出会いの夜 4

 

 里璃からおおよその経緯を聞いた「夜」は、トヒテへ言う。

「トヒテ……反省がないな。以前、「夕」(ゆう)の付き添いを世話させた時に忠告したはずだ。あの男はお前の目に晒されて、一つ壊したというのに……忘れたわけではあるまい?」

『『『『『はあ……そういえば、そういうこともございましたね』』』』』

「あの後、「夕」に散々罵られたものだ。形代に寝取られるなぞ思わなかった、と」

『『『『『ですが、御前との一時で、「夕」様の機嫌も直られたように記憶しております。寝取られたと申されましても、ワタクシに斯様な機能は備わっておりませんし』』』』』

「そういう問題ではない。重要なのはお前が一つ、壊されてしまったことだ」

『『『『『はあ……ですがあの後、御前が御付の方を排除されたのですから、痛み分けではありませんか』』』』』

 

 奇妙な会話である。

 

 理解したくはないが要約すると……

 以前「夜」の元を訪れた、「夕」という人物の付き添いである男が、先刻の里璃と同じ状況に陥ってしまったらしい。

 しかも晒されたのは、男に女のような出っ張りがない以上……つまりはそういう箇所を。

 その時の男の気持ちなど里璃には分からないが、トヒテはケチの付けようもないくらい、完璧な美少女である。

 晒された挙句、熱心に見つめられて、何も感じるなという方が無理な話だろう。

 里璃ですら、一種の拷問と感じたくらいにして。

 だからといって、女であり、同性に惹かれた過去もない里璃と男では、感じ方も考え方も根本から違う。

 想像でも不快を招くことながら、理性の限界を越えた男は、トヒテの一人に襲い掛かり――

 そうして男は「夜」に“排除”され、「夕」という人物は謝るどころかトヒテに怒り、これを「夜」が宥めた……

 であるにも関わらず、自分たちと同じ顔を“壊された”らしいトヒテたちに動揺はなく、「夜」にしても彼女らへ呆れたように言葉を重ねるだけ。

 痛み分けと口にしつつも、トヒテたちの無表情を貫く声音に、あからさまなどもりはなかった。

 

 

 

 「夜」が退室して後、改めて里璃の前にずらりと並んだトヒテは、順々に頭を下げ、

『申し訳ございませんでした、里璃様』

 と輪唱の謝罪をした。

 「夜」が里璃の名を正しく発音したためか、トヒテたちが呼ぶ名前は、すんなり里璃の耳に入った。

 ……リリとまた呼ばれた事に関しては、多少の疑問が残るものの。

「いや……分かって貰えたならいいです」

 ほぼ直角に下げられた頭たちへ、里璃は恐縮した素振りで手を振った。

 すると同時に上げられたトヒテの顔が、皆、同じ角度で傾げられた。

『『『『『里璃様? ワタクシに敬語は不要ですわ。どうぞ、先程叫ばれた時のように自然な口調でお話くださいませ』』』』』

「え……いや、あれは、普段の喋り方じゃないんですけど」

 あの叫びが属するのは、兄関係に対峙する時の口調である。

 男物の服を着るようになってから身につけた、言わば仮初のモノ。

 里璃本来の口調は、「夜」へトヒテを叩くか尋ねた際の弱々しい言葉を、もう少し元気付けた代物だった。

 ここでまたしてもトヒテたちは円陣を組み、ふむふむと互いの意見を交換し合う。

 何を話しているのか、単語さえ聞き取れない相談は、里璃が気になって身を乗り出す前に終わりを迎え。

 再度、並んだトヒテたちは首を縦に振った。

『『『『『了承致しました。里璃様の御好みの言葉を御遣いくださいませ――ただし』』』』』

 一区切り、ずいっと一歩進んでは、里璃を相談に混ぜるような動きで中腰の形を取り。

『『『『『決して、御身の性別通りの口調を用いませぬよう。これはワタクシ、トヒテたっての願いでございます。分不相応は重々承知の上ではありますが、御理解頂きたいのです』』』』』

 無表情の中にも、懇願が籠められた口振り。

 圧倒されて頷いたなら、トヒテたちは姿勢を正して一歩下がり、安心した様子で胸を押さえた。

 芝居がかった溜息の後で、一人のトヒテが一礼をして辞す。

 残ったトヒテたちは、仕切り直しとばかりに手を打った。

『『『『『さてと。里璃様には失礼な事ばかりしてしまいましたが、かといって、御前の言葉を素直に受けては、御身に危険が及ぶのは必至。……幸いなことに、里璃様はとても着やせするタイプのようですし』』』』』

「!」

 じろりと向けられた視線の先を知り、里璃はまたも椅子の上で丸くなった。

 男物のワイシャツで、だいぶ性差を感じさせない姿になったとはいえ、着ているのは一枚だけ。

 なんとも心許ない装備を思い、溜息を出しかければ、退室したトヒテと思しき少女が入室し、用心深く扉を閉めた。

 そして、里璃の前まで来ると、胸に抱いていた衣服を差し出した。

 受け取り、折り畳まれた中から出てきたのは二点。

『サイズは把握していましたので、問題ないかと。シャツは保険です。万が一、ワイシャツが肌蹴たとしても、それで少しは誤魔化せるはずですから……たぶん』

 さらりととんでもないことを言われた。

 直に触られ計られたサイズもさることながら、ワイシャツを着込んでいるのに、肌蹴る場面とは一体どんなものだろう。

 けれど、必要な備品ではある。

 礼もそこそこに、早速身につけようとした里璃だったが、トヒテたちの無表情が雁首揃えてこちらを見つめていると知って眉を顰めた。

「あの、向こう向いて貰っても?」

『『『『『……了承致しました』』』』』

 やはり変化に乏しい美少女たちは一様に頷き、里璃の言う通り、くるりと背を向けた。

 ――のは、良いのだが。

 妙に……間があったな。

 どういうつもりなのか問い質したいところだったが、心許ない胸元、さっさと着てしまうことを里璃は優先した。

 

 

 

 しっかり着込んだワイシャツ姿の里璃へ、トヒテたちは黒いズボンと同色のベストと上着を手渡した。

 着替えさせることを諦めた風体の彼女らは、それでも手伝いは止めず、里璃を立ち上がらせては、四肢の丈合わせをする。

 襟元では深い青の綺麗な蝶結びが出来上がっていた。

 椅子に座るよう指示されて腰掛ければ、髪の毛が柔らかく梳かれていく。

『綺麗な髪ですわ……それに、指通りも滑らか。……里璃様さえよろしければ、従者よりもいっそ――』

『あら、いけませんわ。確かに里璃様の御姿は絵になるかも知れませんが、方々の御婦人から恨まれてしまいますもの』

『それに御前ですし。勘違いされていても、あの御様子なのですから』

『ええ。その考えはとても危険でしてよ。里璃様は容貌も優れておいでですが……』

 ふいに言葉を切るトヒテたち。

 注がれる視線は、厭きもせず同じ場所。

 服を着ているせいか、構うのが面倒になったせいか、里璃は顔だけ怪訝にトヒテを見やり。

『人体の神秘、ですわね。それとも里璃様は、服装に合わせて体格を変えられる秘技を御持ちなのでしょうか? 豊かな御胸が、こうまでぺったんこに見えてしまうなんて』

『でなければ、視覚の異常でしょう。困りましたわ、メンテナンス、終えたばかりですのに』

 一人の言葉を受けて、トヒテは各々目に対して、リアクションを取り始める。

 目を擦る者があれば、指を一本出して片目を交互に閉じる者があり、かと思えば遠い灯りを細めた目で見つめる者もあり。

 わざとらしさのない、至って真剣で、だからこそふざけているとしか思えない光景。

 目の当たりにした里璃は、なんともなしに息を吐き出した。

 と、梳かれていた髪が、後ろで一つに纏められる感覚が伝わる。

『終わりましたわ』

 続け様、一人だけ目の点検をしなかったトヒテが、里璃の後ろで頷く気配。

 振り向いた先には、フローライトの瞳があり、最初に里璃をここまで運んだトヒテと気付いた。

「あ……」

 視線を交わせば、一瞬だけ、その目が柔らかく笑ったように見えて、話しかけ。

『里璃様、御足を』

 しかし、彼女は元の無表情で、里璃の視線を足元へ導くのみ。

 見間違い?

 不思議な面持ちとなった里璃だが、逆らう意思も理由も特になく、姿勢を前に戻しては、出された黒い革靴を履いた。

 

 

 

 

 

 フローライトのトヒテを先頭とし、他のトヒテに見送られつつ、部屋を後にした里璃。

 白い廊下を想定し、開けられた扉向こうへ目を細めるが、

「……あれ?」

 今までいた部屋と同じ造りの、レトロな廊下に出くわしては面食らう。

 真ん丸くなった目できょろきょろ辺りを見渡せば、トヒテが小さく声を上げた。

『ああ。この廊下でございますか? 先程、里璃様に……ではなく、エル様に合わせて御前が改築されたのです』

「改築? この短時間で?」

『はい。御前の御力は無尽蔵ですから。里璃様に誓われた手前、制限はありますが、それでも御前はほぼ最強かと思われます』

「最強…………?」

『はい。魔法に関しても、肉体的な能力に関しても、御前と肩を並べられる御方はほとんどいらっしゃいません』

 里璃の困惑へ、トヒテは当然の如く答えるが。

「…………魔法?」

 現実離れした単語を問えば、トヒテがくるりと里理に向き直る。

 愛らしくも美しい相貌が傾くのに合わせ、ツインテールの巻き髪が軽く跳ねた。

『里璃様は……魔法を扱われないのですか? エル様の御親族というからには、里璃様にもゼウバライの血が流れていると御見受けしたのですが』

「エル様……って大叔母さんのことだよね? ゼウバライは大叔母さんの名字だけど、その血……って、何ですか?」

 頬を掻きつつ尋ねたなら、フローライトの瞳が少しばかり見開かれた。

 次いで、何かを迷う素振りで目を泳がせたトヒテ。

『立ち話というのも難ですし……御前が御待ちですので、歩きながら御答えしても?』

「あ、はい。どうぞ」

 頷くとトヒテは優雅にお辞儀をし、背を向けては歩を進める。

 里理もこれへ続き。

『ゼウバライというのは、ワタクシから見ても古い血族です。祖に魔人を抱えていると噂されるほど、ゼウバライの姓を持つ方々は、強い魔力を備えてらっしゃいます。ヒトの言葉で表すならば、魔法に関しては、由緒正しい御家柄、とでも申しましょうか』

「いや、あの、前提で魔法があるところから、教えて貰っても良いですか?」

 おずおず手を上げて言えば、トヒテはしばらく沈黙し、後。

『魔法というのは、特定の言霊を唱えることによって、様々な現象を具現化させる能力のことですわ。通常、ヒトで魔法を扱えるのは、血筋に魔力を残された一族だけ。残す法としては、御前のように魔力を持つ方と交わり、孕んだ子から伝わっていきます』

「……はあ」

 分かったような分かってないような声が里理の口から漏れた。

 否、理解出来ているのだが……理解したくない、と言った方が正しいかもしれない。

 何せ、自分の先祖は人間ではないと言われたも同然なのだ。

 引いては、里理まで人間の枠に嵌らないという話であり。

 長年、自分は多少周りと容姿の配色が違うだけの凡人、と思っていた里理にとって、トヒテの話は青天の霹靂だった。

 トヒテはそんな里理の機微を汲まず、一定の速度で歩みながら先を続ける。

『里理様はエル様と親族関係だと聞いております。なればこそ、ゼウバライの血も引き継がれていらっしゃるはず。ですから、魔法を扱われると、ワタクシは思っておりました』

「んと、じゃあ、大叔母さんは……本当に魔女だったの?」

『魔法を扱う者をヒトはそう呼ぶのでしたね。里璃様はヒトですし、ここはjaとお答えすべきなのでしょう』

「……え」

 唐突に知らぬ発音が出てきた。

 戸惑う里理の気配を察してか、振り向きもせずトヒテは応える。

『……はい、と』

「そ、そうなんだ…………何語?」

『確か、独逸語だったかと』

「…………なんで?」

『なんとなく、です』

 しれっと答える機械的な声に動揺はない。

 逆に里理の方が困惑を続け、これに背を向けたままのトヒテは淡々と言葉を続ける。

『そもそも、こうしてワタクシが語る言葉は、里璃様の知るヒトの言葉ではありません。これは御前にも当て嵌まる御話ですが』

「へ? じゃあ、私は――」

『御安心下さい。里理様はまだ、Japanischで御話されていらっしゃいます』

「…………まだ?」

 引っ掛かる物言いに小首を傾げたなら、トヒテの歩みが止まった。

 驚き続いて止まれば、くるり、トヒテが振り返る。

『到着しました。ここが御前の御待ちになられている御部屋です。後の詳しい御話は、御前から御聞きなさって下さいませ』

「はあ……」

 す……と優雅に示された先の扉を見て、里理はぽかんと口を開けた。

 自分の身長よりだいぶ高く、横幅もある、観音開きのソレ。

 なんて……実用的じゃないんだろう。

 中世の王侯貴族の優雅な暮らしは、テレビその他で想像するばかりだが、実際目にしての感想は浪漫の欠片もなく、無駄が多いな、という感心のみ。

 どうやって開けるのか考え、眉を寄せれば、突然、内側から勝手に扉が開き出した。

「……あ、そっか。王族なんだから、誰かが開けてくれるんだ」

 妙な納得をして、一つ頷く里理。

 ごくり、喉も鳴らし、足を踏み出そうとし。

『そうそう、里理様?』

 いきなり出鼻を挫かれ、開く扉の明かりを感じながらトヒテを見た。

 両手を前で揃えたトヒテは、小首を傾げて言った。

『もう御承知と存じますが、御前にせよ、ワタクシにせよ、この屋敷内、引いてはこの区域内自体、里理様と同じヒトはいらっしゃいません。ですから――』

 一瞬、部屋の明かりに陰り、フローライトの瞳が笑う。

『御前の申し出は御受けした方が御身のためかと。魔法も扱えず、御加護もない里理様では、この屋敷外へ出られて御無事で在らせられる、という保障はございませんので』

「!?」

 それはどういう意味?

 問い掛けた言葉は。

「…………この、匂いは?」

 鼻腔を擽り、腹をくぅと鳴らした、馨しい薫りによって、打ち消されてしまった。

 

 


UP 2009/3/4 かなぶん

修正 2009/3/31

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