綾音泉が目覚めると、そこは真っ暗な空間だった。

 

王様

 

「……ええと」

 今まで碌な目にあっていなかった経験から、パニックには陥らず、困惑だけを示す。

 頬を指で掻き掻き、ぐるりと辺りを見渡した。

 けれど、やはり目ぼしいモノのない、暗がりだけが広がっており。

 しかしながら、手元や自分のアオザイに似た白い服は、きちんと識別できる。

「……そ、そうだ。ワーズさぁん!」

 よく分からないモノを判別するには、よく分からない人に頼るのが一番だ。

 かなり失礼な結論を導き出した泉は、芥屋の店主の名を呼んでみた。

 この暗い空間に、彼がいると絶対の確信があったわけではない。

 ただ、こういう場合に、呼ぶべき人の名が彼しか浮かばなかっただけで。

 すると返ってくる声がある。

「なんニャ」

 だがそれは、聞き慣れない子どもの声。

 しかも、足元からやってきた。

 慌てた泉は一歩後退しつつ、目線を下げた。

 こげ茶の瞳が捉えたのは、

「…………猫?」

 泉を事ある毎に助けてくれた、黒い影の獣がそこにいた。

 こちらを見る金の眼の背には、銀の蓋が被せられた大皿が乗っている。

「ニャ? 何故、ボクの名前を知ってるのニャ?」

「しゃ、喋ったっ!? しかもさっきの声!」

 もう一歩、後退する泉。

 彼女が暮らしている奇人街には、ネコのような顔で人語を解する者もいるが、どれも決まって二足歩行。

 四足のモノは、奇人街で最強の地位を占める猫ですら、意思の疎通は出来ても喋りはしない。

 自分でも大袈裟と思うくらい身構えてみせれば、猫似の猫は、人間臭い溜息を吐いた。

「大袈裟な子だニャー。まあ、いいけど。用がないニャら、さようなら」

「あ、ま、待って下さい!」

 背を向けて歩き出す猫の尻尾を、むんずと掴まえる泉。

「ぷニャっ!?」

 途端、影が逆立ち、猫の身体が地に足をつけたまま曲線を描いた。

 それでも背中の大皿がビクともしないのは、猫の為せる業だろうか。

「な、なにするニャっ!?」

 驚いた猫は尻尾を大きく振り、泉の手から逃れる。

 身を翻しては対峙。

 完全に警戒されたていの泉、尻尾に関し謝罪して後。

「あ、あの、ここってどこですか?」

「どこ? どこと言われれば、食堂ニャ」

「食堂?」

「そう。ボクらの王様が食事を摂るところニャ」

「オウサマ?」

「そう。ボクらのトップ。王様は好き嫌いしニャいから、なに作っても問題ナシニャ。開けて見るニャ」

 言って、先程までの警戒はどこへやら、泉の足元まできた猫は、くるりと背を向けた。

 じっと動かない様子から、大皿の中身を見ろということらしい。

 戸惑う泉は、とりあえずしゃがみ、逡巡数秒、恐る恐る蓋の取っ手に手を伸ばした。

 ちょんっと触っては、熱くないのを確かめるように、静かに取っ手を握り――

 一息に開けた。

「うっ」

 そして閉める。

 しゃがんだ状態のまま、大きく後ろへ飛び跳ね、まだ足りないと身を仰け反らせた。

「い、生きてる……」

「そうニャ。今度は踊り食いニャ」

「こ、今度は?」

 妙に引っかかる単語を繰り返せば、泉に向き直った猫がまたも、人間臭い溜息をつく。

「王様は何でもよく食べるのニャ。好き嫌いがないのニャ。だけどそれは、美味しいと感じない、感じてもどれもが同じ感じ方しか出来ないという話なのニャ。だからこれまでにも、煮たり焼いたりしてお出ししたのニャ」

「……煮たり焼いたり」

 どちらにせよ、猫言うところの王様の食事は、泉が食べたいと思う類ではない。

 吐き気を抑えるように口を押さえたなら、猫は残念そうに首を振った。

「でも、やっぱり反応は同じニャ。ボクらはそんな王様のために、毎日趣向を変えているのに、王様は変わらないのニャ。残念ニャ。この行列も、ずっと続いているのニャ」

「行列?」

 つと他方を向いた猫に合わせ、泉もそちらを向いた。

 が、あるのは真っ暗な空間ばかり――

 否、よくよく目を凝らせば、背に似たような大皿を乗せた猫たちがいた。

 どれも等間隔、一列に並んで、ゆっくり前進している。

 なるほど、だからボク“ら”なのね。

 仕様もないことに理解を深めた泉は、はたと気付いて猫を見やった。

「そうだ。あの、あなた方の王様事情は分かったけれど……私、芥屋に帰りたいんです。どうやったら帰れるか、分かりませんか?」

「しふぁんく? んー、ボクは知らない」

「そうですか……」

 あっさり首を振られた泉は、がっくり項垂れる。

 同じ姿、同じ名であっても、やはり彼の猫とこの猫は違うらしい。

 これに対し、猫は軽い調子で謝り、「そうだ」と言った。

 泉が顔を上げると、猫の顔が笑みの形を取る。

「それじゃあ、王様のところへ行けば良いニャ。王様、王様だから、ボクらより色んなことを知ってるよ?」

「はあ……でも、良いんですか? 王様なのに、一般人とか、自分で言うのも何ですが、怪しい人間に会わせたりして」

「大丈夫ニャ。王様にはそんな配慮、必要ないのニャ」

 この国は余程犯罪が少ないのだろうか。

 危機管理がなっていないような気がする。

 それとも王様が屈強な大男で、身の危険もあまり感じない人なのだろうか?

 神経質過ぎても困るが、鈍感過ぎても困る。

 けれど泉はここに暮らしておらず、実際に暮らしている猫たちは問題視していない。

 これはこういうものだと納得しておけば良い。

 とはいえ、なんとなく感じた疲労感から息を吐き出す泉。

 深く吸い、また吐いては、猫に王様の居場所を尋ねた。

 

 

 とぼとぼ、言われた通り、猫の行列の横を行く泉。

 どの猫も、泉が視界に入っても興味を惹かれることなく、真っ直ぐ前だけを見つめている。

 供をしてくれると思った猫は、最後尾まで行って、並んでしまった。

 なんでも、給仕である自分が列を乱すわけにはいかないらしい。

 やはり、自由気ままを好む猫とは違う。

「それにしても……長い列」

 だいぶ歩いたが、辿り着く気配は一向にない。

 唯一の救いは、不思議にも全く疲れを感じない身体のみ。

 精神的にはそれなりに参っていた。

 こうなってくると、人間、他のモノに興味をそそられてくるもの。

 そして泉の興味は、猫たちの背に乗せられた料理へと向けられた。

 先程の猫は見せてくれたが、果たして。

 試しに聞いてみた。

「あの、すみません」

「ニャ?」

 歩みは止めず、金の眼がこちらを視界に納める。

 よそ見しても列を乱さず、皿も落とさない器用な猫は、瞬きを数度繰り返した。

「おお。珍しいニャ。御客人かニャ? それとも王様にご用かニャ?」

「はい、王様にご用なんですけど……その料理の中身、聞いても良いですか?」

「王様にご用ニャら、知りたいものだしニャ。でも、自分で見ることをオススメするニャ」

「はあ……」

 顎でくいっと背を示され、泉は恐る恐る蓋を開け――――閉めた。

「…………あ、あの、王様って、どんな人なんですか?」

 ちょっぴり涙目になって聞けば、猫は前を見て、こちらへ視線を戻し。

「んー、料理のことかニャ? 王様は色んなモノを食べたのニャ。でも反応が変わらない。だから、もう随分前から、ゲテモノばかりになってるのニャ。ちなみにボクらは食べないのニャ」

「……へぇ。あ、ありがとうございます」

 これから会いに行く王様を思えば、引き攣る笑顔で会釈する泉。

 猫は笑うように目を細めて言う。

「王様によろしくニャ」

「あ、はい。……でも私、あなたのこと、紹介出来るかどうか」

「紹介なんかしなくていいニャ。君がよろしくなところに意味があるのニャ」

「はあ……」

 よく分からない説明だった。

 誤魔化すように頭をもう一度下げ、再度、猫と同じ方向を歩く。

 

 

「……もしかして、あれが王様の居るところなのかしら?」

 猫たちの先に白いテーブルが見えた。

 今まで見えなかったのに、ぱっと現れたようなそれに向かい、早足で近寄る。

 程なくして、長いテーブルクロスに覆われた、長いテーブルの端っこに辿り着いた。

 この奥、向こう側に、王様という人がいるようだ。

 泉と同じくテーブルまで来た猫たちは、一様にひらりとテーブルの上へ乗っては、背中の大皿を下ろしていく。

 そうしてから、猫たちは王様の居ると思わしき方向を目指さず、周りの暗がりに紛れてしまった。

「……王様が美味しいと思うものを見つけたい、って言ったのに、どこに行くの?」

 首を傾げれば、答えは今しがた大皿を置いた猫より訪れる。

「また料理を探してくるのニャ。王様が満たされたかどうかは、テーブルクロスを見てみれば分かるのニャ」

「テーブル……クロス?」

 見やれば、ずりずりと白い布が移動していると知れた。

「王様が満たされたら、テーブルクロスはもう移動しないのニャ」

 そう言い残し、他同様、猫は暗がりに紛れた。

「…………」

 残された形の泉は、しばらく不安に煽られた。

 が、ここで立ち止まっても仕方がない。

「よしっ」

 意を決し、テーブルクロスが進む方を目指す。

 途中、自分と同じ方向へ進む料理が気にはなったが、中身がゲテモノと教わった以上、不用意に開ける真似はしない。

 第一、ここには見て良いと、了承してくれる相手もいないのだから。

 しばらく歩いていく内に、なんとも形容しがたい音が響いてきた。

 良い解釈をしても、下品な食事風景が浮かんでしまう、マナーのなっていない音。

「……王様、かな?」

 白いテーブルクロスの先を見つめ、ごくり、喉を鳴らしたなら、唐突に見えてきた姿がある。

「あれ?…………ワーズ、さん?」

 驚いた泉は、見知った店主の姿に駆け寄った。

 近づけば近づくほど、テーブルクロスの先で、やたらと背もたれの高い椅子に腰掛けた姿が明白になり。

 そしてそれは、間違いなく、泉の知っている芥屋の店主で。

「!」

 けれど、彼がテーブルクロスをずらし、蓋を外しながら、無心に食べているモノは……

 泉の足取りを重く、緩やかにしていく。

 よく見れば、泉の知る店主とは違い、目の前の彼は黒い小さな王冠を闇色の髪に乗せていた。

 黒一色の格好も、仰々しいマントを羽織っていて。

 

 ゲテモノを食すとは聞いていた。

 

 ここに来るまでにも、そういう類のモノは見てきた。

 しかし、今現在、彼が食べているのは……

「…………」

 声を失う泉の足は動揺する心に関係なく、歩を進め。

 辛うじて逸らした視界では、椅子の陰から別のモノを見出してしまう。

 幾多の、骨。

 削ぎ落とされた、身体の部位。

 何より、散らばった頭部はどれも、泉の知る者たち。

「う……そ…………クァンさん……シイちゃんにランさん、シウォンさん……それに――」

 瞠目する瞳が、再度、何かを食する彼へと向けられる。

 血色の口元。

 ぬらり、濡れる頭部は――

「史歩、さん……」

 泉の知っている芥屋の店主は人間が好きだった。

 だから、食材店である芥屋には、奇人街という特異な場所であっても、人間は在らず。

 なのに、彼はその人間である、泉と変わらぬ年恰好の少女を食べており。

「ワーズ……さん?」

 知らず知らず、傍らまで近寄っていた泉は、嫌な音を立てて貪り食らう男へ手を伸ばした。

 触れたなら、大きくその身体が跳ねる。

 次いで、食む動きが止まり。

 じろり、闇の合間から覗く混沌の目が、泉を捕らえた。

「…………」

 からからに乾いた喉は鳴らず、視線だけが交わされて。

 のそりと男が立ち上がった。

 史歩の頭部を椅子の裏へ、無造作に投げ捨て、泉に向き直る。

 よろけたように一歩退けば、その腕が黒いマニキュアの白い手に掴まれた。

「やあ、泉嬢」

 へらり、笑うその顔、その声。

 違えようもなく、彼は芥屋の店主だと察した。

 だがしかし、鼻を衝く呼気の生臭さは血に彩られ。

 おもむろに、掴まれた腕ごと身体がテーブルに押し付けられる。

「!?」

 驚きに目を見開けば、押し倒す形となったワーズが不思議そうに顔を傾けた。

「泉嬢? 逃げないのかい?」

「に、逃げたら、どうします?」

 間髪入れず答えた言葉は、自分でも可笑しいと思う質問。

 これへ、ワーズは眉を寄せ。

「君は本当に面白い子だねぇ? だけど……そうだな。もし逃げたとしても」

 ふっと赤い口が嗤う。

「逃がさないよ? 君はボクのモノなんだから。待っていたよ、泉嬢。色んなモノを食べたけど、満たされない。だから、さ? 君が満たしてよ。ボクを全部――」

「ワーズさん……」

 ふいに浮かぶ涙。

 跳ねつければ逃げることも出来たのに、泉はその選択を選ばず。

 まるでワーズを迎えるように持ち上げた上体から、ちらりと一瞥したのは、捨てられた顔たち。

 食べられるのは嫌だけど……どうせ食べられるなら、あんな風じゃなくて――

「の、残さないでくださいね?」

 一瞬だけ、きょとんとしたワーズは、いつも行動で隠される美貌を優しく綻ばせて頷いた。

「勿論、そんなことはしないさ。余すことなく、君の全部を貰うよ」

 静かに降ろされた瞼裏の闇。

 柔らかさの端で、血生臭いニオイが内を衝き――

 

 

 

 

 

「っ!? うぁっ……ゆ、夢!?」

 目覚めるなり、見慣れた芥屋の天井を認め、飛び起きた泉。

 唇に残る余韻へ、慌てて手の平を当て。

「ぅぶっ……にゃ、にゃまぐひゃひ……」

 隠した内側で舌を出した。

 と、そこへ届く、聞き慣れた男の声。

「あ、目が覚めたみたいだね、泉嬢。大丈夫かい?」

「わ、ワーズひゃん……」

 寝かされていたソファに足を投げ出したまま、右横を見やる。

 背もたれを抱き締める格好で椅子に座った、シルクハットの店主が、銀の銃口を自分の頭に向ける姿があった。

 途端、夢でのやり取りを思い出した泉は赤くなり――かけ。

「ぅええええ……にゃまぐさいぃ、ど、どうして?」

「憶えてない、泉嬢? 食材が一匹、君の口の中に飛び込んだんだよ?」

「う…………お、思い出しました」

 脳裏に浮かぶ、蛙に似た珍妙な生き物。

 ぬめぬめしたソレは、逃げ口を泉の口に見出し、いきなり突撃してきた。

 不幸中の幸いというべきか、全部は入らなかったものの、じたばたもがく生物の存在で、呼吸を忘れた泉は朦朧となり。

「そ、それであの夢……なんて、生々しい」

 涙目になりつつ、口の中の不快に吐き気を覚える。

「泉嬢、大丈夫かい?」

「ううううう……口が気持ち悪くて」

「ああ、アレの粘液はしつこいからね。煮るととろみになって、良い味を出すんだけど」

 こちらは生臭さで四苦八苦しているというのに、ワーズは相変わらずへらりと笑い。

 とても不公平に思えた。

 なので、泉は言う。

「ひ、他人事だからって、笑うことないじゃないですか。ワーズさんも味わってみると良いですよ。生臭いのに、ねばねばしてるんですから。ううう……うがいでどうにかなるかなぁ?」

 絶望的な気分を味わって、ソファから足を下ろす。

 ぼやきつつ立ったなら、腕がいきなり掴まれた。

 目を見開き、上げた視線の先には、いつの間にか泉の前に立っていたワーズの顔。

「んー。じゃ、拭ってあげる」

「へ?」

 近づく相貌、まさかの展開。

 知らぬ内に泉の頬が赤く染まり。

「わ、ワーズ、ふぁがっ」

 名を呼んだ矢先、布ごとワーズの指が突っ込まれた。

 綺麗に口の中の粘液を取る布の動きに目が回る。

 痛くはないが、妙に哀しかった。

「っぶは!」

「はい、お終い。とと、泉嬢、お口、あーん」

 タオルが外され、息つく間もなく、顎に指が掛かった。

 促されるままに口を大きく開ける泉。

 とことん色気とは程遠い店主相手に、何故あんな夢を見てしまったのか。

 そんなことを考えながら。

「ん。おっけー」

「ど、どうも……」

 解放されて後、泉は再びソファへと腰を下ろす。

 

 


あとがき
所謂、初夢モノです。
物凄い夢を見てます、泉。
ネタとしてはだいぶ前からありました。
正夢になるかは…はてさて?
当初、最後のところは幽鬼の二十みたいな感じになる予定でした。
でも、まあ、どうなんだろうと思い直し、色気皆無な終わり方に。
普段とはちょっぴり違う奇人街です。

少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。

UP 2009/1/2 かなぶん

修正 2009/2/23

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