妖精の章 二十五

 

 弱肉強食を常識とする奇人街において、フェイ・シェンの存在は異質だった。
 自身を弱いと憚りなく称する彼は、真実、弱い。
 特に体力面では、人間の小娘たる泉にすら劣ってしまうほどである。
 そんな彼が、今日までそこそこ安穏に暮らして来られたのは、偏に彼の種と親が関係していた。


「存在自体が親の七光りなフェイ・シェン。そんなに行きたきゃ、狩人気取りの馬鹿親に頼めば良いだろう?」
 泉から奇人街の事はあまり詳しくない旨を聞いたフェイは、近くにいた店主へ懇願の矛先を変えていた。
 人間以外をどうでもいいと思っている店主を承知しているのか、多少の嘲りにもめげず――というより、そもそも気づいている様子もなく、未だ向けられたままの黒い背に言う。
「それが出来れば、どれほど楽な事か。しかし、父上も母上も、狩人の地位を得るまでの過酷な戦を重ねたくせに、僕には何もするなと言うんだ。わざわざお前が出向かずとも、お前の手足となって戦う者はごまんといると」
「なら、いいじゃないか、別に。識の峰に行って、一族連中に一人前と認められる必要ないだろう? ほらほら、めでたしめでたし、散った散った」
「それじゃあ駄目なんだ! 僕は、僕自身のために、識の峰で成人の儀を執り行わなければならない。鳥人の一人として――」
「えっ!?」
 フェイの、力一杯握り締められた、それでも何だか頼りない軟弱な拳へ、思わず泉は声を上げて驚いた。
 これにフェイばかりかワーズまでもが、店先にいる自分をちらりと見たなら、手と首を横に振り、お先にどうぞと両手の平を彼らへ差し出す。
 すると再開される、ワーズの投げやり対応とフェイの真剣な訴え。
 対する泉は貼り付けた愛想笑いを引っ込め、追及されなかった事にほっと胸を撫で下ろし。
「どうしたんすか、綾音サン」
「ぉえっ!? い、いらっしゃいませ、司楼さん!」
 店側から見知った少年の声が届いたなら、慌てて立ち上がり、深々とお辞儀をした。
 そのまま、バネ仕掛けの玩具宜しく姿勢を正せば、泉の動きにきょとんとした司楼・チオの格好を見て首を傾げた。
 と、袖が小さく引かれ、そちらを見れば竹平が呆れた顔で首を振る。
「お前……座ったらどうだ? 司楼が何か買うなら、俺が応対すっからさ?」
 次いで、茶の瞳に心配そうな表情が宿れば、不思議に思う泉が口を開く前に、歩み寄ってきた司楼が肩を竦めた。
「何か買うなら、とは随分な皮肉っすね、権田原サン」
「……じゃあ、何か買うのかよ? いっつも使いばっかで何も買ってかねぇ、チオサンよ?」
 人狼姿では、交わす言葉もなく早々に逃げる竹平だが、自分より齢若く見える人間姿の司楼は平気らしく、こんな軽口を叩く。
 だからといって、人間とは違う種、決して侮っているわけではない。
 このやり取りは、司楼がどういう相手か、竹平が分かっているからこそ為せる代物である。
 なればこそ、竹平の言葉に司楼は、一房だけ後ろで縛る白髪に手を当て、鼻梁にそばかすを乗せた三白眼の顔を苦笑に歪めた。
「こりゃ、一本取られましたね。まあ、使いは使いなんですが……今回はちゃんと、後で買い物もしますんで、お手柔らかに」
「へぃ、毎度」
 易い交わし合いを経、魚介類が入った箱に寄りかかった司楼は、首を傾げて目の前の泉を見やった。
「で? 何が、えっ!? だったんすか、綾音サン?」
「え、ええと……そ、そんなに大きい声出してましたか、私?」
「まあ……人狼の不可抗力、というヤツでして」
 言って、人間姿でも少しばかり尖った自分の耳を指で弾く司楼。
 茶目っ気たっぷりな様子とは裏腹に、表情の変化は人狼時よりも乏しく。
 先を促すよう小首が傾げば、さらりと白髪の尻尾が、灰がかった黒のスーツに散らばった。
 コレへ頬を掻く泉は、話を進めるべくフェイへと視線を寄せ掛け。
「あ、そういえば司楼さん。右足はもういいんですか? 昨日はもう少し掛かるって――」
「へ? ええ、まあ、御覧の通りですが……昨日って」
「あーその、なんだ」
 不思議そうな顔で何か言いかける司楼に対し、その意識を己に向けさせるよう、竹平が手を大きく振った。
 司楼の視線が移れば、立ち上がった竹平は彼を手招き、何やら泉には聞こえない距離でぼそぼそ。
「……あのぉ?」
 何だか、感じ悪くないですか?
 あからさまな除け者扱いを受け、不機嫌を込めて彼らを呼んだ。
 すると、竹平がすまなそうに赤い頭を掻いて戻る一方、司楼は思案げな面持ちで腕を組み、とぼとぼその後を追う。
 そうして元の位置まで戻った二人は、伺う泉と視線を合わせることなく。
「で?」
「へ?」
 たっぷり一呼吸置き、何事かを問う司楼。
 自分こそが尋ねる場面と思っていた泉は、突然の疑問符に意味を掴みかね、どうすれば良いのか分からず、挙動不審に陥ってしまう。
 わたわた焦るだけの泉に対し、特に眉を顰めるでもなく、司楼は続けて内容を口にした。
「綾音サンが、えっ!? って言った理由は、一体何だったんですか?」
「え……え、えと」
 どうやら、やや強引に話を戻そうとしている様子。
 除け者にされた不快感は後を引くものの、最初に司楼のこの問いを無碍にしたのは泉である。
 誘導されたような、納得のいかない気分であったが、順序を考えるならば、司楼を先とすべきと結論付けた。
 ……勿論、除け者の真意は、後できっちり尋ねるとして。
「あの人の事、なんですけど」
 言って泉が手で示したのは、未だ進展の見えない訴えを続ける、フェイ。
 自身を弱いという割に、妙なガッツと気魄を感じさせる物言いは、ものぐさ全開のワーズを前にしても、一向に衰えをみせていない。
 とはいえ。
「ワーズ殿、頼む。僕を識の峰まで連れて行ってくれ!」
「あーもー、煩いったらないねぇ。大体、なんでボクなんだよ。他を当たればいいじゃないか」
「いいや、貴方しかいないんだ! 他の奴らじゃ、頼む前に殺されてしまう! 他の誰と比較しても、全てにおいて劣っているこの僕が、ちゃんと頼めそうな相手は貴方しか!」
 フェイさん……力を入れて訴える箇所、間違っていませんか?
 決して会話には口を挟まないが、そんな感想を抱く泉。
「あれは……フェイ・シェンっすか?」
 居間を覗き見、ぽつりと漏らす司楼の声を聞いたなら、彼女の頭が縦に振られた。
「はい…………知っていらっしゃるんですか?」
「ええ、まあ…………あの御仁、それなりには有名ですからね」
「有名……弱い、って奴か?」
 泉の隣で竹平が問いかけた。
 先程から散々、弱いと自称する声を聞いているためか、若干呆れを含ませつつ。
 欠伸を噛み殺す、大して興味を感じさせない声にも、司楼は真面目くさった顔で頷き。
「いえ。確かにそっちも有名ですが、フェイ・シェンって言ったら、大抵の奴は関わり合いになりたくない相手ですよ」
「え……最初に会った時、思いっきり壁に叩きつけられていましたけど?」
 間髪入れず泉が答えると、フェイに視線を向けたままの三白眼が、す……と細められた。
「ええ。それに関しては、こちらでも把握しております。相手は人狼、でしょう? クァン・シウに焦がされた」
「は、はい。そうです」
「ソイツなら、もう、死んでますよ」
「え……」
 変わらぬトーンでさらりと告げられ、泉の表情がぴしりと固まった。
「もっと具体的に言うなら――所属する群れごと」
「群れごと……?」
「いや、あすこの頂点も災難でしたねぇ。下っ端が調子に乗ったせいで、何にも知らされない内に、鳥人全てを敵に回して、殺されちまったんですから」
「下っ端って……確かクァンさんのお店は、狩人ぐらいの強さがないと入れないんじゃ?」
 もしくはクァンの知り合いであれば、入店を許可されるが。
 昨日のやり取りを思い返すに、あの人狼男は店の客でしかないはず。
 これを容易く下っ端と言ってのけた司楼は、泉の問いに一旦口を閉じ、ぱちぱち眼を瞬かせた。
 次いで口を開けば、出てきた言葉は訂正を入れるものでもなんでもなく。
「……そーいや、綾音サン、あの場所に居たんでしたっけ?」
「へ? え、ええ」
 すっとぼけたような言い草に頷くと、司楼は「なるほど、だからか」と一人で納得する。
 泉が訝しげな視線を送っている事に気づいたなら、頬を小さく掻き掻き。
「いや、群れが一つ潰されたってんで、こちらの情報も随分錯綜しましてね。その中の一つに、芥屋の人魚に絡んだせいで猫から報復を受けたってのがありまして」
「芥屋の人魚って、もしかして?」
「はい、間違いなく、綾音サンのことでして。まあ、潰され方が空からの攻撃を受けてなんで、すぐさま猫のせいじゃないとは知れたんですが……」
「な、なんでそこで濁すんですか?」
 意味ありげな沈黙を受け、泉が小さく喉を鳴らす。
 と、答えは隣、竹平から訪れた。
「あー、そういう事か。だから元々少ない客の入りが、余計に少なくなってる、と。つまりは半々なんだな? その、群れを……ってのをやったのが、鳥人か猫かって」
「そうなんすよ。猫もそうですが、鳥人も、群れを潰したりって積極的な行動は普通しませんからね。排他的と言いますか……奴らはその起源から、自分たちを特別視していて、他種を見下す傾向が強いんですよ。同族が殺られても、ソイツが不甲斐ないせい、で片付けちまいますし」
 一旦言葉を切った司楼は、その顎でくいっとフェイを示し。
「で。そんな鳥人ですが、フェイ・シェンが絡むと、その事象に関して異様な執着を見せるんです。理由は二つ。一つは、フェイ・シェンの両親が狩人で、その上、親馬鹿丸出しの連中なんすよ。だから、恩を売っておけば何かと便利って事で」
 指を一本上げ、容赦ない理由を語る司楼。
 似たような事を一の楼の人狼たちから告げられた泉は、愛想笑いでコレを流す。
 対し、上げる指をもう一本追加した司楼は、表情を少しだけ改めて続けた。
「んでもって、もう一つ。実は、こっちの方が重要度高いですが、綾音サンは――」

 ――――という種を知っていますか?

 え……
 司楼の問い掛けを受け、思わず発した自分の声が遠くに聞こえた。
 その動揺は竹平にも表れており、しん……と静まり返った店内をきょろきょろ見渡している
 突然訪れた、耳が痛くなる程の静寂。
 店の中だけなのか、それとも外もそうなのか。
 解決する手段を持たない泉は、静かな光を湛えたままの司楼へ、何をしたのか問う視線を送り。
「……そーいや、お前には半分、隠者(イコルパ)の血が流れているんだったな」
 いきなり視界を閉ざされたと思えば、ひんやりした腕に頭を抱かれていると気づく。
 ソファで寝転んでいたはずなのに、いつの間に、こんな近くまで移動していたのだろう。
 わ、ワーズさん?
 名を口に出して呼んでみるものの、彼の声は鮮明に届くのに、自分の声は未だ遠く。
 暗闇から逃れるようにワーズの腕へ両手を置くが、どれだけ強く下に引っ張っても、自分を抱く腕に変わりはない。
 その内遠くから、近くにいるはずの司楼の声が聞こえてきた。
 あ、そうか。ここは騒山よりも、彼らの影響を強く受けているんでしたっけ。って、すみません、店主。ここまで効果があるとは露知らず、なんで……その銃、下ろして貰えませんかね?
 え!? 銃!? だ、駄目ですよ、ワーズさん!
 目を開けても黒い袖しか映らない中、状況を把握した泉は、動かない左腕から上げられた右腕へ、掴む手を移動させた。
 物置で触らぬよう言われていた銃を避け、肘上をぎゅっと内側から押した。
 すると、丁度関節の弱い部分だったのか、容易く肘が曲げられ、合わせて右腕が下ろされていく。
 これへほっとしたのも束の間。
「全く……君は事の重大性が分かってないねぇ? ま、仕方ないか。ちょっと痛いけど我慢してね、泉嬢」
 は? 痛いって――
「っんぁ!? な、あああああ――――っ!!?」
 視界が開けると同時に、容赦なく握られる左腕。
 筋肉を潰し、骨を軋ませる激痛に背筋がぴんっと張った。
 仰け反っても、振り向いて黒い服を叩いても、へらへらした顔はへらへらしたまま。
 左腕に喰い込む病的ではない白い左手へ、右手で爪を立てようとしても、その前に銃を持った腕が身体ごと拘束して来る。
 こうなると、痛みを逃がす術は、身体を縮ませる事だけ。
 絞められているせいで、痺れを引き起こす左手を知った泉は、同時に痛みの端で思った。
 不本意ながら、泉が食してしまった猫の欠片。
 けれどそのお陰で、彼女は一時だけ、猫の力を宿す事が出来るようになり、幾つもの危機を乗り越えてきた。
 そしてそれは大抵、泉が強い思いを抱いた時に発揮されていて。
 なのに。
「ど……して、わずっ、さんにゃっ、うぇ、払ぅ、えな――――んっ、にゃあぅっ!?」
 どうして、ワーズさんの腕を払う事は出来ないの?
 言いたい事は全て喘ぎと叫びに変わり、涙を浮かべるしかない泉は、我慢してというワーズの言葉も放り投げ、自分を拘束する右腕に爪を立てて咬み付いた。
「んーっ、んーんーっ、んんー!」
 離して、という思いだけで声を発したなら、こちらが必死な分、一層呑気な言葉が投げかけられた。
「んー? 泉嬢、何を言っているのか、さっぱり分からないんだけど」
「は、離せって……言って、んだろ…………?」
 そこへ死角から訪れる、竹平の掠れた声。
 泉の代弁を買って出てくれた事は有難いが、何やら彼自身も痛みと戦っている節がある。
 激痛と、離してという意思表示の咬み付きは継続させたまま、どうしたのだろうと思えば。
「わ、ず……てめ、お、同じ男の、くせ……しやがって…………こ、殺す気か?」
「うわ……オレの責任でもあるから、言えた義理じゃないっすけど…………絶叫した綾音サン、心配して振り返った瞬間て、えげつない早業じゃありやせんか?」
「んー? 大丈夫大丈夫。ちゃんと加減したから」
「ど、こが、だっ……!?」
「だって潰れてないでしょ?」
「「!!!!!」」
 事無げなくさらりと告げたワーズの言に、今まで感じた事のない緊張感が、少年二人に宿った。
 見ずとも分かる戦慄具合に、竹平が何をされたのか気づいた泉。
 性別が女では一生涯分からない痛みなれど、分かるはずのワーズが行ったと思えば、彼の腕を咬む力が増していく。
 早く離して貰わないと、もっと酷い苦痛を強いられそうだ。
 再び溜まる涙。
 だが、終わりは始まった時と同じく、唐突に訪れる。
「ま、これくらいかな」
「っ、はあっ」
 暴れようともビクともしなかった左手が離れ、解放を得た泉の顔がワーズの腕から上がった。
「泉嬢、大丈夫かい?」
 すると掛けられる、へらりとした労わり。
 誰のせいでこんな目に合っていると思っているんですかっ!?
 問いたい言葉は胸にあれど、冷や汗混じりの虚ろな瞳には叫ぶ気力さえなく。
 長く咬み付いていたのに、終ぞ痛がる素振りを見せなかった銃を持つ右手が、だらけた左腕に添えられた。
 咬み疲れた顎が、激痛をもたらしていた左手に捉えられ、その力の片鱗すら見せない繊細な動きで上を向かされる。
 冷や汗に張りつく髪、蒼白から徐々に紅を取り戻しつつある頬、荒く息をつく朱唇、虚ろな眼差し。
 これらを上から覗き込む、居間にしゃがみ込んだ男は、笑う顔にほっとした表情を織り交ぜた。
「うん、大丈夫そうだね」
「わ……ず、さん」
「ん?」
「どう、して?」
 痛みが引けば、泉の頭の中を支配するのは、非難よりも何故? という問い。
 そんな泉に一瞬、虚を衝かれたような顔つきとなったワーズは、苦笑を象り頷いた。
「ああ、それはね――」
「そこにいる人狼の彼が、ある種族の名を口にしたからだよ」
「…………人の言葉を奪うなんて、イイ度胸しているな、軟弱鳥人」
 ワーズの背後から、ひょいと顔を覗かせたフェイは、剣呑な気配を笑みの裏に貼り付けたワーズを尻目に、泉へこくりと頷いてみせた。

 

 


UP 2009/8/12 かなぶん

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