妖精の章 二十七

 

 いつもなら安堵を与えてくれるお茶なのに、この時ばかりは泉の複雑な思いを解すに至らず。
 結局、フェイがこちらへ意識をくれた時、疑問を投げかける事で、泉は目まぐるしく駆けずる己の思いを他方へぶん投げた。
「あの、呼び捨てしてくれたって、どういう意味ですか?」
「うん? ああ、あれ?」
 言って近づくフェイは、当然の如く泉の前へ陣取るワーズを気にせず、ソファの肘掛に尻を軽く乗せてにっこり笑った。
 途端、ワーズからひしひし伝わる不機嫌も、やはり彼は気にする事なく。
「改めて言うのもなんだけど、僕は神童だからね。普段は鳥人たちの本来の住処で、厳重に守られている」
「本来の?」
 泉に疑問が浮かべば、答えはフェイの口が開く前に、ワーズからもたらされた。
「人狼の洞穴が地下にあるように、鳥人もまた、住処が別にあるんだよ。名は方舟。といっても、人狼の洞穴が群れ単位なのに対し、鳥人の方舟は一つだけ。外観は船っていうより、幽玄楼に似ているかな」
「へぇ…………………………あれ? “地下にあるように”? それじゃあ、方舟は奇人街――地上じゃなく?」
「そ。空にあるんだ。でも、普段は見えない。光を屈折させる装置が付けられているんだ――て、スエ博士が言ってた」
「えっ!? 方舟ってスエさんが作られたモノなんですか!?」
 今まで、空に浮かぶ艶美な楼閣を思い描いていた泉、芥屋二階の隣に住まう、小汚い学者の名が出るなり、一気に胡散臭そうな顔をした。
 奇人街の地面と人狼の洞穴の天井の間を彼が補強した話は、幽玄楼の主から聞いてはいた。
 だがしかし、空に浮かんだ楼閣というだけでも幻想的なところを、見る者の眼を潰すとまで言われている幽玄楼に似ていると評されては、スエの存在はどう考えてもそぐわない。
 幻想とはかけ離れた、リアリティー溢るる彼の自室は、二度と訪れたくないほど汚かった。
 過去、奇人街を時折徘徊する化け物・幽鬼の出現に混乱した、あの時でさえはっきりと感じ取れたほどに。
 なればこそ、疑惑に満ち溢れた眼差しを送れば、受け止めた混沌の瞳がにたりと笑う。
「いいや。方舟自体はスエ博士が来る前からあったよ? ただし、自分たちの権威を示す事ばかりを第一に考えていてねぇ。研究費目当てにスエ博士が介入するまでは、大雑把な補強しかしていなかったんだ。クク……あれは見物だったねぇ。鳥人の多くがまだ識の峰に頼っていてさ。上手く飛べないもんだから、どこか崩れたなら、ぱらぱらぁっと」
「…………」
 言いつつ、優雅な手つきで両腕を左右に広げるワーズ。
 雨が降るのを喜ぶ演技染みたそれに、うっかり想像力を働かせてしまった泉は、小さく眉を顰めた。
 次いで、話を戻すべく、フェイの方へ顔を向けた。
「ええと、フェイ? さっきの話なんですけど」
「あ、うん。呼び捨ての事だね。まあ、そんなわけで僕は方舟で常に監禁状態でね」
「……? 監禁って、さっきは守られているって」
 ワーズに合わせた訳でもなかろうに、物騒な物言いをしたフェイは、泉の丸い目に苦笑を返した。
「視点を変えるとそうなるんだ。彼らは大切に守っているつもりでも、僕にとっては監禁されているようなものだから。言ってみれば、籠の鳥。籠っていうのは、外から見たら堅固な護りだけれど、内から見たら堅固な牢でしょう? 自由を求めるなら尚の事」
 遠くを見つめる瞳がフェイに宿る。
 渇望と諦めが入り混じった光は、泉の心へ微かな同調を来たした。

 焦がれる場所がある。
 けれど、本当に聞いて欲しい人は、聞き入れてくれない。
 受け入れて、くれない。
 フェイは庇護の名の下、囚われるがゆえに。
 泉は――

「まあ、そういうわけで」
 前置く声にはっと我に返った泉。
 視界の中、遠くへ投げかけていた視線がこちらを向けば、居住まいを正す素振りで小さく頭を振った。
 耽りかけた思考を払い、フェイの言葉を待つ。
「鳥人の中で特別視される神童は、敬称で呼ばれるのが常。呼び捨てで良いって言っても、聞き入れてくれる同族は皆無なんだ。……って言っても、他種なら呼んでくれる人は結構いるんだけど」
「……ああ」
 差し当たってはワーズだろうか。
 何ともなしに黒一色の男を見やれば。
「な、何ですか、ワーズさん」
 じーっとこちらを見つめていたへらり顔に、必要もないのに頬が熱くなった。
 そんな泉を知ってか知らずか、ワーズは手にしたカップをズズズ……と行儀悪く啜るだけで何も言わず。
 …………変な沈黙。
 用があるわけでも、返す言葉があるわけでもなく、交わされる視線。
 泉としては、普通に見つめ返しているつもりなのだが、一度赤みを憶えた頬は、段々とその色を増し、乗じて鼓動も大きく聞こえてくる。
 これって……やっぱり、恋腐魚が残っているのかしら?
 今度エンが来たら聞いてみようと思った泉は、流石に居心地が悪くなり、フェイへと次の疑問を投げかけた。
「そ、そうだ。あの、ソウザンとシキノミネっていうのは何なんですか? フェイはどうしてそこに――」
 不自然に上擦ってしまった声音。
 けれど、問いを返すのは、泉が問いかけたフェイではなく、声を上擦らせた原因。
 まるでフェイが語るのを拒むように、泉の言葉に被せてワーズは告げる。
「騒山は奇人街の奥にある山の事だよ。密集した四つの山の総称なんだ。んで、識の峰っていうのは、昔、鳥人たちが大人になるための儀式に用いた場所」
「大人……ああ、だから男にして、と」
 なんともなしに、フェイから告げられた台詞を思い出した。
 そのまま、肘掛に座る彼を見つめれば、苦笑を浮べて言う。
「うん。そうなんだ」
「あれ? でも、フェイは私より長い時間を生きているんですよね? それなのに、大人じゃないんですか?」
 奇人街の大人が齢を取るには、各人に定められた条件が必要だという。
 もしもフェイが、子どものままだというのなら、彼の姿はそれ相応の年月を経たものになるはず。
 つまり、奇人街基準の子どもで且つ泉より長い時間を生きているのなら、泉より齢を重ねた姿でなくてはならないのだ。
 だが、彼の姿は少しばかり泉より幼い程度。
 まさか生きた時間を偽られた? と思えども、そうする事でフェイが得られる利点など在りはしまい。
 泉の眉間が更に狭められたなら、フェイが口を開く直前、またしてもワーズが先に被せてきた。
「確かに昔は、条件を知るために儀式を行っていたけどね。今だと、識の峰で儀式を行う事には、一人前として認識されるようになる、って意味があるんだよ。コレは馬鹿親や神童の背景があるから、一族連中に認められているようなモンで、普通だったら良くて半人前、悪くてこうだからさ」
 “コレ”と顎でフェイを示したワーズは、“こう”のところで自身の首の前を手で払った。
 いつもより増して刺のある言い分に、自然と眉を寄せた泉は、心の中で首を傾げた。
 何だかワーズさん……フェイに対しては、妙に厳しい感じがするのだけれど。
 人間外であっても、相手がシイやランなら、泉とのやり取りにここまで首を突っ込んだりしないワーズ。
 それが幾度となくフェイを邪魔するため、泉の目にはとても奇異な行動と映り。
 かといって、気分を害しもしない、図太い神経の持ち主・フェイは、ワーズの乱暴な表現へ、しきりに頷いてみせた。
「うんうん。だからこそ僕は、識の峰に行きたいんだ。そこで儀式を行って。それから一人前になって……そ、それから、あの人に」
 言いつつ、こっちにも伝染しそうな程、頬を赤く染めるフェイ。
 蝋のように透き通る白い肌なので、この変化はとても分かりやすかった。
 自分のファーストキスの相手をど忘れしたり、粘着性の想いをぶつけられても気づかなかった、色事には疎い泉でさえ、察知できる程に。
 そっか……一人前になって、告白したい人がいるのね。
 出会ったばかりのフェイでは、相手は誰かと勘繰る事も難しいが、容易く結論に至った泉は口元が緩むのを止められず。


 結局、フェイの訴えは昼食の時間により終わりを迎え、明日も来る旨を告げた彼は、何処かへ去って行ってしまう。
 見送った泉、今までの話から推測するに、鳥人の住処である方舟には帰れないのでは? と心配するが。
「泉嬢が心配する必要はないよ。アレには手駒が一つあるからね」
 “手駒”と口にした途端、物凄い怒気がワーズの笑顔の向こうに感じられ、何も言えずに昼食の準備へ取り掛かった。

*  *  *

 そうして食事を終えれば、勧めても店で待ち続けていた司楼のところへ、泉はいそいそと移動した。
 フェイの時と違い、ワーズは介入する素振りも見せず、楽しそうにふらふら後片付けに勤しみ、竹平は散々な目に合った反動からか、二階の洗面所に引っ込んでしまっている。
 その際、泉は竹平から「無理はするんじゃないぞ?」と声を掛けられていたが、何を指してそういう台詞が告げられたのか分からない彼女は、内心で首を捻るばかり。
 偉そうな態度を取るものの、竹平の性根は優しい。
 とはいえ、理由もなく気遣う言は吐かないだろう。
 知らぬ内、何かしらの災難が自分の身に降り掛かっているのでは? と疑えども、当の竹平が多くを語らないため、泉には知る由もなかった。
 なので、代わりという訳でもないが、店の境に面した居間に座った泉は、小さく頭を下げつつ。
「すみません、お待たせして」
「いえいえ。待つのも仕事の内ですからね。それに理由がフェイ・シェンじゃ、親分だって納得してくれますでしょう。群れの全部が全部、親分や楼主たちのように強いわけじゃありやせんし。厄介な相手の用件を先に捌かせる方が、スムーズにいく場合もあるって話で」
「はあ……」
 慰めるに似た司楼の言葉を受け、言いたい事は理解した。
 フェイの行動を妨げる事すら、鳥人たちにとっては許し難いというニュアンスは、自分たちの種族を特別視する話から把握出来る。
 が、泉の返事を気の抜けた戸惑いにするのは別の事象。
「ええと、納得って、それじゃあお使いってやっぱり……シウォンさん?」
 確認を取れば、今度は司楼から気の抜けた返事が返ってきた。
「はあ、そりゃ勿論……て、他に使いを出すお人がいるとでも?」
「いえ、いいんです。ただ……昨日の今日なんで、とっても気まずいと言いますか」
「昨日、ですか。……まあ、そう言わずに」
 何やら不思議そうな表情を浮かべた司楼は、おもむろに胸元へ手を突っ込み、一枚の紙を取り出してきた。
 今までの流れから、シウォンの手紙に相違ないだろう。
 ねっとりと絡みつく、甘く切なくも、激情に身を焦がさんばかりの内容が、奇人街の文字が読めない泉のために読んでくれた、ワーズの棒読みを伴い、頭の中で再生されてゆく。
 程なく熱くなる顔が徐々に俯き加減となれば、ぺらっと開かれる紙の音。
 これまでは、目を通しても内容は口にしたくないと、頑なに拒んでいた司楼。
 それなのに、あっさり開いては読み上げる姿に、泉は一瞬惚けてしまった。
「えー。“泉、済まなかった。もう、お前を追いつめる真似はしない”――以上っす」
「……へ?」
 次いで、ワーズと同等クラスの棒読みで内容を知ったなら、みるみる泉の顔が青くなり。
「そ、それだけ?」
「はい。これだけ」
 言って、司楼は泉に手紙を見せた。
 受け取っては、確かに短い達筆の文章を確認、恐々司楼へと問う。
「し、シウォンさんは……お元気ですか?」
 可笑しな尋ね方だが、含む意は必死であった。
 今までにない素っ気ない文章は、ともすれば辞世を匂わせる内容。
 まさかまさか、と考えが最悪へ向かったなら、司楼はこの意を汲むことなくのほほんと言った。
「すこぶる元気……ってわけでもありませんがね。鬼ごっこの真っ最中、とでも言いましょうか」
「は? 鬼ごっこ?」
 思わぬ返事に泉の目が丸くなった。
 世を儚んでいないならそれに越した事はないが、鬼ごっこ、という表現は、美丈夫・シウォンから掛け離れ過ぎていた。
 彼の花嫁姿を容易に浮べられた泉でさえ、せいぜいが、獲物を悠々と追いつめる姿しか想像できず。
 微笑ましいどころか、陰惨さばかりが際立つ脳裏の光景に、何度も瞬けば、頷いた司楼が続ける。
「はい。不可抗力ってヤツなんでしょうがね。親分、綾音サンへのアプローチ方法を変えるつもりのようでして」
 さらりと本人を目の前にして告げる司楼へ、泉は戸惑いつつ。
「変えるって、どんな風に?」
 これ以上強引なのは勘弁して貰いたい。
 嫌える位置にいないシウォン、かといって、彼の好意には応えられないため、そんな風に祈ることしか出来ない泉。
 たとえば、よく聞くシチュエーションの、お友達でいましょうやら、異性として見れないやら言ったところで、シウォンは絶対受け入れてくれないだろう。
 現に、知人として好き、の部分が伝わってのアプローチ変えは、あやふやな関係を求めていないと察するに余りある。
 好きか嫌いか、その二択しか、許してくれない気がした。
 しかもそれはどうも、生死にまで直結している節がある。
 思い起こすのは、嫌いという言葉に過剰に反応しては拉がれる様子と、好きという言葉に過剰に反応しては段階をすっ飛ばそうとする様子。
 分かりやすい、ゆえに、とても扱い辛い人狼に、何となくげっそりした面持ちとなれば、泉の内面を汲もうともしない司楼が頷いた。
「実は、親分のお孫さんの奥方が人間でして」
「お、お孫さん……?」
「はい。まあ、人間っていっても綾音サンと違って、レディ・ローズの名で知られている毒婦なんですが」
「孫……」
 泉の驚きを全く察せず、顎で青果棚を軽く示す司楼。
 その間にも、泉の目は司楼を追いつつ、頭ではてんで別の事を思う。
 シウォンの孫――奇人街の齢の在り方を思い起せば、ない話ではないのだろうが。
「ほら、前に親分から贈られた赤い花がありやしたでしょう? アレの名がレディ・ローズって言うんですが、由来はその奥方なんすよね。花言葉は狂愛。形振り構わず貴方を想うって感じでしょうか。主に贈り物として使われますけど、生食じゃ毒、乾燥させれば薬になる代物でして――って、これはまあ、関係ない情報か」
「……お詳しいんですね」
 いつもより熱の入った司楼の口調へ、孫の字を躍らせながら問うと、それでも変わらぬ表情が頬を掻いた。
「ああ。この花は俺にとって特別なんすよ。何せ、親父がお袋へ贈って、プロポーズを成功させたとかで……小さい頃から延々、当時の話を聞かされ続けてきましたから」
「はあ……」
 小さい頃から、の部分で、若干嫌そうに歪む司楼の顔。
 一体、どれだけ聞かされ続けてきたのか、検討も付かない泉は、孫という単語には戸惑いながら問う。
「ええと、それでその、奥さんがどうかしたんですか?」
「あ、はい。それでですね、親分、玻璃宮の奥方なら、人間の事がよく分かるんじゃないかって、話を聞きに行ったんですけど」
「はりきゅう?」
 またも出てきた新しい単語にキョトンとする。
 合わせて語りを止めた司楼は、目を瞬かせて納得した風体。
「ああ、そっか。ウチの洞穴に行った事はあっても、詳しく知る訳ありませんモンね」
「行った……て、別に行きたくて行ったわけじゃ」
「や、分かってますって。そこはそれ、言葉のアヤとして置いておいて」
「はあ……」
「虎狼公社には幽玄楼を抜いて、四つの楼があるんすよ。んで、それぞれの楼には管理する実力者がいまして。玻璃宮は、この中の四の楼と呼ばれる楼の通称なんすよ。尤も、玻璃宮には、四の楼主を直で示す意もありますが。あ、お分かりかと思いますが、四の楼主は四の楼の主ってことで。つまり、親分のお孫さんが、玻璃宮――四の楼主って覚えて頂ければ」
「……お孫さん…………はあ」
 やはりそこで引っ掛かる泉。
 一応、司楼へ先を促すべく頷いたものの、奥さん持ちの孫がいる相手から、現在進行形で求愛される身としては、複雑な思いに駆られてしまう。
 これも偏に、奇人街の特殊な加齢条件が為せる業か。
 妙な気疲れが引き起こされる中、司楼は次いでこんな事を言った。
「そんなわけで、玻璃宮の奥方にアプローチ方法を聞きに行ったんですが……どうも親分、過去にその奥方へ手を付けたらしくて、玻璃宮が話を聞くだけで済むとは思えない、ってんで、奥方連れて逃げ回っているんすよね」
 鬼ごっこ、の意味は知れたが。
「え……じ、自分の孫の奥さんに、ですか?」
 孫がいるだけでも衝撃的なのに、その妻に手を出すなど……
 泉の元居た場所に当て嵌めれば、目に入れても痛くない孫と言いがてら、年齢的に遜色ない相手、それも孫の嫁へ欲を見たに等しく。
 しかも実行済み。
 エロジジイ! と怒れる孫の、見知らぬ姿を浮べた泉は、遣る瀬無い思いを抱きつつ、眩暈を感じて頭を押さえた。

 

 


UP 2009/9/11 かなぶん

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