ソファで寛ぎ、何気なくつけたテレビは防犯番組で。 『そういえば、今日、妙な輩が来たぞ?』 髪先を愛でる“視線”が呟いた。
防犯
気になってそこら辺に目を向ければ、 『気になるか?』 なんだかとても、嬉しそうな声。 ここで「あんまり」と冗談でも返せば、いじけた上に文句を散々垂れるに違いない。 そうなるとテレビが見れないどころか、眠るのさえ一苦労。 無遠慮な責める“視線”が安眠を妨害すること請け合いだ。 けれど、丁度テレビは防犯対策の仕方に移って、私はつい、そちらへ眼を向けてしまう。 「うーん……やっぱり一人暮らしだし、少しは考えるべきよねぇ」 独り言のつもりで呟けば、 『…………私がいるのに?』 「いや、貴方、人じゃないでしょう?」 途端、突き刺すような“視線”に溜息が出かかる。 この部屋を借りて、もう三ヶ月ほど経つが、未だにこの声と“視線”の主の扱いに、私は戸惑っていた。 幽霊の類でもなく、己を部屋と称する低い声音は、蔑ろにされる発言が嫌いらしい。 『私は……確かに人ではないが、お前と暮らしている……つもりなのに』 寂しそうに呟いては、背後から腕を回すように伸ばされる“視線”。 質感を伴うこれに、一瞬胸が高鳴ってしまった。 困ったことに、私はこの感覚が嫌いではない。寧ろ、惹かれるくらいで―― しかしそれでは病んでいるに等しい。まだ、人を捨てた覚えはないのだ。 「ああ、もう、はいはい、分かりました、すみません!……で? 妙な輩って、誰?」 適当に謝れば、鼻を啜るような嘲笑が漏れ、些か調子の良い声音が返ってくる。 『……やっぱり気になるんだろう? 実はな、今日――』 テレビを消して耳を傾ければ、胸を張るに似た自慢げな口調で、私が仕事で不在だった時の事を語る。 再度、自慢する素振りで締め、 『どうだ、妙な輩だろう? 追っ払ったんだから感謝の一つでも――』 「…………やっぱり、一人暮らしには防犯対策、必要だわ」 目を閉じて溜息混じりに天を仰げば疑問が投じられた。 『何故だ? 私はきちんと追い払ったのだぞ? 共に暮らしている者の義務として』 「……泥棒が入って来てる時点でアウトでしょうが」 本体がこの部屋であるというからには、どこを睨んでも良かろうと、丁度目に入った天井四隅の一角を睨む。 詰まった気配を感じては、嘆息を零して、点けていたベッド脇のスタンドを消し、布団に潜り込んだ。 『わ、私が悪いのか? だが、追い払ったぞ? 睨んで追い返したのだぞ? それなのに駄目なのか?』 「あーもー、うっさい。眠たいから黙ってて」 布団越しに伝わる焦りの“視線”を腕で払う。 静かになったのを見計らって、付き合ってられないと布団を被って眠りについた。
起きても何事か必死に言い募る声を払い、少々乱暴に戸締りして会社へ向かう。 入社してまだ一年にも満たない私の仕事は、所謂OLさん。 電話対応やら雑用やらにかまけていれば、すぐに昼休み。 時間もそうないし、社内食で済ませてしまえ、そう思って一人で昼食を楽しんでいると、見知った同期の女が相席を求めた。 了承すると、開口一番、 「ね、遙? 今日あんたン家、行って良い?」 「えっ……?」 「んん? 一人暮らしなんでしょ? 同棲してるわけじゃないんでしょ?」 好奇心で目をぎらつかせる女・佐々木由美の言に、私こと鈴野遙は力一杯首を縦に振ってしまった。
真っすぐ帰れば暗い部屋。 スイッチを押して明るくなった室内を見渡す由美。 「へえ〜……遙って、結構綺麗好きよねぇ」 私より髪も背丈も短い彼女は、物珍しげな視線を余すことなく部屋に向ける。 何だっていうのかしら、そう思って首を傾げると、 『……何者だ、あれは』 小さく刺々しい声音が耳元に忍び寄った。 「何って聞かれても困るけど……そだ、貴方、絶対喋っちゃ駄目よ?」 果たして己以外にこの声が聞こえるのか分からず、しかし言い含めるような口調で言えば、 『…………分か――』 「ねえ遙ぁー? 晩御飯なにぃ?」 「あんたね、食事目当てで来たの?」 声を置き去りに溜息混じりで部屋に入る。 つまみと酒が欲しいなんて我が侭言うから、額をぺしり叩く。 けらけら笑い出すのにつられて苦笑すれば、いじける“視線”が背に刺さった。
由美がトイレに立ったのを見計らっては、声がつまらない風に、 『……何故、あの者はお前をはるかと呼ぶ?』 「そりゃ、私の名前だからでしょ」 『…………私は知らないぞ、そんな……名前なんて……』 ショックを受けて背に縋りつく“視線”に、そういえば私は部屋に己の名を告げてないのを思い出した。 が、一人で暮らしているのに名前なんて、そう喋る機会もないだろう。 言外にこれを含め、 「当たり前でしょ、言ってないもの」 『…………もう三ヶ月も経つのに……あの女はお前の名を知っているのに、一緒に暮らしている私は、そんな名前も知らないなんて……何故だ? 何故――』 “視線”が怯えた気配を漂わせて抱き締める。 けれど、由美の姿を認め、私はこれを払い除けた。 傷ついた雰囲気が届く。
人の買い溜めした酒を全て飲み干したばかりか、万札押し付けて「買って来い」という女の言に、あっさり従ってしまった私。 だが、仕方あるまい。 あれからずっと、“視線”がいじけたまま、こちらの気を引こうと必死に動くのだ。 約束を守って、確かに喋ってはいないが、慈しむような質感を受け続ける身にもなって欲しい。 同情心からつい、“視線”へ向けて言葉を発してしまいそうになるではないか。 熱い溜息が一つ零れてしまう、扉前。 さてどうしたものかと悩むのも馬鹿らしく、開ければ持っていた買い物袋を落す。 中の液体は、漏れずに済んだ。
「ど、どう――――?」 衣装タンスの前で、真っ青な顔して凍りつく由美を認めては、それ以上紡げる言葉もなく、とりあえず扉を閉めて近寄る。 その耳を、先程まで由美の前では忠実に沈黙を保っていた声が打つ。 『お――じゃなくて、はるか! 喜べ、泥棒を捕まえたぞ? この女、はるかがいなくなるなり、色々物色し始めたんだ。どうだ、感謝の一つくらい――』 「ばっ――馬鹿じゃないの!?」 慌てて由美の下へ駆け寄り、 「今すぐ放して頂戴! 由美は友達なの、と・も・だ・ち!!」 『う、え……? だ、だが、この女は、はるかの……物色を……』 「いいから、早く!!」 壁に向けて激昂。 すぐさま由美の動きが戻り、彼女の口から荒い息が漏れた。 「な、何よ、この、声? それに、今の、金縛りみたいなの……」 「……その説明より先に、あんた、人ん家で何やってんのよ?」 周囲から発せられる必死に繕う声よりも低い声で脅すと、由美が照れ笑いを浮べる。 「いやあ……一人暮らしって言ってたけど、なんか、男の気配感じて、ちょっと興味湧いちゃってさ。ほら、昼聞いた時、間があったでしょ? だから男連れ込んでるのかな……って、探してたら――全身針で貫かれるような気分に陥って、声が聞こえて」 『私がいけないのか? 私ははるかに、拒絶されてしまうのか?』 縋り、抱き締めては頬ずる“視線”に、私は頭が重くなる痛みを感じつつ、 「……この声、聞こえているのよね?」 手を横に出せばこれへ触れる“視線”。 まるで己の存在をアピールするかの如く、邪魔をしてくる。 そんな私の気持ちを察してか、由美が早くに頷いた。 どうやらこの声、幻聴といった私の問題ではなかったらしい。 「これ、ね、部屋なんですって、ここの」 『これ!? わ、私は物じゃない!……それともはるかにとっては取るに足らない物なのか?』 纏わりついては離れそうもない“視線”と声に、耳が自然と赤くなる。 これをどう受け取ったモノか迷う私へ、困惑が一つ、投げかけられた。
隠し通すのは無理と、針で貫くような“視線”と声の説明をする。 思いの外、柔軟に受け止める由美に驚かされた。 「へぇ? 面白いわね。ねね、なんか喋ってよ」 『………………うるさい、帰れ』 「うっわ、腹立つ、コイツ!」 部屋の壁に指を向けて笑う由美。 対する部屋は、どこまでも不機嫌に由美へ言葉を重ねた。 『用は済んだのだろう? もう帰れ。お前のせいで私は……はるかに、ば、馬鹿とまで言われて――』 「ふふふ……実はもう、嫌われてるんじゃないのぉ?」 『っ!? そ、そうなのか? やはり、私を拒絶するのか?』 鬱陶しい論争に、私を巻き込まないで欲しい。 縋りつく“視線”を払う。 「……やっぱり、防犯対策ちゃんとしよう」 『ううう…………私はただ、お前に褒めて欲しくて……』 最終的には身を寄せる“視線”を払えず、由美を見送って後、盛大に溜息を吐いた。
続くのは、尚も弁明を図る部屋の声と、見捨てないでとせがむ“視線”。 |
あとがき
部屋に意識があるとするなら、防犯はどうだろうというお話です。
「部屋」は「私」の身、というか意識にしか興味がないので、物品を守る使命感はありません。
「私」に名前が付きました。それでも「部屋」は「部屋」のままです。
2008/10/21 かなぶん
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