妖精の章 六十七
ワーズから魔法と聞かされ、心底驚いた泉。 けれど、泉へは座るように促しながら、自らは岩壁に寄りかかるだけの史歩が、「巫術というのはまじないの一種でな」と話し始めたなら、内心で首を傾げた。 (まじないって確か、前に史歩さんから聞いた気が。それで史歩さんの居た場所は私と違う、って思った気がするんだけど……いつだったかしら?) そう思って記憶を漁り始めた直後、史歩が「そういや」と口にする。 「いつぞやだったか、物のついでで私の居た場所については、多少なりとも話していたな」 「へ? そうでしたっけ――って、あ」 考え込んでいたせいで、相手を忘れた言葉が出た。 慌てる泉だが、史歩は片眉を上げただけに留めると、つれない返答へため息をついた。 「まあ、私ですらいつのことだったか覚えていないくらいだ。それなりに前のことなんだろう。仮にお前が奇人街に来て間もなくのことだったら尚更だな。奇人街のこともままならないというのに、日々の生活に関係のない場所の話など、事細かに覚えておけという方が無茶だ」 「はあ……あ、すみません」 しみじみ語る史歩に、またしても呆けた返事をしては謝る泉。 史歩は再度ため息をつくと、頭を振って話を戻す。 「今からする話も、別に覚える必要のない話だ。お前には物珍しくとも、私にとっては単なる過去だからな。忘れたところでどうとも思わんよ」 そんな風に前置いた史歩は、泉の返事を待つことなく話し始めた。 「一応言っておくが、まじないとは人の身とは異なる力を扱う法のことだ。巫術はその中でも、神の御力を借りるものを指す。正直、私と一番相性の悪い術だな」 (……分かる気がします。怖いから言えないけど) 泉は堪えるように一度口を結ぶと、ふと思い立って問う。 「神様の力……って、誰でも使えるもの、ではないですよね?」 史歩から教えて貰ったはずの彼女の元居た場所の話は、指摘を受けてもうろ覚えのままだが、先程のことなら記憶に新しい。聞き違いでなければ、泉が紅珠玉を使った話を聞いた際、史歩は「巫術も使えん人間」と言い、それを「只人」と表現した。つまりは少なくとも史歩の居た場所には、巫術を使える者と使えない者がいるということになる。 この問いに史歩は頷いた。 「ああ。巫術に関しては、その神に仕える神子でなければ扱えん」 「え…………と、ミコ……?」 「ん? ああ、その言葉はお前のところにないのか。神子とは先に述べた通り、神に仕える一族の、そうだな、大体は長子が授かる職だ」 (いえ、言葉自体は知っているのですけれども……音的には巫女? それとも神子?……どちらにせよ、史歩さんが…………神子……) はっきり言おう。泉がその言葉を聞いて想像する姿から、史歩は誰よりもかけ離れていた。魔法と聞いた時よりも、ショックの度合いは大きい。 (もしかして……神様は神様でも、鬼がつくとか?) 一縷の望みを掛けて、そんな推測に真を見ようとする。 これを嘲笑うように、史歩は言った。 「我が一族がお仕えしていたのは、不浄を払い清める神だ。顕現される御力はこの髪に宿るような炎だが、本質は光。清浄なる光を持って、あまねく大地に安寧を与え、人々を慈しむ」 「…………」 自身の神を語る史歩の表情は、柔らかくも複雑なものだったが、泉の目には終ぞその姿は映らなかった。ただただ(鬼ですらないなんて……)という、愕然とした思いがあるだけだ。 幸いにも、正気を疑うような泉の目は史歩に届かなかったようで、ふっ、と笑みにも似た短い息をついては首を振る。 「まあ、私には過ぎた神だがな」 「そうで――すか」 「ああ」 危うく(そうですね)と言いかけて飲み込む。 泉は動転した気を逸らすように、薄布の内側に留まる火について問うことにした。 「え、ええと、でも、今は使えないんでしたよね? 借りることができないってことですか?」 「ああ。ここに来る前に、ちと面倒な相手に絡まれてな。身代わりになって貰った。私としては今生の別れになると思ったんだが、まだ懲りずに守護してくださるらしい。尤も、本体が贄になっている真っ最中では余力がない。アレに喰らい尽くされるまでは、この一灯で知らせるのがやっと。巫術が戻るには今しばらく時間が必要だ」 「……はあ」 基礎知識から違うせいか、いまいち要領は得ない。だが、「身代わり」やら「今生の別れ」やら、「懲りず」「贄」などの言葉から、史歩がこの力を持て余していることは察せた。 反面で、神子の名の通り、敬っていることも。 それゆえに、頷く以外の声が出ない泉は、史歩に改めて神子の要素はあるだろうかと見直し、見慣れた袴姿、特に上に纏う白い着物へ目を止めた。 「前に聞いていたら申し訳ないんですけど、それじゃあ、その白い着物の、鎖みたいな模様も巫術なんですか?」 「うん? ああ、これか。そうだな。厳密には違うが、この着物にも巫術のような力は宿っている。斬撃や刺突に破れず、火に焼けず、水を吸わず……とにかく、丈夫だ。この冬山で平気なのも、コレのお陰だしな」 「へえ、便利なんですね」 「確かに便利ではあるが、油断は禁物だ。いくら着物が丈夫でも、中身まで無事という保障はない。特に、衝撃はよく響くからな」 「…………」 軽く言う内容だろうか? 単なる性能の説明というより、実感の籠もった口振りである。 泉は無意識の内に、史歩が着物越しに見ているのと同じ右腕を摩ると、意識を逸らすように、彼女が身につけている藤色の薄布や白い手袋へと視線を向けた。 「そ、それじゃあ、その藤色の布や手袋も?」 「ああ。この手袋はコイツと同じだ。だが……コレは違う。この布は、我が師から賜ったものだ」 「師……? 史歩さんには、師匠がいたってことですか?」 史歩から聞くにしては、新鮮な響き。不思議に思ったまま尋ねれば、尋ねられること自体が驚きだと言わんばかりの顔で史歩が頷いた。 「そりゃまあな。神子と言ったって、巫術を除けば基本的に只人と変わらん。最初から刀が扱える訳ではないさ。まあ、だからこそ、あの方に助けられ、弟子になることを許されたとも言えるが」 「助け……?」 またしても史歩に似合わない単語を聞き、眉根を寄せる。そんな泉に苦笑した史歩は、ため息交じりに言う。 「私の元居た場所は、奇人街ほどではないが、あまり治安が良くなくてな。自然が多い場所ゆえに、賊が潜むことも多かった。で、ある時ソレに捕まり、遊び半分に殺されかけた」 「…………」 さらりと語られるにしては重い話だが、驚きはそこまでない。奇人街の常識というよりも、身についた常識として命のやり取りを語る史歩に、(もしかしたら)と感じていたことが大きいだろう。先のツェンの話を種単位で括るなと嫌悪する様子から、史歩の元居た場所は、奇人街に近い場所なのではないか、と。 それでも、聞いていて楽しい話ではない。顔を強張らせる泉に対し、史歩は変わらぬ調子で淡々と続ける。 「使おうと思えば巫術も使えたんだがな。あの場にいたのは私だけではなかったから……そんな時だ、あの方が現われたのは。状況的に常人ではありえない現れ方だったんだが、賊は物知らずというか、多勢のくせに頭の回る奴は一人も居なかったんだろう。あの方を見たまま人と思って襲い、あっさり討伐された。相手が大妖ならば当然の結果だが」 「タイヨウ?」 「ああ、大妖だ。私の師は、人ではない」 そうは言われても、聞き慣れない言葉である。何かしらの種族なのかと、泉が更に眉根を寄せれば、過去語りを切り上げるように、史歩が嘆息混じりに説明する。 「大妖は神と同等の力を持つ存在のことだ。いや、正確には大妖と神は同一のモノだな。分別は人間が決めたモノに過ぎん。この二つの違いは、神が神子を通さなければ意思の疎通が難しく、ゆえに遠い存在であるのに対し、大妖は人語に長け、ゆえに人と関わりやすい、といったところか。まあ、人語を介せたところで、大妖は言う程親しい存在ではないがな。どちらにせよ、神も大妖も、敬い畏れる相手であることに変わりはない」 「へえ……不思議ですね。人が畏れるのに、人との接し方で呼び方が変わる、なんて。大妖には、神子みたいな人はいないんですか?」 「ん? ああ。眷属はいるが、人間は…………?」 ふと思い立った疑問を口にすれば、史歩が次第に考え込む顔になる。 「史歩さん?」 「ああ、いや。そんな訳だから、師から賜ったこの布も、見た目とは違って防寒に優れている。ともすれば、この着物や手袋よりも、もっと……」 話を戻すように言うが、心あらずと言った様子の史歩。 度々言いたいことを飲み込んできた泉は、特に気に障るようなことは言ってなかったはずと振り返りつつ、それとなく尻の位置をずらす。気づいた様子のない史歩は、いよいよ何かしらの考えに籠もっているらしい。話しかけない方が無難かもしれない。 と、そんな泉の判断を待っていたかのように、背後で動く気配。 ぎょっとして身体ごとそちらを向けば、シウォンが身じろぐ場面に出くわした。 (え、エン先生……!) 目覚めの予兆を感じ、戸惑う目が医者の姿を洞窟の出入り口に探す。 別にシウォンの目覚めを恐れている訳ではない。 いや、泉の返答に引かず、それどころか更に迫る様子には、今も妖しげな怖気を感じてはいる。感じてはいるが、だからといって、すぐさま嫌悪感に直結するものでもなかった。単純に好意を寄せられているせいなのか、それとも相手が数多の女を酔わす艶福家ゆえか。 さておき、ならば泉が何を恐れているのかと言えば、目覚めたシウォンが再び迫ってきた場合。間違いなく起こるであろう、史歩との対立である。しかもそれは、双方の性格上、互いの生死でもって勝敗を決するものになるはずだ。 ただでさえ、目の前で行われる殺し合いなど見たくないのに、その理由に自分が関わってくるなど、恐ろしいことこの上ない。 仮定の話ではあるが、可能性は消しておきたかった。 すると、そんな泉の焦りを感じ取ったタイミングで、美麗な鬼火が出入り口から顔を覗かせた。 「! エ――」 ン先生、と続く間もなく、両手いっぱいに棒状の物を抱えたエンが、思いっきり裾を踏んづける。と同時に、エンの両腕が上がり、幾つもの棒が宙に舞った。 ガラガラガラガラガラ…… びったんっ、という音が似合いそうなほど派手に転んだエンの前方に、雪崩のように散らばる木の棒。 「え……ええと?」 どう見繕っても、エンが両手で抱えていた以上の棒の数に気圧された泉。はっと我に返っては、起きる様子のないシウォンを確認し、倒れたままの白衣へ駆け寄っていった。 * * *
エンによると、彼の炎は掃除以外では、使い勝手が良くないらしい。 |
UP 2019/06/05 かなぶん
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