幽鬼の章　十一

　洗濯する傍ら、ついでに洗面所で洗顔と歯磨きを終えた泉。必要な道具はこれまたワーズが洗面所にあらかじめ用意しており、泉が洗濯機へ洗濯物を放り込んでいる最中に教えて貰っていた。
　尤も、状況が状況だけに、わざわざ二階へ上がってきたワーズを、顔も見ずに追い返す羽目になってしまったが。
　それもこれも、下着を見られたくない乙女心に加え――
「うわ……まだあったの？」
　洗い終わった洗濯物を宛がわれた部屋にて干していた泉は、手に取ったソレにうろたえ、顔を赤くした。
　未使用であることを示すためか、下着には一つ一つ値札らしきものが付いていた。これを一つ一つ外す過程で、イヤでも目につき、だからこそ省いたはずの形状は、よくぞ隠れていたと感心するほど過激なデザイン。
　一瞬だけ、クァンの趣味、という可能性が浮かんだものの、着るのは泉だ。全く面識のない相手に、いきなりこんなモノは選ばないだろう。
　どちらかと言えば、渡された金額分を適当に入れた、と考えた方が自然だ。
（……全部分けたと思ったのに）
　濡れたモノをそのまま放置する訳にもいかず、自分用の下着と離して干してみたは良いものの、二つ三つに収まらない品々は目のやり場に困ってしまう。
　逃げるように次の洗濯物へ手を伸ばし、極力視界に入れないように努力する泉だったが、
「うっ……」
　全て干し終わった室内を改めて見た途端、変な呻きが泉の喉を鳴らした。
　下着の隣で揺れる、新品同然に綺麗になったセーラー服と――黒い、男物の服。
　それも、双方着用者が決まっているとなれば、想像たくましい思春期の娘には、いささか刺激が強すぎた。そこに誰のモノでもない、過激な下着が入ってきたなら、もう……。
　泉は目の毒にしかならないソレらから、そっと目をそらすと、乾燥機もあれば良かったのに、と贅沢な息を吐き出す。
　あるいは外の空気さえ悪くなければ、下着はともかく服を干せたのに。
　とはいえ、あの陽は奇人街の自然環境がなせる業、人がどうこうできる領分ではない。
　不便だが、致し方なし。
（……って、あれ？）
　何故か納得する自分に、ある疑問が湧いた。
（なんで仕方ないって思うの？　だって私は――！）
　思い至るなり、急いで一階に戻った泉は、黒い姿をソファに見つけてその名を呼んだ。
「ワーズさん！」
　ソファで寛いでいた黒い男は泉の姿を視界に入れるなり、へらへら笑いに嬉しそうな色を乗せる。
「やっぱり女の子は色付きが似合うねぇ」
「あ、ありがうございます……じゃなくてっ！」
　ついつい照れが先んじた泉。慌てて頭を振ると、身を乗り出すように問う。
「私、いつ帰れるんですか！？　それに、どうしてここにいるんです！？」
　今更ながら尤もな質問である。
　何故、昨日、最初に尋ねなかったのか。
　ここにいる理由はともかく、願わくば今すぐにでも帰りたい――はずなのに。
　そんな泉の突然の問いかけに目を丸くし、少し考える素振りを見せたワーズは、身を起こしながらのんびりした声音で言う。
「なんでって聞かれても、ねぇ……帰れるのはたぶん、早くても一ヶ月ぐらい後じゃないかな？」
「え、一ヶ月って……？」
　思った以上に長い時間だった。
　茫然と反芻した泉に、ワーズが心配そうな顔でソファを譲る。誘導されるまま座り、無情な事実に打ちのめされる泉は、未だ混乱冷めやらぬ額へ手のひらを押し付けた。
（一ヶ月……早くても一ヶ月って、じゃあそれ以上かかるのが普通ってこと？　どうして私が、こんな……ううん、それ以前にこんなところで一ヶ月以上もどうやって）
　そうして悩む頭にふと浮かんだ疑問。帰ることは一先ず置いておくとして、気を取り直すようにして顔を上げれば、椅子を跨いだどこか嬉しそうな顔とかち合った。
　不意を衝かれて息を呑んだが、目一杯不機嫌な顔を作って応戦する。
「ワーズさん、さっきの従業員の話なんですけど……」
「ああ、何をするかは徐々に覚えてけば良いから」
「そうじゃなくて！……私がいつ、従業員なんかやるって話になったんですか？」
　喧嘩腰を多分に含ませても、ワーズの顔は緩んだまま。
「んー、やるっていうかね、芥屋に来た時点でそういう扱いになるんだ、人間は。問答無用でね。じゃないと、奇人街じゃある程度の命の保障すらないからさ。結構使えるんだよ？　芥屋のモノって肩書きは」
（！　さっきの！　ボクのっていうのは、そういう意味……）
　攻撃的な姿勢だったのが、変な肩透かしを喰らった気分で泉はソファに身体を沈めた。次いで薄っすら感じた惜しむ気持ちに、自分は何を考えていたのかと顔を覆う。勝手に赤らむ頬に、溜息混じりでぼやいた。
「恥ずかしい……今すぐ死にたい気分だわ」
「えええ！？　泉嬢、本気かい？――わわっ」
　がたんっ、と大きな音に驚いて顔を上げれば、椅子から落ちた男がみっともなく床に倒れている。
　何事かと驚いていると、ワーズが慌てた様子で這いずり、ソファに手をかけて泉の顔を覗いてきた。
「だ、大丈夫だよ？　従業員はそんな難しくないから。猫だっているし、君の身の安全は保障するからね、ね？　生きてりゃ希望の一つや二つや三つや四つや――」
「ワ、ワーズさん？　今のはただの例えっていうか……そんな本気にする話じゃ」
　無限に希望を増やしかねない、余裕のない近い顔に困惑して弁明するが、聞こえない様子。色の一定しない混沌の瞳が、混乱と必死さのみを泉に訴える。
　どうやら「死」という単語は、彼にとってかなりの禁句らしい。
　自分は散々「人間は死ぬ」とか、笑って言ってたクセに。
　やれやれと溜息をつけば、どう思ったものか、今度は身振り手振りを用いて、泉の「死にたい気分」を解消しようと奮闘する。
　初めて見るあまりに滑稽な姿に、泉から苦笑が漏れた。
　これには気づいたワーズは、ほっとした顔を浮かべて、へらりと笑った。すぐに「死」から話題を変えようとでも思ったのか、軽い調子で尋ねてくる。
「その服、苦しくない？　大丈夫？」
「え……？　はい、苦しくないです。丁度い……い？」
　あくまで軽く応えるつもりだった泉は、ワーズの言葉により、この服を着た時に抱いた違和感の正体に気づいた。苦笑が自然と引きつってくる。

　ピッタリなのだ、サイズが。服も、試しに当てた下着の類も、全て。