噂がある。 定かではない、ぼやけた噂だ。 夕暮れ間近、人の出入りが少なくなった公園に、奇妙な男が現れるのだという。 全身を黒一色の衣服で包んだ肌は、恐ろしいほど白く、目は不鮮明で毒づいた色。 髪は衣服より沈んだ闇の色で、笑う口はドラマの血糊など比にならないくらい、生々しい朱。 終始ふらふらした動きで、黒いマニキュアの片方には、銃刀法違反など知らないとばかりに、鈍い銀の銃を携えている、らしい。
これだけなら、ただの不審者だが、曰くが一つ、付き纏う。
思い出の黒
「マオ?」 尋ねる幼馴染に、髪の短い幼い少女が神妙に頷いてみせる。 「そう。その人ね、マオっていうモノを探してるんだって。でね、知らない、っていうとすぐいなくなるんだけど、知ってる、っていうと、どこまでも追ってくるの」 「……ユカリちゃん、フツーさ、知ってるって言われたら、誰だって付いて来るんじゃないの?」 ふっくらした柔らかい頬を掻きながら、少しぽっちゃりした、少女と同い年の少年が首を傾げた。 ユカリと呼ばれた少女は、これに鼻を鳴らす。 「分かってないわね、カオルは。話はこれで終わりじゃないの!」 「えー……ぼく、もうおウチ帰りたい……」 言ってカオルと呼ばれた少年が、暗いドーム型のアスレチックから覗く、夕暮れの景色を見た。 本来なら、家に帰っている時刻。 見たいアニメだって、やりたいゲームだってあるし、何よりお腹が減った――そんなカオルを無視してユカリは立ち上がり、天井すれすれの身長を仁王立ちの格好で示す。 この年頃にしては珍しく、カオルの方が縦も横も大きいが、気性はユカリの方が厳しく高飛車であった。 「なっさけない! それでも男!?」 「……ユカリちゃんこそ、それでも女の子?――たっ」 ぼそりと呟いたカオルの頭をぺしんと叩き、非難を一切無視してユカリは燃えた。 「その人の後、付けてくとね、不思議な場所に着いて、二度と戻れなくなるんですって」 「…………なんで二度と戻れないのに、不思議な場所に着く、なんて、分かるのさ」 「カオルったら、ホント、ダメダメだわ。せおりーでしょ、こういうのって」 肩を竦めて首を振る、大人びた態度にカオルはこっそり溜息をつき、 「ねえ、やっぱり止めようよ。知らない人に付いてっちゃダメだって、お母さんたちも言ってたでしょう?」 「やーよ。ここまで来たんですもの。ホントかどうか、きちんと調べなきゃ!」 妙な使命感を燃やすユカリは、一度薄く笑って、最終通告のように言う。 「でもカオル、ムリして付き合う必要ないわ。帰りたかったらどうぞ?」
例えばクラスの男子が「カオルも誘おうぜ」というと、また別の男子が言う。 「ダメだよ、アイツ、ユカリのドレイだもん」と。 深い意味は分からずとも、カオルはユカリの所有物である、というのが、子供らの中で常識になっていた。 勿論、ユカリ本人もそう思っていた。 何せ、カオルという少年はユカリの行く先々で、木から落ちた彼女の下敷きになったり、しつこく追い回す犬の標的を身代わりされたり、トラブルが絶えないにも関わらず、いつでもどこでも付いて来る。 だからこそ、噂の男の後を付いてって噂の真相を確かめる、無謀な事をカオルに持ちかけたのだ。 そうして渋れば、突き放し、けれどやっぱり付いてくるカオルに、ユカリは優越感に浸りつつ、男の登場を待つ。
かくして、彼の男は――現れた。
噂通りの格好、噂通りふらふらした足取りで、「マオーマオー」と鳴き声のように繰り返し呼んでは、植え込みを漁る。 自分たちより大きな背丈も怖いが、ふらふらした動きでこちらに近付いては方向転換し、近くの植え込みをまた漁る姿は、ユカリたちの恐怖を煽り楽しむ風体で余計に気味が悪い。 流石のユカリも家に帰りたくなった時、 「か、帰ろ――」 情けない声に我を取り戻し、カオルの口を手で塞いで、ユカリは意を決して飛び出した。 これに気付いた男が植え込みから顔を上げ、ふらふら近寄ってくる。 逃げたくなる気持ちは、カオルが慌てて続いたために掻き消え、背中に夕陽を背負った男を睨みつけるまで持ち直す。 そんなユカリの内心など知らぬ男は、銃で頭をコツコツ叩きながら、 「んー? ねえ、君たち……と、ネコに似てる生き物知らない? 毛が影で、目が金なんだけど……」 「……マオ?」 カオルが呟けば、男は噂通りの真っ赤な笑みを浮かべ、頷いた。 「そう、マオ! 知ってるかい?」 にゅっと突きつけられた顔に、カオルが小さく悲鳴を上げ、ユカリはだらしないと引きつりそうになる喉を叱咤して首を振る。 「ううん。知らない」 「そっか……どこ行っちゃったんだろう……」 幾分残念そうに、ユカリたちに興味を失くした風体で、男がまた「マオーマオー」と捜索を再開した。 ユカリはほっと息をつくが、袖をくいっと引かれているのに気付いた。 見れば困惑したカオルの顔。 「何よ?」 「知ってる、って言うんじゃなかったの? やっぱりユカリちゃんも怖くなって――」 「違うわ。あんたと一緒にしないで。あたし、最初に言ったでしょ?後を付いてくって。後を追われちゃ意味ないじゃない」 ぺしんっと頭を叩き、男の後を追う。カオルも頭を擦りつつ、ユカリの後を追った。
すっかり暗くなり、ようやく男は諦めたのか、一度銃で頭を掻き、現れた時と同じく、立ち入り禁止の林の中へ入っていく。 子どものヘタな尾行に一切気付かない男を訝しいと思わず、ユカリたちも後に続いた。 けれど、すぐさま異変を察知する。 男を追って林に入ったはずなのに、いつの間にか上下左右、真っ暗な空間に出ていた。 ふらふら遠ざかる背だけが、空間の中でぽっかり浮かび、言い知れぬ恐怖に襲われるユカリ。 その腕を引っ張られ、慌てて向けばカオルの、いつも通りの怯えた表情。 「ユカリちゃん、立ち止まらないで、あの人を追おう? ここ、何か凄く嫌な感じがするんだ」 「わ、分かってるわよ」 カオルの情けなさに救われ、ユカリは一歩踏み出したが、視界に生白い足を捉えた。 足全体が伸びきった形。 次いで襲ってくる、嗅いだ事のない、気分を悪くさせる匂い。 のろのろと顔を上げ、黄色い一つ目と出くわした。 悲鳴を上げかけ、横から衝撃を受けて倒れ込む。 重い物が圧し掛かったのを確認する間もなく、ずしんっと鈍い振動が、真っ黒な地に響いた。 「な、何?」 問いに答えはなく、代わりに腕を引かれて立たされた。 「早く、ユカリちゃん!」 鋭い声と共に、引っ張られる腕と体。 合わせて走り、ユカリはようやく、腕を引くカオルの姿を認め、後ろを見ては生白い化け物を認める。 唇のない剥き出しの歯が、にぃと笑む様のおぞましさといったら―― それでもユカリの意識を保たせるのは、男に向かって走る、ぽっちゃりした背中。 状況が全く掴めない。 この空間も、化け物は言うまでもなく、何故、己はカオルに腕を引かれて走っているのか。 本当なら、逆じゃないの? カオルのいる位置は、本当ならユカリで、ユカリがいる位置は、本当ならカオルで――
「すみませんっ!!」
カオルの声にはっとなって前に視線を投じれば、ふらふら遠退いていた男が、随分近くでふらふら振り向いた。 ユカリたちの姿を認めて不思議そうに、銃を頭で掻き、 「あれぇ? 君たち、なんでこんなところにいるのさ? 死んじゃうよ?」 こちらの必死さを馬鹿にするほど、呑気な言い草。 恐怖と混乱で、一杯一杯になっていたユカリが、カッとなって叫んだ。 「だ、誰のせいで――!」 「ユカリちゃんのせいでしょう?」 ぴしゃり、先を塞がれて、男から目を逸らせば、厳しい表情のカオル。 責めるでもなく真実だけを突きつける、冷静な目に、言葉を失ってしまう。 俯けばカオルが男に話しかける声が届いた。 「ええと、ぼくたち、帰りたいんです。どうすれば帰れますか?」 「んー……もしかして、ボクの後、追ってきちゃったの? 困ったな……」 言うほど困ってない、笑いが含まれた声音に、ユカリは震えた。 次の瞬間には、男に殺されてしまうのではないかと思えば、真っ黒な布に覆われる。 パニックに陥り、逃げようとしてもカオルの掴んだ腕が、離れない。 「離して」と叫ぼうとして、カオルの手も震えていることに、今頃気付いた。 顔を上げても、カオルの顔どころか男の姿も視界に入らず、 「ちょっと静かにね」 男の声だけが届き、言葉通り少しの時間で黒い布が取り払われた。 一体何だったのか見ていれば、男が黒い布を羽織るところ。 そこで自分たちを包んでいたのが黒いコートと知る。 「クイフンは人間が大好きだからね……じゃ、付いてきて?」 男はしきりに「失敗したな」とぼやき、元来た道、らしき方向をふらふら歩く。 カオルはこれに続き、腕を引かれてユカリも続いた。 その表情は分からないが、今も腕を引く手からは、自分のものではない震えを感じる。 男のぼやき以外、会話らしいものは一切なく、真っ暗な空間をひたすら進む。 沈黙に耐えかね、 「カオル……?」 一度だけ名前を呼んでも、怒っているのか、答えも、こちらを振り向きもしない。 こうなるとユカリには何も出来ず、ただ従うしかなかった。 「着いたよ?」 言われて男が避けた先を見る。 真っ黒な空間に、そこだけ穴が開いたような、見慣れた公園の夜の景色が広がっていた。 「ありがとうございました」 手を離し、ぺこ、と礼をするカオルに習い、ユカリも頭を下げれば、男はへらりと赤い口で笑う。 ぞっとするほど赤いそれを見続ける気にはなれず、足早に自由になった腕を振って歩き出せば、視界の端に生白い姿。 向く暇もなく、また倒される体だが、今度はくるりと反転し、その際、ユカリは見た。 黒い猫が、一瞬揺らいでは虎の大きさになり、生白い化け物に襲いかかる様を。 そして聞く、男の嬉しそうな「マオ」と呼ぶ声。
どさっ
土埃が舞っても、ユカリにはさほど衝撃はなく、慌てて退いた。 「い、たたたたた……」 「カオル、大丈夫?」 脇に座って身を起こすのを手伝えば、カオルは飛び出した方を見て、 「ユカリちゃん、あの場所、なくなってるよ」 指で差され、見やれば確かに男の姿も虎の姿も、真っ暗な空間も消えていた。 茫然としていれば手を差し出され、掴めば立ち上がる。 ぱんぱん、と土を払うのに習って払い終え、視線を交わせばカオルが情けない困惑を浮かべた。 「すっかり、遅くなっちゃったね……お母さん、怒る……よね、やっぱり」 いつも通りのそれに、ユカリは顔の歪みを押さえきれず。 「カオル…………ゴメン」 頭を下げる。 たじろぐ気配に、唇を噛み締めて泣くのを堪えた。 「止めろって、あんたが言ってたのに、ムリに連れて来て。それなのに、あんたに何度も助けられて……ホント、ゴメン」 散々威張り散らした挙句震えてしまった自分。けれど見捨てず震えながら助けてくれたカオル。 「ありがとう」 心から口にすれば、 「うわー…明日、ヤリ降ってこないかな?」 頭に来て涙目を吊り上げ抗議しかけると、カオルがぼろぼろ泣いている。 呆気にとられて、こちらの涙が引っ込んでしまった。 近寄って背を叩けば、目を擦りながら嗚咽混じりに喋り出す。 「だってさ……ひっ…ユカリちゃん、いっつも、誰かのためでしょ? ……ボ……ボク、知ってたんだ。木に登ったのだって、遊んで引っかかったの、取ろうとしてたって……てっ……い、犬の時だって、やっぱりボール、取りに行ってあげたでしょう?」 「…………カオル……あんた……」 「今日のだって、気味悪がってた子のため、だったし。ボク、知ってたから……だから、手伝いたいって……」 妙な告白に、ユカリは照れたものか、困ったものか、考えあぐねて頬を掻いた。 まさか全部お見通しだったとは露知らず、馬鹿の一つ覚えみたいに着いてくるカオルの考えも知らなかった。 結局、色んな感情をひっくるめて、 「カオル、ゴメン、ありがとう」 もう一度言えば、 「うううううう……明日、きっと世界は終わるんだぁ――――だっ!!」 容赦なく、頭をべしんっと叩いた。 |
あとがき
ワーズと人間の交流未満の短編です。
とことん変人なワーズが書けてれば言うことありません。
当初の予定では、ユカリをカオルに惚れさせるはずだったんですが・・・
違うものになりました。
カオルにとってユカリは性別越えて凄い子と認識されてたり。
でも本当は、カオルの方が何枚も上手です。
2008/2/13 かなぶん
修正 2008/4/24
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