喪失の時 6
苛立ちの原因。 その大半はカノンにあった。 全て分かっているかのような口振りと動じない態度。 ミリアとの会話も、自分だけ除け者にされていて、コイツ、本当は自分を見下しているんじゃないかと思いもした。 けれど――――
「口実って!?」 物凄い形相でへらへら笑う男へ問うたのは、カノンの方。 視線が一瞬、こっちを向いた気がして、キースの怒りは激減した。 つまり、この眼鏡の坊ちゃんは今の今まで、キースのことを慮っていたのか。 大きなお世話だが、らしいといえばらしい。 とするとミリアとの会話や彼女の格好から推察するに、旦那様というのはそういう手合いなのか。 きっとカノンはそれを隠したくて、妙な言葉の濁し方をしていたのだろう。 お上品なカノンの家は知らないが、男兄弟も一通り揃っているキースの家は、ちょいといじくればそういう類の本がゴロゴロ出てくる。 見つかったら家族全員から吊るし上げられるため、中を見たことはないが、その手のヤツは表紙だけでも相当ヤバい。 何のことはない、カノンはただ、気を回し過ぎていただけなんだ。 自分に対して。 そうは結論づけても、日々の言動を考えるにあたり、曲がりなりにも友情だけであって欲しいとキースは願う。 「お姉さんは、キースの手を取ったんだぞ!?」 一転して呑気な考えに翻ったキースだが、カノンの叫びを聞いて我に返った。 つい先程、キースがしていたのと同じ格好で男の胸倉を掴むカノン。 慌てて羽交い絞めにする。 「ちょっと待て、落ち着け、カノン!」 「放せ、キース! 君だって腹が立つだろ!?」 「いや、もういいって。それより今は、落ち着くのが先だ! あんまり暴れてると昇降機が落ちるだろう!?」 「あ」 耳元で叫んでやれば、惚けたカノンから力が抜けた。 ほっと一息ついて、その身体を開放すればへたり込む。 つられて座りたい気分のキースだったが、また暴れられては堪らない。 兄弟間のやり取りが激しいキースは、我を忘れていようと喧嘩に関してある程度の加減ができる。 けれど喧嘩の対象がおしゃまな妹しかおらず、級友ともなあなあの付き合いしかしていないカノンは、いつも飄々としている分、一度たがが外れると必要以上に暴れてしまうのだ。 そろそろ加減の一つでも覚えて貰わないと、キースの手にも余ってしまう。 本気でやり合えば、腕力の面でキースは圧勝できるが、そんな機会あって堪るか。 「まあ、その、あれだ。あんた、大丈夫か?」 「ん? 平気平気。出会い頭に切りつけてくる子もいるしね。ボク、頑丈だから……げほ」 言いつつ咳するへらり顔は、止めれば良いのにまたも銃口を自分の頭へ、トリガーに指を掛けたまま当て、無駄にキースの不安を煽った。 ここまで来てなんだが、やっぱりコイツはヤバいかもしれない。 切りつけるとか、妙なこと口走ってるし。 広い世界、怯える姿を好む変態がいると聞くから、なるべく表面上は平静を装う。 それでも震える口には致し方なく目を瞑り、キースは男へ問うた。 「それで、ローディアさんの口実ってなんだ?」 「うん、昔ね、ちょっとの間、芥屋で従業員をやってたんだ、彼女」 「……シファンクって、確かあんたが店主やってるっていう」 「そ。食材店。あ、でも人間は取り扱ってないから安心してね」 「…………」 軽々しく言う男。 あの時の屋台の中身は人間ではなかったが近い形をしていたし、見かけた異形も人型が多かった。 男の言う食材が一様にそうであるとは限らないが、とりあえず呟く。 「ホント、なんて街だよ……住んでるヤツすらそんな扱いって」 「ん? どうかした?」 「いんや。で?」 先を促して項垂れるカノンの肩を軽く叩いた。 いつまでも落ち込んで貰ってちゃ困る。 本調子を取り戻さないと、いざという時逃げられないのだから。 そんな異形からも――――目の前の男からも。 「短い間だったんだけどね。どさくさに紛れて帰っちゃえば、ってボクが言ったことあったんだ。彼女には制限なかったし、元いた場所、帰ろうと思えば帰れたし」 「……ちょっと待って。制限って、何?」 のろのろ立ち上がるカノンが尋ねた。 目つきは剣呑なままだが、碧い眼にはいつもの光が宿っており、キースは内心で安堵の息を吐く。 「まあ、人それぞれ、なんだけどね。ありていに言うなら、帰るには奇人街へ訪れた際の要素が必要なんだよ」 「……じゃあさ、僕たちが帰れる場所って、僕たちがこの街を最初に見た場所ってこと?」 「あれ? どこから来たか分かってるの?」 「どういう意味だ?」 みるみる青褪めるカノンをいぶかしみながら問えば、男は例の危なっかしいポーズを取って、笑い顔はそのままに、声音だけ若干の困惑を滲ませた。 「んーとね。普通はさ、君たちみたいにすぐ帰りたい子はさっさと帰っちゃうんだ。残るのは、どっから出てきたか分からないとか、その前に住人に見つかって――って感じで。人によっては条件変わっちゃったりするけど、大抵最初はすぐ帰れるんだ。まあ、その際何が重要だったかって話で」 「意味分かんねぇ……」 長台詞にげっそりするキースは、カノンに袖を引かれてそちらを見やった。 「んだよ……」 「いや……僕もよくは理解できてないんだけど。もしかして、必要なんじゃないか?」 「何が?」 「ボールだよ」 「ボール?」 「君の兄さんのボールさ。すぐ帰れるはずなのに、振り返っても路地だったろ? ってことはさ、この街に訪れた要素にあのボールも関わってて、帰るのに必要なんじゃ……」 「…………は?」 奇妙な街から元いた場所へ帰るのに、奇妙な条件が必要だということは異論もないが、すっかり忘れていたボールの存在が必要とは、寝耳に水。 ようやくカノンが青褪めた意味を知っても、キースの頭は混乱を迎えてしまった。 「必要って……じゃあ、何か? ボールがないと帰れないって? 待て、それは、つまり、ボールを探せって? しかも範囲はこの街――――」 神妙に頷くカノンを認めては急に意識が遠くなる。 力の加減は出来てもハプニングに弱いキース。 何かあった場合、大抵、兄弟の多さでカバーしてきたため、少ない人数で対処する方法が分からない。 一人だと確実にパニックに陥ってしまう。 「しっかりしろ、キース!」 「あ、ああ」 けれど、混乱に混乱を重ねる中、カノンの落ち着いた叱責を聞いて、キースは気持ちを何とか立て直した。 こういう時、一人じゃないって有り難い。 カノンが一緒で良かった――――口が裂けたとて言いたくはないが。 まだくらくらする視界で、カノンが早速考え込む。 探す算段でもあるのだろうか。 ちょっぴり期待を持っていれば、突然、にゅっと黒いマニキュアの白い手が目の前に突き出された。 趣味悪いと思う暇もなく、その上に乗っかっている物体を見て、引っ手繰るように取る。 「うおえっ!? な、なんで、これがココに!?」 「ヘイ、兄弟どうしたって――――ってぇ!?」 考えを邪魔され、眉間に皺を刻みこんだカノンですら目を剥くのは、物体が考えの中心であったせいだ。 キースの兄のボール。 探さなければならないはずのそれは、確かに今キースの手にあって、その前には黒一色の男の手の中にあって―― 「な、なんで?」 馬鹿の一つ覚えみたいに尋ねるキースへ、引っ手繰られても全く気にする素振りのない笑みは、銃口を押し当て首を傾けた。 「うん? もしかして、気づいてなかったのかな? そこの子のポケットから出てきたんだけど」 「え、僕!?」 素っ頓狂な声を上げるカノンは、もう入っていないというのにポケットを探る。 本当に驚いている様子だったのが、突然声を上げて、格子にしがみついた。 「ど、どうした?」 「お姉さんだ……あの人たぶん、あの時に……」 頬を押さえて呻くカノンを見て、言わんとしている時を思い出した。 ただの礼と思っていた、けれど物凄く羨ましいキス。 あの時、彼女はどさくさに紛れて、ボールをカノンのポケットにつっ込んだらしい。 といってもボールの大きさ硬さを鑑みるに、何故気づかなかったのか。 キースはショックで見えてなかったと結論付けられるが、カノンは得意そうであったのに―― 「なるほど。フリか」 「何?」 からかう笑みを浮かべてカノンを見たなら、怪訝そうな顔が一瞬見え、すぐ何も見えなくなる。 「もうすぐ、着くよ」 降りて来た時を忘れて暗闇に慌てれば、そんなのほほんとした声が響いた。
地下では随分慎重だったくせに、地上に出るなり男は明るい街並みをふらふら歩いていく。 美味そうな匂いと共に血生臭い異臭も漂っていて、腹が鳴っては喉が引きつるを繰り返す。 ちらちら通り過ぎる異形たちはこちらを見るのだが、ただ見てるだけで犬面のような動きはなかった。 時折、従業員という単語が彼らからキースたちへ向けて発せられては、勘違いされていると知り、シファンクという場所は何かしらの地位があるのだろうかと思った。 同時に、子どもだろうが店主と共にあっては、従業員扱いされるなんて、雇用条件はかなりいい加減なんじゃないか、とも。 「んー、この辺かな?」 男に問われて出てきた場所を答えれば、ふらふら真っ直ぐ向かった先。 木箱があるから場所は間違いないと思うが、男から逃げたはずの路地がない。 変わりに、ただ黒いだけの空間がぽっかり口を開けていた。 「これが……」 「そ、出口。奇人街の住人からすると、入口……でも入れる奴はほとんどいないね」 「そうなんだ」 ほっとした息がカノンから漏れたのは、自分たちが帰るにあたって、何かしらを連れていくことを恐れたためだろう。 ホント、気を回し過ぎな奴だ。 苦笑したなら「何?」と睨まれ、「別に」と応えたら「ふん」とそっぽを向いた。 それすら笑ってしまいたくなるのは、ようやく帰れる安堵からか。 「うん。短いから大丈夫だね。はい、どうぞ?」 空間の隣の壁に手をつき、中を覗く素振りの男はそう言って、白い手で空間を示した。 若干怯んでしまったキースに対し、今度はカノンがからかう笑いを浮かべ、むっとして後に続く。 「あ」 すっぽり全身が黒に覆われる直前、ふと振り返って男へ問うた。 「そうだ。ねえ、じゃあさ、お姉さんの帰るところって?」 口実云々はもういいから、それだけ聞きたくて尋ねたのに、男の笑顔はなんだか妙だ。 まるで凄まれている錯覚に陥る。 それでも声音はあくまでへらへらしたもので。 「彼女言うところの“旦那様”のところさ。ボクはオススメしかねるんだけど、彼女が自分で決めたことだし、あの変人エロオヤジも彼女のこと気に入ってるから、命の危険もないし」 「そっか……あるんだ、帰るとこ。ならいいや……」 口実と聞かされた時、キースは自分の浅はかさに気づいてしまった。 父親の自殺話ではなく、彼女が家族のいないあの場所へ戻ったとして、その後、どうやって暮らしていくのか、考えもせず逃げるよう勧めて。 ただ、旦那様のところで見た格好が、あんまりにも――あんまりだったから。 けれどミリアはもうすでに、帰る場所をそこに見出していて。 なら、キースが今出来ることは、初恋の人が幸せであることを祈るのみ…… 「でも、変人エロオヤジ……オヤジ……」 オヤジなどと言われるくらいだから、男より年嵩なのだろう、彼女の旦那様は。 ローディアさんて……年上好きだったのか。 しかもこの変な男をして、変人と言われるくらいの変人…… 妙にしんみり思いつつ、男へは軽く手を振ってさよならする。 全身が黒に覆われ、また思い立って振り返り、
「あ、そうだ、あんたの名前まだ――――あれ?」
捉えた視界には、月明かりで辛うじて分かる森の中。 拍子抜けするくらい、あっさり戻ってこれたのだと理解するまで数秒。 また振り返ればカノンがいて、軽く項垂れていた。 どうしたのだろうと思って近づけば、腕時計を無言で見せてくる。 スイッチを押すと時計盤が光る仕組みのソレを、また妬ましく感じたのも束の間、さっと冷たいモノが背筋を通った。 タコ殴りは確実だ。 カノンの方も似たような頬の引きつり具合だが、振り切るような明るい声が出てきた。 「すんばらしい、大冒険だったね、キース。思い残すこと、ないかい?」 「……いや、特には」 初恋をしっかり失恋してきて、ボールも手中に納めて―――― よくよく思い出してみると、殴られたりした分、自分の方が損した気分に陥り、言わないでおこうと思っていた話を口にする。 「ああ、そうだカノン。実はさ、姉ちゃんが御免って」 「へ?」 「コイントス、好きだったろ? 最近がめつい弟が風呂場で拾ってさ。アイス買っちまったから、当分返せないけど。誤解だって分かってさ」 「そ、そうなんだ」 明らかに浮上した様子を受けて、やっぱりこのまま黙っていた方がいいかもしれないと考えたが、もう後の祭りだ。 先に言っておいた方が傷は浅くて済む。 「そんでな」 「何?」 物凄い良い笑顔が月の細い光のなかで不気味に映った。 一瞬、怯んだキースだが、意を決して告げた。 「……御免て」 「うん、それは分かって――」 「じゃなくて!……その、改めて御免って。応えられないから――――って」 何故、こんな伝言を自分に頼んだのか理解しかねるが、ようやく伝えられたことにほっとして顔を上げればキースの息が詰まった。 眼前、カノンがしゃがみ込み、しくしく泣いていた。 「か、カノン? 何も泣くことないだろう? は、初恋って訳でもなかったわけだし」 初恋が破れて泣かなかったキースは、泣くカノンをどうすれば良いのか分からず、おろおろするばかり。 するとぼそり、地の底から響く声が届いた。 「――――んだ」 「は?」 「初恋だったんだ。君の、お姉さんがっ!」 勢いよく上がったカノンの顔に、キースはうっと呻いた。 涙と鼻水でべちゃべちゃになった表情は、ごちゃ混ぜで、ともすれば笑っているようにも見える。 「は、初恋って、ファーストキスは?」 「あれは本当! でも初恋じゃくて、嫌がらせだったんだ。向こうは違ったみたいだけど」 「な、何が?」 「僕が好きだったんだってさ! ヒトの妹散々馬鹿にしたくせに、それは僕が妹に甘いからだって!」 「そ、そうか」 初めて見る取り乱しっぷりの見事さに、キースは他の言葉もなく頷いた。 カノンの悲愴な姿を目の当たりにすると、もしかして自分は情が薄い人間なのかもと不安になった。 初恋に泣かないキースと初恋に我を忘れて泣くカノン。 途方に暮れて目線を移せば、喉が引きつった。 「か、カノン、あれ!」 呼んで肩を叩いて、けれど再度下がった顔は上がらず。 移動もままならないキースの眼には、無数の明りがゆらゆら揺れていて。 それがあの奇妙な街の明りと重なり、キースはみるみる青褪めていった。 と、その肩を叩かれた。 「おい」 「ひっ!」 軽く飛び上がって逃げようとすると、腕を思いっきり引っ張られた。 訳も分からずジタバタしていれば、腹と首を絞められた。 「ぐぇえっ」 「あ、悪ぃ」 解放され、咳き込んで振り返ると、見知った輪郭がそこにいた。 「兄ちゃん……あ、ボール」 殴られる前に、カノンの奇行に驚き落としてしまったボールをわたわた探して拾い、差し出した。 「いや、その、わざとじゃないんだ。ちょっと飛び過ぎちゃってて、その」 変なトコ出ちゃって、とは言えない。 どうせ言ったところで信じて貰えないのは分かっている。 だから、ミリア・ローディアに会ったことも言わない。 彼女らが消えた後、本当は怖がりの兄が森に入った理由は、今現在、彼女をやっている人に聞いて知っていた。 兄も、彼女が初恋だったのだと。 でもきっと、キースと同じ失恋だったと思う。 なにせ、兄とソックリと言われ続けたキースの顔を見て、彼女は何一つ、反応してくれなかったのだから。 可哀相な兄ちゃん――そう現実逃避をしていれば、伸びてきた手。 咄嗟に打たれると目を瞑ったが、やってきたのは頭をぐしゃぐしゃ撫でられる感触。 「兄ちゃん……?」 「っの、馬鹿!」 「だっ」 結局殴られ、抗議する間もなく抱き締められた。 兄弟同士で気持ち悪い! 「キース!」 暴れていたなら、聞こえた声。 確認する前に兄から今度は姉へバトンタッチされ、拘束を受ける。 厚い胸板とは違う柔らかな感触に気分の悪さを覚え、太い腕から細い腕と変わった締め付けは更に厳しく。 「カノン!」 違う名が聞こえてそちらを向けば、カノンの母が思いっきり手を振りかぶったところ。 凄まじさは音だけで表され、今度はまた違う人間に抱き締められた。 「キース! この子ったら、どれだけ心配したと思ってるんだい!?」 「ぎ、ギブっ、し、死ぬ、母ちゃん!」 必死の訴えにも関わらず、涙に咽ぶふくよかな母は放してくれず、キースは朦朧とする意識の中、あの明りは自分たちを探すためのものだと知り―――― 「カノン、ああ、カノン!」 頬を腫らして割れた眼鏡をつけ、似たような拘束を受け青褪めるカノンを見て思う。
これならまだ、殴られるだけの方がマシだったかもしれない――と。 |
あとがき
何故か6まで続いてしまった喪失の時、これにて完結です。
中途半端な終り方って気もしますが、まあそれはそれとして。
書いてる内にその後まで出てくるほど、愛着あるキャラクタのキースとカノン。
なので余談に二人の未来でも。
カノンはファーストキスの少女と成人してからばったり会って、なんやかんやでゴールイン。
キースはカノンの妹と良い感じで、結局カノンの義弟になってしまいます。
……等々書きつつも、このお話の目的はミリアだったり。
奇人街における人の扱いの一部を書きたいな、と。
でも不十分なので、保管で喪失の時ミリア編を……機会がありましたら、是非。
ちょっといかがわしい話でしたが、楽しんで頂けましたら幸いです。
UP 2008/7/17 かなぶん
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