久紫side 一
町の案内を数度頼めば、娘は困惑した表情を浮かべながらも、きっちりこなしていく。
地図を眺めれば小さな島国にある、更に小さい幽藍という島は、その小ささとは相反して、実に多種多様な店が軒を連ねる。 昔、久紫の師である喜久衛門が、幽藍について語ったことがあった。 曰く、「豪勢な鳥籠」。 意味を問えば、幽藍には春野宮という屈指の財閥の分家が住まうそうだが、これが本家に負けないくらい我が強く、有能が多いという。 それも、本家と取って代われるほどの逸材揃い。 野に放てば脅威となり、かといって雁字搦めにして有能さが生かせないのも困る。 打算と狡猾を好む本家は、これを上手く扱うため、逸材の親族を幽藍に招き表向き生活を保障しては安穏に慣れさせ、独立出来ぬよう恐れを生ませるのだという。 決して、己からは一言も語らず、真綿で首を絞めるように、自発を促し捕らえ続ける。 これに味を占めた本家は分家のみならず、有能と思しき人物の親族を同様に招いては、幽藍の便利さを持って虜と為す。 事実、一生を幽藍で過ごす者が多いと聞いた。
快適であるが故に、外を恐れる、自らが籠の中と察せぬ、籠の鳥。
だからこそというべきか、外から来る者は恐怖ではなく、興味の対象となるらしい。 そんなに俺の顔が珍しいか? 無遠慮に余所者に向けられる目は息が詰まって仕方ない。 師匠の馴染み客だったという幸乃信貴の誘いを受け、喜久衛門が使っていたという家に惹かれてやって来たのに。 落ち着くどころか、久紫にとっては騒がしいことこの上なく。 それでも、暮らすには必要だからと町へ下りれば、最近、もっと頭の痛い状態が続いていた。 遠慮なく近寄っては纏わりつき、覚えて欲しいのか言いたいだけなのか分からぬ紹介を始める娘たち。 かつて身を寄せていた知人宅の召使に似た媚びる目が、彼女らにも宿っており、胃の辺りがムカついてくる。 まあ、おちおち眠っていられないほど、朝な夕なに迫るおぞましさがないだけマシかもしれないが。 それにしたって、町へ来る都度寄られては煩わしい。 ゆえに久紫は隠すことなく不快を目一杯示すのだが、この娘ら、かなり神経が図太い。 冷ややかに睨みつけようものなら、 「きゃあ、今、わたくしと眼が逢いましたわ」 「違います、わたくし、わたくしと眼がお逢いになったのですわ!」 何を勘違いしているのか、頬を染めては更に近寄ってくる始末。 季節が春とはいえ、頭まで春真っ盛りの風体。 こういう場合、女相手に容赦なく力を振るえば、途端に避けられるが、孤島の中、世話になっている幸乃家の手前、無体な真似は出来ない。 辟易して溜息を付きかけ、はっと気付いて手の内にこれを隠す久紫。 そうして視線の先に、娘らに何事か説明しては、去るように促す幸乃の娘を捉えた。 流石にこの娘の前で、疲労感たっぷりの息など吐くわけにはいくまい。 世話役だからとはいえ、案内を頼んだのは己で、幸乃の娘はそのとばっちりを受けているだけなのだ。 久紫に手を叩かれてもなお、こうして負担を軽減するため、努力してくれているのに、溜息など吐いては酷が過ぎよう。 己が出来た人間であるとは思えないが、一応使える気は持ち合わせているつもりだ。
――否、だった、というべきか。 数日後のその時までは。
「異人さん」 呼ばれ、己の事と理解するのに数秒。 「……ナンだ?」 返せば山吹色の着物姿が、おずおず茶を差し出した。 慣れろ、とは言わないが、一々怯えられては堪ったものではない。 溜息のつもりで鼻を鳴らせば、娘は少しだけ目を伏せた。 まるでこちらが悪い気に陥り、茶を啜っては、染み入る潤いに一息ついて、左の片眼鏡を少しずらして眉間を揉む。 随分熱中していたらしい。 首を左右に振り、家の作業場、眼前、濃紺の作務衣の手に握られた、小さな人形の具合を確かめる。 こういう緻密な作業は師の得意とするところで、久紫にとっては些か厳しいモノがあった。 ふと、視界の隅で動いた色に、内心でひやりとしながら眼だけで追えば、棚に並ぶ人形を嬉しそうに見る娘の姿。 ほっとして、ここは違うのだと首を振る。 以前、贔屓の客である知人宅で、彼女と同じ年頃の娘らから「人形を見せて」とせがまれ、了承したことがあった。 知人宅は大陸でも広大な領地を抱える家系だけあって、なかなか立派な屋敷なのだが、人を軟禁できる空間と、押しかけ女房の如き召使の娘は宜しくない。 それでも許可したのは、疎ましい視線がこれで落ち着く、そう思ったからである。 しかしそれも束の間の安らぎに過ぎず。 娘らは神経を遣う作業の時に限って、色に酔った瞳で迫ってきた。容易に逃げられない場面を狙って。 払い、知人に抗議すれば、「男、冥利に尽きるとはこのことじゃないかね?」と、まるで相手にされなかった。 あの時の心痛は、思った以上に久紫のトラウマとなったらしい。 本当に、純粋に、ただ人形を見るだけだった幸乃の娘に対して、幾度か過敏に反応しては、激昂してしまった。 もう一度茶を啜っては、じんわり広がる口当たりに、申し訳なさだけが募っていく。 それというのも、全ては知人宅の節操なしの娘ども―― 「ね、鼠っ!」 娘の声に反応し、近くにあった箒を取る。 「チッ、またか!」 憎々しげに吐き出された言は、鼠というより、浮かんでしまった娘らの誘う目つきへ。 一気に叩きつければ棚が半壊し、しまったと惚けてしまうが、鼠の無事な姿、それもこちらを嘲笑うように「ちぅ」と鳴く様が気に入らない。 重なったのは、憤慨する久紫を「意気地なし」とからかう娘らのにやつく顔。 数度殴りつけては回避する様に、本気で箒を振り下ろそうとして、腰に衝撃を受けた。 何事かと睨みつければ、幸乃の娘が目を瞑って叫んだ。 「止めてください! お人形が可哀想です!」 初めて聞く大きな声に驚いていれば、慌てて離れた娘の眼に、うっすら涙が浮かんでいるのを知る。
黙々と半壊した棚と散乱した人形を片付ける幸乃の娘に、怒らせてしまったのだろうかと久紫は内心慌てた。 手伝いでもと思ったのだが、危ないと止められては出せる手もなく、かといって所在もなく。 「……悪かったナ」 ようやく口に出せた謝罪は思った以上に小さな声。 もう一度きちんと言うつもりで娘を見れば、小さく短い髪を振る。 「いえ……でも人形が……」 散らばった人形を哀しそうに拾う姿。 怒っているのではないが逆に対処に困る悲哀に、焦りから久紫は言葉を探して問うた。 「人形ならまた作れば良いダロウ。……幸乃の娘。人形がそんなに好きカ?」 すると驚いた顔が上がる。 名を呼ばなかったからか。しかし、久紫は彼女の名を知らず、他の呼び方も思いつかず。 それとも何かおかしなことでも言っただろうか? 師に習ったとはいえ、まだまだこの国の発音は久紫に難しく、響きが可笑しいと指差し笑われたこともある。 後悔して口元を隠せばくすりと笑う声。 ちょっとだけ傷ついた気分でいれば、幸乃の娘は明るい口調で謳うように言う。 「人形が好きか……って、女の子は大抵好きです、お人形さん。でも私の場合、宮内様の影響が大きいのですけれど」 照れたように発せられた名に一瞬己かと思いかけ、それはないだろうと内心で首を振る。 「宮内様……師匠のコトか?」 「はい。み……喜久衛門様は、よく私に人形を見せてくださいましたから」 楽しそうに語る姿を見て師に思いを馳せた。 不出来な久紫とは違い、見る者の顔を綻ばせる魅力に満ちた人形を造る、自身も柔らかく温かな人柄の喜久衛門の姿。 「ソレは……師匠の人形は美しかっタろう……」 呟いてみたが応えはなく、拍子抜けして娘の姿を追えば、また人形を拾っては袋に入れている。 仕事熱心なのは結構だが、取り残された気になって少しだけ寂しい思いに駆られた。 ならばと自身も作業に戻りかけた久紫だが、飛び散った欠片を追って居間に上がった娘が、次に手を伸ばした先に息が詰まる。 気を許しかけた途端にこれか!?
ぱんっ
「痛っ……」 「ドサクサに紛れて触ろうとするな! 見るのは許したガ、触るのを許した覚えはナイ!」 激昂に真っ白になった頭で怒鳴りつける。 俯く娘の頭にも痺れる自身の右手にも注意を払わず、娘が手を伸ばした先を見ては背筋にさっと冷たいモノが過ぎった。 支えに立ち、飾られた等身大の女の人形。 その髪に障子窓の光を受けて、光る蜘蛛の糸。 もしや、これを取ろうとして? 「ア……」 しまったと思い、同時に手の痺れを思い返せば、どれだけ力を込めて叩いたのか…… 慌て、すぐにでも謝るべきだと視線を娘に投じたが、 「すみません!」 勢い良く頭を下げられ、言葉を失ってしまう。 久紫がもたもたしている間に、娘は残りを乱暴に袋に入れ、ぐいっと紐で縛り上げた。 「オイ」 物凄く怒っている様に、どうして良いか分からず声を掛けても、一切返事はない。 重そうな袋を怒り任せに抱え、戸口へ突っ立っては娘が頭を下げる。 「今日はこれで失礼します」 「オイ?」 待ってくれ――そんなつもりで声を掛けても、戸を開けてはぴしゃりと閉めて、幸乃の娘は帰ってしまった。 「…………ドウ――」 ――すれば良い?――したら良い? 失態に自分を責めるべきだが、その前に追いかけ謝るべきではないのか……
次の行動を決めかね、結局久紫は一歩も動けず、戸惑うばかり。 |
UP 2008/6/9 かなぶん
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