捻くれた黒
昔々、あるところに、シルクハットの変わりに、黒いずきんが好きな…………女ではない子がいました。
病的ではない真っ白な肌、ずきんよりも昏い闇色の髪、不気味な色彩が宿る目、血色の常時笑む口、趣味の悪い黒い爪、終始ふらふらした言動。
銃はさすがに携帯していませんが、近所にいたら顔は良くとも絶対引く配色の子のことを、周囲は黒ずきんちゃんと呼んで避けていました。
ある日のことです。
森に住む、黒ずきんちゃんのお祖母ちゃんが病気になってしまいました。
けれど黒ずきんちゃんのお母さんは、毎日の接待業に追われているため、なかなか休みが取れません。
そのため、黒ずきんちゃんが、代わりにお見舞いへ行くこととなりました。
「…………ちょい待ち。一体なんだって、アタシがアンタの母親にならなきゃいけないのさ」
「いきなりの駄目出しなんて。接待業が泣くよ、お母さん。大丈夫、ボクはお母さんが人間である限り、大好きだから。愛してるよ?」
「〜〜〜〜〜〜っっ!! き、気持ち悪いっ! ほら見てご覧、さぶいぼだよ!?」
「わあ、大変だね。なら、ボクがお風呂に入れてあげるよ。隅々まで洗って、ゆっくり温まって貰って。でもそれじゃあ足りないから、一緒に寝てあげる」
「………………もう、いい。行け、行っておくれな、本当に」
「うん。分かったよ、お母さん」
へらへら笑いの黒ずきんちゃんは、ぐったりするお母さんの頬へ、行ってきますのキスをしました。
ぴっしり固まってしまったお母さんへ、軽く手を振ってはお祖母ちゃんの家を目指す黒ずきんちゃん。
それから数秒後、世の終わりを嘆く悲鳴が聞こえたとか聞こえなかったとか。
* * *
さておき、森を行く黒ずきんちゃん。
しばらくすると木の陰から、一つの影が躍り出ます。
「待ってください、黒ずきんちゃん!」
綺麗な声でそう言ったのは、褐色の狼です。
森には恐ろしい狼がいると聞いており、実際何度か遭遇したことのある黒ずきんちゃんでしたが、呼び止めた声を無視してすたすた歩いて行ってしまいます。
「えっ? えっ? えええっ!?」
毎度の事ながら慌てたのは狼です。
意を決して登場したのに、無視されたばかりか、即行で出番終了扱いされそうなのですから。
「ま、待ってください、黒ずきんちゃん!」
慌てて追いかけ、恥ずかしさを我慢し、身体全部で通せんぼしたなら、ようやく黒ずきんちゃんの足が止まりました。
ほっとした狼は、人の良さそうな顔をして、お花畑を指差しました。
「あの――」
「邪魔」
ぴしっと空気が凍ります。
ちょっぴり泣きたくなる狼ですが、頑張って笑顔を保ち続けます。
「ですから」
「恥ずかしくないの、毎度毎度、そんな格好してさ?」
「うっ」
ばしっと言われて、狼が身を竦めました。
じろじろ無遠慮に眺められて、更に身が縮こまる思いを味わいます。
尖がった耳、後ろで一つ纏めにされた長いクセ毛、垂れた尻尾、両手の肉球グローブ、両足の靴――までは良いでしょう。
しかし、胴体に着けているのは、胸部をぐるりと巡る毛皮と腰箕のような丈の短いスカートだけです。
抜群のプロポーションならば問題ありませんが、哀しいかな、狼の姿はどう見ても、発展途中の女の子が背伸びして、妖艶な格好にチャレンジ、見事失敗してしまった図です。
「……唯一の救いは、着慣れてない羞恥から来る、赤らみ俯く顔と、見えないようスカートの前と後ろを必死に押さえる格好、かな? 伏せ耳もなかなか良いと思うけど」
「へ?」
「人間じゃないし」
「!」
ばっさり、切り捨てた黒ずきんちゃんは、傷ついた表情を浮かべる狼を残して去ろうとしますが、その腕を掴まれて顔を顰めます。
「何? ボク、急いでいるんだけど。お前に構ってる暇なんかない」
「ううっ……や、役回りが人間じゃないってだけで、どうしてそんなに反応違うんですか?」
「答える義理はないよ。ほら、さっさと放せ。お祖母ちゃんのお見舞いに行くんだから。ケダモノに構ってやる時間なんかない」
力を入れて狼から腕を引っこ抜く黒ずきんちゃん。
バランスを崩し、尻餅をつく狼へ一瞥もくれず、去っていこうとします。
「ま、待って!」
けれど狼は諦めません。
自分の望みを全うするためには、どうしても黒ずきんちゃんを足止めする必要があるからです。
「黒ずきんちゃん、あのお花畑のお花、摘んで持っていって上げたら、お祖母ちゃん、喜ぶんじゃないかな!?」
澄み切った声量は、とんかちの威力を伴って、黒ずきんちゃんの後頭部を殴打します。
面倒臭そうに振り返りながら、狼が示す先を見た黒ずきんちゃんは、混沌の眼をにたりと歪めました。
「なるほどね。綺麗なお花畑。お祖母ちゃんに摘んでいってあげたなら、すっごく喜んでくれるかもねぇ」
「そ、そうでしょう、そうでしょうとも! じゃ、じゃあ一緒に摘みましょう?」
「はあ? なんでこのボクが、お前と一緒に摘まなきゃならないんだ?」
「うぐっ……そ、その」
どこまでざっくり拒絶する黒ずきんちゃんの冷たい言葉に、地べたに座り込んだままの狼が項垂れます。
でも作戦は上手くいったのです。
黒ずきんちゃんは結果としてお花畑に夢中となり、元々眼中になかった狼は容易く先回りが出来、お祖母ちゃんを食べ、その後でゆっくり黒ずきんちゃんを食べられるのです。
狼という役回りに対する黒ずきんちゃんの対応はショックでしたが、望みは叶えられます。
心には言い知れぬ傷を負いつつも、狼は次なる行動のため拳を握りました。
ですがその時、狼の首元を何かが這い、小さな音が鳴ったのです。
かしゃん――――と。
* * *
狼は、お祖母ちゃんの正体を知りませんでした。
知らずに、食べようとしていました。
なんて無謀な計画だったのでしょう。
食べようとしていたお祖母ちゃんが、逆に狼を食べようとしていた、などと知っていたなら、狼は決してお祖母ちゃんの家に近寄らなかったはずです。
「……ククククク、まだかい? 私の狼。ああ、お前の唇から紡がれる吐息は、どれほど甘いことだろうか。私の動き、一つ一つに愛くるしい反応を見せる様……想像だけでも狂おしいぞ……」
滴りそうな涎をごくり、飲み込みベッドに座り込んだ姿は、決して病人には見えません。
それどころか、お祖母ちゃんと呼ぶにも無理がありそうです。
青黒い艶のある髪、双眸は鋭く鮮やかな緑、鼻梁は通り、薄い唇は情のなさを表します。
美丈夫、と評してあまりある、肉体は逞しく、男の色香を不遜な態度に交わらせています。
そう、お祖母ちゃんとは名ばかり、本当はおじ――
「ああっ!?」
じろり、虚空を睨むお祖母ちゃん。
「何をいきりたっとるんだ、お前は」
突然あらぬ方向へ凄んだお祖母ちゃんに、冷静な声が掛けられます。
「……何でもねぇ。それよりあいつが来ても、殺すんじゃねぇぞ、猟師」
お祖母ちゃんから言われた猟師は、刃のように鋭い黒目を細めては、手にした札束を数え上げています。
「分かっている。金は確かに受け取ったからな。で、私は黒ずきんを引き止めておけばいいんだろ……だが、祖母君よ、どうせなら、見せつけてやれば良いんじゃないか?」
「……さすがに孫に見せるモンじゃねぇだろ、そりゃ。それに、なるべく奴との接触は避けたい。余所見されるのは御免だからな」
懐に札束を仕舞い込む猟師へ、常識人めいたことを言うお祖母ちゃん。
なんにせよ、買収する側とされた側、汚い大人の世界が展開されています。
黒ずきんちゃんを食べるべく奔走する狼へ懸想したお祖母ちゃんは、今日まで手篭めにする算段をあれこれ考えてきたのです。
最終的に思いついたのが、病気に託けて黒ずきんちゃんを呼び出し、先回りを選ぶであろう狼を待ち構える、この罠。
あらかじめ、狼の天敵足りうる猟師さえ抑えておけば、問題はありません。
ゆっくり、時間を掛けて、狼を己の内へ取り込むことができます。
想えば想うほど、だらしなく緩む口角。
猟師はこれを横目にどうでもよさそうな溜息を一つ。
と、ふいに扉が叩かれました。
反応素早く、お祖母ちゃんはベッドに潜り、猟師は物陰へ身を潜めます。
「どうぞ」
口から飛び出しそうな心臓の高鳴りを押さえ込んだお祖母ちゃんは、それでも上擦る声を致し方なきものとして捉え、返事をしました。
かちゃり、ドアが開けられます。
近づく気配がします。
ぴたり、ベッド横で止まりました。
チャンスは今しかない!
そう思ったお祖母ちゃんは、ベッドから起き上がるなり、訪問者の腕を引っ張ってはベッドへ押し付け、唇を奪いました。
執拗に何度も攻め立て、息をするのも忘れて貪ります。
「お、おい……」
そこへ邪魔する猟師の、戸惑った声が届きます。
今更良心の呵責にでも襲われたのでしょうか。
じろっと睨んだお祖母ちゃんですが、猟師の様子があまりにおかしいと気づきます。
いぶかしみつつ、組み敷いた狼を優しく見つめようとし――お祖母ちゃんの思考回路がイカレました。
何故か、予想だにしなかった混沌の眼が、愉快そうに歪んで、至近の緑を眺めています。
「ぶぁっ――――――ぅおげぇえええっ!!」
未だかつて感じたことのない不快感が、ベッドの端まで飛び跳ね、四つん這いになって舌を垂らす、お祖母ちゃんを苛みます。
掻き混ぜた時の涎がだらだら流れる後ろでは、黒ずきんちゃんがへらりと笑っていました。
「お祖母ちゃん、元気だねぇ。嬉しいな、ボク。お見舞いしに来たんだけど、そっちの方が良いなら」
おもむろに服を脱ぎだす黒ずきんちゃん。
ぎょっとしたのは、悪巧みをしていた大人たち。
慌ててその手を押さえます。
「い、いらんっ! そういう絵は好かん!」
「絵どころの話ではないぞ! 俺――じゃねぇ、私が相手なんざ、冗談じゃない!」
「んー、でも、ボクは大丈夫だよ? お祖母ちゃん大好きだし」
ふいに押さえ込まれた黒ずきんちゃんの首が伸び、ちゅっと音がしました。
途端、後ろへ卒倒したのは、孫から唇を奪われたお祖母ちゃん。
青褪めた猟師は、勢い余って黒ずきんちゃんへ頭突きをかまします。
「いっ!?」
しかし、あまりの石頭っぷりから、悶絶しては床へ転がってしまいました。
解放された黒ずきんちゃんは、気絶するお祖母ちゃんを見て、ぼそりと一言。
「うーん、さすがに気絶してちゃ駄目だよねぇ。また今度しようか、お祖母ちゃん」
さらりと言っては、お祖母ちゃんと猟師を同じベッドへ寝かせます。
その際、狭いベッドへ二人をおさめるため、色々邪魔なものを取っ払い、更に密着させてあげます。
仲良く眠る姿に、黒ずきんちゃんはにんまり笑いました。
* * *
「ああ、そうだそうだ」
お見舞いを終えた黒ずきんちゃんは、大好きなお母さんが待つ家路へ急ぐ途中、ふと思い出してお花畑があったところへ向かいます。
夕暮れの薄闇に儚く揺れる白いお花を無情に踏みつぶして、奥の茂みを掻き分けました。
「っ!」
「危ない危ない。お前を忘れるところだったねぇ。ボクとしたことが」
へらり、笑う黒ずきんちゃんは、白い手を伸ばしては、ぐっとそれを握って引き寄せました。
もごもご動く布を取っ払ってやります。
途端、震えた甘い声が訴えます。
「も、もう放してください! わ、私、人を食べる狼って言われてるけど、誰も食べたりなんかしてません!」
「はっ、そんなこと、お前に言われなくたって知ってるさ。でもボクは、人間の安全を少しでも脅かす物は、可能性であったとしても潰しておきたいんだよ」
弄るような口調です。
対峙する狼は、哀しそうな顔で黒ずきんちゃんを見つめています。
「なに、その顔?」
くすり、一つ笑った黒ずきんちゃんは、狼につけた首輪を更に引き寄せ、立たせました。
と同時に、木へ巻きつけてあった、首輪と両手に掛けられた手錠を繋ぐ鎖が鳴ります。
こんなもの、どこに隠してあったのかという疑問は残りますが、お祖母ちゃんを襲うだろう狼を想定した黒ずきんちゃんは、狼をここへ縛り付けてお見舞いに行っていたのです。
大好きなお祖母ちゃんのお見舞いと、狼の処分を天秤にかけた結果の順番でした。
色んなところから非難轟々浴びせられそうな黒ずきんちゃんの所業ですが、放置され続けた狼はめげません。
手負いの何とやらに失う物など、特にないからです。
キッと薄ら笑う顔を睨みつけた狼は、両手を振り上げては、首輪の手を離させ、振り下ろしては黒ずきんちゃんの頭を抱き寄せました。
少々驚く混沌をこげ茶の眼で迎えます。
「私は潰れたくありません」
「知らないね。お前の意見なんて」
くつくつ嗤う揺れを受けつつ、それでも狼は噛み付きます。
「なら一生このままです」
「は?」
嗤っていた黒ずきんちゃんの揺れが収まります。
代わりに、酷く不鮮明な動揺が現れました。
「嫌でしょう。嫌ですよね!? 嫌う相手がずっとべったりしているなんて。だから私、ずっとあなたから離れません!」
「…………ずっと?」
「はい、ずっとです」
「……分からないな。お前、自分が何言っているか、分かっているのかい?……お前だってボクを嫌ってるはずだろう? 殺して、食べたいと思って――」
「……食べたいって思うのは、嫌いと同義ではありません」
「何を……言って?」
見詰め合う姿勢が気恥ずかしくなったのか、狼の視線が黒ずきんちゃんの胸へ注がれます。
それに対し、黒ずきんちゃんは、知らず知らず、狼の身体が辛くないよう屈んでいました。
「あなたは……嫌いだって。人間以外、嫌いだっていうから……それならいっそ、誰かのものになる前に、食べてしまおうと思って」
「…………」
狼の声が震え、黒ずきんちゃんの顔から表情が消えます。
泣いている様子に戸惑っているような手だけが、狼の背へ添えたものかどうか迷う素振り。
と、狼の顔が上がりました。
涙は流れていませんでした。
ただ、頬が赤くなっていました。
「――――」
紡がれた言葉は、通る風に消えます。
黒ずきんちゃんの唇は引き結ばれたままです。
狼の言葉へ、何ひとつ、応えは返しません。
その代わり。
「なーう」
通りがかりの獣が目にした影は、開けた空から届く月明りの中、一つだけ――。
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