妖精の章 四十三

 

 芥屋メンバーと人狼、二つの陣営の今日の晩飯は、それぞれ種類も入手経路も違っていた。
 人狼たちの食材は、先頭にいた泉は全く気づかなかったのだが、登山途中で狩っていたらしきモノが数種あり、中にはあの蛾も羽を毟られた状態で含まれていた。
 これを料理担当と思しき三人の男が回収し、中央の焚き火で簡単に調理。
 配給は頂点たるシウォンが当然多くなる――と思いきや、弱肉強食が常識の奇人街にしては珍しく、均一に分けられていた。
 人狼姿で混じれば周囲から浮く小柄なニアにしても、与えられる分量は皆と等しい。
 かといって平等万歳には程遠い、地味に地味を重ねた食事の画は、騒山の他の音を聞き漏らすまいとする、緊張に満ち満ちた静寂に包まれていた。
 街では傍若無人の代名詞とも言える人狼をして、ここまで警戒をさせる騒山、その危険性――なれど。


 本来であれば人狼のこの様子に、より一層怯えるべき人間含む芥屋メンバーは、彼らの静けさそっちのけで、わいわいお食事タイム。
 メインは先程からワーズが焚き火に向かっていた理由、分厚い肉の串焼きである。
「うっわぁ、美味しそう……」
 嗅ぐだけで肉汁が口一杯に広がりそうな、大きな紙皿の上のそれへ、まず齧り付いたのは、夕食が出来たと告げられるまでランに謝り続けていた美津子。
 調理したのがワーズという手前、口にするのを躊躇していた泉と竹平は、止める間もなかった食いつきっぷりに唖然とし、ついで各々一口ずつ食べては、うっとほぼ同時に眉根を寄せた。
 別段、味がどうこういう話ではない。
 それどころか、いつ食べても驚くほどこの肉は美味しかった。
 そう、いつ食べても。
「ワーズさん、これって……」
「幽鬼の肉、だよな……」
 時折、奇人街の夜に現れては蹂躙しゆく、大好物が人間という一つ目の化け物・幽鬼。
 奇人街における三大珍味を形成する食材は、ただ焼いただけでも恐ろしく美味なのだが、いかんせん、その肉の源となっているのは住人、もしくは泉たちと同じ人間である。
 間接的にでもそれらを食するような感覚に、どれだけ食べても未だ慣れないのは仕方あるまい。
 けれどもそんな事情を知らない美津子は、一本をぺろり平らげると、二本目に手を伸ばしながら、渋る泉らの動きに顔を険しくした。
「ね、食べないの? 今もって状況はさっぱりだけど、ここって山の中よね? という事は明日も歩くんでしょ? しっかり食べて置かないとすぐにバテちゃうわよ?」
「はあ……それは分かっていますけど。ええと、椎名さんは」
「あ、私の事は気楽に美津子って呼んで。んで、何かな可愛い子ちゃん」
「か、かわいこちゃん……」
 表現の古さは兎も角、容姿を褒められて悪い気はしないものの、同い年にしか見えない美津子に言われると複雑なものがあった。
 これをごくりと呑み込みやり過ごした泉は、気を取り直すように頬を掻きかき。
「ええとその、美津子さんは随分とあっさり受け入れましたよね。ここが別の場所というか、異世界というか、そういう所だって事」
「いんや。受け入れてなんかいないわよ?」
「……へ?」
 肉を口に入れ、即答で否定を返した美津子は、もぐもぐ片頬を膨らませながら肉付きの串を円く振る。
「貴方が私と同郷だっていうなら、ちょいと考えてみなさいな。こぉんな山奥に、あんな格好した奴ら、元の場所に居て欲しい?」
「うっ。そ、それは……嫌です」
 同意を求めるでもなく竹平の方を見やれば、彼も似た心境を隠さず表情にして頷いた。
 斯く言う自分たちもコスプレに等しい格好をしているのだが、新たな肉に齧りついた美津子が何も指摘しないため、全く気づかず。
「だからさ、それなら異世界っていう話に乗った方が、心穏やかに過ごせそうでしょう? 登山において怖いのは、自分を見失う事だもの」
「そういうものですか?」
「そういうもんなの。例えば――さっきから君たちが気にしているこの肉が、人肉だったとしても」
「「っ!!」」
「……え? マジでそうなの?」
 奇人街での生活に慣れてきてしまっているとはいえ、聞きたくない内容に泉と竹平が強張ったなら、言った本人が戸惑いを浮べて肉を見やった。
 そこへ不愉快そうに異を唱えたのは、調理していた店主。
「ワーズ・メイク・ワーズは人間が好きだから違うよ。それは幽鬼の肉。人肉を食べるのは……ほら、さっき君が弄っていた奴の種とか、そこで生肉に齧りついている奴とか」
 ひょいひょいと黒いマニキュアの白い爪が指差す先、芥屋メンバーに含まれるためか、同じ食事を摂っているランと緋鳥がいた。
 ランは大きな口を持つくせに、串に刺さった食材の一つ一つを丁寧に食しており、緋鳥は傍らのフェイと、彼を診ているエンに焼けた肉を渡しながら、ワーズの言う通り、生肉の塊を貪っている。
 正反対の食事風景を見せつつも、そのどちらもが人肉を食うと聞かされて、流石の美津子も頬を引き攣らせて食事の手を止める――かと思いきや。
「ふーん。そうなんだ。じゃ、これは人間の肉じゃないって事で」
「た、逞しいな、あんた。そこは普通、相手と距離置くとこじゃないか?」
 人肉ではないと保障された途端、二本目を平らげていく美津子へ、いつになってもそういう輩に慣れない竹平が唖然とする。
「んー? 確かに危険だとは思うけど、あの子たちが食べてるの同じ肉でしょ? 今のところ襲われる心配はないわけだし、警戒し過ぎんのも疲れるだけじゃない」
「あんた……本当に女か?」
「まあご挨拶。というか若いわねぇ? 別に私が基準だとは言わないけどさ、実際のところ、こういう状況の変化に強いのは女の方なのよ?」
 しれっと言ってのけた美津子、三本目へ手を伸ばしかけては、ぴたりと動きを止めてワーズを見やった。
「……食べていい?」
「どうぞどうぞ。心配しなくても、焼けばまだあるから」
「そう。では遠慮なく」
 止まらぬ美津子の食欲が、三本目を引き寄せて口に運ぶ。
 惚けた顔つきで泉たちが見ていたなら、予め焚き火にセットされていたと思しき新しい串焼きが、大きな紙皿に追加されていった。
 併せ、まだ熱いにも関わらず、刺さった食材を一度に頬張ったワーズは、じゅっと不穏な音を口内で鳴らした空の串を紙皿に向けた。
「泉嬢たちも食べたら? でないと美津子嬢、遠慮しちゃうからさ」
 先程のワーズとのやり取りが、食の進まない泉たちに対する美津子の思いやりから来るものだったらしい。
 豪快な美津子の気遣いに、失礼ながら二人が驚きかけた、矢先。
「ぐっ、へ……み、みつこじょうって……げほっ」
 何故か盛大に咽た美津子。
 肉が喉に引っ掛かったというより、衝撃的な言葉を聞いたための反応のようである。
 なので、すぐに咳から復活した美津子は、困惑気味にワーズを見やると頬を掻いた。
「あ、あのね、えーっと……ワーズさん、だったっけ?」
「ワーズ、だけで結構」
「そう。じゃあワーズ、お願いだから私の名前の後ろに“嬢”なんて付けないで。すっごく似合わないから」
「んー……それじゃあ美津子女史」
「自分は呼び捨てでイイって割に、何かしらの敬称は付けたがるのね。まあ、うん。そっちの方がまだマシ」
「え、と」
 美津子の言葉に、今し方「泉嬢」と呼ばれた泉が戸惑えば、これに気づいた彼女は手と首を振った。
「あ、御免ね。私が自分の名前に使われるのが駄目ってだけだから。嬢って柄でもないからさ。えーっと…………あらいやだ。私ったら自分の名前名乗っただけで、貴方たちの事、全然聞いてなかったわね」
「はあ……」
 スナップを利かせて縦に手を振る美津子へ、生返事しか出来なかった泉は、そんな自分を誤魔化す素振りで串焼きの肉をぱくり。
 肉特有の弾力を持ちながらも、決してしつこくない旨味に、一種の罪悪感を覚えつつ咀嚼していく。
 次いでふと思い出す、この肉の原型。
 昼間に目撃した、生白い姿と死体の山。
「…………」
 食欲を減退させるばかりの光景に、束の間口の動きを止めた泉は、それでも何とかもそもそと噛み続けて呑み込んだ。
「そういえば――」
「って、あらま。お姉さんに名前を教えてくれるんじゃなかったの?」
「ぉあっと、す、すみません」
 お姉さん? と、どう見ても同い年くらいの美津子相手に疑問符を浮べつつ泉が謝ったなら、こちらこそ茶々入れて御免と謝った彼女が、先を譲るように手の平を差し出した。
 これへ一礼した泉は、自己紹介が先か、思い立った事が先かを数瞬悩み、譲って貰った事実に甘えてワーズを呼ぶ。
「あの、ワーズ……さん」
 美津子に呼び捨てを推奨した事から、呼び捨てた方が良いのかと迷った泉。
「ん? 何?」
 結局いつも通りの呼び方に落ち着いてしまったものの、当のワーズは特に気にした様子もなく首を傾げた。
 この反応に、どちらにしても今更だと泉は思い、続きの言葉を口にした。
「ええと、どうして昼間なのに幽鬼があそこに? それに――」
「あの山は、行く当てがなかった街の残骸だよ。明時がどんなに優れた鼻を持っていても、受け取り拒否されたり、売れなかったりした、ね。幽鬼がいる理由はボクにも分からないけど、残骸はそこに捨てるっていう決まりが昔からあるんだ」
「そう、ですか」
 美津子がいるためか、ぼかした言い方をするワーズに、泉は一応の納得を見せて口を閉ざした。
 そうして思い出すのは以前、ランが言っていた「山行き」という言葉。
 明時が拾い、何処にも行く当てがない残骸――死体は、最終的に其処へ行くと聞いた。
 乗じて浮かんだのは、泉が殺めた鬼火の遺体の行方。
 あれから数日の間、恋腐魚により正気は失われていたものの、記憶はしっかり残っている。
 けれども終ぞ、泉はその姿を見る事がなかった。
 無残に焼け爛れた、彼の姿を。
「…………」
 山を喰らう幽鬼、手元には同じ種の肉。
 これを放った分だけ口に入れた泉は、しっかり肉の風味を味わって後、ゆっくりと呑み込んだ。
 どんな思いを持ってしても、美味という事実に変わりのない後味へ、小さく溜息を一つ。
「もう一本、頂いても良いですか?」
「ん。どぞ」
 空けた串をワーズに渡したなら、代わりに出来立ての串焼きが手渡された。
 熱々の食材に顰められる泉の顔。
 しかして頬張る口に躊躇いはない。

*  *  *

 ワーズが焼いていた幽鬼の肉の出所は、彼の懐の中。
 正確には、芥屋の物置を通って来た猫が、幽鬼がうじゃうじゃいるという“外”に寄り道をして狩ったブツである。
 腐れるのが早い内臓類は、解体がてら猫の腹に納まったそうで、食事中も、食後泉の膝の上に移動してきた今も、影の獣はすやすや寝入るばかり。
 無防備に丸まった背中の靄を散しつつ、猫を撫でる泉は、その様子を興味津々に眺める美津子へ、中断していた話を切り出した。
「えと、美津子さん。遅れましたが、私、綾音泉って言います」
「これはこれはご丁寧に。んじゃ、私も改めまして」
 唐突な自己紹介にも関わらず、頭を下げた泉に居住まいを正した美津子は、自身もゆっくり頭を下げた。
「椎名美津子と申します。見ての通りのしがない登山家です。まあ、知る人ぞ知る有名人ではあるんだけどね」
 顔を上げた美津子は、どうだ参ったか、と言わんばかりに腰に手を当て胸を逸らした。
「……知る人ぞ知るじゃ、有名って言わねぇだろ、それ」
 竹平が小さく毒づくものの、聞こえているだろうに美津子は構わず続ける。
「登った山は数知れず、本もちょいちょい出してます。山々の美しい写真付きでどれも定価千円前後。買ってくれたら私の懐が温かくなる素敵な特典付。あ、ちなみに写真撮ったのも私。いやあ、出来る女は何やらせても出来るから怖いっすよ」
「自分で言う事か?」
 頭を掻く美津子に竹平がまたしても小さく、呆れた声を上げた。
 これもスルーした美津子、顎に手を当てると泉に向かって首を傾げた。
「にしても綾音、ねぇ。私のスポンサーの一人と同じ名字。親戚か何かかしら?」
「いえ、違うと思います。確かに父は社長職に就いていましたが」
「「え、マジで!?」」
 声を揃えて反応したのは、泉と同郷の二人。
 余りにも息ピッタリな自分たちに驚いては顔を見合わせ、また同じタイミングで泉の方を見やった。
「ってことは泉、社長令嬢だったのか!? 家事とかやってたくせに?」
「え……と、はい、まあ。世間的には」
「へぇ〜? 社長令嬢なのに得意なんだ、家事。花嫁修業の一貫か何か?」
「や、得意って程でもありませんが。その、小さい頃は母方の親戚に預けられてて、それで。だから花嫁修業ではなくて」
「あれ? じゃあお母さんは? 」
「母、ですか? 母は……ええと、ち、父と同じで」
「……両親共に社長? どちらかが会長や専務じゃねぇのか?」
「両親がそれぞれ別の会社を持っているって事?」
「あー、そのぉ……」
 純粋な興味で矢継ぎ早に聞いてくる二対の瞳。
 気圧され、しどろもどろになる泉は、名字に関する美津子の問い掛けを、上手く流せなかった自分を呪う。
 けれど同時に、明るく朗らかな美津子のスポンサーが、自分の父と同一人物か尋ねられたなら、その都度同じ答えを返すだろうとも思った。
 即座に否定するだろう、と。
 かといって、そこまで馬鹿正直に告白するつもりもない。
 緩まぬ追撃から逃れるべく、愛想笑いを浮かべた泉は、掲げた両手の平を両隣の竹平と美津子へ向けた。
「えとですね、母は父と似たような役職で、でも規模が違うんです」
「規模?……ああそうか。そうだよな。悪ぃ、泉。何か俺、すげぇ話デカくしてたわ」
「お? なになに少年? 一人だけ何かに気づいた顔しちゃって。イヤらしいわぁ。お姉さんにも教えてご覧よ」
 二つ三つ年下に見える美津子から、「お姉さん」という一人称を使われ、竹平の顔が鬱陶しそうに歪められた。
 それでも竹平は自己完結させる事なく、会話の中で察した泉の両親の立場を説く。
「要するに、社長って役職名が悪いんだよ。それだけですぐに大企業想像しちまうからさ」
「ああ、なるほどね。確かにシャチョーさんて何処にでもいるわ」
「……あんたの言い方だと、もっと安っぽく聞こえるんだが」
「まあ少年。お姉さんのニュアンス違いに気づけるなんて、中々に業界人――んんんんん?」
「な、何だよ?」
 竹平の話に感心したのも束の間、四つん這いになった美津子は、赤い髪の少年が怯むのにも構わず、至近までにじり寄っていった。
 これには自分の身の上話に固くなっていた泉も、今し方のやり取りを忘れて息を詰める。
 竹平が逃げを思い出して地を掻くものの、ほとんど覆い被さった状態の美津子は、豊かな胸を荷物のように水色の胸の上へ置くと、唇が触れ合うほど間近でじっくり、眉目秀麗な顔を眺めた。
「ねえ」
「な、何だっ?」
「貴方…………………………ひょっとして、俳優のシン? すっごい音痴の」
「ぐっ。……くっそ。ああそうだ。俳優のシンだよっ。すっげぇ音痴のなっっ!」
「「「あ、認めるんだ」」」
「お前ら?」
 やけっぱちに叫んだシンこと竹平に対し、美津子どころか泉、そしてワーズまでもが感嘆に近い声を上げた。
 問うてきた美津子が言う分にはまだ納得できただろうが、予期せぬ二方向からの言葉に、茶色の瞳が剣呑な光を帯びる。
 気づいた泉は中身の伴わない笑みを浮かべ、繕うように両手を上げた。
「いや、だって竹平さん、自分は音痴じゃないって、元居た場所でもここに来てからも言っていたじゃないですか」
 次いでワーズがへらへら笑いながら言う。
「ボクは前に一度だけ、シン殿が自分を音痴だって言ってたの聞いたけど、状況が状況だったから、その場の勢いだけだと思ってたよ」
「くっ、このっ」
 依然として美津子にほぼ押し倒された竹平が、その存在を忘れたていで憎々しいと唸った。
 しかし完全に忘れた訳ではないのだろう、更に美津子が距離を詰めてきたなら、「ひっ」と小さく声を零し。
「生きて、いたんだね」
「……は?」
 思わぬ言葉を耳にし、驚いて目を丸くする竹平。
 見届けた後でようやく身体を起こし離れた美津子は、きょとんした顔つきになって後、怪訝に首を傾げた。
「えっと、もしかして分かってない?」
「あ? 何の話だよ」
「何って、貴方自身の話」
「俺? 俺が何だって」
 意味深にも言いにくそうにも聞こえる美津子の口振りへ、竹平が苛立ち混じりに困惑の表情となれば、ますます眉を顰めた彼女は告げた。
 どうして分からないのかと、半ば怒りを滲ませるように。
「だって俳優のシンっていったら、行方不明になっているじゃないの」
「「行方不明!?」」
 今度は泉と竹平が同じタイミングで大声を出し、顔を見合わせ、もう一度美津子を見やった。
 毎日会っているせいか、行方不明と言われてもピンと来なかった二人だが、よくよく考えてみればその通りだと互いに納得した。
 と、そんな二人の理解を察したかのように、半ば呆れ顔の美津子が続けて告げる。
 能天気な当事者へ、もっとしっかり自覚しろと発破をかけるが如く。

「驚くとこ、可笑しくない? 一年半も行方知れずだっていうのに」

「え……」
「いちねん、はん……?」
 昼夜の流れはあっても時の停滞した奇人街。
 その本当の意味を今この時に体感した二人は、互いを見返す気力もなくただ茫然と、不思議そうな美津子の姿を見つめ続ける。

 

 


UP 2010/7/7 かなぶん

修正 2018/3/15

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