暴力沙汰の橙と先走りの白
昔々、あるところに、橙色のずきんが、特に好きというわけでもありませんが、よく身につけている女性がいました。
人々は彼女のことを橙ずきんちゃん、ではなく、蜜柑ずきんちゃん、と呼んでいました。
理由は響きがいまいちだったせいです。
変えた後で、こっちも変だと気づいた人は幾人かいましたが、そうそう変えては蜜柑ずきんちゃんに何されるか分かったものではないと、沈黙を保っています。
そんなある日のことです。
森に住む、蜜柑ずきんちゃんのお祖母ちゃんが病気になってしまいました。
けれど疎遠になって久しい存在の下へなぞ、蜜柑ずきんちゃんは自主的に行こうとはしませんでした。
お母さんが優しく言っても、鼻で笑うばかりです。
しかし、何度も拒んだ後で、お母さんの目の中に、夜叉の姿を見出します。
本気で怒ったお母さんがどれだけ怖いか、生まれてからずっと続くお付き合いで、骨の髄まで叩き込まれていた蜜柑ずきんちゃんは、ようやく首を縦に振りました。
素直な蜜柑ずきんちゃんを見て、溜飲を下げたお母さんは、蜜柑ずきんちゃんへ籠を渡しました。
掛けられた布を取ると、毒薬のような物体たちが籠一杯に散乱しています。
「……母様、これは一体」
「おかゆですよ? 病人には良いと思いましたが、いけませんでしたか?」
「いいえ。とても良い案だと思います」
お祖母ちゃんの顔を浮かべた蜜柑ずきんちゃんは、瞳に真を込めて頷きました。
お母さんは蜜柑ずきんちゃんの答えに微笑むと、白魚のような手をたおやかに振り見送ってくれました。
* * *
ところ変わって森の中にある、お花畑。
その中央に、高い背を丸めて狼が座っていました。
ぴんと張った耳が生えた黒髪は艶やかで、体躯は男性的でありながら、肌の美しさはそこらの女じゃ太刀打ちできないほどです。
世界観を無視した紺色の作務衣姿に乗っかった顔立ちは、気難しそうですが、非常に整っていました。
「……次は白がイイか、黄色がいいカ」
ぶつくさ喋る狼の、左の黒目と右眼につけた片眼鏡には、作成途中の綺麗な花冠が映っています。
しばらく首を捻った狼は、結局黄色の花を冠へ繋ぎ足しました。
「喜んでクレルと良いガ……」
どうやら狼には想い人がいるようです。
顔にかかる前髪の内で狼の瞳が揺れ、頬がうっすら赤く染まっています。
仕舞いにはぱたぱた、耳と同色の黒い尻尾が左右に振れ出しました。
楽しそうな狼。
森外れの町の人間は、彼を指して恐ろしい狼と称しますが、それは真っ赤な嘘でした。
実はこの狼、極度の人見知りで、珍しく親しくなった人間に頼んで、恐ろしい狼がいるから森には近づかない方が良いという噂を流して貰っていたのです。
悪戯好きのその人間は、罪悪感など爪の先ほどもなく、狼の願いを叶えて、あることないこと町の人間へ吹き込みました。
お陰で狼は平穏な日々を送っていたのですが、この時、一つの影が花冠に夢中になる狼の背後へ近づいていました。
そして突然、がばちょと抱きつきます。
「っ!?」
「見つけましたわ、狼様! ここで会ったが百年目、今日こそは色よい御返事を――」
「断る!」
背後からの奇襲にも関わらず、相手が誰かも言いたいことも察した狼は、まわされた腕を跳ねつけて、完成した花冠を抱きついた相手へ突きつけました。
「いい加減にシロ! 何度も言うガ、俺は他に好きなヤツが」
「あら、綺麗な花冠! はっ、さては、わたくしへの贈り物ですのね。狼様、なんていじらしいの!」
勘違いも甚だしい言葉に萎えた狼の手を知ってか、花冠を毟り取ったのは、白いずきんを被った、見目麗しい少女でした。
黒く長い髪と広いおでこが特徴的な彼女は、白ずきんちゃんと言います。
知り合いの猟師の制止を振り切って付いていき、そこで出会った狼を運命の人と思い込んで突っ走る、少々イタイ娘でした。
その後、度々狼の前へ現れては、彼の恋路の邪魔をするばかりか、収穫した食べ物をヘドロへ変えたり、想い人への贈り物を自分に贈られた物と解釈して、懐に収めてしまいます。
「狼様、どうです、似合いますか?」
早速、奪った花冠を頭へ乗せて尋ねる白ずきんちゃん。
図々しいことこの上ない発言に、狼は呆れ返って告げる言葉もありません。
がっくり項垂れたなら、それを肯定と受け取って、喜ぶ声が聞こえてきます。
毎度毎度のことながら、勝手にしてくれと思う狼。
投げやりな気持ちの慰めを求めて辺りを見渡せば、白ずきんちゃんの足元に、籠を一つ見つけました。
姿形は耳と尻尾をつけただけの人間ですが、鼻は優れている狼です。
籠の中身が上質なワインとまろやかそうなチーズ、ふっくらとしたパン、苦味を感じる薬と知っては、お見舞いの品と察します。
花冠は取り上げられてしまいましたが、いつものように長く構う必要はないようです。
ほっとしつつ、籠を指差しては白ずきんちゃんへ言いました。
「オイ、それは見舞いの品だろう? さっさと行った方がイイんじゃナイか?」
「あ、そうでした。不肖のお祖母ちゃんが病気になられてしまったのを、すっかり忘れておりましたわ」
おいおい……そう言いたいのをぐっと堪える狼は、白ずきんちゃんがいそいそ立ち去る姿を見てはほっと一息。
奪われてしまった花冠の出来栄えは良かったため、少しだけしょげましたが、お花はまだあります。
気を取り直して、また花冠をいそいそ作る狼。
けれど、嫌な予感がして懐を探ります。
「……シマッタ…………手紙」
贈り物ついでに告白してしまおうと、願掛けしていた手紙がないことに気づき、白ずきんちゃんが去った方角を見ました。
「……マズい。アレを見られては」
思い出した手紙の在り処は、白ずきんちゃんが持っていった花冠の、編み込んだ一本の茎。
巻きつけたアレを白ずきんちゃんに見られては、狼に明日はありません。
さっと青褪めた顔で、狼は白ずきんちゃんの後を追っていきました。
* * *
二人のずきんを被った女の子(内訳:成人と未成年)と狼が向かった先は、どういうわけだか、同じ家でした。
理由は、ずきんたち二人のお祖母ちゃんが、そこに住んでいるからに限ります。
かといって、お祖母ちゃんが同じという訳ではありません。
「……ちっきしょう。病気、移しやがったな、この婆」
「ふふふ……何とでも言いたまえ。同じ屋根の下に住む者同士、不公平があってはいけないからね。諦めて欲しいものだよ、姉さん」
「誰が姉さんだ、誰が! 血は繋がってるかも知れないが、あんたより先に生まれた憶えはねぇぞ?」
「やれやれ分かってないねぇ。これだから姉は。それとも私が姉の方が良いのかい? 大変だと思うけどね、私の下に付くのは。しかしお望みならば――」
「……くだらない会話をする元気はあるのね?」
ノックもせず、一つ屋根の下で仲良く(?)暮らすお祖母ちゃんたちの家に入ってきたのは、蜜柑ずきんちゃん。
つかつか、相方を姉と呼ぶお祖母ちゃんへ近寄っては、椅子を引き寄せて座り、籠をずいっと差し出します。
「ああっ! 我が愛しの蜜柑ずきん様! まさかまさか、恐れ多くも、私の見舞いへ来てくださったのですか!?」
芝居がかった感動を口にしたお祖母ちゃんは、がばっと蜜柑ずきんちゃんへ腕を広げますが、その前に籠の中身を顔面へ投げつけられてしまいました。
毒と思しき物体たちを口にしてしまったのか、数秒後、白目と泡を噴いたお祖母ちゃんが、枕の上に現れます。
これで見舞いは完了したと、蜜柑ずきんちゃんは高圧的な笑みを浮かべました。
「……相変わらずだなぁ」
一部始終、見ているだけだったお祖母ちゃんが率直な感想を述べると、蜜柑ずきんちゃんは今気づいたとばかりに眉を寄せました。
「あら、もう一人のお祖母ちゃんまで病気になったの? 大変ねぇ。さっさと別々に住みゃいいのに」
「それが出来たら苦労しませんて」
お祖母ちゃんなのに、蜜柑ずきんちゃんに頭の上がらない口調。
細かいつっ込みはさておき、しばし談笑を楽しむ二人は、顔色が紫となったお祖母ちゃんを心配する素振りもありません。
酷ということなかれ、紫色の顔すら、蜜柑ずきんちゃんに構って貰いたいがための演技なのです。
一歩間違えれば死んでしまいそうな、文字通り決死の演技ですが、見破っている二人には全く効果がありませんでした。
そこへ、扉が蹴破られて、白ずきんちゃんが到着します。
「お祖母ちゃん、お母様が来られないので、わたくしが来て差し上げましたわ!」
「あら、白ずきんちゃん、相変わらずぴかぴかのおでこね」
「……なんだ、お母さんは来れねぇのか……久々にアイツの顔、見たかったんだがなぁ」
蜜柑ずきんちゃんの指摘で額を抑えた白ずきんちゃんは、心底がっかりした風体のお祖母ちゃんの言葉を受けて、頬を思い切り膨らましました。
「ひ、人が折角来て差し上げたというのに、あなたときたら、お礼の一つも言えないなど……身内であるこの身が恨めしい!」
悔しそうに言いつつも、白ずきんちゃんは籠の中身をサイドテーブルへ置いていきます。
お祖母ちゃんのことはお祖母ちゃんと認めたくない白ずきんちゃんでしたが、お母さんに恨みはありません。
お祖母ちゃんのため、一生懸命用意してくれた品を無碍にすることはありませんでした。
「全く……お母様もなぜこんなごくつぶしへ、大層な見舞いの品をご用意されるのかしら? 勿体無い」
心からの嘆きを愚痴る白ずきんちゃん。
これに対し、蜜柑ずきんちゃんはくすくす笑い、お祖母ちゃんは唇を尖らせます。
と、そんな三人に掛かる影が。
最初に気づいたのは蜜柑ずきんちゃんでしたが、影は制止を待つ余裕なく、白ずきんちゃんのずきんへ不自然に乗っていた花冠を取り上げました。
驚いた白ずきんちゃんは、振り返っては狼に胸をときめかせ、花冠が無残に引き裂かれては悲鳴を上げました。
「いやぁっ! な、何をなさるのですか、狼様! わたくしの花冠が!」
「フザケルな! これは元々別のヤツに上げるために作ったモノだ! お前のモノでは」
茎に巻きついた手紙を取り戻し、ほっと一息つく間もない狼は、白ずきんちゃんへ文句を言う背後に気をつけていませんでした。
「なっ、何をなさっておられるのです!?」
凛とした声が、そんな後ろから聞こえては、鼓動が早くなります。
けれどそれは、驚いたせいではなく、別の理由からでした。
ゆっくり、狼が振り向いた先にいたのは、白ずきんちゃんの知り合いの猟師です。
短い黒髪に合う男のような格好ですが、小柄な身体で猟銃を構える姿には微かに女性を感じさせるものがあります。
彼女こそ、狼が想って止まない人でした。
出会ったのは、噂に躍らされた猟師が森へ入った際、別の猟師の仕掛けた罠に狼が引っ掛かってしまった時です。
双方、最初は警戒していたものの、狼の痛々しい姿と長年の勘で、噂が偽りであると結論付けた猟師は、拒絶を乗り越えて彼を治療、以来、付かず離れずの関係を続けています。
しかし、現在の状況は、煮え切らない二人の関係を寸断する、非常に危なっかしいものでした。
なぜなら、猟師の眼には、狼が嫌がる白ずきんちゃんから花冠を取り上げ、目の前でずたずたにしているようにしか、見えなかったのです。
職業柄、人を見る目はかなりあった猟師ですが、狼の前では霞んでしまうことが多々ありました。
猟師も狼のことを好いており、ゆえに目利きが効かなかったのです。
これを狼だからと思い込んでいた猟師は、自分の気持ちに気づかない鈍感さんでした。
一方狼は、そんな猟師から向けられる銃口に酷く傷つきました。
否定しようと前へ一歩踏み出しても、猟師が一歩下がっては銃を構え直してしまうのです。
入り口には猟師がいるため、狼に逃げ場はありません。
ここで庇い立てしたなら、白ずきんちゃんのポイントは、ぐっと上がったのかもしれませんが、花冠が裂かれたことで卒倒してしまった彼女に為す術はありません。
信じたいのに信じきれない、疑いを晴らしたいのに晴らせるか分からない、という葛藤が対峙する二人の間に流れます。
「……ん? 何かしら、これ?」
そこへ、成り行きを見守るばかりだった蜜柑ずきんちゃんが、落ちていた紙を拾い上げました。
おもむろに、読みます。
「えー“拝啓、猟師様”」
「ウワッ!? や、止めロ!」
何を読まれたのか、瞬時に把握してしまった狼は、蜜柑ずきんちゃんへ振り返り様飛びかかりますが、ひらりひらりと避けられてしまいます。
今度は蜜柑ずきんちゃんを襲っているようにしか見えない狼の所業ですが、猟師は銃を構えつつも、蜜柑ずきんちゃんが読み上げる内容が気になって仕方在りません。
「っと、挨拶はすっ飛ばして」
「飛ばすナ! 読め!」
「なんだ? 読んでいいなら落ち着けよ、狼」
雰囲気で、蜜柑ずきんちゃんが読む内容を察したお祖母ちゃんが、慌てる狼をにやにやした顔つきで窘めます。
しかし、狼は挫けず蜜柑ずきんちゃんとの攻防に励みます。
「“さて、貴女は憶えていらっしゃるでしょうか。私たちの出逢った日のことを”」
「や、ヤメ!」
「“あの日私は、罠に引っ掛かった、なんとも情けない姿で貴女と対面してしまいました。最初は――”って、まどろっこしいわね。要点だけ言っちゃえ!」
「そ、ソンなっ!」
「“猟師”」
言って、蜜柑ずきんちゃんは狼の腕を掻い潜り、猟師へ向かって言いました。
「“私は貴女が好きです”」
「っ!」
途端、真っ赤になる猟師の顔。
続けて蜜柑ずきんちゃんは告げます。
「“貴女は白ずきんちゃんを払う私に対して、あまり良い印象をお持ちではないと思われますが、私が好きなのは他の誰でもない、貴女なのです”――って、ああっ! これからもっと面白そうなのに!」
「ウルサイ!」
ようやく手紙を奪取した狼は、これをびりびり細かく破いてしまいました。
荒く息をついて猟師を見たなら、頬を怒りとは違う朱で染めた彼女が、思わず抱き締めてしまいたくなりそうな目で狼を見ています。
意を決し、一歩踏み出せば、猟師は銃を落として逃げていってしまいました。
「アッ!?」
「……どうしてあの場面で逃げるかね、アイツ」
「仕方ないわよ。猟師さんは直球に弱い体質だから――――で、追いかけないの、狼さん」
どうしたものか迷う狼の背を、蜜柑ずきんちゃんがトンッと軽く押しました。
本当に、軽く。
ですが、狼は大きく前へつんのめり、その勢いで走って行きます。
「さてと、面白くなってきたわっ!」
意気込み、あとを追おうとする蜜柑ずきんちゃん。
掛けるべく踏み出しますが、次に出そうとした足を引きずられては、両手を上げて地面に伏してしまいます。
「……ふっ。どうやら、わたくしの完敗のようですわね。ならば邪魔者を排除するだけです」
てっきり気絶したものとばかり思われた白ずきんちゃんは、引きずった足の持ち主がぴくりとも動かないのを受けて、立ち上がるなり艶やかな黒髪を払いました。
「……お前、あとで蜜柑ずきんの姐さんから酷い目にあわされるぞ?」
そんな白ずきんちゃんへ茶々を入れるお祖母ちゃん。
白ずきんちゃんは笑います。
「あら、お祖母様? 期待しておりますのよ、わたくし。可愛い孫のために潔く盾になってくださると」
「……うそぉん…………まあ、しょうがねぇか」
項垂れながらも苦笑したお祖母ちゃんは、白ずきんちゃんと同じ方向――猟師と狼が去った後を見て、優しげな笑みを浮かべました。
* * *
追いつくなり、狼は猟師の肩を押さえ、半ば強引に己の方を向かせました。
真っ赤な顔をした彼女へ、己の口から想いの丈を告げ――ようとして。
白ずきんちゃんを追いかけ、蜜柑ずきんちゃんに遊ばれ、立て続けに猟師を追いかけた狼は、酸欠で喘ぐことしか出来ません。
仕舞いには猟師の肩へ額を乗せて、息を整える始末です。
「……だ、大丈夫ですか?」
狼の様子を受け、赤らんだままの猟師はおずおずとその背を擦ってやります。
すると安堵の息が狼から漏れました。
猟師が逃げないことに、ほっとしたような。
瞬間、猟師は自分の気持ちを悟り、同時に口をついて出た言葉は――
心底安心した狼は、疲労からその身体をぱたり、地へ倒れました。
慌て、心配する猟師を余所に、狼はすやすや夢の中。
ほとんど置いてけぼり状態の彼女は、致し方なく膝枕をしてやり、狼の目覚めを待ちます。
目が覚めた狼が、現状に驚き、自分の口からは未だ何も告げていないと気付くのは、もう少し先のこと
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