出会いの夜 6
カレーを食し終えた里理が、まず気になったのは、並べられたカレーの行く末。 里理が手を付けなかっただけで、廃棄されては堪らないと思ったなら、「夜」曰く、これらのカレーは元の時に戻るのだという。 意味を理解できず、眉根を寄せた首が傾いだ。 察した「夜」はテーブルを指で軽く叩いた。 途端、音もなく消え去ったカレーたち。 これが魔法かと驚く里理へ、彼は言う。 テーブルに並んでいたカレーは、別の時から存在だけを引っ張ってきた代物で、こちらが手をつけなければ、元の時に戻れるのだと。 ならば、手をつけた場合、元の場所に戻らないカレーが出てくるのではないか。 やはりカレー泥棒では? と疑る里理へ、「夜」は面白そうな調子で言う。 最初から存在自体なければ、問題はなかろう、と。
「……そ、それってつまり、私の家にあるカレーは、最初から一食分抜かれていた、と?」 「違うな。今、お前の家に戻ったとしても、ルーの嵩に変化はない。パラドックスとでもいうべきか、お前が食したのはそういう存在だ」 「???」 「……ふむ。分からなければ、幻の一杯を食したと思え。選択されなかった未来、パラレルの軸から弾かれた存在…………表し方は数限りないが、早い話、他のカレーをお前が食しても、盗んだことにはならん」 「……はあ」 理解は追いつかないが、泥棒にならないなら、問題はないのだろう。 第一、あれだけ並んでいたカレーの内、手をつけたのは自宅のカレーだけなのだ。 減ったところで、自分の家のモノなら、文句を言われる筋合いはない。 しかもほとんど自分作。 仕上げの味付けで、激的な変化がもたらされていようとも、食す権利は兄より高いはずである。 無理矢理にでも納得したなら、食後のデザートとして、チョコレートパフェが用意された。 自宅で用意した覚えはないため、これは躊躇する里理。 察した「夜」は、ワイングラスを傾ける合間で言う。 「案ずることはない。それはトヒテが実在の材料で作った品だ」 「え……」 それはそれで、食べる気をなくす話である。 何せトヒテは味見すら出来ない身の上。 どうせ口にするなら、美味しい物が食べたい。 それが嗜好品なら尚の事。 時間を稼ぐようにまごつく里理は、用意された柄の長いスプーンを、登らせたり降らせたり。 そんな彼女の様子を受け、「夜」が思案げに首を傾げた。 「リリよ。甘味は苦手か?」 「サトリです。いや、苦手というか……」 ちらり、「夜」の傍に控えるトヒテの無表情を伺う。 ずっといる彼女が、つやつやの生クリームとアイスが乗った、目の前のパフェを作ったはずもないが、同じトヒテ。 まさかストレートに、味見出来ない者の料理は不安を感じる、と言うわけにもいかない。 しかし、「夜」はそれで察してしまったようで。 「ふむ。案ずることはない。確かにトヒテは物を食さぬが知識はある。もし、愛情がなければというなら、尚の事、問題はなかろう。トヒテの存在自体が一種の愛だ」 『はい、その通りでございます』 「……そ、そうですか」 暴露された胸内の気まずさは、よく分からない主従の話で、愛想笑いに変じた。 安全の保障より勝る、勧めの視線に里理は意を決してパフェへスプーンを投入。 ええい、ままよ! せめて砂糖を塩と間違った程度で済むよう祈りつつ、ぱくりと上部のチョコアイスと生クリームを口に入れ。 「…………………………美味しい」 驚きに目が真ん丸くなった。 程好くホイップされた生クリームの濃厚な味わいと、ほろ苦くも甘いアイスの冷たい口当たりが、混じり合ってはまろやかさを増し、さりとて余韻にくどさはなく。 惚けた顔でトヒテを見たなら、サンストーンの瞳が笑んで見えた。 『御口に合われたようで、何よりでございます』 けれどそれも一瞬のこと。 語れば響く機械的な声音には、感情が欠落していた。 人間、じゃないけど……見た目で判断しちゃいけないんだなぁ。 絶品と分かった以上、迷う心は他方に捨て、スプーンを進めつつ里理は思った。
両手を合わせ、目を閉じて。 「ご馳走様でした」 肩の力を抜き、背もたれに身を預ける。 少しだけ苦しくなった腹に手を当て、ひと擦り。 身を起こしては、椅子にきちんと座り直した。 なし崩しで夕飯を頂いてしまったが、本題はこれから。 短く息を吸い、長く吐き出し。 「あの、それでどうして、私はここに?」 最初の問い。 自宅の居間にいたはずが、珍妙な箱に触れた途端、見知らぬこの屋敷に来た理由。 方法は、分かる。 何せ相手は魔法という、幻想の産物だった、なんともいかがわしい力を、当然の如く口にしていたのだから。 魔法を用いられて、ココに連れてこられた―― 攫われた、と言った方が正しいのかもしれない。 どちらにせよ、縁遠いどころか、在りはしまいと思っていた力。 詳しく考えても埒は明かないだろう。 想像の範囲外は適当に放り捨て、招かれた用件だけを問うつもりの里理へ、「夜」は言葉で答えることなく、肘掛に置いていた手を指揮者のように軽く振った。 『はい。里理様、こちらをどうぞ』 気だるげな主の無言の指示に応えたのは、アメジストの瞳を持つトヒテ。 「あ、うん……封筒?」 差し出された白い封筒に首を傾げたなら、す……とペーパーナイフが視界の端に現れる。 コレを受け取り、トヒテへ礼を言えば、無表情のまま傾ぐ顔。 『御礼を賜る所以が判別しきれぬのですが?』 「え……いや、まあ、挨拶だと思って」 『はあ……?』 ――誰かに何かをして貰った時、それがお節介であっても、嫌いな人間だったとしても、礼は言うべきだ。 と、お節介どころか、傍迷惑にしかならない行動をする兄に言われ続けた里理。 ほとんど洗脳の域で習慣づいてしまったが、大抵、礼を言われた相手はそんなに悪い顔をしなかったので、説明を求められても応える言葉がない。 挨拶と聞いて、困惑を雰囲気に滲ませる無表情のトヒテへ、これ以上重ねられる言葉も見当たらず、里理はいそいそ封筒を裏返した。 するとそこに見つける、ここへ来る前に目にした筆跡。 「……大叔母さんからの?」 「そう。エルからの手紙だ」 「夜」へ確認を取れば、鷹揚に頷いた。 「私との取引に応じたエルは、手紙をお前に渡して欲しいと条件を付けた。何が書かれているのか問うても、彼女は答えなかった。それで気になってな。エルと分かれてから幾度か開けようと試みたのだが」 「……他人に渡す手紙、勝手に読もうとしたんですか?」 紳士然の動作から、思慮分別のある人だとばかり。 そんな思い込みを崩され、呆気に取られる里理に対し、「夜」は少しも悪びれた様子なく言ってのける。 「ふむ? 気にならぬか? 幾ら問うても答えを得られぬ内容だぞ?」 「ど、同意を求められても……」 戸惑うことしか出来ない里理に、姿勢を正した「夜」は、テーブルに組んだ手を置いた。 至極、真剣な声音で。 「それにエルは魔女だ。彼女を信用していないわけではないが、手紙に何らかの魔法が仕掛けられている可能性もある。たとえば、時間差で発動する、もしくは、特定の人物に渡した途端……」 「!」 含まれた意を察し、里理の眼が手にした封筒へ向けられた。 大叔母に限って里理へ害を為すとは覚えない――と思っていたのは昔の話。 この妙な連中に囲まれる羽目になった原因に、大叔母が深く関わっていそうな今となっては、疑心暗鬼だけが募りに募り。 「まあ、仕掛けはあるまい。中身は調べられなんだが、呪いの気配は見当たらぬしな」 「そう、ですか……」 「そうだ」 では何故、無闇に人を警戒させるようなことを言うのだろう? 言葉には出さず、黒茶の眼で「夜」の黒い双眸を睨む。 怯まずこれを受けた「夜」は、小首を傾げて手を差し出した。 「さておき。開けぬのか、リリよ」 「サトリです。……言われなくたって」 文句は唇の先にだけ留め、ペーパーナイフを用いて開封。 「夜」から開けられなかったと聞いていたので、あっさり取り出せる中身に、少しばかり唖然としてしまった。 恐る恐る取り出せば、四つ折の便箋が二枚。 ゆっくり、開き―――― 「……あの?」 いきなり手紙と里理との間に割り込んできた、ツインテールの後頭部に戸惑った。 当のトヒテは気にも止めず。 『……駄目です。やはり内容が分からぬよう、細工が施されております』 「そうか……残念だ」 「……まだ諦めてなかったんですか、手紙の覗き見。……トヒテ、退けて貰っても?」 『はい。失礼致しました』 悪びれた様子のない謝罪を受け、里理はなんともなしに、溜息を一つ。 胡乱な瞳で、こちらに手紙を読むようせっつく、白仮面と無表情たちを見渡した。 それからようやく、便箋へと視線を落とす里理。 声に出して読めと、視線だけでねだる「夜」には構わず、黙って大叔母の文字を追った。 描かれている文字は、日本語でも、大叔母の母国語でもないのだが、これも魔法のせいなのか、読解はすんなり出来た。
――親愛なるリリへ 貴女がこの手紙を読む頃、私はもう、この世に居ないでしょう。 本当は私が直接、貴女に伝えたかったのだけれど、ある理由から私は現在暮らしている場所を離れられず、電話も使用出来ません。 その理由はここには記しませんが、いつの日か分かることと思います。 それよりも今は私の古い知人、「夜」について語った方が良いでしょう。 一つ、訂正をさせて貰えるなら、彼に託したこの手紙は、本当は貴女が彼に会う前に、貴女の手に渡っているはずでした。 ふふふ、妙な言い回しと首を傾げているかしら? まるで届かないことを前提として認めていると。 正解よ、リリ。 この手紙が「夜」には読めなかった旨を聞いていると思われますが、つまりはそういうことなのです。 「夜」は私が託した、どうしても読めないこの手紙を、どうにかして貴女より先に読みたくて、期日まで貴女に渡さず、自身の手元に置いていたと――
そこまで読んで、里理は呆れ果てた視線を「夜」へと送った。 「……どうした?」 何かしら、手紙の内容が聞けるのではないかと、声に若干の期待を含む「夜」。 結局、里理が零したのは溜息だけで、再び彼女の眼は便箋に移る。 至極残念そうな「夜」だけを残して。
何故、そんな「夜」の行動を予測出来たくせに、開封できない魔法を掛けたのか。 疑問は残るでしょうが、一先ず、私の経緯を聞いて頂戴。 もう疑いようもないでしょうけれど、改めて言うわ。 貴女の大叔母であるエル・H・ゼウバライは、幼い貴女へ告げた通り、正真正銘の魔女。 それも、お伽話に出てくるような、悪い意味合いを兼ねた魔女なのです。 優しい貴女のことだから、私が悪い魔女だと言われて、首を傾げているかもしれないけれど、救いようがないほど悪いのは確かです。 何せ、ヒトから見て「悪魔」と称されるに相応しい存在へ、あるモノと引き換えに、様々な品物を手に入れたのだから。 あるモノ――それは、我が一族の血に連なる全ての親族の身柄。
「……は?」 茫然とした言葉が漏れた。 顔を上げ、「夜」を見つめ。 「……あの、これって本当ですか?」 「これ、とは?」 便箋を指差せば、ぐっと身を乗り出す「夜」。 よほど、手紙の内容が気になるらしい。 「いや……その、親族の身柄と引き換えに色んな品物をって」 「なんだ。そのことか……」 途端、がっかりした様子で椅子に身体を預け、「夜」の手が軽く振られた。 すると横合いからトヒテが差し出す、厳しい羊皮紙の束。 便箋は手にしたまま、これを受け取った里理は、まず喉で呻いた。 年季を感じさせる薄汚れた色合いは兎も角、そこに書かれた細かい文字は乾いた血の色。 気分的に身体から距離を置いた位置で、便箋同様、読解の出来る不思議な文字を追い。 「嘘……大叔母さん…………何を考えて、こんな――」 テーブルへ羊皮紙を置けば、すかさずトヒテが回収する。 次いで、何もなくなった白いテーブルへ肘を置いた里理は額を押さえた。 今し方読んだものが信じられないと、緩く首を振ったなら、染み渡る低い声音が苛むように響いた。 「嘘ではない。エルは確かに契約を行っている。それも数多の相手と」 「でも、だからって……」 口にするのも憚られる、羊皮紙の内容。 事細かな部分を割愛し、端的に示せば、それは人身や臓器の売買を表していた。 何を隠そう、里理自身の名もそこに在り、彼女は「塊」(かい)という者の下へ、売られる手筈となっていた。 それも、十四の頃合で。 今の齢にして四年前の話、当に過ぎた齢ではある。
しかし、酷い寒気を覚えた。
里理には覚えがあったのだ。 示された齢の頃に、一度だけ。 奇怪な出来事が彼女の身に降りかかっていた。 |
UP 2009/3/27 かなぶん
修正 2009/10/29
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