幽鬼の章 五十三

 

 信じられないほどの柔らかさが喉を通っても、衝撃の涙で味は全く分からない。
 ケホケホ咽たなら、視界の端でワーズがまた、匙を用いて赤い食品を掬う動きをする。
「くっ……わ、ワーズさん!?」
 一応、左手で口を覆いつつ、非難の声をあげる泉。
 咳き込む度響く傷など構っていられない。
 何せ奴は今、銃を持っておらず、両手が使える状態。
 対するこちらは、右腕左足共に少しでも動けば激痛が走るため、ほとんど身動きが取れない。無事な右足を掻いても後ろにしか進めず、利き手でもない左腕一本でどうしろと?
 猫を求めたあの夜、中年を沈めた感覚を思い起こそうとして左手を握っても、状況を打開できる力強さは感じられなかった。
 と、急に肩を落として溜息を零す、目の前の男。
 寂しげな微笑まで浮かんでおり、泉は一瞬左手を離しかける。
 だが、はっと我に返っては口元をしっかり覆い直した。
「あのねぇ、泉嬢?」
 言いくるめる口調を察し、騙されるものかと目を険しくさせる。
 断固拒否。そんな強い意志を泉が見せたなら、ワーズは一瞬きょとんとして後、へらり、いつものように赤く笑う。
「こんなボクでもさ、心配はするんだよ。今日はさ、熱もだいぶ下がってたから、本当はすぐにでも声を掛けて、早く泉嬢の無事を確かめたかったけど……泉嬢言ったよね、眠いって」
「え、言って――」
 反論しかけた声が止まった。
 高熱に潤んだ暗闇が途切れる直前、そんなことを言った気がする。
「うるさい黙れって言うからね、泉嬢が寝込んでいる間、住人相手にまともな商売してたんだよ? 人間以外大っ嫌いな、このワーズ・メイク・ワーズが。猫がいるから休業も出来ないし……」
 どんより曇った気配がワーズから漂い、けれどその顔は笑ったまま。
 そこで泉は気づく。
 変わらないワーズの様子と思っていたが、目元が、混沌の色が、闇に紛れて見えない。
 途端、ぞくりと這う悪寒に従い、無事な足と腕を用いて億劫な身体を後ろへ下げる。
 ほどなく背を打つ窓下の壁。
「え……と、その、ワーズさん? あの時は熱に浮かされて、口走っただけで!?」
 宥める愛想笑いは功を奏し、闇の合間から微笑む混沌が現れた。
 ほっと胸を撫で下ろす――隙が狙われた。
「むっ!?」
 レンゲから口の中いっぱいに広がる粥の味。
 うまみを多分に含んだ米の甘みと滑らかな舌触り、歯に当たれば肉と分かるのに、解ける柔らかさは粥を邪魔するどころか、上質な肉の味わいをもたらしてくる。
「美味しいでしょ?」
 にっこり笑う顔が至近にあって、泉は頷きかけ――ぶんぶん首を振った。
 美味しいが、吐き出したい。
 吐き出したいが一度口に入れた物は、例え崖から突き落とされても出してはいけないと、 幼い頃より教わり叩き込まれた身。
 ごっくんと飲み干せば涙がじんわり滲んできた。
「い、いきなり何するんですかワーズさん、酷いで、す……?」
 もう一度左手で口を覆いかけた泉だが、白い面の横に頭から伝う乾いた錆色を見たなら、それへ手を伸ばしていた。
 触れれば慄くようにビクンッと一回跳ねる、ひんやりした肌。
 混沌は見開かれて「泉嬢?」と呼ぶ声が戸惑いを含む。
 けれど泉は構うことなく惚けた顔で、労わる手つきで錆色をなぞった。
「ワーズさん……頭に怪我でも?」
 まだ乾ききっていないどろりとした感触を受け、ワーズの頬に手を這わせる。
「……泉嬢」
 窘めるような声音を聞いても泉の気は晴れず。
「はい、あーん」
 へらっと笑う言葉につられ、つい、口を開けてしまった。
「んぐ」
 今度はしっかり咀嚼し、味わう。
 瞬間的に沸騰する怒りから口を開けば、また粥を入れられた。
 美味しい欲求と嫌悪する理性の板ばさみで混乱すれば、その合間を縫って運ばれる粥。
 わんこそばの要領で泉の口へせっせと粥を投入するワーズは、左手が止めるよう黒い袖を押さえても動じない。
「やっぱり目玉入りの薬膳茶は効果あるねぇ。起きてすぐ、こんなに食べられるんだから」
「!」
 最後の一掬いを口に流し込んでから、意識がない内に呑まされた薬膳茶の中身を知る。
 薄っすら涙が浮かぶ。
 文句は言いたいが、まずは口の中のモノを処理しなくては。
 美味しくて辛い、複雑怪奇な食事に集中しつつも、所業を忘れまいとワーズを睨みつけていたなら、血色の口がぱっくり開いた。
「っ!!?」
 止める間などなく、そこへ迎えられるレンゲ。味わうようにもごもご動く頬に、先ほどまでソレで強制的に食事をさせられていた泉は、真っ赤になってしまう。
 ごくり、音を立てて呑み込み、
「ワ」
「うわ、泉嬢、口の周りが真っ赤っか」
「げ」
 指摘され、抗議よりも羞恥を優先して左腕で拭おうとする。
 けれど一瞬、ほんの一瞬だけ、服で拭った血は綺麗に落ちるかしら、と躊躇ったなら。

 ぐっと下げられる腕。
 何度も頭を小突く、シルクハットのツバ。
 ひんやりした感触は柔らかく優しく――丹念に。

 泉の腕を離し、ぺろり、自分の口周りを舐めるワーズ。
 それからタオルを取り出しては顎を持ち上げ、泉の口元を綺麗に拭きつつ、
「ダメだよ、泉嬢。言ったでしょう? ソレ、すんごく美味しいって。服なんかで拭っちゃもったいないもったいない」
 茫然とする少女へ笑いかけては、指の腹でべたつきの有無を探る。
 くすぐる往復にも何の反応も示さない泉へ「綺麗になったよ」とへらり。
 土鍋を持って「片付けてくるね」と呑気に言う。
 扉を開け、廊下へ出る直前。
 気づいたように立ち止まって告げた。
「そだ、泉嬢。お裾分け、ご馳走様」
 他意はない。
 純粋に、粥の美味さからそう言っただけ。
 けれど泉はその後しばらく、ワーズを見る度に痛む腕も忘れて暴れ、落ち着いたなら自ら進んで食事を摂るようになった。

 その都度赤くなる彼女の頬は不可解で、ワーズはへらり笑いながら、困惑する。

 

幽鬼の章・完

 

 


UP 2008/6/20 かなぶん

修正 2021/05/05

目次 幕間

 

 

 

 


あとがき(加筆修正2)

下のあとがきを参考にすると4回目のあとがきになるようです。
レイアウト変更後、しばらく放置していたところへ、最近はスマホで読むのが一般的と知りまして、カクヨム様誘導にてどうにかならないかな、それなら一度全部直してみようかな、となったのが、今現在の経緯だったりします。サイトをスマホ用にするよりも、既存のサイト様頼りにした方が読みやすそうとかなんとか。まあ、スマホ用に弄る時間があるくらいなら、更新した方が良いんじゃないかと、グルグル悩んだ挙句、結局最新話は未だに停滞気味という有り様で、大変申し訳ない限りですが。
……とまあ、言い訳染みた反省文はこのくらいにして。
ほぼ初期作のため、実はまだまだ変えたいところはあったりするのですが、最初の頃の勢いだけで突っ走っている感じも、手前味噌ながら良いと思っているので、そこら辺はそのままです。けれど、地の文の投げっぱなしっぷりや、現在の設定と違うところは多少手直しさせて貰っています。あとはここおかしくない? という配置問題なんかも諸々。
意識的に加筆したところは、幽鬼に追われる住人男の場面です。何か訳の分からない思いに駆られて、以前より悲惨な末路になってしまいましたが、幽鬼の非情さというか気持ち悪さが少しでも増していたら良いと思っております。
以前は虫入りチーズとか、現実にあるモノを持ち出してグロさをかさ増ししていたんですよね。懐かしい。
とはいえ、その辺はそのまま掲載続行しておりますが。やっぱりあの頃の悪あがきも大事にしたいので。
惜しむらくは、↓のあとがきが3回目分しかなさそうなところでしょうか。その当時の考えはその時にしか書けないので、今の私からするともったいない気がしますね。漁ればどこかに在りそうな気もするのですが、ちょっと時間が掛かりそうなので止めときます。
幽鬼の章自体の内容については↓に任せるとして、4回目のあとがきはこの辺にて。

2020/04/16 かなぶん


あとがき(加筆修正)

以上で幽鬼の章は終了です。ありがとうございました。

そんな訳で計3回目のあとがきなんぞ。……回数はお気になさらず。
奇人街を書くにあたり最初に出て来たコンセプトは、各話紹介でも書いたとおりグロを目指そうというものでした。程度は三流ホラー風味で。
そんでもって次に浮かんだ設定は街であって、キャラではありませんでした。瓦屋根で入り組んでて、家が積み重なったような、ややこしい迷路みたいだけれど、見上げれば空があって、でも空気はすこぶる不味い、だだっ広い街。住人は食文化が出来た辺りから、雑多な種族で構成されました。
で、ここに取り込んだのが、実は既存キャラだったワーズです。元々は黒コートの黒髪黒目で妖しい雰囲気の男だったんですが、設定ぐちゃぐちゃつけたら、まあ、あんな感じに仕上がってしまった訳でして。銃で頭ぶち抜いても死なないという設定が一番響いてるんでしょうが。
そんで次に、泉が現れます。ワーズがあれなので視点を担って貰うことに。最初は気づいたら異世界な話ではなかった奇人街。でも泉を人間の枠組みに納めると奇人街の性質上どうしても浮いてしまうため、今の形に落ち着きました。
そうなると生活やら何やら必要で、出て来た芥屋は当初、何でも屋でした。ただ、そうするとワーズが人間好きの人外嫌いという設定上、依頼するヤツも了承もないだろうと気づき、グロだしってんで食材屋へ。仕様もない転職です。
猫は動物が欲しいな……とか考えて浮かんだ存在ですが、気づけば最強の地位を欲しいがままにしてます。
猫に惚れてる史歩は、最初からベタ惚れでしたが、位置づけは完全な脇役でした。でも設定が設定だけに、ただの脇役じゃ勿体ないだろうと考え、人物紹介では泉の次の位置を獲得しております。泉挟んだ上が猫だったりする辺り、想いはどこまでも空回りです。
他キャラの設定やらはその内どこかで語り倒したいと思いますが、今回はここまでで。
して、幽鬼です。雑魚キャラ目指して出来上がった当初から、今ぐらいの強さだったりします。
普通の人間や住人相手ではどこが雑魚だ!って話ですが、猫や史歩からすれば手軽に狩れる美味しい愛い子。
書いてる最中、何故かタコを髣髴とさせ、そこはかとなく食欲をそそってきます。やってることはえげつない……はず。
結構愛着のある化け物です。
幽鬼の章、加筆前は十程度だったのに、削ったエピソード付け加えて気づけば二十って、どれだけ削ってたんだ自分。無計画にも程がある。
次章はそうならないよう気をつけつつ、ちょいとばかりPRでも。

次章は人魚(メイリゥニ)の章となります。
でもメインは大方人狼です。泉がちょいと危ない目に会います。
ワーズはほどほど活躍し、猫はちょこっと活躍。
史歩も少々活躍しますが、あとはほとんど新キャラに喰われそうです。
主に出番とか。
ただしクァンは大活躍。
シイ・スエもちょこちょこ出ます。
キフとラオは微々たる出番で、それでも一応あったり。
加筆はもうこりごりなので、長くなる可能性、大です。

ここまで読んでくださった方、お疲れ様です&有難うございました。
奇人街狂想曲 幽鬼の章、少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。

2008/6/20 かなぶん

修正 2009/7/4

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