしょう? 簡単だよ。ボクの望みを否定することなん――てっ!?」

 魔女の言葉を最後まで聞かず、人魚姫は力を振り絞って、彼の口元に頭突きを喰らわせました。

 幾ら丈夫な魔女でも、喋っている途中で口元を狙われるのは痛かったようで、そこを手で押さえては、しばらく動きが止まります。

 人魚姫の方も目に火花を散していましたが、眦に浮かべた涙の原因は別にありました。

 痛みも、そちらの方が強く感じられて。

「〜〜〜〜っ」

 魔女の肩に手を置いた人魚姫は、絡みつく蛸足がずるりと滑る感覚に肌を粟立たせながら、まずはその頬に口付け。

「……人魚姫?」

 惚けた問いかけを受けたなら、こめかみ、額、瞼へと順々に。

 最後には魔女の頭を胸へ寄せて抱き締めます。

 先程までとは違う、痛みによって今にも泣きそうな顔を、茫然とする魔女へ向けながら、まだ荒い息を滲ませつつ。

 辛いです、魔女様。

 あなたの信用を得られない事が。

 どれだけあなたに応えても、いつか離れてしまうと疑われる事が。

 あなたの望みが、私を引き留める手段でしかない事が。

 唇だけで伝えたなら、魔女の蛸足が離れ、代わりに白い両手が人魚姫の両頬を包み込みました。

 それに促される形で、顔を合わせる位置まで下げた人魚姫は、抱く腕を魔女の首へと回し、押し留めるような両手を掻い潜ると、触れるだけのキスを魔女へ贈りました。

 闇色の髪の下で、混沌の瞳が揺れたなら、満足そうに、けれど泣き笑いのままで告げます。

 お願いです。答えてください。魔女様の望みに、私は在りますか?

「人魚姫……」

 もう一度人魚姫の両頬を捉えた白い手の片方が、首筋へとなぞり下りてゆきました。

 人魚姫は首に回していた手を頬に添えられたままの手に重ね、擽ったそうに擦り寄ります。

 もう一方の手は、魔女の肩に掴み置き。

 なんて、ちょっぴりずるいかもしれませんね。

「何が」

 完全にペースを人魚姫に持ってかれた魔女は、苦笑する人魚姫の不可思議な様子に身を起こし。

 勝る力で押し戻されては、近づく唇に呼吸を奪われてしまいます。

 どれだけ交わしても、未だ拙さの残る口付けが離れれば、珍しくも丸くなる魔女の眼。

 それが元に戻る前に、人魚姫は告げました。

 

 好きです、魔女様。

 

「!」

 あれだけの事をしていながら凄く今更で、言葉にしても音にはなりませんし、気恥ずかしくもありますけど……まだ私、言っていませんでしたよね?

「ああ……言われてみれば、確かに…………」

 呆気に取られた返答が魔女の口をつけば、人魚姫は嬉しそうにふんわりと笑いました。

 勿論、愛しても、います。ですから――不安がらないで。

「不安? ボクが?」

 はい。たぶん、そうだと思うんです。だから魔女様は私を試すような事ばかり仰るし、されるのではないかと――

「……する方に関しちゃ、結構、好きでやってたんだけどね」

 …………………………ええとぅ……?

 惚けた顔のままで返された言葉に、人魚姫の笑顔がヒクッと引き攣りました。

 しかし魔女は、そんな人魚姫を知らず、一つ頷くとへらり笑いを取り戻します。

「でも、そっか。不安だったのか。へえ? 面白いな」

 ……ま、魔女様?

 いつもの調子を完全に取り戻した魔女に対し、人魚姫が若干及び腰となったなら、その喉元に白い手が這わされてゆきます。

 驚いた人魚姫の身体が波に逃げようとすれば、もう一方の手が彼女の腕を軽く掴んで引き留めました。

 こげ茶の瞳と混沌の眼が合わされば、魔女は眉を寄せて言いました。

 指で喉元を撫で上げながら。

「このままでも良いと思っていたけど、やっぱり声は欲しいかな。そっちの方が反応も明確だろうし、自分の喘ぎを聞けた方が刺激も増すでしょ?」

 ひ、人が真剣に告白をした後なのに! 言うに事欠いてそれですか!?

 思ってもみなかった台詞を受け、怒りがピークに達した人魚姫は、掴まれた腕を振り払い――かけ。

 それを許さぬ強さで引き寄せられては、顔を魔女の首元に埋められ、再度離れようともがけば、ぎゅっと抱き締められて。

 告げられました。

「それに、声で聞いた方がもっと落ち着けそう。好きだって、君の言葉で言って貰えたなら。愛を誓ってくれるなら。わざわざ辛い目にも、疲れる目にも、早めに嫌われるために動く必要もないからさ」

 魔女様……

 クツクツ笑う喉を近くに見た人魚姫は、魔女の心情を知るなり、自分からも抱きつくために腕を回しました。

 言葉の代わりに、好きだという想いを行動で示すべく。

 身体は離れても、心が離れる事はないのだと分かって貰うために。

 自分が魔女から与えられているものを、少しでも返せれば良いと願って――

 

 

 

 ……余談ではありますが。

 数ヵ月後、凝りもせず鏡を取り寄せ、魔女との交信を再開させた王子様。

 繋がった、と思った矢先。

『っ!!? な、なんだ、ソイツのその、腹の膨らみは!? 一体、何を孕ませたんだ、魔女!!』

 という半ばズレた叫びと共に、またしても鏡を割ったそうです。

 

 それでも、諦めの悪い王子様は、数ヶ月毎に交信しては、割った鏡の数だけ忍耐力をつけてゆくのでした。

 

 


2009/10/2 かなぶん

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