出会いの夜 3

 

 里璃の衣服を全て剥ぎ取った、トヒテという名の少女は、バスタブに彼女を入れては首を傾げた。

『あの、リリ様?』

「は、はぃっ!? って、私の名前、リリ違うっ! さ、里璃、サ・ト・リ、です……って、ぅきゃあ!」

 不思議そうな顔のまま、容赦なく身体を洗うトヒテへ、名の訂正を試みつつ抵抗する里璃。

 二人の少女の攻防戦により、しばらく断続的に水飛沫が舞い散り。

 それがぴたりと納まったのは、トヒテに軍配が上がった時。

 薔薇と思しき赤い花弁を散した乳白色の湯の中で、ぐったりとなった里璃は、トヒテの為すがまま。

 心地良い湯加減と、同性とはいえ服を着たままの他人に身体を洗われる不慣れな体験で、里璃の肌は元の薄紅より赤らんでいた。

「ううううう……もう、好きにして……」

『はあ……でも、もう終わりましたわ、リリ様?』

 今更そんなこと言われても、すでにまな板の鯉状態な里璃。

 なので、代わりに訂正だけ入れておく。

「あ、あの、だから私の名前はサトリですって。それはただの愛称なんです」

『はあ……でも、御前はリリ様のことをリリとお呼びになって』

「……それってつまり、あなたが言うところの御前……あの白い仮面付けた人に訂正して貰わなくちゃ駄目ってことですか?」

 とろんとした目で振り返り、バスタブにもたれつつ喘ぎ喘ぎ問えば、その先にいるトヒテは可愛らしく小首を傾げた。

『御前はヒトではありませんけれど……ですが、リリ様、もとい、サトリ様の呼称変更は御前を通さずとも可能ですわ』

「そ、そう……じゃあ、サトリで」

『受領致しました。では、サトリ様、そろそろ』

 言って、トヒテは手を打ち鳴らした。

 何かを待つ素振りのトヒテ。

 対する里璃は、予想の付かないことが連続して起きる今の状況から何も出来ず、彼女を見つめるだけ。

 ……下着まで剥ぎ取られ、近くに身を隠す布もない状態では、元より動くに動けなかったわけだが。

 

 

 白仮面の呼びかけに応えたトヒテは、里璃より若干低い背、細い身であるにも関わらず、手渡された里璃の身体を易々と抱え上げた。

 歩けると言っても、『御足が汚れてしまいます』と聞き入れず、湯浴みを白仮面から命じられては、『御案内致します』と言いつつ、里璃をとある一室まで運ぶ。

 その際、白い廊下に慣らされつつあった里璃の目が捉えたのは、暗い室内であり、何かしら視覚に対する挑戦を受けている気分に陥った。

 眩む瞳に対処し切れないでいる里璃を、灯もない室内の椅子に座らせたトヒテは、さっさと湯浴みの準備を済ませて灯を付け。

 里璃の視野が平常時の感覚を取り戻す直前、有無を言わさず服を剥ぎ取り、湯浴みを決行した次第である。

 

 

 

 機械的で涼やかな声音のトヒテ、その表情は声そのままの無表情ではあったが、容姿はそこらでお目にかかれないほど整っていた。

 絶世の美少女、と評すべきだろうか。

 ゴスロリチックなモノとは違う、尼僧の如きシックさを誇る、ほっそりした濃紺のメイド服。

 ヒールの低い同色の靴を履く足のラインは、ストッキングに包まれていても形良く、禁欲的な服装にしては妙な艶っぽさを感じる。

 白いレース仕立てのカチューシャを着用した、俗に言うツインテールの巻き髪は漆黒。

 人形めいた滑らかな肌を彩る瞳は、黒曜石を思わせる長い睫毛の陰を知らぬ、フローライトの輝き。

 唇は淡い紅で、薔薇の花弁の如く、ふっくらしている。

 前に揃えられた手の先では、桜貝の爪が長くも短くもない、絶妙なバランスで切りそろえられており。

 ……ビスクドールみたい。

 蕩けた思考で里璃はそんな感想を抱く。

 甘い顔立ちは言わずもがな、纏う雰囲気がアンティーク独特の気品を感じさせた。

 惜しむらくは、その鉄仮面染みた無表情。

 少しでも笑めば、場が華やぎそうなのに。

「……ねえ、トヒテさん」

『はあ……申し訳ございませんが、サトリ様。ワタクシに敬称は必要ございません。トヒテ、とお呼び頂ければ幸いです』

「あ、はい。じゃあ、トヒテ、私のことも里璃だけで――」

『それは受領致しかねます。サトリ様は御前の従者。形代のワタクシよりも、位の高いお方なのですから』

 単調な声音に変化はないのだが、頑として譲らない気配が伝わってきた。

 気圧された里璃は、それでも諦めきれず口を開きかけ。

「……はれ? と、トヒテが一、二、三……湯中りしちゃったかな?」

 ぞろぞろと白い廊下へ出る扉から、同じ美少女面が入ってきては、自分の頭を心配する。

 これに対し、最初に居たトヒテの横へずらりと並んだ彼女らは、一斉に口を聞いた。

『『『『『それは大変ですわ。御召し物の用意が整いましたので、早速、御着替えを』』』』』

「う……目だけじゃなくて、耳もやられたのかな?」

 同じタイミング、同じ声、同じリズムで発せられる、同じ顔の言葉たち。

 現実逃避するようにバスタブへ沈もうとした里璃は、途中で彼女らに捕まり、あれよあれよと言う間に引き上げられ、身体をふかふかのバスタオルで拭かれてゆく。

 ふらつけば、いつの間にか用意されていた椅子に座らされ、水気のなくなったところへ香油が塗られた。

 まるで下味を付けられているような身の上だが、抵抗する気力も湧かない。

 なにせ、同じ顔がてんでばらばらな動きをしているのだ。

 自分一人が裸を晒している状況を恥ずかしがるより、混乱の方が勝っていた。

 ……もしや、悪い夢でも見てる?

 ふと思い当たる事象。

 奇妙な夢ではあるが、夢ならば今までのことは全て、説明がつく。

 だって夢だ。

 何でもありの夢なのだ。

 幾ら記憶が関係していると聞いたことがあっても、こんな場面を想像するような記憶を作った覚えがなくても。

 これは絶対、夢に違いない。

 新たな逃げ道を見出した里璃は、トヒテたちの動きを捉えつつも、心の中でそうなんだと言葉を繰り返す。

 きっと兄を追っ払ってから、知らない内に寝てしまったんだ。

 だから本当の私は自宅の居間で、広げた雑誌の上に突っ伏して寝ているんだ。

 もしくは、ソファの肘掛に頭を乗せ、首を限界まで曲げて寝ているんだ。

 寝相が悪いから、こんな妙な夢を見ているんだ。

 そうだ、そうに違いない。

 あの白仮面も言ってたじゃないか。

 大叔母さんの名前を。

 彼女が用いた私の呼称を。

 あれは大叔母さんのことを思いながら眠ったせいだ。

 魔女だって言っていたのを思い出して寝たから、こんな不思議な夢を見ているんだ。

 無理矢理にでも、そう、思い込もうとして――

 

ふにゅっ

 

「うひぁっ!?」

 都合の良い逃避に耽っていた頭は、脈絡もなく胸を掴まれ覚醒してしまった。

 夢だ湯中りだといった言葉も忘れ、下だけ着せられていた身体を椅子の上で小さく纏める里璃。

「な、ななななな……何をぉう!?」

 動揺を上手く言葉に出来ず、腕で庇った胸を足でも庇い、トヒテらを睨む。

 すると、その内の一人、里璃の胸を掴んだトヒテが、妖しくやわやわと手を動かし、他のトヒテを見渡した。

『見ましたか? この弾力、柔らかさ、御肌のハリ……間違いなく、本物ですわ』

「か、確認することですか!?」

 素っ頓狂な声を上げる里璃を尻目に、宣言を受けたトヒテたちはざわめいた。

『そんな……リリ様は女性(にょしょう)ですの?』

『ですが、御前は殿方だと』

『行き違いがあったのでは? リリと御前は仰っておりましたが、この御方は御自分の御名前をサトリと訂正されていましたし。……御報告すべきでしょうか?』

『いいえ。それはどうでしょうか。御前は殿方だからこそ、リリ様、もとい、サトリ様を従者に望まれたのです』

『そうですわね。……もしも、リリ様、もとい、サトリ様が女性と御知りになられたなら――』

 ここでずらり、トヒテたちの無表情が里璃へ向けられた。

 びくんっと跳ねつつも、里璃は迎え討つように問う。

「な、何なんですか、一体!?」

『『『『『いえ』』』』』

 素晴らしく、息ピッタリ、一斉に首を振られてしまった。

 そうしてまた、コソコソヒソヒソ話し合いをする始末。

 上半身裸のまま捨て置かれた風体の里璃は、椅子を濡らさぬよう掛けられていたと思しきタオルを身体に巻く。

 話し合うのは結構だが、その前に何か着る物を渡して欲しい。

 剥ぎ取られた服はどこかへ持っていかれたらしく、上着の類は里璃の視界に入らない。

 変わりに分かったのは、今居るこの部屋の内装。

 丁度、開いた扉の陰に位置するバスタブを右とし、左を見やれば緞帳のような赤い布に囲われたダブルベッドがある。

 天蓋付という、乙女の夢だのなんだの言われる代物だが、四方の壁に設置された、蝋燭のような儚い橙の室内灯に照らされては、妙に艶かしく映った。

 ベッドの先には、赤いカーテンで覆われた壁と、金の装飾の施された白い衣装箪笥が存在し、トヒテが団子状に固まった前方の壁には、絵画が一点、ベッドと正反対の位置に設置されている。

 全体的にくすんだ色彩は、だだっ広い床を覆う、毛足の長い赤の絨毯にも及んでおり、どこまでも徹底したレトロな洋風っぷりが、ちょっぴり物哀しい。

 ……白いご飯と味噌汁が食べたいな。

 あまりにも自宅と程遠い環境を思い、小腹の空いてきた里璃は、慣れ親しんだ食事を思う。

 贅沢を言えば、焼き魚か煮魚、お新香と副菜を二、三品付けて。

「そういや、今日の晩ご飯、カレーライスだったな……あー、カレー……っくしゅ」

 美味しい感覚を舌に転がした途端、襲ってきた寒気にくしゃみを一つ。

 すると今まで話し合いに熱中していたトヒテたち、慌てたように里璃の下へ馳せ参じ、口々に勤めを放ってしまった謝罪を伸べた。

 バスタオルを剥ぎ取り、着替えを再開させ。

 しかし、男物のワイシャツを羽織らせた時点でぴたりと止まる。

 里璃の両腕を押さえたまま、全員が全員、一所を注視。

 前だけ肌蹴た状態に羞恥が高まった。

「ちょっ、何をまじまじとっ!?」

 押さえつけられた腕の変わりに足を引き上げれば、その両方がぐいっと下へ引っ張られた。

 顔を背けても、左右上下、同じ顔がずらりと並び、皆同じ角度で同じモノを見ていると知っては、自分がいたたまれない。

 一種の拷問に近い状況。

 感じていた寒気すら、沸騰しそうな思いに霞み、どうにか動こうと試みても、里璃をここまで運んだトヒテの腕力と、彼女らの結束の前では無意味に等しく。

「もうっ、は、放してください!――じゃないっ! 放せっ! 見るなぁっ!!」

 こうなっては敬語もへったくれも在りはしない。

 半ば泣き叫ぶように訴え怒鳴る里璃。

 しかしてトヒテたちに変化はなく、彼女らを威嚇する里璃が分かったのは、同じ顔のトヒテたち、瞳の色は各々違うという、この場では全く役立ちそうにないことだけ。

「いい加減にしろーっ!!」

 腹の底から真実の言葉を叫ぶ。

 喚き散らしたところで打開策は浮かばないが、好き勝手やられて黙ってられなかった。

 と、そこへ。

 

「トヒテ……何をしている」

 

 泣きっ面に蜂というべきか、それとも救いの声であったのか、扉向こうから白仮面の姿が現れた。

 彼がこちらを向く直前、一斉にトヒテらが里璃との間に立ち、自分たちの身体で壁を作る。

 思わぬところで解放を得た里璃は、慌てて羽織らされていた上着の前を閉めた。

 ……ワイシャツのため、透けてしまうのが少々難であったが。

『な、なにも』

 表情も声音も変わらぬトヒテ's、白仮面への回答に白々しいどもり方を用いた。

 変化の乏しい相手からこんな答え方をされて、本当に何もないと思う人物が居たら、見てみたいものである。

 案の定――と言うべきか、白仮面は不審に思った様子で、

「我が従者の悲鳴が聞こえていたというに、何もないとは如何なることか? そこを退け。場合によっては、お前たちの配置を換える必要がありそうだ」

『『『『『ご、御前、いえ、本当に何もありませんので』』』』』

 配置換えが恐ろしいのか、別の理由からか、引き下がらないトヒテたち。

 表には出ないが、精神面は脆いのかもしれない。

 普通、こうまで食い下がられて、納得する奴はいないだろう。

 立ち塞がるトヒテたちに対し、白仮面側から歩み寄る靴音が届いた。

 これにはトヒテたちと共に里璃までもが、びくっと震えた。

 まさかまさか、進行を妨げるという理由だけで、引っ叩いたりしないよね!?

 叩かれた彼女らを見て、後ろに庇い、「何をするんだっ!」と叫ぶような気概はない。

 もとより、碌でもない目に合わされた後では、庇いたいとも思わない。

 けれど。

 

 怖い……

 

 目の前でそんな場面が展開される――想像だけで、里璃の心音は嫌な具合に逸った。

 無意識に心臓の上を両手で握り締める。

 黒茶の瞳が動揺を隠せず、あちらこちらを引っ掻き回す。

 ついには椅子の上で身を小さく丸め。

「リリ? 何があった? 申してみよ」

「あ……」

 とさっと軽く頭に落ちた手の存在を知り、顔を上げれば白仮面がそこにいた。

 視線をずらせば、綺麗に左右へ分かれて並ぶ、トヒテの無事な姿があり。

「た、叩かない?」

 主語もなく尋ねると、白仮面は誰をと問わずに首を傾げた。

「……ふむ? どこに叩く理由がある? 元より私は、トヒテを無下には扱わん。お前が何を申し立てても手を上げはしない。約束しよう」

「ほ、本当?」

 自分でもしつこいと思いながら確認すると、白仮面は虚を衝かれたように止まった。

 次いで、頭に置いた手を頬へ滑らせては、もう一方へも同じように手を添える。

「虚偽も嫌いではないがな。本当だとも。お前が何を恐れているのかは知らんが、我が名に掛けて誓っても良い」

「名前?」

「そうだ。お前たちヒトの中にも、己が名を重宝する者が在るだろう。しかし私のような者にとっては、それにも増して重要だ。斯様な名へ誓いを立てるとはつまり、命を賭して約するに等しい。なればこそ」

 一度言葉を切った白仮面は、嵌め込まれた黒い瞳に里璃の姿を映す。

 不安な眼差しの自分をそこに見て、里璃はきゅっと唇を引き結んだ。

 白仮面は告げる。

『篠崎里璃よ。我が「夜」の名において誓おう。お前の眼の届く内で、私は決して、相手に傷を負わせるような、如何なる力も行使せぬと。トヒテへ手を上げる真似はせぬと』

 それは不思議な音色として里璃の耳朶を打つ。

 染み入る言葉に目を閉じ、コクリと頷けば、両の手がそっと離された。

 ゆっくり開けた先には変わらぬ白い仮面。

「名前……ヨル?」

 惚けて尋ねたなら、「夜」と名乗った白仮面は頷く。

「ああ。陽の恩恵が完全に隠れ、空が白み始めるまでの間、世を包む刻の名だ。ヒトの世では多種に渡る響きを持つが、意味は総じて「夜」を指す。なればこそ、お前は私を「夜」と呼ぶであろう。リリよ」

「サトリです……って、さっきはちゃんと、篠崎里璃って言ったじゃないですか」

 軽い訂正を入れて愚痴れば、「夜」は考えるように顎へ手を当てた。

 そして問う。

「して、リリよ。トヒテが何を為せば、あのような悲鳴が上がるのだ?」

「……だから、サトリですってば」

 再度訂正しても意に介さない「夜」に、里璃は軽い溜息をついた。

 多少の安堵を含んで――

 

 


UP 2009/2/27 かなぶん

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