妖精の章 十五

  

 シウォンに関し、泉が知り得ている事柄は次の通りである。

 一つ、残虐非道な人狼の本性に忠実であり、そのプライドの高さに見合うだけの実力を備えている。
 一つ、相手がどこにいようとも察知できる、優れた能力を持っている。
 一つ、傲岸不遜を絵に描いたような美丈夫で、侍らせる女は途切れず、且つ、どれも極上である。
 一つ、選り好みをするくせに、女が人狼でない限り、飽いたら腹を裂いて喰らう。
 一つ、粗野なイメージが強い人狼であるにも関わらず、多芸多才で、造り上げるモノはどれも優美である。
 一つ、過去にランと戦い負けてしまったために、人狼最強の座を剥奪され、以来、彼を目の仇にしている。
 一つ、何故だかは知らないがワーズに対して悪感情を抱いており、女の従業員が現れる度彼女らを誘っては、店先に死体をバラ撒く。

 これらは全て、奇人街における一般常識でもあるため、泉の認識に問題は、一切ない。
 住人たちに問いかけたところで、皆、その通りだと頷くことだろう。
 なので、もし「シウォンが芥屋の従業員に惚れている」などと言おうものなら、気安い笑い話と成り果てる。

 シウォン・フーリを全く知らない、あるいは、最近の彼をとてもよく知る者たちを除けば。

*  *  *

 泉の問いかけを受けて、キフが面白そうな顔をした。
「ほほう? あのかんざしは尋常じゃないと思っていたが……いやぁ、あの子にもとうとう春が来たのかねぇ?」
 しみじみ頷く。
 そんな彼と相反し、ワーズとランは形容し難い顔つきで泉を見ていた。
 居心地の悪さに泉は一歩、二人から遠退き。
「ええと……だって、シウォンさん、自分で言っていたんですよ? 猫が目的だって。芥屋に戻る時だって、猫を諦めたから……って」
 言い訳のように訴えると、ワーズが困った顔でこめかみに銃を押し当てた。
「んー……そういや泉嬢、猫を諦めたって聞いてたはずなのに、まだ諦めてないって言ってたよね? アレってもしかして、シウォンから何通も手紙来たから?」
「えと、はい、そうです」
「その心は?」
「心って……だって、シウォンさんですよ? 言葉は悪いですけど、より取り見取りじゃないですか。従業員誘うって言っても、対象外だったら相手から来ない限り見向きもしない……みたいなことを聞きましたし。私じゃ年齢的にもまだ足りないとかなんとか」
 言ってて、段々と下降していく気持ち。
 暗に、自分には惚れられる要素などないと、自信を持って宣言しているに等しかった。
 なればこそ、こうなったら自棄だと、泉は腹に力を込めた。
「それなのに手紙が来るってことは、猫目的以外、考えられません。ほら、ランさんだって言っていたじゃないですか……て、あの時は酔っ払ってたから憶えてないかもしれませんけど、私が猫に頼みを聞いてもらえるのは、すっごい魅力的な事なんだって」
「え、俺?……そ、そんなこと言ってたんだ」
 突然話を振られ、誰もいない左右を見渡し自分を指差すランは、憤怒三秒前のような顔で戸惑っていた。
 泉はこれに頷き、溜まっていた息を吐き出した。
「でも、それってつまり、私個人には何の魅力もないって話ですよね?」
「んー。けどさ、もしかしたらってことは? たとえば……いつもと毛色が違うから、とか」
「毛色……それはそれで虚しい気もしますけど、その理由もないと思います。私の前に従業員でシウォンさんに連れて行かれたって人、私と同じくらいの齢で体格は私より細かったって、聞いた憶えがありますし……」
 言いつつ、更に下がっていく気分。
 当時、この情報をもたらしたニパは、世間話の要領で語っており、接客した泉も愛想笑いで聞いていたけれど、それはシウォンのことを噂ですら知らなかった時の話である。
 人魚の一件で行動を共にしていたため、他の人狼よりは接しやすい知人として認識したものの、今まで幾人もの従業員を屠ってきた相手だったと思い返せば、見方を変える必要があるかもしれない。
 挨拶回りのクッキーを届けるのも、本当は止めた方が正しい――
 浮かぶ結論。
 しかし泉はこれに、内心で異を唱えた。
 だとしても、泉個人はシウォンに対し、少なからず仲間意識を持っている。
 たとえ彼が泉を、チンケな人間の小娘、もとい、猫のオマケ、もとい、猫の金魚のフン程度としか捉えていなくとも。
 ……と、本当に思っているかどうかは知らないけれど。
 兎に角、挨拶はすべきと考え。
「憶え、ねぇ?……とりあえずさ、泉嬢?」
「はい?」
 ワーズに呼ばれ意識を戻したなら、傾いだ白い面。
 合わせて傾いだなら、真似されるのを嫌うようにワーズが顔の位置を元に戻した。
「気づいてはいたってことだよね? ボクとかが、シウォンが君の事を好きだって前提で話していたことは」
「ええ、まあ。あからさまでしたし。でも、からかうにしては内容、酷すぎませんか? これで乗っちゃったら、私、自信過剰じゃないですか。シウォンさんが相手にする人たち、本当に美人で、プロポーションだって良くて……まあ、性格は凄かったですけど」
 視線を逸らした泉の、脳裏に過ぎる二人の人狼女。
 最初は見下され、殺されかけ。
 最終的には助けてくれた、良く言えば自分に正直な、悪く言えば我が儘な彼女たち。
 人間時の姿で会ったのは、中でも印象最悪な最初の時だったが、シウォンに侍る様は絵になっていた。
「何にせよ、あんな人たち見ているのに、好かれているって言われて、信じられるわけないじゃないですか。一体誰なんです、そんな悪質な冗談を最初に思いついた人は」
 本人不在の噂話なら経験はあっても、面と向かって、元いた場所で告白対象になった憶えのない泉。
 つい最近、包帯巻きの医者・エンから想いを告げられたものの、第一声が「お嫁さんにして」というのは特殊なケースといえよう。
 なので、正面きって普通に告白された憶えは……
 あれ?
 そこでふと浮かぶ、腕を失ったシウォンから押し倒された際の言葉。
 好きだと、それこそ正面きって彼から言われていたが、あれは確か……
「シウォンですよ」
「へ?」
 何気なく、ランを見やれば、その口から話題の名が出てきた。
 考えに没頭するあまり、前後の会話を忘れていた泉は、理解まで数瞬の時を置き。
「え……と……わ、私、そんなにシウォンさんに嫌われていたんですか? そういえばあの時、結局、否定されなかったような……」
 言って思い出した場面は、押し倒される前のやり取り。
 嫌う者の傍に居たくはないと告げられ、泉はこれを受けて、自分はシウォンに嫌われていると解釈していた。
 後でシウォンから誤解云々言われたが、完全な否定と捉えるには言葉が少なく。
 やっぱり嫌われていたんだと改めて感じたなら、ランが力強く否定を入れてきた。
「じゃなくて! 冗談じゃなくて、本当に好きなんです、泉さんのことが!」
「え……ランさんが?」
 目を丸くしたなら、頭痛を堪えるように小さく項垂れるラン。
「どうしてそうなるんですか……シウォンが、ですよ! 勿論、オレも泉さんのことはちゃんと好きですけど――って、あ……!」
 するりと滑るランの舌。
 しかし、シウォンが自分を好いているという言葉に、純粋な驚きを示す泉の耳には入らず。
「へぇ? ラン“も”、ねぇ? 泉嬢、男運あるんだかないんだか」
「あら、そうだったのん? おじさん、チョーショックぅ。ランちゃんはずっとフリーな種馬だと思っていたのに」
「ち、違っ……てか、キフ・ナーレン! 下世話な分類に人を纏めるな!」
「まあまあ。これからはフレンドリーに行きましょうよ。もうベッドには誘わないから。濃厚ボディタッチありの、ラブラブピュアなお友達ってことで」
「きっ、気持ち悪い! 身をくねらせるな! 第一、それって今までと変わらないってことだろうが! 断固、拒否する!」
「んまっ。つまり、本命とは別におじさんストックさせられちゃうの? ああんっ、なんて不実な関係! おじさん…………大歓迎よ!――ぶべ」
「……いい加減に死ね」
 周囲の愉快なやり取りを流し聞いていた泉、我に返れば、丁度キフの顔面にランの足が埋まったところ。
 ぱちぱち瞬き、しばし眺めてのち。
「確かに告白っぽいことはされましたけど、あれって怪我のせいで酔っ払っていたからじゃ」
 見事にスルーを決め込んだ泉は、何事もなかったかのようにランへ問うた。
 対するランも、地に伏したキフから距離を置いてから、嘲る金の目をぱちくりさせた。
「酔っ払う? まあ、あの腕ですし、体内で精製される麻酔成分の量は、それなりにあると思いますけど……奇人街の陽と通常の怪我じゃ、精製される種類が若干違うんですよ。じゃなかったら俺、怪我する度にぐでんぐでんじゃないですか。それにシウォンはザルなんです。陽のせいだったとしても、酔っ払いません」
「そう、なんですか……?」
「はい、そうなんです」
「…………」
 すっぱりきっぱり言い切られ、泉に残ったのは困惑。
 だとするなら理由は――もしくは切っ掛けは、なんだろうか。
 ……それ以前に、どの時点から好かれる事になったのかしら?
 思い返してみても、特別何かしらあった憶えはない。
 誘いに抵抗した憶えはあるけれど。
 大抵の女はシウォンの誘いを受けるというから、それが珍しかった?
 いやしかし、シウォンは誘いに乗らない相手に固執しないとも聞く。
 では何故――
「…………ま、まさか……」
 記憶を探る最中、辿り着いた一つの答えに泉の顔が青褪めた。
 泳ぐ視線が自然、ワーズに力一杯擦られた右手の甲を見る。
 ここを舐めた緋鳥曰く、美味しそうだという右手、引いては泉の身体。
 そーいえばシウォンさん、どさくさに紛れて、肌の味がどうのと……
 ついでに、シウォンに連れ去れられた際、身代わりとして置いたクッションが食い千切られたシーンも浮かんだ。
 ――これで、身体の部位を差され、「この辺が美味しそう」と言われたなら。
 エンに好意の理由を問うた時、勝手に想像した言葉が、泉にずしっと圧し掛かってきた。
 そもそも相手は、芥屋の従業員を文字通り食い物にしてきた人狼である。
 違うとは完全に言い切れない理由に、眦に涙が滲み始めた。
 味といっても、自分ではさっぱり分からないため、シウォンと同じ種であるランへ問う。
「あ、あの、ランさん」
「はい」
「わ、私って…………美味しそうなんですか?」
「……はぇ? お、美味しそうって……」
 上から下とうろつく視線に対し、泉は否定を欲して胸の前で両手の指を絡ませる。
 涙に潤みつつ、引き結んだ唇は震え、緊張から頬が薄っすら赤く染まり。
 ふいっとランの眼が逸らされたなら、絶望的な気分を味わった。
「ら、ランさんから見ても、美味しそうに見えるの……?」
「お、俺は、他種族に免疫なくて…………いやでも、それは決して、泉さんに食指が動かないわけじゃなくて……寧ろその逆というか、えー、あのー、そのー」
「しょく、し…………食……死……?」
 俯き、青褪めた顔で頭を抱える泉と、他方を向いて鼻の頭を掻くラン。
 見ようによっては、逃げ切れなかった獲物と捕食者の関係にも、甘酸っぱくも青臭い告白場面にも思える立ち位置である。
 双方、大いにズレた互いの見解を知る由もなく、異様な空気だけが辺りを包み込んでいく。
 これを取り払う者がいるとすれば、それは。
「……はぁ。ねぇ、そろそろ行かないか?」
 至極面倒臭そうな声に、泉とランがワーズを見やった。
 二人の視線を受けて、こめかみに銃口を突きつけた男は、困り顔でへらりと笑う。
「泉嬢、無駄に考えたって仕方ないでしょ? そんなに気になるなら、アレ自身に聞けばいいし。ランも。くだらない勘違いはその辺にしろ? 泉嬢の質問は正しく解せ。彼女はお前に、自分が食物として美味そうかどうかを聞いたんだ」
 呆れ返ったワーズの言に、ランの耳がピンと上に立った。
「えっ!? そ、そうか……いえ、だったら全然! 俺は泉さんのこと、食べ物としてなんか見れませんよ?」
 力を込めて言い切られ、どういう勘違いをしていたのかと思いつつ、泉は安堵に頷いた。
「そうですか……まあ、そうですよね。ランさんは普通に接してくれていますし。緋鳥さんとかシウォンさんみたいに、人のこと舐めたりなんだりしませんから」
「ふぅん? 良かったね、ラン。人畜無害のイイ人認定で。信頼されてるね、男として見られていないくらい」
「うるさい。べ、別に俺はやましい気持ちがあるわけじゃないんだし、当たり前だろ?」
「――の割には、耳が萎れてるけど」
「わわっ!」
 ワーズの指摘に、慌てた素振りで耳を押さえたランは、泉と目を合わせるなり、彼女に背を向けてしゃがみ込んだ。
 突拍子のない様子へ首を傾げた泉は、へらりと笑う白い面が隣に来たことで、眉を寄せて溜息をついた。
「ワーズさん、ランさんからかうの止めて下さい。……でも確かに、考えたって仕方ないですよね。ここはワーズさんの言う通り、シウォンさん本人に直接聞いて……聞いて、頷かれたらどうしよう。ばれたからには仕方ない、その場で食ってやる、なんて」
 碌でもない自身の想像をぶつぶつ呟いた泉は、乾いた笑いを貼り付けて顔を上げた。
「い、いや、幾ら何でもそれは、流石にないですよね?」
 確認を取った相手はワーズとラン。
 だがこの二人、先程までのやり取りはどこへやら、揃って泉から顔を逸らす始末。
 思ってもみなかった肯定を目の当たりにし、泉の頬が引き攣り青褪めた。
 慰めるように、誰かが彼女の肩をそっと抱いた。
「流石にその場はないだろうね。あの子の事だから、荒ぶる想いを堪えつつ、お嬢さんがベストな状態になれるよう、最善を尽くして」
「き、キフさん?」
 肩に置かれた指輪だらけの手を辿れば、ランの靴跡を顔につけたキフ。
 引いた泉を腕の中に留め、爽やかに微笑む中年は、茶目っ気のあるウインク一つ。
「お嬢さんの頭の先から足の爪先まで、ぜーんぶ、食べちゃうだろうねぇ」
「っ!?」
「そりゃあもう、骨の髄までしゃぶり尽くす丁寧さでね。おじさんが自信を持って、絶対の保障をつけてあげよう」
 そんな保障、欲しくない。
 ワーズとランが明言を避けた断言に、泉は石のように固まってしまった。
 これを見越し、「よぉし、我が娘にエールを込めて、パパのキッスを」と、ぶよぶよの唇を突き出すキフを目にしても、動く事が出来ず。
 反応しない泉の代わりに、視界の中、白い手の鈍い銀と、灰の手、黒く鋭い爪が、近づくキフの頭と首を捉えた。
「どさくさに紛れて、泉嬢に何しようとしているんだ、この変態」
「気色悪い顔を近づけるな。泉さんが可哀相だろ、この変態」
 ほぼ同時に、似通った感情を含む声が、別々の口からキフを非難。
 間髪入れず、示し合わせたかのように、それぞれ捉えた箇所を思いっきり叩いた。
 鈍器で殴った音と肉の潰れる音が揃って聞こえたなら、声も上げずにキフの身体が地面に転がった。
 突然の暴力風景へ、ランの時とは違い、数瞬遅れてぎょっとする泉。
 その肩が白い手に軽く払われたなら、辿った先にへらりとした、しかし、何やら酷く怒った様子のワーズがおり。
「全く……油断も隙も、ついでに分別もないな、お前は!」
 びしっと倒れるキフへ黒い爪を付きつけたランは、先程泉を盾にしたことも忘れ、今度は彼女を庇うように中年との間に立った。
 警戒心を強める薄青の着物の背を見やれば、その向こうから弱々しい声がやってくる。
「ふ……おじさんは常に博愛主義者だからね。その辺にぬかりはないよ。尤も、君への愛は――べ」
「……黙れ」
 一瞬の出来事であった。
 目の前の背が消えたと思えば、キフの顔が踏まれており、これを理解するより先に、またランが泉の前に立っている。
 人間では決して為し得ない刹那の動作に、泉の口が小さく、ぽかんと開いてしまった。
 当のランは背を向けたまま、苛立たしげに泉へ問うた。
「で、泉さん、どうします? シウォンのところ、行きますか? どちらにしても俺は早く、この変態中年から離れたいんですけど」
「はあ……」
 何とも気の抜けた、どっち付かずの声が泉の口から出る。
 と、金の瞳がじろりと睨みつけて来たため、まだ決めかねていた泉は慌てて首を振った。

 ――縦に。

 

 


UP 2009/5/18 かなぶん

修正 2012/8/10

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